aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

普遍論争について

オッカムスコトゥスさん。なぜ、個物の中に共通本性としての普遍が入っている、なんて意味わからないことを言うんですか。それは論理的に矛盾でしょう。普遍というのは、人間の概念(インテンツィオ)としてのみ実在する(=ポストレム的普遍主義)のであって、事物の中に普遍が存在している(=インレム的普遍主義=アリストテレス)なんていう考え方は、事物以前に範型として普遍があったという話(アンテレム的普遍主義=プラトン=マルブランシュ)とおなじくらいバカげていますよ。ただ、私は普遍がないとは言ってませんよ。私がなぜ火あぶりにされていないかを考えてください。普遍はあるんです。でも、概念としてあるんです。』

 

スコトゥス『いいですかオッカムさん。君はなぜそうやっていつも近代科学的に考えるんですか。そもそも私は普遍は実在するという立場ですが、君とは違う意味でそう言っているのです。個物と普遍(共通本性)は、実在的には区別されず、形相的にのみ区別されるのです。個物というのは非時間的な仕方で質料から生成して、だんだんと質料の曖昧さがなくなり、確定してくるのですが、そのプロセスの中で、まず共通本性を付与され、その最終局面で、最後に、<これ性>を付与されることで個物として存在するようになるのです。それゆえ、共通本性すなわち普遍は、個物の中にあり、個物とはあくまでも形相的には区別されつつ、個物と実在的には区別されない仕方で、実在しているのです。』

 

オッカム『いやいや、スコトゥスさん。形相的には区別されるのに実在的には区別されないなんておかしいでしょ。個物と普遍は、形相的に区別されるなら実在的にも区別されるはずですよ。つまり、私は個物は実在しても普遍は概念としての普遍という意味以外では実在しないという立場です(=唯名論)。これは、これからは質料と形相ではなくして、実体と属性という枠組みで考えた方がいいということですよ。』