aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

ある女学生の発言

 

精神疾患はしばしば「こころのやまい」と呼ばれることがある。「もしも自分がこれから精神疾患(たとえば鬱病)にかかったとき、自分は①精神疾患、②精神障害、③心の病のうち、どれで呼ばれるのが一番受け入れやすいか」という質問に対して、一番多い回答は、③であったという。それに対して、ある女学生が異議を唱えた。

 

「私がもし深刻な鬱病になったとしたら、「彼女は精神疾患を抱えている」とか「彼女は精神障害を抱えている」とか、「彼女は脳の働きの一部に失調がある」とは言われてもいい。でも、「彼女はこころのやまい(心の病)を抱えている」とだけは絶対に言われたくない。なぜなら、「精神疾患」はしばしば「こころのやまい」と同一視されるけれども、「こころにやまいがある」とか「あの人はこころが病んでいる」とかいうとき、その言葉は、「良心とか共感能力とか、優しさ、だれかに同情する能力とかに、問題がある」ということをむしろ意味しているように思う。たとえば、電車の中で目の前に足の不自由な人が立っているのに、知らん顔して音楽を聴いていて、絶対に席を譲らない人のようだ。相手の立場に立つことができない人のようだ。むしろ共感性が高いから鬱病になったのかもしれないし、こころが他人より繊細だから鬱病になったのかもしれないのに、まるで共感性を欠く人のようだ。だから、断じてこころのやまいとだけは私は呼ばれたくない。こころは精神とは違うものだ。たしかに、PTSDとか、つらい体験のトラウマとか、ハラスメントみたいに、こころが深刻に傷ついてしまってまさしく「こころの病」とか、「こころが傷ついている」とか、「こころが折れてしまっている」とか言われるのがふさわしいような精神疾患もあるだろう。でも、たとえば統合失調症は、脳の中でドーパミンと呼ばれる神経伝達物質の働きに変調をきたしていることが一因としてある。だから、そういう精神疾患は、むしろ「こころのやまい」というよりも、「脳の不具合」と読んだ方が、現実を的確に表現しているのではないでしょうか。」

 

 

以上は、精神医学者の石丸昌彦の体験談より引用した。