aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

パースについて

チャールズ・サンダース・パース(1839-1914)は、論文Issues of Pragmaticism(1905) において、①全称命題と②特称命題に関する新しい定義を考案した。そもそも原語では、全称と特称という言葉をパースは用いずに、インディターミネイト(=不確定)とヴェイグ(=あいまい)という形容詞でこの2つの命題は区別されている。つまり、パースは、①全称命題(indeterminate propositions) と ②特称命題(vague propositions)という区別の新しい定義を考案したのである。

では、その内容はどういうものか。まず全称命題とは何かを説明し、その次に、特称命題とは何かを説明する。

例えば、「この教室のすべての人は理性的である」という全称命題(①)は、人という変項xにどのような対象を代入するかについての権限が、解釈者interpreterに与えられるような命題である。たとえば、この発話を聞いた人は、その権限があるので、その教室の中のどの人を、この命題の変項xに代入するかを自由に決めることができる。それはすなわち、「A君は理性的であるかどうか」「B君は理性的であるかどうか」「C君は理性的であるかどうか」という具体的な試験と、その追試をする権利が解釈者に与えられているということである。そして解釈者はこの命題が偽であるということを、いずれ、未来の試験によって発見することが不可能ではない。また、このように定義された全称命題は、解釈者によって特定の項が与えられるまでは、真でも偽でもないので、排中律が無効になるような命題である。そして、真でも偽でもないのだから、全称命題は、不確定(indeterminate)である。パースは可謬主義(まちがえることができるということを重視する立場)という立場なので、このような追試の権限が解釈者に与えられていることを全称命題の条件だと考えている。これがパースの全称命題(indeterminate propositions)である。

次に、②特称命題(vague propositions)とはなにか。

例えば、「この教室のある人が、僕のペンを盗んだ」という特称命題を考えてみよう。この命題の変項xは「ある人」である。そして、この特称命題は、変項xにどのような対象を代入するかという権限が、解釈者ではなく、発話者(utterer)に与えられているような命題である。例えば、もし、「この教室のある人が、僕のものを盗んだ」と主張するA君が現れた時に、その場にいたB君が、「僕が君のペンを盗んだというのか!失礼な!」と言って反論したとしたら、A君は、「僕は犯人(=変項x)はB君(という具体的な値)だとまだ特定していないよ」と言うだろう。このように、ある変項に、どの具体的な対象を入れるのかという権限が、特称命題は発話者の方に存していて、解釈者の方にはない。反対に、もし、「この教室のすべての人は理性的だ!」と主張するCちゃんが現れた時に、その場にいたD君が、「君は僕が理性的だと言っているのか?」と言ってきたら、Cちゃんは、「そう解釈してよい。」と言うだろう。全称命題については、項の代入権限が解釈者にあるからだ。ところで、このように定義された特称命題は、発話者によって特定の項が代入されるまでは、真でも偽でもある。そして、真でも偽でもあるのだから、矛盾律が無効になるような命題である。矛盾律が無効になっているのだから、特称命題は、あいまい(vague)である。これが、パースの特称命題(vague propositions)である。

 

真でも偽でもないのが不確定で、真でも偽でもあるのが曖昧である。

パースのオリジナリティは、権限という観点から全称命題と特称命題を分けるところに存している。これは言語行為論に接近している。