aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

オースティンの言語行為論

【「偽」とは不適切性の一種か】

真にも偽にもなりえないがその発話が不適切にはなりうる文がある。

①「船をエリザベス号と命名します(I name)。」

②「彼女を妻とすることに同意します(I do)。」

③「遺言:私の銀時計を弟に譲ります(I give)。」

④「明日は雨である方に賭けます(I bet)。」

⑤「やあ」は、真にも偽にもなりえないが「不適切」(infelicitous)にはなりうる。

→たとえば初対面の人に「やあ」と発話するのは「不適切」(infelicitous)である。

※⑥相手が約束を守っていない場合に「約束を守ってくれてありがとう」とその人に言うのは「皮肉」である。皮肉は「偽であることを前提とした発話」であり、ここでも真偽は問題になっていないし、相手を非難する意図を伝える文脈では「適切」である。

 

【J.L.Austinにおける言語行為の3カテゴリ】

⑴【発話行為(locutionary act)】

→なんであれ発話する行為の全般がまずはこれにあたる。真偽が問題とならないパフォーマティブ(行為遂行的)な発話(「明日は行くと約束します」)も、記述や報告のためのコンスタティブ(事実確認的)な発話(「雨が降っている」)も、意味も分からず唱えた外国語も、まずはこれに含まれる。


⑵【発話内行為(illocutionary act)】

→なにごとかを言うことにおいて、なにごとかを行うその行為のこと。

→たとえば、「約束する」、「告白する」などの、「相手にこちらの意図が伝わればその時点で十分」と言えるような言語行為はこれにあたる。

→「発話内の力」を伴った言語行為。

→社会的な慣習や習慣によって言語行為とその効果の間の関係が緊密で安定している。


⑶【発話媒介行為(perlocutionary act)】

→なにごとかを言うことによってなんらかの実際的で実効的な「発話媒介効果perlocutionary effect」を聞き手に及ぼし、それによってなにごとかを行うその行為のこと。言語行為であるのに発話の適切性が話し手の発話そのものによって構成も保証もされないような言語行為である。

→「怖がらせる」「確信させる」などは、「相手に意図が伝わればその時点で十分」と言えるようなものでは全然なくて、その言語行為の「適切性」が聞き手に依存して変わる。

→ 社会的な慣習や習慣によって言語行為とその効果の間の関係が安定してはいるが、その場その場での即興性もあり、「発話媒介効果」は文脈次第でどのようなものでもありうる。

 


【文脈の重要性】

人間の全ての言語行為(speech-act)は以上の3つのうちのどれかということには結局ならないし、まったく同じ発話でも文脈が変わればどれに分類されるのが適切かは変わる。

[例1.]たとえば、Bさんを怖がらせようとしたAさんが「私は何をするかわからないぞ」と発言したことについて、「これから何をするかわからないなんて変なの」とBさんが思った場合をまずは考えてみよう。この時、そもそもAさんが発話に込めた「発話内の力(illocutionary force)」がBさんに伝わっていないので、これは「⑵発話内行為」としては「不適切」であり、これは「⑴発話行為」でしかない。

[例2.]次に、Bさんを怖がらせようとしたAさんが「私は何をするかわからないぞ」と発言したことについて、「そんなこと言われてもちっとも怖くないぞ!」とBさんが思った場合はどうか。この時、Aさんが発話に込めた「発話内の力」はBさんに伝わってはいるのだが、Bさんが実際に怖がってはいない。よってこれは「⑵発話内行為」である。

[例3.]最後に、Bさんを怖がらせようとしたAさんが「私は何をするかわからないぞ」と発言したことについて、「怖い!」とBさんが思った場合はどうか。この時、Aさんの発話は、Bさんに「発話媒介効果」を及ぼしている。つまり、「発話内の力」がBさんに伝わっていて、Bさんが実際に怖がっている。この「発話媒介効果perlocutionary effect」を聞き手に及ぼし、まさにそのことによってなにごとかを行うその行為こそが「⑶発話媒介行為」である。

 

 

【参考:言語ゲーム

言語ゲーム(シュプラッハ・シュピール)とチェスのゲームとは全く違う。チェスは調べようと思えばすぐに調べられるような明示的な規則があるけれども、言語ゲームは明示的な規則がどこかに書いてあるのではない。言語ゲームのルールには、(共同作業の中で言葉の誤りが訂正されたりするのだから)規範性はあるのに、ルール自体が言語の実践的使用の中で更新されてゆくこともまたありえて、しかもそれらは明示的ではない。言語ゲーム概念は、言語実践が普通のゲームとは違って明示的な規則には従っておらず、生活の流れの中でその言葉の意味は供給されているのであって、言葉の意味はその言葉が喚起するイメージなどではない、ということを主張しようとして作られたものなのだ。

 


【発展】

家族的類似性=共通の本質に基づかない類似性

マイケル・ダメット反実在論と反クワイン全体論と分子論的言語観

ポール・グライスの会話の含みの理論

1980年代のデイヴィドソンの言語の非存在論

 

【規則のパラドクス】

自然数列は無限に続く。たとえば、「0から順に2を足す」という言葉は、それだけでは、どういう風にその指示を遂行するべきかを決定できない。そのことは、どれほど指示に言葉をつけたそうとも、具体例を何個つけて示そうとも同じである。たとえば、「1000」から先は4ずつ足し続けると解釈されるかもしれない。