aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

愉快な羅甸語

1【雑感と辞書】

 

1.1 かの有名なシェイクスピアは、同時代の劇作家B・ジョンソンに、「彼はラテン語は少ししか知らないし、ギリシア語はもっと少ししか知らない」と揶揄されていた。ちなみに私はラテン語シェイクスピアよりもさらに知らない。私はいろいろ読んで、面白かったところだけをメモしただけの人である。

1.2 20世紀イギリスが産んだ最大の古典学者かつ詩人として圧倒的な業績を誇るA.E.ハウスマン教授は、のちにケンブリッジ大学ラテン語教授となるのだが、オックスフォード大学における最終試験に大失敗している。これはラテン語学習者にとって心強い情報である。

1.3 ラテン語学習というのは要するに、⑴動詞類と⑵名詞&形容詞&代名詞類と⑶無変化品詞(前置詞&副詞&接続詞&間投詞&数副詞)という3セクションに大別できるように私は思う。これは、おおざっぱに言えば、そんな感じがする、ということである。てか、ラテン語の文法説明の記述に体系性とかを私には持たせられないし、体系的に説明する能力もヤル気も私にはないし、そもそも人工言語ならまだしも、人間の自然言語にそこそこリジットな体系性とかいうのを持たせられるのかどうか自体が私には疑問だし、ラテン語って文法が色々複雑すぎて真面目にやってたら挫折するの必至じゃないですか。どうせ挫折するんだから、私はもっと自由にノートを書きたい。「意味がわからん古典の文章に出会ったら、その都度、適切な仕方で辞書や文法書を引けるようになること」がラテン語学習の初期目標なのではないかとすら私は思う。学習者のモチベを一撃で粉砕するような文法書群への橋渡しとして、厳密性が全然ない仕方の檄文のようなノートがあってもよいのではないだろうか。これはそういう性格の文章である。つまり、雑多な情報をとにかく書き並べて、「これはあまりにも真偽が不確かだから詳しく調べてみよう」「わけわかんないから飛ばし読みして今度ちゃんと調べてみよう」となるような文は逆にむしろ良い文章であると私は考える。なぜなら、とりあえず著者を疑ってみることが読者の学習と好奇心を加速させることもあるかもしれないからだ。私のこのノートは、なんの資料にもならないほど信ぴょう性がない。なぜなら私が個人の勉強のために調べたことを書き殴っただけだからである。

1.4 廣松渉という伝説の天才が『哲学入門一歩前』という本を出していたような気がするのだが、私はあの本のタイトルをじっと見ていると、一番初めとして読まれるべき「入門」書に一歩前があるならば、二歩前という本もあってよいし、三歩前もあってよいし、n歩前という本もあっていいような気がしてくる。こういうのを「無限背進」と言って、一般に良くないこととされているので、この無限後退をどこかで終わらせねばならない。ではなにが後退を終わらせるのかと言えば、大衆性ではないだろうか。大衆は一般に勉強ばっかりしている人から見下されたりするが、大衆的な感覚(=常識)に訴えるような文体に私はむしろ興味がある。常識は、無根拠で非合理的で矛盾錯綜的で一挙的で複数的な諸価値のことである。常識とは、容易に(=合理的に)理解されることを拒むような仕方で実現される共同性でもある。常識とは、常識それ自体を理性で分かることが難しいのにも関わらず、常識「で」分かり合うことはできるような知の在り方だからである。まあそんなことはどうでもいい。要するに私は以下の文を、大衆的な文体で、俗語的な仕方で書くことをしてみたいと思う。

1.5 ラテン語学習というのは、過去に蓄積されたラテン語文とか古典を読めればよくて、今まで存在したことのない新しいラテン語文を新たに生成できなくてもよいのではないかと私は思う。それは、エクリもオラルも含めての話である。バチカンフィンランドの放送局がいまだにラテン語を使っているらしいけれども、要は既にあるものを読めればよくて、正しく発音できたり、会話できたりしなくてもよいのではないか、と思う。(フィンランドの放送局Radiophonia Finnica Generalisが、毎週5分間のラテン語ニュースNuntii Latiniを放送しており、しかもインターネットで読めるようになっている。フィンランド公用語Suomiといって、ウラル語族に属しているから、ラテン語を含む印欧語とはなんの関係もないのに、なぜか、フィンランドラテン語ニュースを発信しているのである。)というのも、ラテン語は、「ビデオカセット」のことを、「音と映像のリボンの小箱」(sonorarum visualiumque taeniarum cistellula)と表現する。バチカン市国には新しいラテン語単語を創造する委員会が存在するらしい。ちなみに、「ヒッピー」のことは、「従順であることを憎む人々」(conformitatisosor)と表現する。このように、ラテン語は、話されていた当時無かった単語はつくらざるをえないのであるが、それらをフォローしていくことで、ラテン語を生き返らせる必要があるのだろうか。それならばむしろ潔く、ラテン語とは好事家の教養であると言えばよいのではないだろうか。

1.6 あえてうがった言い方をするが、「ラテン語」とは、もはやほとんど今の時代、教養であって、言語ではないのではないだろうか。これはどういう意味かと言うと、もはや既に教養であるから基本的に勉学を熱烈に志すような殊勝な人以外は誰も知らないし、知らなくても全然生きていけるし、実際に知らない人がいっぱいいるし、それで全然かまわないし、網羅的ではなく断片的に知っていれば知ったかぶりができるような類の情報群が「ラテン語」という名前で一部アカデミックな界隈で流通しているということである。ラテン語が言語であるといわれると私はピンとこないが、ラテン語が教養であると言われると私はピンとくる。そもそも現在時点でのラテン語話者がめっちゃ少ないし、母語がマジでラテン語だという人が本当にいるのかを私は知らないし、学習者共同体の中にラテン語文を他の言語に翻訳しながら媒介的に理解せずして、ラテン語ラテン語として理解している人は実は数人なのではないかと思う。私なんかフランス語や英語や日本語と対比させながらラテン語を理解している。要するにラテン語は言語として学ぶのではなくて、知っている(ように見える)と褒められる教養としての資格で学ぶのもいいのではないか。もっとうがった言い方をすれば、実は今すごく見える人たちも、みんな本当は最初そうやってごまかしごまかしやり始めたに決まっているし、「知ったかぶりがめちゃくちゃうまくなると、それは本当に知っているのと同じだ」、というようなことを兼好法師卜部兼好)とかいう人が『徒然草』とかいう本の中で書いていたような気がする。(cf. 「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒(ともがら)なり。偽りても賢を学ばむを、賢といふべし。」『徒然草』第85段)。ちなみにたったいま使ったcfという記号はラテン語の命令形conferで意味は「参照せい」である。

1.7 辞書を引くときに、絶対に便利な動詞の4基本形というのは、なんのことか。①直説法能動態の現在一人称単数、②不定詞、③完了一人称単数形、④完了分詞の4つのことである。③の完了一人称単数からはⅰ直説法能動態の完了、過去完了、未来完了、ⅱ接続法能動態の完了、過去完了、ⅲ完了不定詞が導ける。③から導かれるものの受動態は④の完了分詞から導ける。さらに④の完了分詞からは未来不定詞と未来分詞も導ける。①と②の情報からは第何変化の動詞かが自動的に決まる。これを辞書で調べればものすごいたくさんのことに対応できるのであるが、この情報が辞書に見出し語として書いてあるのだ。辞書の見方についてだが、例えば一般動詞amōを引くと、amō, āre, amāvī, amātusという風に4つ書いてある。これは左から順番に①「直接法・現在・一人称・単数・能動」、②「現在不定法・能動」、③「直説法・現在完了・能動・一人称・単数」、④「完了分詞」である。他方、形式所相動詞opīnorを引くと、opīnor, ārī, opīnātus という風に3つ書いてある。これは左から順番に①「直接法・現在・一人称・単数」、②「現在不定法」、③「直説法・現在完了・一人称・単数(sumを取れば完了分詞)」が書いてある。これらは辞書の基本形といって、この基本形さえわかれば、あとは接辞や語尾を変えてやればすべてわかるようになっている。

1.8 ラテン語の対訳叢書を買って勉強するなら、羅英叢書ならLoeb classical library、羅独叢書ならTusculum-Bücherei、羅仏叢書ならBudéを使うと良い。それらの本を買う時にしっておくべき便利な情報として、ラテン文学の黄金期というのが前1世紀あたりのことであると知っておくと良い。最大の詩人はウェルギリウス、風刺・叙情詩人はホラティウス、『変身物語』のオウィディウス、散文はキケロー、『ガリア戦記』のカエサル、歴史家リウィウスなどである。この古典期以降は、ストア派で皇帝ネロの教師セネカ、『サテュリコン』で有名な「趣味の審判人」ことペトローニウス、歴史家タキトゥス博物学者プリーニウス、などの後1-2世紀の白銀期がある。後3-4世紀の初期キリスト教期においてはテルットゥッリアーヌスやラクタンティウスなどのラテン教父がでてくる。ルネサンス以降は、またギリシア・ラテン文化、グレコ=ロマンが再評価され、エラスムスの『ラウス・ストゥルティティアエ=愚神礼賛』が出た。その後この古典ラテン語を使ったのは、ヒエロニュムス、アウグスティヌストマス・アクィナス、アベラール、ペトラルカ、ダンテ、エラスムス、『ユートピア』のトマスモア、フッテン、コペルニクスデカルトスピノザライプニッツニュートンオイラー、『整数論』のガウスマルクスなどなどである。18世紀までラテン語は共通学術後であった。

1.9 多くの第三変化形容詞は、男性変化と女性変化が一致するので、omnis, -eのように、辞書では、男女形、中性形の順に2つ書く。第一第二変化形容詞のように3つ並べて書くのとは辞書の見出しが違うのである。

 

 


2 【文字と発音】

 

2.1 単語の発音は、以下のようにピッチアクセントで機械的にやるとよい。ピッチアクセントというのは、雨と飴、橋と端と箸という単語間の発音の違いのことである。しかし、そもそも実際のところ「トガ」を着用した古代ローマ人たちがどう発音していたのかなど、地球上に正確に分かるやつはひとりも残存・生存していないので、そんなのだいたいでよいに決まっている。しかしあえて言えば、まず、母音が一個ならその母音のピッチを上げる。母音が二個なら、一個目のピッチを上げる。母音が三個以上ならうしろから二個目に注目する。もしうしろから二個目が伸ばす音ならそのピッチを上げる。もしうしろから二個目が短い音ならそいつの左隣の母音のピッチを上げる。例外は多数あるが、そんなもの例外に過ぎない。基本これでいける。ただし、bsはプス、btはプトゥと読む。長母音の上にある傍線のことをマクロンと言って、マクロンがついていないラテン語出版物もある。

2.2 日本語はピッチアクセントであり、英語はストレスアクセントである。ラテン語がどちらだったかは正確には分からない。イギリスとドイツの学者は自分たちと同じストレスアクセントだったと思いたいらしい。ちなみに、古代ギリシア語はピッチアクセントだったのに、現代ギリシア語はストレスアクセントである。

2.3 母音の長短の有無で意味が変わる単語はある。例えば、レウィスは軽いの単数主格、レウィースは軽いの複数対格、レーウィスは滑らかなの単数主格、レーウィースは滑らかなの複数対格になる。

2.4 Rは、江戸言葉「べらんめえ」あるいは「不良言葉」における「なんだてめえ、んのやろう」「なにいってやんでえ、やんのかごるぁあ」と発音するときの「ろ」「る」の音を意識して発音するとよい。一般にこれを「巻き舌」という。なお、著名な江戸言葉のスピーカーには、古今亭志ん朝(落語家)、永六輔(随筆家)、内海桂子(漫才師)、毒蝮三太夫(タレント)、浅香光代剣劇女優)、大沢悠里ラジオパーソナリティ)、ビートたけし(映画監督)、伊集院光(元落語家)、伊東四朗(俳優)、蜷川虎三京都府知事)などがいる。

2.5 英語におけるorで終わる語、例えばactor、doctorなどのorはラテン語で使える。英語のtionとかsionで終わる様々な名詞もツィオー、シオーとしてラテン語で使える。ラテン語のウェーリタース、リーベルタース、アウクトーリタースなどは、それぞれ英語でヴェリティ、リバティ、オーソリティなので、英語の名詞語尾tyはラテン語ではタースになると覚えるとよい。しかも、これらの語尾はすべて女性名詞になる。

2.6 ラテン語はローマ字表記である。そのローマ字はエトルリア文字から来ていて、エトルリア文字はフェニキア文字から来ている。フェニキア文字象形文字だったらしく、Aはさかさまになった牛の頭部かもしれないと考えられている。GはCから、JはIから、WはVから作られ、U、V、Y、Z、Xはギリシア文字から来ている。小文字は6-8世紀に、大文字で書いていると書き写すのが面倒くさすぎた写字生たちが作ったと考えられているため、それまでは全部大文字で書かれている。だから遺跡の碑文は基本大文字で書いてある。

2.7 「1日」という意味であるカレンダエと、「都市カルタゴ」以外にはKで始まる単語というのは無いも同然である。ちなみに、Wという文字は北欧のルーン文字「ウェン」を書き写すために11世紀にイギリスのノルマン・フランス人の写書生徒が使い出したものである。ちなみに、Gという文字はCが、全然使われないKから音価を奪って、ガ行とカ行の音をどっちも担当するようになったために、ガ行だけを区別する必要から、前218年にポエニ戦争が始まるときに、カルウィリウス・ルーガという解放奴隷が考案したのだとプルタルコスは言っているが、どうなんでしょうね。

2.8 ラテン語のZはゼータと読む。

2.9 哲学者の坂部恵氏が注目している8-9世紀のカロリング・ルネサンスにおけるシャルルマーニュの宮廷に招かれたアルクィンさんが考案したのが現代の小文字の活字体である。

2.10 ラテン語黙字はない。表記されていながらにして読まない文字のことを黙字といい、英語は黙字だらけである。

2.11 長母音であることを示すマクロン以外に短母音であることをあえて示す、逆山形の記号がある。これが付いていたら短母音である。マクロンと逆山形どちらもついていたならばどちらでもいい。例えば、レウィスなら軽いという意味だが、レーウィスなら滑らかなという意味になってしまう。

2.12 lとrを流音、mとnを鼻音、hとfとsとzを擦音という。

2.13 phとchとthは、ギリシア文字のピー、ギリシア文字のキー、ギリシア文字のテータを写すためのものなので、これがつく単語はだいたいギリシア由来である。

2.14 liber(リベル) (本)とlīber(リーベル) (自由な)はマクロンがないとつづりは同じだが意味が異なる。malus(マルス)(悪い)とmālus(マールス)(リンゴの木)も同様である。

 

 

 

3 【歴史】


3.1 日本の戦国時代に日本でラテン語は話されていた。『日本巡察記』という本を書いたアレッサンドロ・ヴォリニャーノ(1539-1606)さんが建てた学校であるセミナリオやコレジオにおいて、ラテン語は日本人に教えられていた。天正少年使節の4人のうちのひとりだった長崎県出身の原(はら)マルチノ(1568-1629)くんはラテン語がとても優秀であったらしく、彼はヨーロッパ各地を旅して、インドのゴアまで来たとき、ラテン語で演説している。これは1587年のことであり、原稿は残っている。さらに、原くんはラテン語ポルトガル語と日本語の辞書を編纂しラテン語宗教書の翻訳と出版をこなしている。原くんは、弾圧されたので日本からマカオに亡命してそこで死んだ。ちなみに、司馬遼太郎の中篇『胡桃に酒』においては、細川ガラシャ(1563-1600)という人物が描かれており、彼女は明智光秀のムスメで、細川タダオキの妻であり、徳川側と豊臣側の勢力争いに巻き込まれて自殺させられた女であるが、ラテン語ポルトガル語ができたのかどうかは甚だ怪しい。

3.2 Graecia capta fermu victōrem cēpit et artēs intulit agrestī Latiō(ホラティウス書簡集第2巻第1書簡)『ギリシアはローマの捕囚となりながらも、勝利者たる蛮族ローマ人たちを逆に捕らえ、ラティウムの原野に諸学芸術をもたらしたのである』

3.3 auream quisquis mediocritātem dīligit, tūtus caret obsolētī sordibus tectī, caret invidendā sōbrius aulā.(ホラティウス『歌章』第2巻第10詩)『そもそも黄金の中庸を尊ぶ者ならば、破屋の塵とは縁無くして安泰、賢慮でもって、高楼への妬みとも無縁であるだろう。』という有名な詩には、黄金の中庸(aurea mediocritas)というホラティウスの重要視した考えが出てきている。

3.4 ダンテ(1265-1321)は主著『新生』『饗宴』『神曲』はロマンス語あるいは俗ラテン語で書き、詩論書はラテン語で書いた。

3.5 アカデミックな分野で最初にラテン語ではなくロマンス語で文章を書いたのはスペインのマヨルカ島生まれの神秘主義哲学者ラモン・ルリュ(1233-1316)である。

3.6 純粋文学の分野で、最後までラテン語を用いて詩作を続けた最後の人は、ミルトン(1608-1674)かもしれない。というのも、ボードレエルもラテン語を使っているが、習作として使っているのみだからである。たとえば、『悪の華』の第60詩『我がフランシスカへの讃歌』はラテン語で書かれている。ちなみにランボォ(1854-1891)もラテン語で詩作したことはあるが文法ミスが少しある。哲学や科学においては、18世紀までラテン語は使われ続けた。
3.7 ウェルギリウスの時代には大文字と小文字の区別などなかった。

3.8 ホメーロスの『イーリアス』も『オデュッセイア』も全部、ヘクサメトロス(長短短、長短短)というギリシア叙事詩由来の韻律で出来ている。これをラテン語にもたらしたのは、ヴェルギリウスの功績である。

3.9 『カルミナ・ブラーナ』という強弱詩の詩集がある。これは、13世紀のものとされていて、ベネディクト・ボイレン修道院で19世紀に見つかった。20世紀のドイツの作曲家カール・オルフが1937年に200篇のうちの24篇を選んで曲をつけたことで有名になった作品である。この詩集は宗教的性格がなく、ものすごく世俗的内容をもった詩集である。その内容は、世間知と皮肉と恋愛と酒である。作者たちはGoliardiと呼ばれた無名詩人たちである。彼らは12世紀に出来たばかりの大学で学問を修めたけれども正業にはつけずに、各地を放浪して歩いた若者たちである。教養も才能もあったのに、ロクなことにならなかった人たちが詩を作っていたのである。12世紀ヨーロッパでは、多数の学問をした若者たちが教会や大学にポストをもらえずに、落伍者となった。中世の落ちこぼれ組である。彼らは、せっかく手に入れたラテン語教育の知識を使って、酒場の歌や聖職者を皮肉る歌を作って金を稼いでいた。

3.10 ギリシア語を自在に操り、ギリシアのヘレニズム思想をラテン語で表現し、ギリシア思想の文化的普遍化と世界化を推し進めたキケロは、根っからの伝統主義者で、ものすごく保守的な人である。彼は平民の生まれなのにローマ政界で出世して執政官にまでなった。ちなみに、有名なキケロの文通相手は出版業をやっていたアッティクスというひとである。キケロはローマの共和制を絶対的に守護しなければならないと考えていた。それに対して、超リアリスティックに行動し、独裁者になってでも社会的問題の解決をしようとするユリウス・カエサルは、まことに対照的な人物であった。(カエサルの文章は無味乾燥であるがそれゆえにスピーディで簡潔極まりない名文とされている。カエサルは一切の装飾やレトリックを嫌い、自分を呼ぶ一人称でさえ「カエサル」と表現して動詞も自分の行動なのに三人称単数を使ったレベルである。)キケロカエサル暗殺後に同様にして権力を握ろうとしたアントニウスを弾劾する熱烈な弁論を書いたし、カエサルが暗殺された知らせを受けてキケロが大喜びする手紙が今も残っている。クレオパトラに至っては、カエサルアントニウスを相次いで誘惑したエジプトの王であり、かつ女なので、ローマ人たちには言語道断だったらしい。その後、カエサルの養子となったオクタウィアヌスは、自分が王ではなく民衆と同等であるがしかし第一人者ではあることを示すため、プリンケプスと名乗ったが、これは今のプリンスという言葉の語源である。結局キケロやブルートゥスが夢見た共和制ローマというのは、カエサル派に敗れたことになる。オクタウィアヌス派やアウグストゥス帝政の時代がやってくることで、多くの共和制派は殺された。ちなみにホラティウスも共和制派だった。キケロの書物は、はるか14世紀の詩人ペトラルカによって発掘されることになる。

3.11 『アエネイス』というのは、『ローマの始祖アエネアスさんについての歌』という意味である。滅亡したトロイアの王族の一人アエネアスは、生き延びた一族を率いて、父を肩に乗せて息子の手を引いて都を逃れ、イタリアに上陸して土着の民との対立を克服してローマ建国の礎を築くというのがストーリーである。ヒロインのディードーは敵国カルタゴの女王であり、アエネアスとの恋は実らない。絶望したディードーは自らを蒔積みの上で焼き尽くして死ぬ。

3.12 ローマがロムルスさんによって建国されたのは前753年とされている。ローマ人たちは、自分らの子孫はトロイア人であり、トロイア人がギリシア人に滅ぼされた時に、生き残ったトロイアの人々が王族のアエネアスさんに導かれてイタリア半島に上陸したのだ、そしてそのアエネアスの子孫が初代王のロムルスであるという伝承を持っていた。しかしこれは伝承であって歴史的事実ではない。ローマは7つの丘の街という風に形容されることもあるが、実際には丘に囲まれた湿地帯はマラリアを運ぶ蚊がたくさんいて、食い詰めた若者たちが他に良い土地もないのでそこに入植したのである。嫁不足が発生して、近隣の町から娘たちを略奪したという話もある。ローマは歴史家ティトゥス・リウィウスによるとロムルスの後6人の王がいたが、7人目の王タルクイニウス二世を追放して共和制になった。これは前509年のことである。ちなみに最後の王は三人ともエトルリア人である。その後、前272年にギリシアの植民都市タレントゥム=タラントをローマは陥落させ、イタリア半島の覇者となった。このタイミングでギリシアとローマが直接的に接触したのである。つまりこのときタラントゥムからローマに連れてこられたのがラテン文学の祖であるとされるオデュッセイアの翻訳者リウィウス・アンドロニクス(前284〜204)である。ちなみに、タルクイニウス2世を打倒する王政打破革命の引き金となったのは、タルクイニウス2世の息子にレイプされたルクレティアが自殺したことである。

3.13 ローマという地名は、エトルリア語の川(rumon)という単語から来ている。しかし、伝承では、ロムルス王から来ているということになっている。現在フィレンツェのあたりをトスカーナ地方と呼ぶのは、ローマ人がかつてエトルリア人のことをトゥスキーと呼んでいて、エトルリア人の土地という意味である。

3.14 フランス語で、企業が文化事業の後援活動をすることをメセナ事業(mécénat)というが、これはホラティウスをはじめとする詩人たちのパトロンであった前1世紀の大富豪マエナケスの名前から来ている。そしてこのマエナケスという人物はエトルリア人である。

3.15 第二次ポエニ戦争で名将ハンニバルに率いられた4万人の群勢が、象を率いてカルタゴからピレネー山脈アルプス山脈を越えてイタリア半島に攻め込んだ。ローマ軍は連戦連敗で、前216年のカンナエの戦いでは大将まで死んだ。ローマ側の将軍ファビウスは、短期決戦を避けて長期戦に持ち込むゲリラ戦略に出た。これをファビウス式戦略といって、19世紀末のイギリスで結成され、漸進主義的社会主義化を目指して、イギリス労働党に大きな影響を与えたフェビアン協会の名前の由来である。ちなみにアフリカのカルタゴから陸路でイタリアにやってきたハンニバルは、前203年まで14年間もイタリアに居座った。

3.16 ラテン語言語学的にはイタリック語派に属し、姉妹語は、オスク語とウンブリア語である。ラテン文学の父のひとりとされているエンニウス(B.C.239-169)はオスク語地域で生まれてギリシア語で教育を受けラテン語で著作し「私は三つの心を持つ」と言っていたらしい。イタリア中部にあるウンブリアに住んでいたウンブリア人はローマ文化に前1世紀ころまでには完全に同化してしまった。喜劇作家のプラウトゥス(B.C.254-184)はウンブリア人である。79年に噴火したベスビオ火山のあるポンペイの街壁にはオスク語の落書きがある。

3.17 インド料理店などにあるマハラージャというのは、マハが英語のmajorの語源であるmaiorと同根であり、サンスクリット語のrājāはラテン語の王rexと同根なので、「大王」という意味になる。インド・ヨーロッパ語族というのはこういう風に同根だったりする。臓器提供の「ドナー」と「旦那」が同根という説もある。

3.18 膠着語として有名なのは、トルコ語朝鮮語と日本語である。ラテン語膠着語かどうかには議論がある。

3.19 古代には、文中に単語と単語の切れ目を空白で示す習慣は無かった。そういう習慣を完成したのはギリシア人である。ちなみにギリシア語を伝統的な8品詞に分類したのは、ディオニュシス・トラクスという紀元前1世紀の人物である。

3.20 日本語では無生物には「ある」と言い、生物には「いる」という動詞を使う。この有生物のほうが男女で更にわけられると文法的性別になる、という説がある。ちなみに、ラテン語ギリシア語とサンスクリット語とドイツ語と古代英語は男性と中性と女性の3分類法である。

3.21 ギリシア文学は、ホメロスイリアスオデュッセイアによって突如始まるとされている。ではラテン文学はどうかというと、ギリシア植民都市タレントゥムが陥落した前272年に奴隷として連れてこられたバイリンガル、リウィウス・アンドロニクス(前284〜204)によるギリシア文学の翻訳という形で始まる。彼はオデュッセイアラテン語に翻訳したのである。彼はラテン文学の始祖とされている。彼はローマに土着の韻律である「サトゥルニアン」と呼ばれている韻律でオデュッセイアの翻訳をした。しかし、この土着の韻律サトゥルニアンは失われており、それ以降ローマの作品はギリシア語の韻律で作品をつくるようになった。

3.22 オックスフォード・ラテン・ディクショナリーの巻頭には作家と作品の一覧表がついているが、ラテン語の始原から4世紀までの作品の全てにおいて、女性が書いた作品は全くない。ラテン語は男のための言語であり、女についての文は多いが、女が書いたラテン語はほとんど存在しない。ただし、ローマでは社会的に女性の地位が低かったというわけでは必ずしもない。それに対して、古代ギリシアの女性は女流詩人サッポー、エリンナ、コリンナ、ノッシスたちのように対照的に女流文学を生み出しているのだが、ギリシアにおいて女性の地位はものすごく極端に低かった。アリストテレスは、女は男より劣っているので男に支配されるべきだと書いている。ギリシア社会において、女は家庭内で近親者以外に顔を見せてはならず、女児には遺産相続権がなく、直系男児が家にいなければ女児は財産を守るために父の近親者と結婚することを強制された。つまり、ローマとギリシアは女性の地位に関して奇妙なねじれが存在している。要するに、ローマ人女性は強かった。例えばキケロは妻テレンティアの強権に苦しんでおり、友人への手紙の中で、妻テレンティアが全然キケロのために結婚したときの持参金を使ってくれないのだと泣き言を言っている。ちなみに、ウェルギリウス叙事詩アエネイスの副主人公であるディードーだけはラテン文学オリジナルの女性キャラであって、ギリシア文学からのパクリではない。

3.23 ローマの喜劇作家といえばプラウトゥスとテレンティウスであり、後者は前者より上品な笑いが特徴であり、テレンティウスの作品は6つしか残っていない。

3.24 初代ローマ皇帝アウグストゥスは西暦14年に病死する。この年から第16代皇帝マルクス・アウレリウス帝の治世が終わる西暦180年までの166年間を、古典ラテン文学の白銀時代という。この白銀時代は黄金時代の均整や調和に対して、「誇張、極論、過剰」の時代である。修辞がさかんに使われた。白銀時代の先駆けはセネカであり、他には叙事詩人ルカヌス、歴史家タキトゥス、スエトニウス、風刺詩人ユウェナリウス、マルティアリス、博物学プリニウスなどがいる。ネロの教師役だったセネカは、自ら血管を切らされ自殺させられた。

3.25 エウリピデスの傑作『メデイア』はどういう作品かというと、肉親を殺してまでも献身的に尽くしてきた夫が浮気をしたことに激怒した妻が、夫その人を殺すのではなく、自ら産んだ子どもを殺して復讐する話である。この作品によってメデイアとは子殺しの魔女、無辜の子どもを殺す女である、という設定が不動のものとなった。フランス17世紀の劇作家コルネイユとロンジュピエール、20世紀のジャン・アヌイがメデイアすなわちフランス語で『メデ』を書いているが、底本はエウリピデスではなくセネカのバージョンである。

3.26 三島由紀夫の小説『潮騒』は2世紀のロンゴスが書いた『ダフニスとクロエ』を元にして書かれている。

3.27 趣味の判定者でトレンドメーカーだったペトロニウス・アルビテルが書いた『サテュリコン』という作品は非常に興味深い。なぜならこの作品が、ピカレスク・ノベルだからである。主人公がならず者なのである。主人公は、無頼の彷徨人二人組でありしかも両性愛者である。青年エンコルピオスと愛人の美少年ギトンの二人組なのだ。詐欺師も準主人公として登場する。舞台は大衆浴場や売春宿であり、中でも『トリマルキオンの饗宴』という部分の描写は凄まじい。訛りの強いまったく無意味な会話が延々と続き、過剰な料理がもてなされる。フェデリコ・フェリーニはこの場面を『サテリコン』という過剰な映画にした。ちなみに、詐欺師で詩人のエウモルポスの遺言は、『私の遺体を切り刻んで、公衆の面前で飲み込むこと』であった。ネロ帝時代の文化というのは、このようなものだった。

3.28 ペルソナは元来演劇の用語で仮面を意味する。英語のスピリットは日本語の霊であり、ギリシア語ではプネウマであり、原義は息であり、ラテン語ではspiritusであり、フランス語ではespritである。ラテン語のアニマはギリシア語のプシュケー、英語のソウルで、日本語では心か魂であり、フランス語ではâmeである。ラテン語のアニムスはスピリトゥスの人気によって周縁に圧迫されてあまり継承されなかった。ちなみに、ギリシア語のソマはラテン語のコルプスで日本語の肉体である。

3.29 キリスト教聖典旧約聖書新約聖書であるが、旧約聖書の大部分はヘブライ語で書かれ、エズラ書とダニエル書のうちの数章と創世記とエレミヤ書のわずかな部分だけがアラム語で書かれていた。アラム語セム語族で、ユダヤ教徒の日常語である。聖典用のヘブライ語も日常用のアラム語もわからないユダヤ人のために、まず作られたのが聖書のギリシア語訳である。新約聖書の方は最初からギリシア語で作られている。ヘレニズム時代以降世界に広がったのがアッティカ方言であり、それはコイネーと呼ばれる。新約聖書ギリシア語はコイネーである。しかし、ギリシア語が分からないローマ人たちのためにラテン語訳が必要になり、ItalaとかVetus Latinaと呼ばれる版が作られた。これは現在のカトリック教会の公式版であるウルガータ版とはまた別のものである。ウルガータ版を作ったのはセイント・ジェロームつまり聖ヒエロニュムスであり、347年にクロアチアで生まれたひとである。

3.30 1〜8世紀までのキリスト教著作家のことを教父といい、ラテン語で書いた。代表者はテルトリアヌス、ラクタンティウス、アンブロシウスである。

3.31 前1世紀の『ローマ人の中で最も博学な人』とされているワッロという人物は、当時130作品も出回っていたプラウトゥスの作品とされる喜劇を吟味し、21作品のみを真作として認定してそれが現代でも公式に認められている。

3.32 公共図書館は最初、ミューズの館すなわちムーセイオンと呼ばれ、アレクサンドリアにあったが、アウグストゥス帝も図書館をふたつ作ったし、カエサルも作っている。

3.33 ヨーロッパ史において、古典文化の正しい知識に関する関心が最初に高まったのは意外にも、アイルランドのような辺境である。基本的に、辺境のほうが昔の知識が保存されている確率が高くなることが知られている。6世紀以降、アイルランド出身の学識ある僧がイングランドヨーロッパ大陸に進出して異教や古典文化やキリスト教に関する知識を広めた。イングランドでも、ビード尊者という別名があるベーダ・ヴェネラビリス(673-735)はラテン語で『アングル人教会史』を書いている。この当時、このレベルのラテン語本を書くことができたのは凄まじいことであって、西ローマは滅んでいるし、ゲルマン人たちがヨーロッパを略奪しまくっていたからである。

3.34 8世紀ヨーロッパで、パリを首都とするカロリング朝フランク王国の公的文書はすべてラテン語であった。ただし、愛の女神Venus(ウェヌス、ビーナス)は語末がusであるから男性であると思っていたレベルの聖職者の存在が報告されている。つまり、その程度のラテン語レベルだったのである。そもそも、フランク王国とはゲルマン人フランク族が西進してきてガリア地方を支配し、5世紀に建てた国であり、支配者層の言語はバリバリにゲルマン語派のフランク語である。しかし、共通語は、ガリアに住んでいたガリア人(=ゴール人)たちの話していた言葉すなわちラテン語に徐々に同化していった。なぜなら、ローマ帝国が残した文化の威信も文法体系も素晴らしかったからである。だからフランク語で文書が作られることはカロリング朝において皆無であった。しかし、フランク国の民衆の言葉はラテン語の変化したようなものであるから、そのフランク人たちは、誰もラテン語を正しく発音できないし、何百年も前のラテン語を正しく書くことも発音することもできるはずがない。ラテン語訳聖書の意味は取れるといったレベルだったのである。なんと、ラテン語のHの音が今のフランス語のように発音されなくなってしまっていたのだ。彼らに誰かが正書法を教えなければならない。それで呼ばれて来たのが、イングランド出身のアングロ・サクソン人アルクイン先生(735-804)である。彼は『正書法について』という本を残してくださった。この本には、『なぜBがVの音で発音されるようになってんねん』などとアルクイン先生は書いているのだが、現在habereはフランス語でavoirになっている。案の定、hは発音されなくなりbはvになったのだ。aequusは『等しい』という意味でequusは『馬』という意味だから発音を仕分けなさいとアルクインは書いているのに、aeという二重母音もeになってしまった。要するに、アイルランドイングランドのような辺境の地には古代の凄まじい知識がかなり遅くまで残っていたのである。シュルルマーニュ帝(英語でチャールズ大帝。ラテン語ではカルロス・マグヌス)はそれを見逃さなかった。これを、カロリング・ルネサンスという。他にもフランク人のアインハルト(770-840)がシャルルマーニュ帝によって招聘された。彼がラテン語で書いた『カール大帝伝』という本によると、シャルルマーニュさんの日常語はゲルマン語であり、ラテン語も話せたので彼はバイリンガルだったらしい。ラテン語も読めたが、しかしラテン語を書くことだけは出来なかったそうだ。

3.35 ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』のラテン語版がウェブ上で読める。

3.36 七曜制の起源はバビロニアである。英語のサンデイとマンデイとサタデイはローマ神話である。英語のチューズデイ(戦神テュール)とウェンズ(主神オーディン)デイとサーズ(雷神ソー)デイとフライ(愛の神フレイヤ)デイは北欧神話ラテン語ではローマ神話において対応している神が曜日名になるので、ラテン語では月曜日が月の日、火曜日が戦神マルスの日、水曜日が商いの神メルクリウスの日、木曜日が雷神ユピテルの日、金曜日が愛神ウェヌスの日、土曜日が農耕の神サトゥルヌスの日、日曜日が太陽の日という表記になる。土曜日(サトゥルヌス・デイ)と日曜日(サン・デイ)と月曜日(ムーン・デイ)が英語に受け継がれているのが分かる。

3.37 ウルガータVulgātaと呼ばれる聖書は、聖ヒエロニュムスが20年の歳月をかけてヘブライ語ギリシア語からラテン語に翻訳したものである。ちなみに、ウルガータ新約聖書ヨハネ伝の冒頭は次のように始まる。In principiō erat Verbum, et Verbum erat apud Deum, et Deus erat Verbum.(初めに言葉ありき。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。)この三番目の文の主語をどうやっても決定できないというのが、ラテン語の急所なのである。例えイッレのような指示代名詞兼形容詞を使ってもどちらが主語なのかを決定できない。だからこれを訳すためにはギリシア語版聖書にはついている定冠詞「ホ」が必要なのである。

3.38 ローマ市のマンホールや紋章などに書かれているSPQRというのは、Sēnatus Populusque Rōmānusという頭文字のことであり、ローマの元老院と人民という意味である。ローマの民主化の砦となってきたトリブーヌス・プレービスは護民官という意味だし、Vetoというのは、新聞の名前でもあるトリビューンさんが持っている拒否権のことである。独裁官は非常時に任命され、fascēsという斧を外さずにローマ市内を歩くことが許された役職であり、これはファシストの語源である。前202年を最後に、前82〜79年にSullaが例外的に独裁官になっている以外、誰も独裁官にはならなかったのに、こともあろうに形骸化していた独裁官制度を復活させ、終身制にしようとしたのがカエサルである。

3.39 イギリスのウィンストン・チャーチル首相は、テーブルという単語に単数呼格と複数呼格があることを学校で学ばされた時に、「おおテーブルどもよ!」と呼びかけることはないはずだと不平を言った。

3.40 ウィキペディアというサイトのスターウォーズという項目には、ラテン語スターウォーズについて詳しく書かれている。このように、世界中のラテン語愛好家がラテン語ウィキペディアのページを作っている場合がある。

3.41 第五変化名詞で有名な名詞がrēsであるが、「公のこと」を、ラテン語でレース・プブリーカといい、これはレパプリックのことである。ちなみに、プローレーターリウスと呼ばれる人々というのは、財産や税金や兵役によって国家に奉仕できるのではなく、子孫を産む(プローレース)こと、あるいは投票することによってのみ国家に奉仕できる最下層の市民を意味する。彼らはinsulaと呼ばれる安アパートに住んでいた。

3.42 ローマの初代であることになっているロームルス王は、一年を10ヶ月に設定して、残りの2ヶ月はやることがないので、休耕月として無視した。だから、一年はMartiusから始まっていたのだが、前153年にJānuāriusから始まることになった。Februāriusも導入されていたので、ローマの暦は2つずつズレることになり、クィーンクェは本来5という意味なのに7月を意味し、セクスは本来6という意味なのだが8月を意味し、セプテムは7という意味なのに9月になったり、オクトーは8なのに10月になったり、ノウェムは9、デケムは10なのに11月と12月を意味するようになってしまった。前45年に天文学者ソーシゲーネスの助言によってカエサルは365日のユリウス暦を採用し、カエサルの誕生月だったQuīntīlisがJūliusと改称された。さらに、アウグストゥスがSextīlisをAugustusと改称した。それでだいたい今の感じになる。

3.43 オーマイゴット的な間投表現は、女性は基本カストル!と叫び、男性は基本ヘラクレス!を使ったという説がある。ちなみにポッルクス神は男女共用だったらしい。まあ、真偽のほどは定かでない。

3.44 古代ローマでは7の倍数の年齢で危機が訪れたり、7の倍数の日にヤバいことが起きると信じられていた。古代ローマではアンラッキーセブンもあったのである。ちなみに古代ローマは旧約ユダヤ暦の七曜制ではなく、一週間は8日だったので八曜制である。

3.45 ヒッタイト語という言語があったが、これはいま完全に死語である。

3.46 英語やドイツ語の祖先はラテン語ではない。しかし単語や文章構造は似ているのは、それはノルマンコンクエストなどが理由である。

3.47 フランス革命以降のヨーロッパの民族主義は、脱ラテン化がモーメントだった。ドイツはラテン文化が入る以前のゲルマンの神秘の森へと回帰したし、フランスは、ローマ人が来る以前のケルト民族のガリア人の文化が盛り上がった。イギリスでも、ノルマン人の侵入以前のサクソン人文化が称揚されたのである。

3.48 セルビアクロアチアの間には深刻な線がある。ローマ教会とコンスタンティノープル教会の間(11世紀の東西大分裂)にある線である。セルビアクロアチアは同じ言葉を使うのに文字が違うのである。セルビアギリシア=ロシア系の文字を使い、クロアチアはローマ字を使うのだ。クロアチア人はローマンカソリックで、セルビア人は東方教会である。

3.49 ラテン語から分岐したフランス語やイタリア語も、英語の辿った過程と同じように、人称代名詞を除いて普通の名詞は格変化をしなくなっていった。言語というのは使われているうちにだんだんと経済的(不必要なものが簡略化されていくこと)になっていくのである。

3.50 カエサルとブルータスの母親は恋愛関係にあったという説がある。

3.51 キケロラテン語ではキケロー。英語でシセロウ、フランス語でシセロン、ドイツ語でツィーツェロ、イタリア語でチチェローネ、である。フランス語では語尾にnがつき、イタリア語ではneがついてしまう。なぜそうなるかというと、ラテン語から俗ラテン語への名詞の橋渡しは、基本的に主格ではなく対格を使ってなされたという過去があるからである。たとえば、montemという「山」という名詞の対格から、フランス語のmont(山)ができたのである。もし主格だったら山はmonsなわけだが、対格のmontemが使われたからtが残るのである。それと同じ理屈で、キケロに関しても、俗ラテン語への移行はキケロの対格であるCiceronemが使われたのである。それゆえに、イタリア語ではチチェローネなのである。また、大きな辞書の語源欄には対格形がむしろ挙げられているのはそれが理由なのである。フランス語におけるpiedやnuitやmortの語尾にあるdやtには、明らかに同じ意味のラテン語単語の対格形が透けて見えているのだ。

3.52 ラテン語のsは澄んだ音であって、絶対に濁音にはならない。たとえば、rosaはローサであって、ローザ・ルクセンブルクはドイツ語なまりである。

3.53 古典ラテン語には、もともと、IはあってJはなかったし、VはあってUはなかった。

3.54 エッセンティアという単語は、セネカの言うところによると、ギリシア語のウーシアを翻訳するためにキケロが造語したらしい。

3.55 乗り換えのトランジットというのは、ラテン語の「行く」である不規則動詞のeoに接頭辞のtransがついたtranseoという動詞の三人称単数形がtransitなのである。eoの三人称単数itが透けて見えているからだ。これで移り行くという意味である。ちなみに、eoは行くの一人称単数形であって、不定詞はire(イーレ)なので注意。さらにいえば、英語の出口という意味のexitはラテン語の名詞exitusから来ているて動詞eoに関係があるし、演劇のト書きにおける退場という意味のexeuntという略語はeoの三人称複数形のeuntから来ている。

3.56 クオ・ウァディス(Quo vadis)(主よ、あなたはどこへ行かれるのですか?)というポーランド人作家ヘンリク・シャンケレヴィッチの作品中の名セリフで有名な、vadoという動詞があるが、これは、フランス語におけるje vais, tu vas, il vaなどの語源である。

3.57 オリエンテーションという単語は、教会を建てる時に、教会の祭壇は真東を向いていなければならないことから、真東を見定めるという意味で作られた。それより前にあったオリエントという単語が太陽が昇る方角を意味しているのである。

3.58 トマス・アクィナスラテン語はとてもシンプルで簡潔で、使っている語彙も少ないので読みやすい。それに対して、アウグスティヌスラテン語は文学的比喩に満ちていて、使っている語彙も多いのでレベルが高い。

3.59 2004年の5月に俳優のメル・ギブソンによって作られたイエス・キリストの受難についての映画『パッション』は全編が古代アラム語ラテン語で作られている。アラム語の研究者であるロサンゼルスのロヨラ・メリーマウント大学のウィリアム・ファルコ教授が、セリフの翻訳および発話指導にあたった。ファルコ教授は、カトリックの聖職者でもある。

3.60 コンスタンティヌス帝は、ローマ進軍の際に空に十字架の幻をみた。「この印のもと、汝は勝利するであろう。In hoc signo vinces」というお告げがあったらしい。これが、ミラノ勅令に繋がった。もちろん事情は逆でミラノ勅令が出る口実としてこのお話が作られたのであろう。ちなみに、この言葉のイニシャルをとってIHSはキリスト教業界では「イエス」を意味する。だから、IHSと書かれた旗をくわえている羊の絵なども存在する。

3.61 太陽=アポッローン=アポッロー=サン。月=アルテミス=ディアーナ=ダイアナ。といった感じで、日本語→ギリシア語→ラテン語→英語の順で同じ系列を表記してみる。①水星=ヘルメース=メルクリウス=マーキュリー。②金星=アフロディーテー=ウェヌス=ヴィーナス。③火星=アレース=マルス=マーズ。④木星=ゼウス=ユーピテル=ジュピター。⑤土星=クロノス=サートゥルヌス=サターン。①〜⑤の惑星は地球から近いので肉眼でも観測できるので、ギリシア人たちは名前をつけた。天王星の発見は1781年のハーシェルによるもので、海王星は1846年である。冥王星はそもそも惑星ではなくエッジワース・カイパーベルト天体であるのではないかという議論がある。

3.62 ローマの2代目皇帝ティベリウスは、占星術に熱中した人だった。このことは、タキトゥスの『歴史』という本に書いてある。

3.63 アメリカのノーベル賞作家ソール・ベローはホラーティウスの『詩集』第1巻15番のcarpe diemを意識してSeize the Dayという小説を書いた。

3.64 日本語では火曜日でも、ラテン語では「火星の日」であるから注意が必要である。しかも、その「火星の」の部分は属格である。

3.65 フランス語の土曜日samediの起源はヘブライ語安息日を意味するサバトが語源である。フランス語の日曜日dimancheの起源はラテン語で「主の日」を意味するdies dominicusである。

3.66 スッラ(B.C.138-78)が東方へ遠征に行っている間に、ローマは再び、スッラに屈したマリウス派の勢力下になっていた。ローマに戻ったスッラはローマでは禁じ手である独裁官となって、政敵を徹底的に排除した。そして超保守化した恐怖政治を展開した。その30年後に、スッラの弟子だったポンペイウスが、ルビコン川を渡ったカエサルと、元老院守旧派勢力と結託することで、対抗することになる。

3.67 インフォメーションというのは、ラテン語ではインフォルマチオであって、「形を与えるもの」という意味である。つまりこれは形相(エイドス、フォルマ、フォーム)であって、「形を与えられるもの」である質料(ヒューレー、マテリア、マター)に形を与えることを意味した。

3.68 torblerという単語がフランス語に入るとtroublerとなるようなことを音位転倒(メタテーズ)という。イタリア語ではチーズはフォルマッギオformaggioであるが、フランス語でチーズはフロマージュである。そもそもラテン語ではformaticus caseusであって、チーズにこれから成る予定の液体はむしろcaseusの方であり、カセウスがチーズなのである。フォルマティクスの方は、「そのチーズを流し込む型」という意味であって、チーズという意味では全然ない。フォルマティウスのrとoが音位転倒(メタテーズ)を起こしてフロマージュfromageになってしまったのがフランス語である。つまりこれは完全にラテン語の発音間違いが語源である。イタリア語ではメタテーズが起きなかったのでフォルマッギオのままである。一方で、ラテン語のcaseus(=チーズ)の方は、ラテン語をちゃんと継承したスペイン語ではqueso(ケーゾ)になった。ちなみに、これがドイツ語や英語などのゲルマン語に入ってKäse(ケーゼ)、Cheese(チーズ)となった。フランス語とイタリア語で起きたことは、携帯電話が「携帯」と呼ばれるようになってしまったのと全く同じ仕組みである。「秒」が英語でsecondeなのも、「分」より一段低い単位を示すseconde minuteのsecondeの方が採用されてしまったためである。Serge de Nîmeも、日本語のデニム生地の語源であるが、「ニーム産の」の部分が名前になってしまった。「ケルンの水」という名前のeau de Cologne(オーデコロン)もコロンになってしまった。コロンはいま、日本語で香水という意味になっている。しかし、ケルン自体が、ラテン語で「ローマの植民地(コロニア)」という意味なので、日本では、ラテン語における植民地という言葉で香水を意味していることになる。

3.69 フランス語のIl gèle à pierre fendre(石がひび割れるほど寒い)という言葉にはピエールに冠詞がない。なぜこうなるかというと、ラテン語にはそもそも冠詞などないからである。フランス語でも冠詞は必要に応じてラテン語から作られていったのだから、古い慣用句には冠詞がないのは当然である。そのときは必要ではなかったからだ。さらにいえば、pierreの位置も面白い。なぜなら、動詞の前に目的語が来て、しかもそれが代名詞に置き換わっていないからだ。

3.70 ハンブルグという都市で有名な食べ物→②ハンバーガー→③ハンとバーガーでなんか切れ目があるのではないかという勘違い→④チーズバーガーという単語の誕生。ということが起きる。ちなみに、英語のハイジャックからバスジャックもこのようにして出てきた。

3.71 メールの返信に使う「Re:」という略語は英語のreturnという単語の略語では全くないし、英語のreplyという単語の略語でも全然ない。「Re:」とは、ラテン語のresという単語からきた言葉で「~について、~に関して」という意味であって、regardingはまったく語源ではないが、強いて意味を英語で覚えたいのならばregardingである。読み方もレースが語源なのだからレである。レースはラテン語で「もの」とか「こと」を意味し、「ことについて」という意味で「Re:」なのである。

3.72 紀元前1世紀にdictatorになったのは、スッラとカエサルだけで、オクターウィアーヌスは事実上権力を一手に握っているのにもかかわらずそうは名乗らなかった。オクターウィアーヌスはアウグストゥスという尊称を受け、建前としてプリンケプスと名乗った。

3.73 元老院senatusは、年寄りを意味するsenex, senisの派生語である。

3.74 非常に有名な「賽は投げられたjacta alea est」という言葉はカエサルの自伝『内乱記』には存在しない。スエトニウスの『ローマ皇帝伝』にこの言葉はあり、元ネタはギリシア語であり、ギリシア喜劇詩人メナンドロスの言葉ではないかと言われている。

3.75 プルタルコスの『対比列伝』という本によると、大カトーという人物は、全ての問題に関して発言するにあたり、自分の話を締めくくる場合には、「カルタゴは滅びなければならない」(Carthago delenda est)と付け加えてスピーチを終えたと書いてある。ちなみに、このdelendaは動形容詞といって、能動の意味がある動名詞では全くなくて、受動の意味がある。動形容詞と動名詞は、似ているけれども受動と能動で異なる。動形容詞のことを、ラテン語でgerundivumという。英語ではgerundiveという。動名詞のことをラテン語でgerundiumといい、英語ではgerundという。なんと、文法用語までそっくりなのである。たとえば、Q.E.D.はquod erat demonstrandumは、ビー動詞の未完了過去+動形容詞で、意味は「これが証明されるべきことであった」である。他にも、nunc est bibendumは「今こそ酒を飲むべきだ」になる。

3.76 セネカの文体の特徴は、一文がとても短いことである。キケロの文体の特徴は、一文が分詞や複文によってとても長くなることである。長くて構造的な文体のことを「キケロ風」という

 

 

4 【よもやま話】

 

4.1 数学の証明で使われるQ.E.Dというのは、quod erat demonstrandumの頭文字で、意味は、「これが証明されるべきことであった」である。

4.2 「ビスケット」というのは、panis bis coctus(二度焼かれたパン)のことである。これで焼く(coquō)という動詞の完了分詞を覚えることができる。こうやっていろいろ覚えていくと単に愉しい。

4.3 英語の文中に(sic)と書いてあったら、これの意味は、「読者の皆様はわたしが誤ってこのような文法ミスあるいは転記ミスをしていると思うかもしれませんが、本当に原文ではこの通りに原著者は書いているのですよ」という意味になる。これはラテン語のsicの用法である。

4.4 車の名前は面白い。例えばメルセデスは、値段とか報酬という意味のmercēsが語源。ヴォルボは、volvoすなわち私は回転するという動詞が語源。フィアットは、Fabbrica Italiana Automobili Torinoの頭文字。アウディーのAudīは『聞いて!』という意味。

4.5 ピエール・ド・クーベルタンさんが1897年に採用した近代オリンピックの理念は、「より速く、より高く、より強く!」なのであるが、これはドミニコ派の神父ディドンの発案したものであり、原語はラテン語で「Citius, Altius, Fortius !」である。

4.6 ドイツ語で乾杯!は、prosit! (プロージット)であるが、これはラテン語で、「これが君のためになれかし!」という意味の接続法からきている。原型はprosumという動詞である。

4.7 フランスのリセの語源はアリストテレスの作った学校リュケイオンである。

4.8 マンチェスターとか、ウィンチェスターとか、ロッチェスターというイギリスの地名は、カストルムcastrumというラテン語の名残が残っていて、意味は「陣営」という意味である。

4.9 小アジアの言語はアッティカ方言と呼ばれる古代ギリシア語であり、それはコイネーと呼ばれており、新約聖書はコイネーで書かれている。

4.10 ギリシアとかマグナ・グラエキアという国名は、ローマ人たちによる他称に過ぎず、ギリシアの国名はエラスEllasであり、この語源であるヘッラスやヘレニコスがギリシア人たちの自称でたる。

4.11 音楽Musicaは「ムーサという女神の術」という意味である。

4.12 プラクティコン(実践)というギリシア語からおそらく翻訳してセネカが書簡の中で導入した単語がactivusである。これはのちのち「能動的」という意味で使われるようになった。

4.13 「反作用」という言葉は本来ならredactioとされるべきであるが、ニュートンはreactioという語を用いた。

4.14 アリストテレスはアリストスとテロスから成り、「最善の完成をなすひと」という意味で、ソクラテスは、ソスとクラトスの組み合わせで、「力の欠けたるところなき人」という意味である。ちなみにアマデウスは神に愛された人という意味。モーツアルトは本当に神に愛されていた。

4.15 ガイウス・ユリウス・カエサルという人名の場合、これは、ユリウス一族のうちカエサル家に生まれて、ガイウスと名付けられた男子という意味になる。

4.16 石碑とかに、名前がQと書かれているなら多分そいつの名前はクィントゥスであるし、Mならマルクスであるし、Tならティトゥスであるし、Cならガイウスである可能性が高い。

4.17 アーヌスは養子を意味する。オクターウィアーヌスはオクターウィウス一族の養子である。

4.18 ガイウス・ユリウス・カエサルとかマールクス・トゥッリウス・キケローのような人名は個人名、氏族名、家族名の順で表記し、女性は氏族名にアをつけ、個人名はない。氏族は家族の上位概念である。

4.19 男性のラテン語の個人名は約20パターンしかない。すなわち、アウルスかアッピウスかガイウスかグナエウスかデキムスかルーキウスかマールクスかマーニウスかプーブリウスかクイーントゥスかセルウィウスかセクストゥスかスプリウスティトゥスティベリウスか、だいたいこのどれかだったりする。ちなみに、デキムスは10番目でクイーントゥスは5番目でセクストゥスは6番目の男の子である。マリウス一族の女はみんなマリアだし、ユリウス一族の女はみんなユリアであるから、女性は同名だらけである。

4.20 「p.s.」はポスト・スクリプトゥムで「書かれたものの後で」という意味。「a.d.」はアンノー・ドミニーで「主人の年」という意味。「etc.」はエト・ケーテラ。「アリバイ」はアリビーで「他の場所で」の意味。

4.21 「デ・ファクト・スタンダード」は「実際上使われている標準」という意味で、ラテン語である。e.g.というのはexempli gratiaのことで例示ということ。cf.はconferで、比較参照せよという意味。メモというのはmemorandumのこと。『性欲的な生活=ウィタ・セクスアリス』は森鴎外の作品。『アクア・スブメルスス・エスト(溺死)』はシュトルムの作品。

4.22 生物をラテン語で表記するためには、まず属名、次に種小名、そして、命名者名をつける。たとえば、ソメイヨシノならば、Prūnus jedoensis Matumになる。プルーヌスは「桃」であり、イェドエンシスは「江戸の」であり、マツムは、松村さんのことである。

4.23 Jocus(冗談)はジョークの語源。horaは時間という意味で英語のhourやフランス語のheureの語源。campus(野原、闘技場、平地)はキャンパスの語源であり、極楽浄土を意味するElysiumの野原という意味で複数主格にすると、Campī Elysiīとなり、これは、Champs-Élyséesの語源である。闘技場で闘う人campiōという第三変化名詞からはチャンピオンという英語の名詞が派生したし、平地という意味からは、ナポリ地方をカンパーニアと呼ぶようになり、これがフランスに伝わってシャンパンの語源になった。カサ・ブランカスペイン語で白い家。ラテン語のカステッルム(城塞)が多い地方がスペインのカスティリャで、日本語のカステラ。「私の女主人」という意味の「メア・ドミナ」というラテン語は、イタリア語のMadonnaあるいはフランス語のノートル・ダムのことで、聖母マリアのこと。albusは白いという意味の形容詞であるが、名詞化してalbumにするとアルバムになる。アルバムとは未記入の書板のことである。

4.24 Nike(ニケ、ナイキ)はギリシア語で勝利の女神であるが、ラテン語にするとVictoriaである。

4.25 Naturaという名詞には『生みつつあるもの、生もうとすること』という動詞の未来分詞の意味が潜在しており、本性という訳語もあるが、それはこの未来分詞の意味を消してしまう訳語である。というのも、このturaという語尾は未来分詞を作る接尾辞だからである。

4.26 エネミーenemyの語源は、ラテン語amicusに否定の接頭辞inが付いたinimicusである。

4.27 英語でWorkの過去形は元来wroughtであったのにもかかわらず、15世紀から誤用のworkedが正しい形となってしまった。ラテン語からの派生語にもこういうことがたくさん起こった。

4.28 英語で「つまり」と言いたいときに、i.e.という略号を使うが、あれはラテン語のid estのことであり、It isと語源的に完全に一致する。

4.29 Identityとかid.という略号の語源は指示代名詞のidemである。

4.30 アドホックad hocという言葉の意味は、hicの中性単数対格が使われており、『このことに合わせて、このことに即して、このことにだけ適応する対応、今回限りのやり方』という意味である。

4.31 quamは常に英語のthanであるとは限らない。なぜなら、程度を表す疑問副詞でもあるし、関係副詞でもあるし、感嘆文はquamで始めるからだ。quodも理由句を導く接続詞かもしれないが、関係代名詞quiの中性単数主格あるいは対格かもしれない。quoも英語のwhereと常に一致するとは言えず、もしかしたら、関係代名詞quiの男性と中性の単数奪格かもしれないのだ。早合点は禁物である。

4.32 関係詞というのは、先行詞に依存して性と数が決まり、関係文中での機能に依存して格が決まると覚えればとても明快である。

4.33 語順が自由なラテン語では、関係文が先行詞のある主文の前にくることがありうる。これは、近代諸言語に慣れていると見逃してしまうラテン語の特徴である。

4.34 英文の中に突如登場するラテン語シリーズ。ipso factoというのは、中性奪格で、「事実それ自体によって」という意味である。inter seというのはどういう意味かというと、複数対格で、意味は「自分たちの間で、うちうちで」という意味になる。per seというのは、「それ自体で、それだけを取り出してみても」という意味である。alii aliaというのは、aliiが男性・複数・主格で、aliaの方は女性・単数・奪格で、意味は「他の人々はまた別の違ったやり方で」という意味である。inter aliaは、「他の物事の中にあってなかんずく特異に」という意味であり、こっちのaliaは中性・複数・対格である。たまーに出てくるsui generisというのは、suiが再帰所有形容詞属格で、esseの補語となる用法で、「それ自身の種類に属するので他には分類できない独特の仕方で」という意味である。aliasというラテン語の副詞は、本来「別の場合に」という意味だったのに、英語に入って「偽名」という意味になった。

4.35 学位のM.A.という称号は、ラテン語のmagister artiumの省略形であるから、修士よりもランクが高い。Master of Artsと英訳されているが、マギステルというのは、修士という意味のマスターとは違い、先生という意味である。

4.36 植物学者リンネの有名なテーゼ「自然は飛躍しない」というのは、もともとラテン語であって、natura non saltum facitである。

4.37 アボリジニで、バハーイー教徒で、400mの陸上競技選手として有名なのは、キャシー・フリーマンさんであるが、アボリジニというのはそもそもラテン語であって、オーストラリア先住民の自称では全然ない。ローマ人の神話によれば、ローマ人の先祖であるところのアエネーアースさんはトロイアからイタリアに亡命してきたのであるが、そのときイタリアにもう住んでいた先住民たちがいて、その人たちのことを指すときにaborigenesという言葉を使ったのが語源である。

4.38 ドレミファソラシドはラテン語起源である。

4.39 ジェフリー・アーチャーの小説『primus inter pares』というのはそのまま英訳するとthe first among the equalsで、首相を目指す若手政治家たちの群像劇でたる。ちなみに、ゴルフのパーというのはラテン語の形容詞parから来ている。首相のことをプライムミニスターというが、ミニスターとはそもそも下に立つもの(=下僕)という意味で、陛下majestyとの対比で成り立つ言葉である。

4.40 ホイジンガのHomo ludensというのは、遊ぶludoという動詞の現在分詞を人間を意味するhomoにくっつけたものである。sapioという動詞をくっつけるとサピエンスになる。

4.41 &という文字は、etの抱き字である。だからエトセトラは、&c.と書かれることがある。

4.42 博愛主義者Amicus humani generisを英語に直訳すると、friend of the human race なのであるが、このofというのは、所有格のようだが、実は目的格である。だから、英語では人類が持つ友達という意味になるが、ラテン語ではむしろ、「人類を愛するもの」という意味なのである。それは、アミクスが愛するから来ていることと関係している。属格をいつも所有格的に訳すのは危険であって、目的格の可能性も考えなくてはならない。

4.43 アドリブというのは、ad lib.と略記され、正式にはad libitumである。libitumはlibetの過去分詞である。libetは三人称単数しかない非人称動詞である。英語やフランス語と違って、ラテン語の非人称動詞には本当に主語がないので、形式主語すらないのである。libetの意味は、「与格の人に不定詞動作が気にいる」である。

4.44 P.S.はpost scriptumの略記で、scriptumはscriboという動詞の過去分詞である。

4.45 「〜年頃」というのは、ca.と略記され、正式にはcricaで、これはラテン語の対格支配の前置詞で、意味は英語のaroundとほぼ等しい。

4.46 in memoriamというのは、「〜さんを悼んで」という意味である。

4.47 per centumが本来の言葉なので、per centではなく、per cent.というふうに、「パーセントにはピリオドをつけなければならない」と主張する伝統にうるさい人がいるらしい。

4.48 Per capitaというのは、一人当たりという意味で、capitaは中性名詞caputの複数対格で、頭という意味なので、ひとり頭、と訳すのがよい。

4.49 Viva voceで口頭試問という意味であり、ヨーロッパの大学でいまだに使われることもある略語だが、これは、奪格である。主格に戻せば、viva voxとなり、「生きている声」という意味になる。つまりこれは手段の奪格であって、「生の声を使っての審査」と訳すとうまくいく。同じ理屈で、animo et fideというのは、animusもfidesもどちらも奪格で、意味は、「勇敢に、かつ信義をつくして」という意味になる。

4.50 nolens volensという英語の表現は、「好むと好まざると」という意味で、ラテン語の基本動詞で対義語のnoloとvoloの現在分詞・単数・主格を2つ並べたものである。

4.51 cedant arma togaeというのは、「武官は文官に譲るべし」と意訳され、直訳は、「武器はトガに譲るべし」である。このcedoは譲るという意味で、proceed, succeed, concede, accessなど、さまざまな英単語の語源である。

 


5 【文法事項】

 

5.1 ロシア語とラテン語には冠詞がない。

5.2 ラテン語には時制が全部で6つある。態は2つで、法は基本的に直接法と接続法の2つだが、命令法や不定法なども例外的にはあり、それらの識別も動詞語尾が担当する。よって、基本的な動詞の語尾変化だけでも、人称(3)×単複(2)×法(2)×態(2)×時制(6)=144通りの変化が一つの動詞につき、存在することになるわけだが、そんなの全部覚えてるやつなんかいるんだろうか。多分いる。マジでびびる。すごすぎて意味が分からん。

5.3 人間は過去、現在、未来という仕方で物事を捉えるが、それが言語に構造化されるときには、継続している動作なのか完了している動作なのかという区別も価値をもち、各言語ごとに違った仕方で構造化される。継続か完了かの方はアスペクトといい、過去現在未来の方はテンスと呼ばれる。ラテン語では時制とアスペクトが混在した仕方で動詞の変化に反映される。言語学では、英語のdo-did-doneのような三つの基本形のことを、現在幹-アオリスト幹-完了幹と呼ぶので覚えておくと便利。ただし、これは時間それ自体、テンスとは混同してはならない。なぜなら、例えば完了幹で未来完了をつくるわけで、それはテンス的には未来であり、アスペクト的には完了相だからである。ただし、ラテン語は、アオリスト幹を完了幹に統合してしまったのだが。

5.4 英語におけるHe will have seen itという文(彼はそれを見ることになるだろう)は、目的語を除けば、ラテン語ではvideritの一語で表現する。

5.5 3B変化動詞は一人称単数の現在形の語尾がioとなるのが特徴である。

5.6 ラテン語には人称代名詞の三人称が存在しないので、指示代名詞で代用することになっている。

5.7 後倚辞は、「こういじ」と読む。neは一般疑問文。クエ(que)は「〜と」。ウェ(ve)は「もしくは」を意味する。

5.8 英語の副詞形成接辞はlyであることがよく知られているが、ラテン語においては①ēと②iterである。これをそれぞれ①第一・第二変化形容詞と②第三変化形容詞につければ副詞ができあがる。ところで、フランス語の副詞の接辞であるmentは「心でもって」と訳す「手段の奪格」から来ている。たとえば、durement はdūrā mente(厳しい心でもって)から来ているし、purement はpūrā mente(純粋な心でもって)から来ている。mensは女性名詞で「心」という意味である。

5.9 分詞というのは動詞から作られる動詞的形容詞のことで、ラテン語には①現在分詞、②完了分詞、③未来分詞があり、訳し方はそれぞれ、①〜しているところの、②〜されたところの、③〜するであろうところの、となる。ちなみに、分詞の単数奪格はeで終わる。これは覚えておくと便利な情報である。

5.10 英語における独立分詞構文というのは、ラテン語では絶対的奪格と呼ばれ、主語を奪格で表し、その直後に分詞の奪格を続ける。

5.11 不定詞の意味上の主語は対格で表す。これを「対格付き不定法」という。たとえばdīxit nuntius, “Caesar Rubicōnem transiit.”(使者は「カエサルルビコン川を渡った」と言った)という文を間接話法に直すと、主語カエサルを対格にして動詞を不定法にするので、dīxit nuntius Caesarem Rubicōnem transiisseとなる。

5.12 ラテン語の語順で一般的な語順はなにかというと、主語-間接目的語-直接目的語-副詞-動詞という語順である。ラテン語の文には決まった語順などないとされるが、実は傾向ならある。

5.13 ラテン語は男性単数形が基本ウスで終わり、女性単数形は基本アで終わり、中性単数形はウムで終わる。そうは言っても、ウイルスは中性名詞だし、アエギュプトゥス(エジプト)は女性名詞だし、ナウタ(船乗り)、アグリコラ(農夫)、ポエータ(詩人)はすべて男性名詞だし、例外はいろいろある。また、テンプラはテンプルム(神殿)という中性名詞の複数形で、女性名詞の単数形と語尾が同じになってしまうから、ある単語がアで終わっていたら、女性名詞単数か中性名詞複数か判断しなければならない。

5.14 ヒックが「この」、「ヒーク」が「ここ」でまぎらわしい。ヒックの変化はヒック(男性単数)ハエック(女性単数)ホック(中性単数)。isとisteはどちらも「その」なのだが、違いは、後者が物理的遠近を指すのに対して、前者は文脈的遠近を指すこと。しかも前者の複数形はeīやiīやīになる。ヒックの中性複数は不規則変化で女性単数と同じハエックになる。

5.15 illeは遠称(that)で、hicは近称(this)である。

5.16 ラテン語の「この」は「これ」という意味でも使うことができる。つまり、Hic liber bonus est.という文は「これは良い本だ」なのか「この本はよい」なのか形態からではわからないのである。

5.17 英語のisはラテン語の三人称単数であり、英語で言うならthe oneという意味になる。

5.18 能動文でもよく出てくる「手段・道具の奪格」というのが存在する。「〇〇でもって」と訳すとうまく訳出できる。

5.19 seは母音と母音に挟まれるとreとなる。これをラテン語の「ロタシズム」という。要するに、母音に挟まれたsはrに変わるということである。たとえば、語根+幹母音=語幹で、語幹+rhotacism(ロタシズム)を受けたse(=すなわちre)=不定詞、となる。

5.20 Es fortis.という文は、「君は勇敢だ」、という意味か、「君よ勇敢であれ」、という意味か、文脈や口調で判断するよりほかない。

5.21 基本的にbe動詞の類を見たら、それがコピュラ文なのか、存在文なのかを区別せねばならない。ちなみに、「彼らは少年だ」というコピュラ文と、「少年たちがいる」という存在文はラテン語では形からは区別がつかない。

5.22 英語のthanは要するにラテン語のquamである。

5.23 Caesar imperātor fit.という文は、「カエサルは最高指揮官となる」という意味なのか、「カエサルは最高指揮官とされる」という意味なのか形からは判定できない。

5.24 副詞節というのは基本的に7種である。だいたい以下のどれかの副詞節しかないので覚えておくと便利である。①目的節、②比較節、③理由節、④時間節、⑤譲歩節、⑥条件節、⑦程度兼結果節である。副詞節の訳し方は、①〜するように、②〜よりも、あたかも〜のように、③〜のゆえに、④〜のときに、〜する前に、⑤たとえ〜だとしても、⑥もし〜ならば、⑦非常に〜なので(結果節)、〜するほどに(程度節)。だいたいこれらのどれかである。

5.25 ラテン語に接続法は4つの時称にしかない。①現在、②未完了過去、③現在完了、④過去完了。これだけである。

5.26 Inとsubとsuperという3つの前置詞は、後の名詞について体格と奪格のどちらの支配も可能な前置詞である。普通は体格か奪格かが決まっているのだが。

5.27 ラテン語の否定文は、否定したい語の直前にnōnという否定詞をおいて作る。

5.28 ラテン語の一般疑問文は、尋ねたい語のうしろに後倚辞のneをつけるだけである。

5.29 肯定の返事は、SicやItaやSānēやCertēのどれでもよい。ちなみにSicはフランス語で否定疑問文に対する肯定的な返事のSiの語源である。

5.30 修辞疑問文を作るものとしてnōnneで問いかける文は、肯定の答えを惹起しようとしていて、numで問いかける文は否定の答えを惹起しようとしている。たとえば、「我々は祖国を愛さないというのか?(いや愛する!)」という文はノーンネが使われ、「我々は隷属するのが好きだろうか?(いやそんなわけがない!)」という文はヌムが使われる。

5.31 前置詞のcumと接続詞のcumがあるので注意。

5.32 Multīs cum lacrimīs ōrābant captīvī.という文は、ラテン語に特有の形容詞-前置詞-名詞という語順になっている。これは、「捕虜たちは多くの涙とともに嘆願していた」という文になる。つまり、主語が一番最後であり、動詞が最後から2つ目である。よって、最初の形容詞は涙にかかっている。

5.33 古典ラテン語では、間接話法を作るときには名詞節を接続詞(英語のthatやフランス語のque)で導くのではなく不定詞句を使う。You said that you knew only himではなくて、You said for you to know only himが正しい文法だったということである。

5.34 「〜を対価として」という意味になる「価格の属格」という文法が存在する。だから、属格がすべて所有を意味するというわけではないのだ。

5.35 ラテン語では、条件文の内部でも動詞の未来形は使える。英語では使えない。

5.36 英語でThe pleasure of to singと言えない理由は、ラテン語や英語の不定法には属格がないからである。ちなみにギリシア語にはof to singにあたる形が不定法にある。ラテン語不定法には主格と対格しかない。それゆえ、動名詞を使わねばならない。

5.37 quamは常に英語のthanであるとは限らない。なぜなら、程度を表す疑問副詞でもあるし、関係副詞でもあるし、感嘆文はquamで始めるからだ。quodも理由句を導く接続詞かもしれないが、関係代名詞quiの中性単数主格あるいは対格かもしれない。quoも英語のwhereと常に一致するとは言えず、もしかしたら、関係代名詞quiの男性と中性の単数奪格かもしれないのだ。早合点は禁物である。

5.38 関係詞というのは、先行詞に依存して性と数が決まり、関係文中での機能に依存して格が決まると覚えればとても明快である。

5.39 語順が自由なラテン語では、関係文が先行詞のある主文の前にくることがありうる。これは、近代諸言語に慣れていると見逃してしまうラテン語の特徴である。

5.40 英語でmy, your, his,のようにして、所有形容詞を人称代名詞に含めてしまうのは奇抜なことであって、フランス語もドイツ語もラテン語も所有形容詞を使って所有を表現する。ラテン語なんか、人称代名詞にも属格が一応はあるにもかかわらず、それを所有の意味には使わないのである。ラテン語がさらに複雑なのは、ラテン語にはフランス語のson, sa, sesのような所有形容詞三人称がないので、指示代名詞の属格illius, ejusで代用するところである。

5.41 ラテン語のmultusという形容詞が変化によっては英語のmanyの意味にもなるし、muchの意味にもなる。つまり、multumとなった場合は、副詞として動詞や形容詞を修飾するのである。

5.42 分詞というのは、動詞の機能と名詞の機能を分かちもつことからこの「分詞」という名前がついているのである。ゆえに分詞は動詞的であるから、分詞に副詞がかかっても全く不思議ではない。英語だとwhen節やif節を使うところでも、ラテン語だと分詞構文を使うのでラテン語は分詞をものすごく多用する言語である。また、英語の現在分詞はラテン語で現在能動分詞と呼ぶし、英語の過去分詞はラテン語で完了受動分詞と呼ぶので注意が必要である。また、「〜するはずの」と訳す未来分詞もあって、それは未来能動分詞と呼ばれる。ちなみに、ラテン語には完了能動分詞(〜してしまった○○)は欠如している。

5.43 英語の独立分詞構文は、ラテン語では絶対的奪格とか独立奪格と呼ばれる。「NがPした/されたときにSはVした」という文が基本構造である。しかも、NとSとは互いに異なる何かである。また、注意が必要なのは、例えば「父(N)が殺された(P)あと、母(S)は再婚した(V)」という文章が、「父」と「殺された」が奪格になっていたならば独立奪格構文なのであるが、もしかしたら、父を殺したのが母かもしれないということである。こうなってしまう理由は、ラテン語には過去分詞が受動の意味しかないので、すなわち、完了能動分詞というものが欠如しているので、父をNにせざるをえないからである。

 

 

 

6 【動詞類】

 

6.1 カエサルが、ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー(来た、見た、勝った)という語句を掲げて凱旋式をしたのは「ポントスの戦い」のときである。これは、完了形の一人称単数はすべての動詞でiが終わりに来ることを利用した文である。

6.2 ラテン語は受動態であるかどうかの情報も語尾変化が担う。

6.3 ラテン語には直説法に6つの時制(①「現在」②「現在完了(単なる過去)」③「未完了過去(半過去)」④「過去完了(大過去)」⑤「未来」⑥「未来完了」)があり、接続法には4つの時制(①「接続法現在」②「接続法過去(接続法完了)」③「接続法未完了過去(半過去)」④「接続法過去完了(大過去)」がある。

6.4 現在幹から作るのが現在時制、未完了過去時制、未来時制である。完了幹から作るのが完了時制、過去完了時制、未来完了時制である。

6.5 ラテン語には過去幹というものはない。英語にはdo-did-doneと過去幹がある。ラテン語にないのは、完了幹に吸収されてしまっているからである。だからラテン語では過去時制を完了幹を使って表現する。

6.6 アオリスト幹は総括的だったり列挙的だったり瞬間的だったりする動作を表し、ギリシア語にはこういうアスペクトがある。

6.7 受動態しかない動詞のことを形式所相動詞と呼ぶのであるが、これはデポネント動詞ともいう。デポネント動詞は、完了形を示せば、過去分詞も示したことに自動的になってしまうので、辞書の見出し語には、4基本形ではなく3つの基本形までしか載っていないのだ。つまり、デポネント動詞の見出し語には過去分詞がわざわざ載っていることはない。

6.8 辞書の4つの基本形の4番目は、実は厳密にいうと、過去分詞ではなくてスピーヌムSupinumと呼ばれるものである。動詞には、supinumは存在しても過去分詞はもたないという動詞が存在するので、この2つの概念は、非常に厳密にいうならば分けなければならない。ちなみに、supinumは過去分詞の中性単数主格と一致する。

6.9 未来や接続法現在は、動詞の語幹も人称語尾も現在と同じなので、現在との違いは幹母音だけということになる。つまり、「来る」という動詞でも、venisなら直説法現在、veniesなら未来、veniasなら接続法現在ということであって、違いは幹母音だけである。「勝利する」という意味のvincesなら「汝は勝利するだろう」という未来形だが、vincisなら「汝は勝利する」という現在形なのであって、違いは幹母音のiとeのたった1文字に過ぎない。

6.10 アスペクトとはどういう情報だろうか。もし、fugio(逃げる)という動詞の三人称複数が未完了過去fugiebantであるならば、過去のその時点で逃走している最中であったということであって、その後どうなったのかは分からないのである。しかしもし、完了fugeruntであったならば、彼らは完全に逃げ切ってしまったという情報までもが盛り込まれていることになる。逃げるという動作が、完了アスペクトの場合には、完全に達成されたということが含意されているのである。対して未完了過去は「彼らは逃げていた」、「彼らは逃げていたのであった」、「彼らは逃げようとしていた」、「次々に逃げていた」などの達成されたかどうかは分からないが様々なニュアンスを出すことができる。

6.11 ラテン語の完了は、フランス語における単純過去であり、イタリア語における遠過去である。くれぐれも、フランス語における複合過去、イタリア語における近過去と対応するなどとは思ってはならない。なぜなら、まず、ラテン語の完了はほとんどが現在完了ではなく過去の意味で使われるのであり、しかも、助動詞を伴って複合過去や近過去になるフランス語やイタリア語に対して、ラテン語は助動詞の力を借りていないからである。だから、ラテン語の完了に対応するのは、フランス語における単純過去である。

6.12 ラテン語の未完了過去の目印は、動詞中に出現するbaである。しかし、ラテン語の未来形の目印は、第1活用動詞と第2活用動詞だけはbiを目印とすることができるが、第3活用動詞、第4活用動詞は幹母音から変わってしまうので、目印はなく、覚えるしかない。

6.13 ラテン語の動詞は、語根+幹母音+人称語尾という3分構造になっていて、語幹と幹母音を合わせて、現在幹とか呼ぶ。語根+幹母音+人称語尾=動詞。そしてそのうち語根+幹母音の部分のことを現在幹とか完了幹とかアオリスト幹とか呼ぶ、と覚えておくことは、動詞システムの相互連関を機能的にイメージするうえでこの上なく役に立つ。しかもこれは印欧諸語の理解にとっても有益である。たとえば、幹母音がaなら第1活用動詞、幹母音が長いeなら第2活用動詞、幹母音が短いeなら第3活用動詞、幹母音が長いiなら第4活用動詞、というふうな動詞の分類に適応できるからである。ちなみに、第3活用動詞には、一人称単数がagoのようにoで終わる多数派と、capioのようにioで終わる少数派がいるということを注意しておけばよいのである。

6.14 ラテン語の動詞は不定詞の幹母音がaならば第一活用であり、長いeならば第二活用であり、短いeならば第三活用であり、長いiならば第四活用である。一人称単数がioならば第三b活用である。また、第二活用なのでウィデーレはいいが、第三活用は短母音なので、アゲーレ、カペーレは間違っている。そうではなくて、アゲレ、カペレである。

6.15 英語のabsentもpresentも、どっちも語源はラテン語のabsumもしくはpraesumである。

6.16 ラテン語のひとつの動詞が含意できるのは、①3種類の人称(一人称、二人称、三人称)、②数(単数、複数)、③4種類の法(直説法、接続法、命令法、不定法)、④2種類の相(能動相、受動相)、⑤6種類の時称(現在、未完了過去、未来、現在完了、過去完了、未来完了)の5つの意味である。逆に言えば、ひとつの動詞をみたら、この5つの意味を汲み取らなければならないということである。

6.17 videōのような第二活用動詞には、何らかの長短で活用語尾直前にeが出現する。第一活用動詞では一人称単数以外でaが出現する。Dīcōとかagōのような第三活用動詞では何らかの形でiが出現する。第三活用動詞と第四活用動詞の亜種(あるいは中間種)である「第三活用b動詞」においては、Faciōとかcapiōのように一人称単数においても活用語尾の直前にiが出現する。これが第三活用の亜種たるゆえんである。第四活用動詞というのは、第三活用のBタイプのように、一人称単数にiが出現するのに、第三活用のBタイプとちがって、二人称単数でiがīになる。まとめると以下の通り。これを覚えると随分ラクになる。【第1変化LOVE】 : amō, amās, amat, amāmus, amātis, amant、【第2変化SEE】 : videō, vidēs, videt, vidēmus, vidētis, vident、【第3変化DO 】: agō, agis, agit, agimus, agitis, agunt、【第3変化BタイプTAKE】 : capiō, capis, capit, capimus, capitis, capiunt、【第4変化HEAR】 : audiō, audīs, audit, audīmus, audītis, audiunt。

6.18 不定法の語尾は、第1変化動詞は -āre (アーレ)、第2変化動詞は -ēre (エーレ)、第3変化動詞は -ere (エレ)、第4変化動詞は -ire (イーレ)で終わる。第3変化動詞には、不定法が -ere (エレ)で終わるのに、直説法・能動態・現在、1人称単数(=辞書の見出しの形)が -iō (イオー)で終わる(=第4変化動詞のように!)ものがある。Faciōとかcapiōのこと。このタイプの動詞は、3B と分類されるのが一般的。アーレで終わるなら第一変化動詞ってことくらいは覚えたいっすね。

6.19 辞書に載っている動詞の形(見出し語)は一人称単数で終わるようにだいたいなっている。具体的に言うならōである。つまり、ラテン語の動詞の辞書の引き方は、直説法・能動態・現在・一人称・単数形で引くってこと。

6.20 sum es est sumus estis suntは不規則変化のBE動詞なのでまず覚える。あと、ラテン語のIt(イットと読む)は「He goes(彼は行く)」という意味になる。不規則動詞(よく使うから不規則なのだ)というのは以下の通り。BE : sum, es, est, sumus, estis, sunt、CAN : possum, potes, potest, possumus, potestis, possunt、GIVE : dō, dās, dat, damus, datis, dant、GO : eō, īs, it, īmus, ītis, eunt、WANT : volō, vīs, vult, volumus, vultis, volunt、欲しない : nōlō, nōn vīs, nōn vult, nōlumus, nōn vultis, nōlunt、むしろ欲する : mālō, māvīs, māvult, mālumus, māvultis, mālunt、BRING : ferō, fers, fert, ferimus, fertis, ferunt、なる、生じる : fīō, fīs, fit, fīmus, fītis, fīunt。

6.21 「散歩する」ambulōという第一活用動詞(a系)で具体的に説明する。アンブロ―(一人称単数)、アンブラ―ス(二人称単数)、アンブラット(三人称単数)、アンブラームス(一人称複数)、アンブラ―ティス(二人称複数)、アンブラント(三人称複数)という基本変化をする。スペル的に言うと、ambulō、ambulās、ambulat、ambulāmus、ambulātis、ambulant。

6.22 ラテン語に不規則動詞は次に列挙するくらいしかない。すなわち、sum, dō, ferō, eō, volō, fiō, edō, possum, nōlō, mālō,prōsum、などである。

6.23 未完了過去能動形というのは、英語の過去進行形のことであるし、イタリア語やフランス語における半過去のことであるし、スペイン語における線過去のことである。

6.24 未完了過去・能動の目印は、ba。未来形・能動の目印はbo、bi、bu。

6.25 未来形は二人称と三人称のときは単純未来だが、一人称のときは意志未来の意味を含むので注意せねばならない。

6.26 現在・受動不定法は基本的にrīでおわる。

6.27 受動態のことを、受動相とも言うし、所相ともいう。例えば、形式所相動詞という動詞は形式だけ受動態の動詞という意味である。この形式所相動詞は、意味はあくまでも能動なのに、形だけは受動態なのである。

6.28 第一変化動詞は現在幹にvをつければ基本的には完了幹になる。第二変化動詞の場合はuである。第三変化動詞の場合はsである。

6.29 meminīとnōvīとōdīという3つの動詞は、現在完了形で現在の意味で使われて、過去完了形で過去の意味で使われる特殊な動詞である。なぜこうなるかというと、「覚えた」、という完了本来の意味は、「その結果現在覚えている」という意味になるからである。

6.30 規則動詞において、未完了過去形の語尾変化にはbaという綴りが出てきがち。未来形の語尾変化にはbiが出てきがち。現在完了形の語尾変化にはviが出てきがち。こういうのを時称幹といって、人称によって変化しないので時称幹も語幹に含める場合がある。

6.31 sumの未来形は基本eで始まる。

6.32 活用語尾のことを「屈折語尾」ということもある。日本語と朝鮮語膠着語であり、ラテン語やフランス語は屈折語である。

6.33 語根の前につくものを接頭辞といい、語根の後ろにつくものを接尾辞という。さまざまな派生語はこれによって作られる。たとえば、orはerrという語根について動詞的抽象名詞errorを形成する接尾辞だし、ticは、errという語根について、変化する人称語尾と組み合わされてerraticusという形容詞を形成する接尾辞である。つまり、ラテン語の単語はだいたい三層構造になっていて、まず語根があり、それが接頭辞か接尾辞と合わさって語幹になり、語幹が屈折語尾と合わさって単語になるのである。

6.34 動詞の過去分詞はたいていtumかsumで終わる。

6.35 意味は能動であるにもかかわらず形は受動態しかないデポネント動詞の代表は、meminiである。他にもmiror、sequor、utor、patior、admiror、experiorなどがある。これらの動詞は、受動態の内容が言いたくなくても、受動態の活用語尾を覚えていないと使うことすらできない。このデポネント動詞によって、受動態の出番がラテン語においてとても増えることになった。デポネント動詞の不定詞は当然受動不定詞となり、第何活用の動詞なのかも受動不定詞で知ることになる。

6.36 英語の比較級はerという語尾変化で示されるが、ラテン語の比較級は原級の語幹に男女同形でiorがつき、中性でiusがつくと考えていればおおむね正しい。もちろん第三変化に則ってそこから屈折するわけだが。ところで、比較対象は奪格かquamで指示する。たとえば、「ペンは剣よりも強し」という慶應義塾大学のモットーは、calamus gladio fortiorということになっていて、fortiorは比較級で、その比較対象であるグラディウスは奪格になっている。

6.37 ラテン語不定詞には「〜すること」の意味がちゃんとあるけれども、これは主語か目的語としてしか使えない。たとえば名詞の補語として、the pleasure of to singとは言えない。それがゆえに、動名詞というものがある。動名詞は、英語においては現在分詞とまったく同じ格好をしている。例えば、singingはシンギングマンのように使って現在分詞かもしれないし、フレジャーオブシンギングのように使って動名詞かもしれないが、ラテン語ではその2つの形態は異なる。

6.38 「なる、作る」という意味の動詞fioの不定詞はfieri。この動詞はかなり特殊で、この動詞に固有の完了形がないので、動詞facio「作る」の受動態で代用する。だから、orator factus estは、「彼は演説家にされた」という意味なのか「彼は演説家になった」という意味なのかを形から決定することはできない。さらにややこしいことに、fioは別の動詞facioの受動態の代用をするので、orator fit は「彼は演説家にされる」とも訳せるし、「彼は演説家になる」とも訳すことができる。しかし、ある意味で、このことを考えると、「〜になる」ということは、「自らを〜として作る」ということであることについて思い致せば、受動態がある他動詞に対して自動詞のごとき役割を演じることに納得がいく。だから、英語のファクトfactの語源であるfactumはfacioやfioの過去分詞であるが、そもそもラテン語の段階からしてfactumには、「されたこと」という意味と「生じたこと」という意味の二重の意味が重ねられていたのである。たとえば、聖書で「光あれ」と「そして光が作られた」は、lux fiat et lux facta estである。このときfiatは接続法で三人称に対する命令である。他にも例を挙げると、新約聖書の『マタイ福音書』の7章12節の有名な言葉「あなたにされたくないことを、他人にしてはならない」は、quod tibi fieri non vis, alteri ne faciasとなる。英語に訳せば、Don’t do what you don’t want to be done to the others.である。

6.39 nascorは形式所相動詞(デポネント動詞)なので、natus sumで「生まれる」という意味になる。

6.40 「土が君にとって軽くあれかし」というのは、死んだ人を埋葬するときの言葉なのだが、sit tibi terra levis.と表記する。sitはsumの接続法三人称単数である。この「接続法」という名前は、接続詞のあとに出てくることが多いという至極単純な理由でつけられた。それゆえ、接続法は間接疑問文などでまったく形式的な理由で使われることもあるのだが、ここに接続法が来るのは接続詞のあとだからだという説明は接続法という言葉の由来を言っているに過ぎない。接続法には4つの時制しかなくて、言う(=dico)という動詞の場合でその全てを挙げると、dicat(接続法現在), diceret(接続法未完了過去), dixerit(接続法完了), dixisset(接続法過去完了)の4種類しかない。時制に関して言えば、時制は主動詞との関連で決定されるわけで、例えば、「そこにいるのは誰だ、と彼は尋ねる」ならば「いる」は接続法現在だし、「そこにいるのは誰だ、と彼は尋ねた」だったら「いる」は接続法未完了過去になるし、「そこにいたのは誰だ、と彼は尋ねる」だったら「いた」は接続法完了になるし、「そこにいたのは誰だ、と彼は尋ねた」だったら「いた」は接続法過去完了になるのであって、接続法未完了過去と接続法完了の違いは、直説法のときのように動詞のアスペクト単独で決まるのではなくて、接続法の時制はもっぱら主動詞の時制との関連の中で決まると考えた方が良い。

6.41 反実仮想願望は、O utinamという言い回しで始まることが非常に多い。o utinam a nostro secedere corpore possem !(ああ、どうか、私の肉体から私が離れることができればよいものを。)というのはポッスムの接続法未完了過去一人称単数が使われており、接続法未完了過去は現在の事実に反することを願望するときに使われる。(過去の事実に反することの場合は、接続法過去完了である。接続法過去完了がよく使われる言語圏の人の人生は後悔に満ち満ちていると言える。)ちなみに、a nostro corporeのnostroはmeoと意味的には同じであって、ラテン語では一人称複数を「私の」の意味で使いがちなのである。corporeはcorpusの奪格で、aもしくはabがついて「分離の奪格」という用法で使われる。身体からの分離を意味するのだ。

6.42 feroという動詞の不規則性は凄まじいことになっている。意味は、「担う、運ぶ、我慢する」であるが、辞書には39項目も意味があったりする。con-やin-といった接頭辞がつきやすい。直説法現在形の活用は、fero, fers, fert, ferimus, fertis, feruntであり、不定詞がferre、命令形はferで、受動態三人称単数のferturは「〜と言われている」という意味になる。さらに、完了形はtuli、過去分詞はlatumで、どこから出てきたのかまったく分からないような現在形と無関係な語根からできている。それゆえ、ある動詞の過去分詞から派生語を導入した経緯のある英語では、transferとtlanslateは、全く同じラテン語の単語feroが起源なのである。

 

 

7 【名詞形容詞類】

 

7.1 日本語は品詞を伝統的に体言と用言に区分し、用言には形容詞が入るのである。形容詞が活用するから用言だろうというわけである。これはラテン語とは根本的に異なる伝統であって、ラテン語においては、動詞と名詞の違いは深刻であり、形容詞は屈折すれども依然として名詞グループに組み入れられるのである。形容詞の屈折は名詞に準ずるからである。

7.2 ラテン語の名詞には主格(nominative), 属格(genitive), 与格(dative), 対格(accusative), 奪格(ablative), 呼格(vocative)がある。

7.3 基本的にすべての名詞で、「複数主格=複数呼格」。「複数与格=複数奪格」。「単複問わず中性主格=中性対格」。これらは覚えておくと非常に便利な法則である。また、呼格は一部の名詞にしか独自の型は現れず、通常は主格と一致するのであって、男性名詞のときだけ例外的にeになるのだ。

7.4 ラテン語の名詞は第一変化名詞から第五変化名詞まで5タイプある。幹母音によってこの5タイプは分類される。幹母音とは語幹=名詞幹をつくる幹末の母音のことであり、これがない場合は、子音幹と呼ばれる。第一変化名詞はa幹であり、第二変化名詞はo幹であり、第三変化名詞は子音幹もしくはi幹であり、第四変化名詞はu幹であり、第五変化名詞はe幹である。さらに、第一変化名詞はほぼ女性。第二変化名詞は単数主格の語尾がウスなら男性、ウムなら中性、erなら男性。第四変化名詞はほぼ男性名詞。第五変化名詞はほぼ女性名詞である。問題は第三変化で、第三変化は文法上の性別をいちいち覚えていくしかない。第一変化名詞の単数主格はaで終わる。第二変化名詞の単数主格語尾はus(男性)かum(中性)かer(男性)。第四変化名詞の単数主格語尾はus(男性)かu(中性)。第五変化名詞の単数主格語尾はesである。

7.5 ひとつの名詞を覚えるときに、なぜ主格に加えて属格までまとめてセットで覚えるべきなのかというと、fronsという「木の葉たち」を意味する単語なんかは、frons, frondis, frondi, frondem, frondeという変化をするので、属格のfrondisまで知っていれば、主格では現れてこないdの音があることに対応できるからだ。こういう名詞は、第三変化名詞にとても多いのである。ちなみに、主格が全く同じスペルの「ひたい」という単語であるfronsは、frons, frontis, fronti, frontem, fronteと活用するため、こちらは主格以外にtが現れているのである。この2つの単語の混同も属格までまとめて覚えることによって回避されるのだ。

7.6 主格と呼格が異なるのは、usで終わる第二変化名詞の単数だけである。

7.7 ロマンス諸語には名詞に格変化がない。ラテン語の名詞がフランス語やイタリア語やスペイン語になるとき、主に名詞の対格の形が祖先となった。フランス語で発音されない語尾子音は、ラテン語の名残である。

7.8 Mensaeという単語は、それだけで、単数属格、単数与格、複数主格、複数呼格の4つの可能性を孕んでいる。表記だけではこの4通りの可能性がある。冠詞がないので、格と文脈で名詞を評価しなければならない。

7.9 ラテン語にはpuerやmagisterのような、「erでおわる第二変化名詞」という特別なカテゴリーがあり、それに対応して、「erで終わる特別な第一・第二変化形容詞」という特別なカテゴリーが存在する。なお、erで終わる第二変化名詞は男性名詞であり、単数主格と単数呼格だけが特殊なus型の第二変化名詞と覚えれば良い。

7.10 ラテン語の形容詞というのは3タイプにみえるけれども、実際には2タイプであることになる。①第一・第二変化形容詞(に準ずる動形容詞もそう)と、②第三変化形容詞(i幹、子音幹など)である。ただ、結局erで終わる形容詞という例外があるので、3タイプという数え方にも一理ある。

7.11 liber、pater、māterのように、ウス(男性)、ア(女性)、ウム(中性)で終わらない名詞というのは、複数形が多くの場合ēsになる。たとえば、cīvitāsの複数形はcīvitātēsになる。しかし、中性名詞の複数形は常にaで終わる。

7.12 ポエータ(詩人)、アグリコラ(農夫)、ナウタ(船乗り)、コレーガ(同僚)、セネカ(文人)、カリグラ(皇帝)、は、aで終わる第一変化名詞なのに男性名詞である。

7.13 ケドルス(杉の木)、ラウルス(月桂樹)、ポープルス(ポプラ)、マールス(林檎の木)、ピーヌス(松の木)、ピルス(梨の木)、コリントゥス(コリント)、アエギュプトゥス(エジプト)などの名詞はusで終わる第二変化名詞なのに女性名詞である。

7.14 Virtueの語源であるvir(男性、立派な人)というer型の第二変化の男性名詞はめちゃくちゃイレギュラーな変化をするので、これは単独で覚えなくてはならない。

7.15 すべての中性名詞は主呼格と対格が、単数と複数でそれぞれ同じである。

7.16 「右の」という形容詞はdexterで、「左の」という形容詞はsinisterである。

7.17 ラテン語には三人称の所有形容詞「彼の」「彼女の」は存在しない。指示代名詞・形容詞の属格形がそれに代わるからだ。また、suusという所有形容詞は、「〜自身の」という意味になる。

7.18 ラテン語で厄介なのは、第三変化名詞なのであるが、ほとんどは子音幹で例外的なのがi幹であると考えれば少しはラクになる。ただし、第三変化形容詞は第三変化名詞に準じるくせに基本i幹(単数・奪格はī。)であるので注意が必要。また、ラテン語の第三変化名詞が近現代の言葉に導入されるとき、往往にして単数対格が基になるので、現代語と関連させて覚えるのもよい。

7.19 mense Septembrīというのは、menseが時点の奪格で、i幹の名詞単数奪格。形容詞がセプテンブリーで、奪格。これで、「9月に」という意味になる。つまり、September は名詞ではなく形容詞ということになる。

7.20 基本男性のはずの第四変化名詞のmanus(手)とtribus(地区、部族)は例外的に女性名詞。第五変化名詞は、diēsとmerīdiēsを除いてすべて女性名詞。

7.21 名詞の複数主格は常に名詞の複数呼格である。さらに、名詞の複数与格と複数奪格は常に等しい。さらに、名詞の単数主格と単数奪格はマクロン(長音記号)がなければ表記上同じである。そして校正されていない原文では基本マクロンなどついていないので単数主格と単数奪格の区別などつかない。

7.22 ローマ人男性の名前は基本的にウスで終わるので、第二変化名詞である。

7.23 中性名詞の特徴は、あらゆる場合を通じて、単数でも複数でも、主格と対格が常に同じになることである。第二変化でも第三変化でもそうだし、ドイツ語の冠詞でもそうなのである。

7.24 ラテン語において形容詞は名詞に近接している必要はない。語形変化を確認してどの形容詞がどの名詞にかかるかを評価せねばならない。

7.25 グラエキアはギリシアで、ヘルウェーティアはスイス。なお、国名は基本的に女性である。Aferはアフリカ人のという意味。日本すなわちヤポーニアの人は、第三変化形容詞の接尾辞がついて、ヤポーニエンシスになる。

7.26 īで終わるのが男性複数。aeで終わるのが女性複数。aで終わるのが中性複数。

7.27 第三変化形容詞は、多くの場合、男性と女性の格変化が一致する。

7.28 Omnisの男性複数与格がomnibusで、これはすべての人のためにという意味で、これが乗合馬車の意味になり、その語尾が生き残って、バスという乗り物を指す言葉になった。

7.29 ボヌスは良いという形容詞だが、単独なら善人という意味。ボニー単独なら形容詞の男性複数形ではなく善人たちという意味になり、中性にしてボヌムにすれば善という意味になる。

7.30 代名詞について汎用性の高い覚え方は、「単数・属格と単数・与格がそれぞれīusとī、あとは第一・第二変化と同じ」と覚えればよい。

7.31 代名詞は①人称代名詞と②指示代名詞と③強意代名詞(ipse)と④限定代名詞(īdem)と⑤疑問代名詞と⑥不定代名詞の六種類がある。

7.32 odium vestrīとodium vestrumの違いは、前者は君たちへの憎しみで、後者は君たちの抱いている憎しみなので所有形容詞である。前者は人称代名詞の属格である。meminī tuīというのは、I remind of youで、tuīというふうに、人称代名詞の属格が使われている。

7.33 ラテン語には三人称の人称代名詞はない。代わりに三人称再帰代名詞と指示代名詞兼形容詞がその役割を務める。

7.34 Liber(本)という名詞などやniger(黒い)という形容詞などは、辞書の見出し語の部分だけが不規則に変化する。

7.35 ラテン語に3人称代名詞がないことの不都合をあえて英語に置き換えて説明するやらば、himやherが存在しないので、その代わりにthisやthatを使って三人称代名詞の対格に使うということをやっている。ラテン語のhicが英語のthisであり、ラテン語のilleが英語のthatなのであるが。

7.36 フランス語の人称代名詞ilと定冠詞のleはラテン語の指示代名詞のilleが語源である。しかし、illeが真ん中で2つにパッカリと別れてilとleになったというのは嘘である。

7.37 指示代名詞のilleは面白い特徴があって、単数の変化のうち、男性でも女性でも中性でも属格がすべてilliusになり、単数の変化のうち男性でも女性でも中性でま与格がilliになるという凄まじい特徴がある。というか、他の代名詞においても、単数の属格と与格というのは3性共通の形をとる。これは代名詞一般の大特徴なのである。例えば指示代名詞hicも、単数属格と単数与格は三性に共通して単数属格がhujusで単数与格がhuicになっている。

7.38 指示代名詞の中で一番微妙な立ち位置にあるのが、isである。同じ指示代名詞でもilleやhicは指示性が強く、それぞれthatとthisで置き換えればうまくいく場合が多い。しかし、isは指示性が弱いのである。確かに、指示代名詞ではあるから、いまだかつて一度も限定されたことのないものを初めて指すことができるはできるから、指示性があるとは言えるのだけれども、登場するそばから関係文によって限定されたりすることが極めて多いのがisである。だから、illeとhicとisをラテン語の三大指示代名詞とまとめることに違和感がある人もいる。isは男性・女性・中性の順に変化を書くと、is, ea, idとなる。isは、何を指しているかが前の文章で明示されている場合に使うことが多い。言い換えれば、isが何を引き受けているのかが自明なときに限ってisは使われる。もしくは、同一文章の中の関係文によってisは限定される。この場合、形式的には初出であるから指示代名詞と呼びうるけれども、あくまでそれは先取りされているに過ぎず、内容があとからはっきりと述べられるのである。つまり、is系列の代名詞、たとえばeosなんかは、『〜な者たち』という感じで、関係代名詞の先行詞になるという意味である。isが突然出てきたら、あとから関係節がかかりますよという合図だと思うといいかもしれない。このisに接尾辞demをつけてsが脱落して出来た派生語がidemであり、学術論文のId.という略号はidemのことであり、「同じ男」を意味する。それゆえ、著者が女性の場合には、Eademにしなければならない。その場合略号はEad.である。学術論文で、同じ本から引用するときにはibid.という略号を使うが、これはibidemの略であって、副詞ibi「そこに」にdemという接尾辞をつけたものである。これは、「同じ場所で、同じ本の中で」を意味する。

7.39 代名詞の活用を覚えるときには、例外はあるけれども、根本的に、単数属格というのは三性に共通してiusかjusで終わり、単数与格というのは三性に共通してiで終わると覚えておくのが極めて効果的である。たとえば、強意代名詞ipseだったら、単数属格で三性共通ipsius、単数与格で三性共通ipsiとなる。また、solus、totus、nullus、uterなどの代名詞的形容詞と呼ばれるものは、形容詞のくせに、単数属格と単数与格で三性共通でそれぞれsoliusやsoliのようなあたかも代名詞であるかのような変化をする。ちなみにそこ以外の部分ではむしろ第1第2変化形容詞に準じるのであるが。

7.40 奪格は、「〜のために」「〜と比べて」「〜でもって」「〜によって」など、訳出するのが難しいのだが、例えば、h.c.という略号が使われるhonoris causaは、honorisがhonorの属格で、causaは奪格であり、「名誉のために」と訳す。e.g.という略号のexempli gratiaも全く同じ理屈で、「例のために」と訳す。

7.41 「時間の対格」という用法がある。noctes atque dies patet atri janua Ditis.「黒い冥府の主の門は、夜も昼もずっと開いている」という文章の、「夜の間も昼の間もずっと」と訳すところが時間の奪格である。A.D.を意味するアンノードミニーも、「主の年に」を意味する時間の奪格である。

 

 
8 【無変化品詞類】

 

8.1 フランス語の前置詞àは英語のtoやatで訳すとうまくいく場合が多いが、ラテン語の前置詞āは、英語の場合byもしくはfromなので注意。

8.2 Postは対格支配の前置詞。contraは対格支配の前置詞。deは奪格支配の前置詞。inは奪格と対格支配の前置詞。このように、ラテン語の前置詞は、対格支配か奪格支配か、その両方支配かである。たとえばInという前置詞は奪格支配のとき「の中に」という意味になるが、対格支配のとき「〜の中へ」という意味になる。

8.3 Subという前置詞は、「下へ」という意味ではなく「下に」という意味の時だけは奪格支配になる。

8.4 接続詞Cumが導く時間節の中で、動詞は接続法過去完了になりやすいという傾向性がある。つまり、「〜したとき」を意味する接続詞Cumに導かれる文の中で、接続法過去完了はしばしば使われるのであるが、この接続法過去完了は、過去の事実に反する反実仮想の想定の文ではないので、注意しなければならない。

8.5 alibiは他の場所で、ubiはどこの場所で、ibiはそこの場所で、である。

8.6 アベックavecは、俗ラテン語apud hoqueがおそらく語源のフランス語の前置詞で、日本語ではこれを借用してカップルという意味に転用したが現在は死語である。