aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

モンテーニュとパスカルからの引用

パスカルからの引用は、

セリエ版は[S]

ラフマ版 [L]

ブランシュヴィック版は[B]

で表記する。

 

【『エセー』の序文】

「読者よ、これは正直一途の書物である。(中略)もしも世間の好評を求めるのだったらわたしはもっと装いをこらし、慎重な歩みで姿をあらわしたことだろう。わたしは単純な、自然な、平常の、気取りや技巧のない自分を見てもらいたい。というのは、わたしが描くのはわたし自身だからである。(中略)読者よ、このようにわたしというものがわたしの書物の題材なのだ。こんなにつまらぬ、虚しい主題のためにきみの時間を費やすのは道理に合わぬことだ。では御機嫌よう。モンテーニュにて 1580年3月1日。」(「読者へ」『エセー』序文)


【覆ったのだからまた覆るかもしれない】

「3000年の間、天と星とが地球のまわりを運行し、皆もそう信じていた。だがついにサモスのクレアンテスだか、テオフラトスによればシュラクサイのニケタスだかが、実は地球の方が黄道帯の斜めの地帯を通ってその軸のまわりを回転しているのだと主張することを思いついた。そして今日では、コペルニクスがこの説を立派に根拠付け、あらゆる天文学的結果に適合するようそれを用いている。だが、ここからわれわれが学ぶべきは、これら二つの説のうちどちらが正しいかという問いは重要ではないということである。それに、今から千年後、第三の意見が出て、先の二つの意見を覆さないとは限らないのではないだろうか。」(『エセー』第二巻、第12章)

 

【実験によって私を知る】

「たとえ誰も読んでくれなくとも、わたしがこんなに多くの間暇を、こんなに有益な愉快な思索に紛らしたことが、時間の空費と言えるだろうか。わたしは自分にかたどってこの像を作りながら、わたしの姿を取り出すために何度も自分を整え、身構えねばならなかった。そのために原型(=自分)の方がひとりでに、ある程度固まって形ができてきた。他人のために自分を描きながら、初めの頃よりも鮮明な色彩で自分を描くことができるようになった。わたしが書物を作ったというよりも、むしろ書物がわたしを作ったのである。これは著者であるわたしと同質のもの、わたしだけに関するもの、わたしの生活の四肢をなすものであって、他のすべての書物と異なり、第三者の他人を対象とし目的とするものではない。」(『エセー』第二巻、第18章)

 

→一方で、言語化したからには、ある意味では他人に読まれるために自分を書いたのである。しかし、他方で、結果的に出来上がった作品は、自分の生活の四肢をを成すものであり、他人を対象とし、誰かに読まれることを目的とするものではない。そういう両面性がある。


【理解者】

「もし田舎にか、町にか、フランスにか、外国にか、家にある人でも、誰か一緒にいて楽しい人、わたしの気質を気に入ってくれ、その人の気質もわたしに合うような人がいたら、掌を口につけて口笛で知らせてくれさえすればよい。わたしは肉も骨もあるエセーを提供しに行こう。」(『エセー』第三巻、第5章)

 

【自然な普通の歩み】

「わたしは偶然以外にわたしの考えの断片を整理してくれる隊長を持たない。わたしの夢想の数々があらわれるにつれ、わたしはそれらを積み重ねる。(中略)わたしはどんなに常軌を逸していても自分の自然な普通の歩みをお目にかけたいのだ。わたしは自分をあるがままに進ませてやる。」(『エセー』第二巻、第10章)

 

【サンプルな言葉遣い】

「わたしの好きな言葉使いは、口に出しても紙に書いても同じような、単純で、自然のままの言葉使い、充実して力強い、短くて引き締まった言葉使い、繊細で手入れの行き届いたというよりは、激しくて唐突な、(中略)閉口なというよりは手ごわい感じの、気取りからは遠い、常軌を逸した、とりとめない、奔放な言葉使いである。各々の断片が自足した全体をなしているような、学者風でも修道士風でも弁護士風でもなく、むしろスエトニウスがユリウス=カエサルの言葉使いをそう呼んでいるように、兵士風の言葉使いである。(中略)新奇な言いまわしや聞き慣れない言葉を探し回るのは、子供っぽい、学を衒った野心から来ることで、わたしはといえば、できればパリの中央市場で使われる言葉だけで済ましたいくらいだ。」(『エセー』第一巻、第26章)

 

【すぐれた読者】

「すぐれた読者は他人の書物の中に、著者がそこに盛り込んだ、自分でも承知している美点とは違った美点をしばしば発見し、そこにより豊かな意味と相貌とを付け加えるものである。」(『エセー』第一巻、第24条)

 

【食人族について】

「われわれは彼らを、理性という尺度で、野蛮だと呼ぶことはできても、われわれを規準として、彼らを野蛮だと呼べはしない──われわれは、あらゆる野蛮さにおいて彼らを凌駕しているのだから」(『エセー』第一巻、第31章「人食い人種について」)


【「ビュリダンのロバ」の問題と、「どこも同じように丈夫な紐」の問題】

二つの同じような欲求の間でちょうど釣り合った状態にある精神を思い浮かべるのは、愉快な想像である。なぜなら、その精神が決して決定を下せないというのは疑い得ないことだからだ。専念と選択とは価値の不同を前提とするから、飲むことと食べることとの同等の欲求をいだいて酒瓶とハムの間に立たされたら、乾きと空腹とで死ぬしかないのは明らかである。この不都合を解決するため、ストア派の人々は、異なるところのない二つのものから一つを選ぶ気持ちはどこからわれわれの心にやってくるのか、まったく同じで、どれをより好むという気持ちを起こさせる理由がまったくないのに、多数の金貨のうち、他方より一方を取るように仕向けるものは一体何なのか、と問われた時、その心の動きは異常な、常軌をはずれたものであって、外的な、偶発的な、不慮の衝動からわれわれの内へと訪れるものである、と答えた。わたしの思うところでは、むしろ次のようにも言えるだろうと思う。すなわち、いかなるものもわれわれの前にあらわれる時は、どんなに軽くはあれ、必ず何らかの相違を宿しており、視覚にであれ、触覚にであれ、知覚できないほどであっても、常にわれわれを引きつけるなにかのプラス分があるのである、と。同様に、どこも同じように丈夫な紐を考えるとしたら、それが切れるということは、あらゆる不可能さをもって不可能である。なぜならどこからほつれが始まるというのか。それに、紐があらゆる箇所でいっぺんに切れるというのもあり得ない話だ。こうしたことに加え、幾何学の命題がその確実な証明によって結論する事柄、たとえば、内容物は容器よりも大きいとか、中心は周囲と同じくらい大きいとか、相互に絶えず接近し続け、しかも決して出会うことのない二本の線というものがあるとか、賢者の石とか、円積問題とか、おしなべて理性と経験とがあまりに相反する様を見れば、そこからプリニウスの次の大胆な言葉を支持する何かの論拠を引き出せるかもしれない。曰く「不確実より確実なものはなく、人間ほど悲惨で驕慢なものはない」と。(『エセー』第二巻、第14章)

 

 

【現にある自分と和解すること】

人々は、自分の外へ出たがり、人間から逃れようとする。愚かなことだ。天使に変身しようとして獣になる。自己を高くしようとして倒れてしまう。(中略)自分の存在を忠実に享受できることは、絶対的な、神のような完成の境地である。われわれは自分のありようを用いることを知らないために、他のありようを求める。自分の内部がどうなっているか知らないために、自分の外に出る。だが、竹馬に乗っても無駄である。竹馬に乗っても、やはり自分の脚で歩かなければならないのだ。そして世界で最も高い玉座にのぼったとしても、つまりは自分の尻の上に座っているにすぎないのだ。(『エセー』第三巻、第13章)


モンテーニュアフォリズム

「結局のところ、自分について語れば、どっちに転んでも損することしかない。自分を非難すれば、かならず信じてもらえるのだし、逆に自分をほめれば、まず信じてもらえないのだから」(『エセー』第三巻、第8章「話し合いの方法について」)

 

「わたしは良い論理学者より良い馬丁(ばてい)になりたい。」(『エセー』第三巻、第9章)

 

「我々は死を心配することで生を乱し、生を心配することで死を乱す。」(『エセー』第一巻、第12章)


「きみは病気だから死ぬのではなく、生きているから死ぬのだ」(『エセー』第三巻、第12章)

 

「何度わたしは、罪よりも罪深い非難を目にしたことか。」(『エセー』第三巻、第13章)


アリストテレスは人に理解してもらうために書いた。彼にそれができなかったとしたら、彼より力のない者、第三者には、みずからの考えを扱っている彼自身よりもなおのことそれができないはずではないか。(中略)注釈は疑問と無知とを増大させると言わない者があろうか。(中略)われわれは互いに注釈し合ってばかりいる」(『エセー』第三巻、第13章)

 

【無限のエセー】

「わたしは尻切れの話をどんなにたくさん入れたことだろう。だが、少し巧みに皮を剥いていく人なら、そこから無限のエセーを引き出せるはずである」(『エセー』第一巻、第40章)

 

【なぜ後半では各章が長いのか】

「『エセー』の最初のほうでは、章をかなり細切れにしてしまったが、そうすると、読者の関心が芽生える前に、それを断ち切ってしまうように感じられたし、読者の側も、こんなわずかな分量のことで、熱心に思いを凝らすことなどいやになって、読む気もくじけてしまうと思った。そこで、各章をもっと長くすることにした」(『エセー』、第三巻、第9章)


【エセーとは】

「判断力(ジュジュマン)は、どのような主題にでも通用する道具であって、どこにでも入りこんでいく。したがって、今している、この判断力の試み(essais)においても、わたしは、あらゆる種類の機会を用いるようにしている。自分に少しもわからない主題ならば、まさにそれに対して判断力を試してみて(je l’essaie)、その浅瀬に遠くから探りを入れて、それから、どうも自分の背丈には深すぎるようだと思えば、川岸にとどまるのだ。(中略)またわたしは、ときには、空虚で、なにもない主題に対して、それに実体を与えて、それを支え、つっかい棒をするような材料を、はたして判断力が見つけたりするものかどうかを、試してもみる(j’essaie)。(中略)わたしは、運まかせに、とにかく手近の主題を取り上げる──どれでも同じだけ、有効なのだから」(『エセー』第一巻第50章「デモクリトスヘラクレイトスについて」)


「結局のところ、わたしがこうして、やたらに書き散らした寄せ集めの文章(フリカッセ)は、わが人生の試み(essais)の記録簿(ルジストル)にすぎない」(『エセー』第3巻第13章「経験について」)


「人々に、「おまえは自分のことをしゃべりすぎるぞ」と不満をいわれても、わたしとすれば、彼らこそ、自分のことさえ考えないくせにと、逆にいってやりたいくらいなのである」(『エセー』第三巻、第2章「後悔について」)

 

【自分を貸し出すこと】

「人間はだれもが、自分を貸し出している。本人の能力が本人のためではなく、服従している人のためになっている。つまり、本人ではなくて、借家人が、わが家同然にくつろいでいるのだ。こうした一般的な風潮が、わたしには気に入らない」(『エセー』第三巻、第10章「自分の意志を節約することについて」)


「人間は自分の精神の自由を節約して使って、正当な場合でなければ、これを抵当に入れてはならない」(『エセー』第三巻、第10章「自分の意志を節約することについて」)

 

【仕事は芝居である】

われわれの職業・仕事のほとんどは、にわか芝居みたいなものだ。「世間全体が芝居をしているのである」(ペトロニウス)。われわれは、自分の配役をしっかり演じなくてはいけないが、その役を、借りものの人物として演じるべきだ。仮面や外見を、実際の本質としてはいけないし、他人のものを、自分のものにすべきではない。われわれは、皮膚と肌着を区別できないでいる。でも、顔におしろいを塗れば十分なのであって、心にまで塗る必要はない。(中略)けれどもわたしの場合、市長とモンテーニュはつねに二つであって、はっきりと分けられていた」(『エセー』第三巻、第10章「自分の意志を節約することについて」)

 

【家事】

「日々の面倒とは決して軽微なものなどではない。それらはずっと続き、埋め合わせようがない。とりわけ、家政という、途切れなく続いて、切り離しがたい仕事のあちこちから生じる厄介ごとは、なおさらだ」(第3巻第9章「空しさについて」)

 

【店の奥の部屋】

「本当の自由と、極めつきの隠れ家と孤独とを構築できるような、完全にわがものであって、まったく自由な店の奥の部屋arrière-boutiqueを確保しておくこと」(第1巻第38章「孤独について」)


【死】

 「死というものは、いたるところで、われわれの生と混じりあっている」(第3巻13章「経験について」)


「われわれは死ぬことを心配するせいで、生きることを乱しているし、生きることを心配するせいで、死ぬことを乱している」(第3巻第12章「容貌について」)


パスカルの人間観】

「人間とは一体、なんという怪獣なのか。なんという珍奇な代物、なんという怪物、なんという混沌、なんという矛盾、なんという驚異なのだろうか。森羅万象の審判でありながら愚昧(ぐまい)なミミズでもあり、真理の保持者でありながら不安と錯誤の巣窟でもあり、宇宙の栄光でありながらそのごみくずでもあるとは!」(S164-L131-B434)


モンテーニュの方法】

世の中の人びとはいつも自分のまっすぐ前のほうを見つめる。わたしのほうは自分の視線を内側にむけ、そこにそれを植えつけ、そこに落ち着かせる。誰もが自分の前を見つめるが、わたしのほうは自分の中を見つめる。わたしは自分にしか用がない。自分をたえず考え、検討し、吟味する。ほかの人びとはいつもほかへ出かける。(ミシェル・ド・モンテーニュ『エセー Ⅱ 思考と表現』荒木昭太郎訳、中央公論新社、2002年、p199)


【天使と動物と人間】

「人々は自分の外に出たがり、人間から脱しようと望む。愚かなことだ。天使になろうとして動物になる。天に昇ろうとして地に倒れる」(モンテーニュ III,13「経験について」)

 


【完成とはなにか】

「自分の存在をありのままに享受するすべを知るのは、神聖なまでに絶対的な完成である」(モンテーニュ III,13「経験について」)


【学問はそれ自体が楽しい】

「獲物を捕まえる望みがなくなった人間が、相変わらず狩猟に楽しみを見いだすのを、変だと思ってはいけない。学問とは、それ自体が楽しいいとなみであるばかりか、とても面白いものなのだ。[…]食べ物の場合でも、食の楽しみだけのために食べることがあったりして、食欲をそそるものが、かならずしも栄養面や健康面ではよくないことがあるではないか。これと同じように、われわれの精神が学問から得るものも、たとえそれが滋養にならず、健康によくないとしても、それでもやはり快楽に満ちたものなのだ」(宮下志朗訳『エセー4』白水社、p129-131)


【習慣】

「人間は、みずから統治すべき世界のしくみを、いったい何を基盤にして築き上げようとするのか。各個人の気まぐれだろうか。とんでもない! では、正義だろうか。いや、人間はそんなものを知らない。たしかなのは、もし知っていたら、人間界のすべての原則のなかで最も普遍的な次の原則を打ち立てはしなかっただろうということだ。すなわち、個々人はその国の習慣に従うべし、との原則である」(S94-L60-B294)


【法は正義だから従うものではない】

「習慣は、それが受け入れられているという唯一の理由によって、公正さのすべてを作り出す。これがその権威の神秘的な基盤である。権威を起源にまでさかのぼってみれば、それは消え去ってしまう。誤りを修正する法というものほど怪しげなものはない。法が正しいがゆえに従っているという者は、法の本質にではなく、自分が想像する正義に従っているのだ」(S94-L60-B294)


【国家の起源にあるのは力だ】

「もっとも強い部分がもっとも弱い部分を圧迫し、ついに支配的な一党ができるまでたがいに戦いあうであろうことに疑いはない。だが、それがひとたび決せられると、 戦いがつづくのを欲しない支配者たちは、かれらの手中にある力が自分たちの気に入る方法で受け継がれていくように制定する。ある者はそれを人民の投票に、他の者は世襲等にゆだねる。[...]そして、この時点から想像力がその役割を演じはじめる。それまでのところは純粋な力が事を強行した。これからは力が、ある党派のうちに、想像力のおかげで保たれていくのである」(S668-L828-B304)

 

【国家の根底には横領の事実がある】

「民衆に横領の事実を知られてはならない。それはかつて理由なく導入されたが、合理的なものになったのである。横領をすぐに終わらせたくないのなら、それが正統で、永続的なものだと信じさせることだ。そして、その起源を隠蔽することだ」(S94-L60-B294)

 

【力と正義の関係】

「財産の平等が正しいのは当然のことである。だが、正義に従うことを強制することができないがゆえに、力に従うことを正義とした。正義を力となすことができないがゆえに、力を正義となした。そうして、正義と力が合わさって、最高善である平和が生じるようにしたのである」(S116-L81-B299)


【内戦よりは愚かな後継ぎを取れ】

「悪のうちで最大のものは内戦である。[…] 生来の権利によって後継ぎとなるひとりの愚か者がもたらす恐れのある害悪など、それにくらべれば大したことはないし、確実なものでもない」(S128-L94-B313)


【未熟な知者と真の知者】

「無知で純朴な「民衆」は、権力が正統であると錯覚し、為政者に畏敬のまなざしを注いで服従する。「未熟な知者」は、民衆の誤りを告発し、真理と正義を標榜して権力に立ち向かうが、それによって平和を乱し自滅する。真の「知者」は、民衆の倒錯を知りながら、その服従の姿勢を評価する。」(S124-L90-B337)


【裏の考えを持つのが真の知者】

「裏の考えをもち、それをもってすべてを判断し、それでいて民衆と同じように語らなければならない」(S125-L91-B336)


【原因と結果】

「人間の空しさをしっかりと知りたければ、恋愛の原因と結果を見ればよい。恋愛の原因とは〈なにやらよくわからないもの〉« un Je ne sais quoi » である(コルネイユ)。そして、結果は恐るべきものだ。この〈なにやらよくわからないもの〉は、ささいなあまり知覚できないものであるが、これが地球全体を、王侯を、軍隊を、全世界を揺るがすのだ。/クレオパトラの鼻がもっと小ぶりだった(plus court)としたら、地球の様相の全体は一変していただろう」(S32-L413-B162)


モンテーニュの自己評価は高い】

「私が美貌という強力で有利な長所をどんなに高く評価しているかは、どれだけ強調しても足りない(中略)私は、形においても、相手の受け取る印象においても、恵まれた外見をしている」(『エセー』III, 12)


パスカルの無限】

「無限に1を加えても何も増えないし、無限の長さに1ピエを加えても同じである。有限は無限の前では消失し、純粋な無となる」(S680-L418-B233)

 


パスカルの寿命観】

「十年ほど長く生きたところで、われわれの寿命は、永遠に比べれば依然として微々たるものにすぎないではないか」(S230-L199-B72)

 


パスカルの賭けと無限】

「どうしても賭けなければならない場合に、無限の利益が得られる可能性と何も失わない可能性とが同等ならば、[参加料である]一生涯を差し出さずに温存しようとするのは、理性を欠いた行いだろう」(S680-L418-B233)

 

モンテーニュ(1533-1592)の鋭さ】

「どんな不合理なことも、どこかの哲学者に言われなかったためしはない」[キケロからの引用](『エセー』Ⅱ, 12)


ソクラテスは耄碌(もうろく)していた】

「死に瀕したソクラテスは国外追放を死刑宣告よりもつらいものだと考えたのだが、私の方はと言えば、そこまで耄碌(もうろく)していないし、そこまで自国に拘(こだわ)ってもいない。このような方の神々しいまでの生き方は、ただただ尊敬するばかりで、好きにはなれない。場合によっては、あまりに崇高かつ非凡で、およそ想像を超えるために尊敬することも難しい。それにしても、全世界が自分の町だと言い切った人にしては、このような気質はあまりに情けない。なるほど彼は旅行を毛嫌いしていたので、アッティカの領土より外に足を運んだことがほぼなかった。」(『エセー 』Ⅲ, 9, 「空しさについて」)


【驚くほど先駆的な思想観】

「わたしは強力にして博学なる思想をもとうとはあえて思わない。むしろ楽な・生活に適応せるそれを持ちたいと願っている。思想は役に立つ愉快なものでありさえすれば、それで十分真実かつ健全だと思う。」(『エセー』Ⅲ,9)


【既にしてフェミニスト

「わたしはあえてこう言おう。「男も女も同じようにできている。教育と習慣を除けば大した差異はない。」」

(『エセー』Ⅲ,4)


【新大陸の食人族よりも我々の方が野蛮だ】

「しかるに我々は、理性の法則に照らし合わせて彼らを野蛮と呼ぶことはできても、我々自身に照らし合わせてそう呼ぶことはできない。なぜならばあらゆる野蛮さにおいて我々は彼らを凌駕しているからだ。彼らの戦争はあくまで気高く高潔なものであって、戦争というこの人間の宿痾(しゅくあ)がもちうる限りの言い分と粉飾とを有している。彼らにおいては、徳行(とっこう)を求める以外の動機づけはない。新しい領土を征服しようなどとは夢にも思わない。彼らはいまだに自然の豊かさに十分恵まれており、働いたり骨折ったりせずとも必要なものを全て自然から授かっているので、境界を広げる必要など感じないからだ。自然の欲求が命じるものしか望まないという幸福な状態にいまだある彼らにとって、それ以上のものはすべて余計でしかない。」(『エセー 』Ⅰ,31,「人食い人種について」)


【自分と他者の脳みそを擦り合わせろ】

「もっぱら書物にたよった(=livresque=この単語自体がモンテーニュの造語)知識力とは、なんとなさけない知識力であることか![...]こうした次第ですから、人々との交際などは、非常に目的にかなっているのです。また外国を訪ねるのも、よろしいかと。[...]なによりも、そうした国民の気質や習慣をしっかりと見て、自分の脳みそを、そうした他者の脳みそと擦りあわせて、みがくためなのです。そのためにも、幼年時代のうちから、お子さんを外国に連れ出すといいと思います」 (『エセー 』Ⅰ, 25「子供たちの教育について」)

 


【旅行とはなにか】

「旅行は私にとって有益な訓練であるように思われる。精神は未知のものや新奇なものを見つけることによって、たゆまず習練を行う。これまでにも述べた通り、人生を培うためには、生き方や考え方や習慣が実に様々であるということを絶えず目の当たりにし、我々人間の性質が恒久的に多彩なかたちを取るということを実感する以上に、私の知る限り、より良い学習の場はない。」(『エセー』Ⅲ,9)


モンテーニュは1580年6月22日から1581年11月30日まで17カ月間にわたってボルドー→パリ→スイス→ドイツ→イタリアを旅した。ちなみにローマでは法皇に拝謁したという。


【旅に出る理由は何か】

「旅に出る理由を聞かれたら、私はいつもこう答える。「何から逃げたいのかはよくわかっているが、何を求めているのかはわからない」と。」Je respons ordinairement a ceux qui me demandent raison de mes voyages: que je sçay bien ce que je fuis, mais non pas ce que je cerche.(『エセー』Ⅲ,9「空しさについて」)


【「年老いた精神の老廃物」】

「ご承知のとおり、わたしはここまで一本の道をたどってきたわけで、この世にインクと紙があるかぎりは、休みなく、苦労せずに、この道を歩いて行くつもりだ。[…]でもって、わたしがここでお目にかけているものも、まあ少しはお行儀がいいけれど、ときには固かったり、ときには軟らかくて、いつもまともに消化できてはいないところの、年老いた精神の排泄物なのである。それにしても、いかなる題材にぶつかっても、動揺し変化し続ける、わが思考の表明に、わたしは一体いつになったらけりを付けられるのだろうか?」(『エセー』Ⅲ,9)


【帰ってくるために旅をする人々について】

「わがフランス人たちが、自分たちの習慣に反するような習慣に腹を立て、そんな馬鹿げた気質を自慢げに披露するのは恥ずかしいと思う。村から一歩出ただけで自分でなくなってしまうとでも思うのだろうか。彼らはどこへ行こうと自分たちの流儀に固執し、外国の流儀を忌み嫌う。ハンガリーでたまたま同国人に会おうものなら、その出会いに大喜びする。いきなり意気投合して連(つる)み始め、目にする習慣をことごとく野蛮だと罵り始める。フランス式でなければ、何だって野蛮だというわけだ。それでも、これを承知のうえで悪口を言うのは、まだ賢い方の者たちだ。大部分の者たちは、ただ帰ってくるためだけに出かける。慎重に押し黙って、誰とも交わるまいと身を強張らせ、見知らぬ土地の空気に毒されまいとしながら旅をする。」(『エセー』Ⅲ,9)


【死は絶えず喉元を小突いている】

「もしも生まれた土地以外で死ぬことを恐れるならば、また、家族と離れては安心して死ねないと思うのならば、フランスから一歩も出られなかったことだろう。恐ろしくて自分の教区を出ることだってかなわない。死は、絶え間なく私の喉元や腰を小突いている。だが、どうやら人と造りが異なるようで、私はどこで死んでも同じなのだ。それでも、もし選べるのであれば、ベッドの上よりは馬上で、できれば家の外で、家族から離れて、死にたいものだ。」(『エセー』Ⅲ,9)


【死とは目的ではない】

「けれども思うに、死はたしかに生の終わりであるが、目的ではない。生の結び、終着点ではあるが、生の目標ではない。生それ自体が生の目的であり、目指すところでなければならない」(『エセー』III, 12)Mais il m’est avis, que c’est bien le bout, non pourtant le but de la vie. C’est sa fin, son extrémité, non pourtant son objet. Elle doit être elle-même à soi, sa visée, son dessein. (Montaigne, Essais, Livre III, Chapitre XII, 1632-3)


【死の苦しみは説法するほどのものではない】

「私たちは死を心配することで生を乱し、生を心配することで死を乱す。生は我々を嘆かせ、死は脅えさせる。私たちが身構えるのは死に対してではない。死はあまりに刹那的なものだから、わずか15分ほどの、それきり何も残らない断末魔の苦しみなど、わざわざ説法するようなことではない。実のところ私たちは、死の準備に対して身構えているだけなのだ」(Ⅲ, 12)

Nous troublons la vie par le souci de la mort, et la mort par le souci de la vie. L'une nous cause du regret, l'autre nous effraie. Ce n'est pas contre la mort que nous nous préparons, c'est une chose trop momentanée : un quart d'heure de souffrance passive sans conséquence, sans dommage, ne mérite pas des préceptes particuliers. À dire vrai, nous nous préparons contre les préparations à la mort. (Montaigne, Essais, Livre III, Chapitre XII)


※ここでモンテーニュは、「死」として恐れられているものが、実は「死それ自体」ではないと言っており、むしろ刹那的な「死それ自体」を見定めることで生を死の恐怖に脅えて、ひたすらそれに備えて生きることから解放してやり、かくして、生きることそれ自体を楽しみ、死に際してもむしろ潔く臨めと言っているように思われる。


【柔軟性を持った精神】

「自分の資質、性格にあまり固執してはならない。われわれの第一の才能はさまざまな習慣に順応できるということである。やむをえずたった一つの生き方にへばりつき、しばられているのは、息をしているというだけで、生きるということではない。もっとも美しい精神とは、もっとも多くの多様性と柔軟性をもった精神である。」(『エセー 』Ⅲ,3)


【運命について】

「運命はわれわれを幸福にも不幸にもしない。運命はただその材料と種子を提供するだけである。 それを、運命よりも有力なわれわれの霊魂が、好きなように曲げたり用いたりする。自分の状態を幸福にもし不幸にもする唯一の支配的な原因は、我々の霊魂である。」(『エセー 』Ⅰ,14)

La fortune ne nous fait ny bien ny mal : elle nous en offre seulement la matiere et la semence, laquelle nostre ame, plus puissante qu'elle, tourne et applique comme il luy plait, seule cause et maistresse de sa condition heureuse ou malheureuse.

 


【人間は虫けら1匹作れない】

「人間は実に狂っている。虫けら一匹造れもしないくせに、神々を何ダースもでっち上げる」(『エセー 』Ⅱ,12,「レーモン・スボン弁護」)

 


【猫について】

「私が猫と戯れているとき、ひよっとすると猫のほうが、私を相手に遊んでいるのではないだろうか。」(『エセー』Ⅱ,12)

 


【権威は教育の効率を下げる】

「多くの場合、教える者の権威が学ぼうとする者の邪魔をする。[キケロからの引用]」(『エセー』I,26)


【他人の学識の限界】

「われわれは、他人の学識によって学者になることができるとしても、すくなくとも賢明な人間には、われわれ自身の知恵をもってしかなることができない。」(『エセー』I,25)


【人の上に立つことの空しさ】

「まったく、いくら竹馬にのっても、結局は自分の脚で歩かねばならないからである。いや世界で最も高い玉座に登っても、やっぱり自分のお尻の上に坐るだけなのである。」(『エセー』Ⅲ, 13)


【現代に生きることの不可避性】

「ひとは、もっとよい時代にいないことを残念に思うことはできても、現代の時代をのがれるわけにはいかない。」(『エセー』Ⅲ,9)


宗教戦争の時代に生まれて】

「私は明らかに知っている。われわれがすすんで信心のために捧げるお勤めは、自分の欲情を喜ばすためのものでしかないことを。キリスト教の敵意ぐらい激しいものはどこにもない。[...]われわれの宗教は悪徳を根絶させるために作られたのに、かえって悪徳をはぐくみ、養い、かき立てている。」(『エセー』Ⅱ,12)

 

 

宗教戦争時代の人間の残酷さ】

「私はわが国の宗教戦争の紊乱が生んだ残酷な例がふんだんに見られる時代に生きている。古代の歴史にさえ、われわれの毎日経験しているよりも極端なものは見られない。だからといってけっして残酷になじんだわけではない。私はこの目で実際に見るまでは、ただ快楽のために殺人を犯そうとするような怪物じみた人間がいることを信じることができなかった。他人の手足を切り刻み、精神を研ぎすまして突飛な拷問や新しい死刑の方法を案出し、敵意も利益もないのに、ただ苦悩の中に死にかける人のあわれな身振りや、うめき声や、かわいそうな泣き声を見て楽しむことだけを求める人間がいることを信じることができなかった。」(『エセー』Ⅱ,12)


【世界とは永遠の動揺である】

「世界は永遠の動揺にすぎない。万物はそこで絶えず動いているのだ。大地も、コーカサスの岩山も、エジプトのピラミッドも。しかも一般の動きと自分だけの動きとをもって動いているのだ。恒常だって、幾分か弱々しい動きに他ならない。」(『エセー』Ⅲ,2)Le monde n'est qu'une branloire pérenne. Toutes choses y branlent sans cesse : la terre, les rochers du Caucase, les pyramides d'Egypte, et du branle public et du leur. La constance même n'est autre chose qu'un branle plus languissant.


モンテーニュの運命愛】

「もしもう一度生きなければならないならば、わたしは今まで生きて来たとおりに再び生きるであろう。わたしは過去もくやまなければ未来も恐れない。」(『エセー』Ⅲ,2)


モンテーニュの人物批評の方法】

「私は自分の尺度で他人を判断するという万人に共通の誤りを全然もち合わせない。私は、他人の中にある自分と違うものを容易に信用する。自分もある一つの生き方に縛られていると思うけれども、皆のように、それを他人に押しつけることはしない。そして、たくさんの相反する生き方があることを信じ、理解している。また、一般の人々とは反対に、お互いの間にある類似より差異の方を容易に受け入れる。私はできるだけ、他人を私の生き方や主義を共にすることから解放し、単に彼自身として、他とは関係なしに、彼自身の規範に従って考察する。」(『エセー』Ⅰ, 37)


【真理について】

「昨日はもてはやされていたのに明日はそうでなくなるような善とはいったい何であろうか。河一つ越しただけで罪となるような善とは何であろうか。山のこちら側では真理で、向う側では虚偽であるような真理とは何であろうか。」(『エセー』Ⅱ,12)


【「実るほど頭を垂れる稲穂かな」】

「わたしは人間が、もし正直に語るならば、わたしに向ってこう告白するであろうと信ずる。「自分があんなに長い間の探究から得た獲物といえば、自分の弱さを認識することを学んだということに尽きる」と。生れつき我々のうちにある無知を、我々は長い間の研究によってやっと確信し確証した。ほんとうに学んだ人々には、あの麦の穂に起ることが起った。それは空っぽであるかぎりますます頭をあげてそそり立つ。けれどもいよいよ熟して穀粒で満ちあふれてくると、だんだんへりくだってその頭を低くする。」(『エセー』Ⅱ,12)


【地動説が絶対的に正しいわけでも別にない】

「そして今日にあっては、コペルニクスがこの学説をじつにみごとに基礎づけ、それを天文学上のあらゆる結果にたいしてひじょうに規則正しく適用している。[...]そしてまた、今から千年ののちに、第三の説が現れて、これらのふたつの先行する説を覆えさないと誰が知ろうか。(『エセー』Ⅱ,12)


【随筆家の文体論の極致】

「わたしは物を書くとき、書物の助けをかりたり、かつて読んだことを思い出したりすることをしないようにする。書物がわたしの考え方に影響するといけないからである。」(『エセー』Ⅲ,5)


【キャベツを植えながら死にたい】

「わたしは人が働くことを、人ができるだけ人生の務めを長くすることをのぞむ。そして死が、わたしがそれに無頓着で、いわんや菜園が未完成であることことにも無頓着で、ただせっせとキャベツを植えている最中に、やってきてくれることを望む。」(『エセー』Ⅰ,20)


【ラ・ボエシとの友情】

「もしひとが、わたしがなぜ彼(=ボルドー高等法院の同僚エチエンヌ・ド・ラ・ボエシ)を好きだったか言わせようとすれば、それは彼だったから、それはわたしだったから、と答える以外言い表わしようはないと思われる。」(『エセー』Ⅰ,28)


【不可知論のあやうさ】

「ほんとうに欺瞞が幅をきかすのは不可知の世界である。[...]そこで人に最もわからない事柄が一番堅く信ぜられる事になり、荒唐無稽なことを語る者どもが最も確信ある人ということになる。」(『エセー』Ⅰ,31)


【何も感じないのが善行で抑えるが徳行】

「生来温厚の君子であるために人の侮辱を何とも感じない人もまた、はなはだ立派な讃むべきことをしているのであろうが、恨み骨髄に徹しながら理性の武器によって切なる復讐の念を抑えるであろう人、大いなる煩悶の後ついにこれを制御するであろう人こそ、確かに前者にまさるであろう。前者は善行、後者は徳行であろう。」(『エセー』Ⅱ,11)


【難解な文体は学者の詐欺である】

「難解とは、学者たちが手品師のように、その学芸の空なることを示すまいとて用いる貨幣である。これによって人間の痴愚はまんまと買収される。」(『エセー』Ⅱ,12)


【病気と健康の非対称性】

「我らは最も小さい病気も感ずるくせに、完全な健康は少しもこれを感じないのである。」(『エセー』Ⅱ,12)


【犯罪よりも罪深い処罰】

「犯罪そのものよりを遥かに罪深い処刑を、いかに多くわたしは見たことであろう?」(『エセー』Ⅲ,13)


【なぜ複数の観点から別々に論じるのか】

「沢山の部面をもつ事柄を、一ぺんに判断しようというのは間違っている。」(『エセー』Ⅱ,32)


【快楽は追随せず、回避せず、享受せよ】

「快楽は決して追っても避けてもいけない。ただ受け入れなければいけない。」(『エセー』Ⅲ,13)

 

 

【極端は敵だ】

「極端はわたしの主義の敵なのである。」

(『エセー』Ⅱ,33)


【物体より精神の方が変化しやすい】

「わたしは決してわたしの思想に反する思想を憎みはしない。わたしの判断と他人のそれとの間に大きな食いちがいがあるのを見ても、どうしてどうして、わたしはいきり立つどころではない。人々が自分とは異なる分別を持ち、異なる意見を持つからといって、それらの人々の交際に背を向けるどころではない。むしろ変化こそ自然が採用した最も一般的な流儀なのであるから、それは物体においてよりも精神においてますます多くあるものであるであるから、(なぜなら精神の方がより柔軟な・より多くの形を与えられ易い・実体であるから、)わたしは我々の考えや企てに一致を見たら、かえって珍しいことと思うのである。実に、世に二つと同じ意見はなかった。二筋の髪・二粒の米粒、が同じでないように、人々の意見に最も普遍的な性質といえば、それはそれらが多様であることである。」(『エセー』Ⅱ,37)

 


【解釈の解釈ばっかり】

「われわれは事物を解釈するよりも解釈を解釈するのに忙しい。どんな主題に関するよりも書物に関する書物の方が数が多い。われわれはたがいに注釈し合うことばかりしている。注釈書はうようよしているが、著者のほうは大いに欠乏している。」(『エセー』Ⅲ,13)

 


【極端は若い時にやっておけ】

「私の言うことを信用するなら、若い人はときどきは極端に走るがよい。そうしておかないとちょっとした道楽にも身をほろぼすことにもなり、人とのつきあいにも扱いにくい不快な人間にもなってしまう。紳士たるものにもっともそぐわない性質は、やかましすぎること、ある特別な生き方に束縛されることだ。生き方は順応性がないと気むずかしいものとなる。」(『エセー』Ⅲ,13)    

  

 

【必要な行為は快適である】

「私は踊る時には踊る。眠る時には眠る。また、一人で美しい果樹園を散歩するときも、いくらかの時間は、何かほかの出来事を考えているけれども、それ以外の時間は、これを散歩に、果樹園に、この一人でいることの楽しさに、私自身のことに、連れもどす。自然は、われわれの必要のためにわれわれに命ずる行為を、われわれにとって快適なものするという原則を慈母のように守ってくれた。そしてわれわれを理性によってばかりでなく、欲望によってもそこに誘ってくれる。この自然の原則を損なうのは不正である。」(『エセー』Ⅲ,13)

 


【「書物が私を作った」という境地へ】

「もしも誰一人私を読む者がないとしても、私がこんなに多くの暇な時間を、こんなに有益な愉快な思索にまぎらしたことが、はたして時間の空費というべきなのだろうか。私は、私に型どってこの像を作ってゆく間に、私の本当の姿をとりだすために、何度も自分を整え、身構えねばならなかった。そのために、原型のほうがだんだんと固まって、ひとりでにいくらか形が定まってきた。他人のために自分を描きながら、私は初めの頃の自分よりもはっきりした色彩を帯びてきた自分を描いた。私が私の書物を作ったというよりも、むしろ書物が私を作ったのだ。」(『エセー』Ⅱ,18)

 

モンテーニュの教育方法:「知の知」】

「教師は生徒にすべてを篩いにかけさせ、何事も単なる権威や信用だけに基づいて頭に宿さないようにさせなければなりません。アリストテレスの原理も、エピクロス派やストア派の原理と同じく、生徒にとって原理であってはなりません。千差万別の判断を彼の目の前に出してみせなければなりません。生徒はそれが可能ならば選択するでしょうし、それが不可能ならば懐疑の中にとどまることでしょう。

 


「知ることと同じように、疑うことは私には気持ちがよい。」(ダンテ『神曲』からの引用)

 


なぜなら、もしも生徒がクセノフォンやプラトンの思想を自分の判断力にいだくなら、それはもはや著者らのものではなく、生徒自身のものだからです。他人に追随する者は、何をも追究していないのです。何も発見することもありませんし、まして探究することもありません。

 


《われわれはいかなる王にも従属しない。各人は自らの自由を主張せよ》(セネカ

 


少なくとも生徒は知っているということを知ることが必要です。彼らの教訓とともに生徒を腐敗させてしまうことではなくて、彼らの知識を生徒に染み込ませることが必要なのです。そして、何なら、それをどこから得たかなどといったことは思い切って忘れてしまってもいいから、それを自身のものとして身につけるようにしなければなりません。真理と理性はみんなの共有物であって、後からそれを言った人よりも先にそれを言った人に属するというようなものではありません。プラトンも私(モンテーニュ)もそれを同じに見て同じに解す以上、それは私に拠る程度にしか、プラトンには拠らないのです。蜜蜂は、見つけたところにある、此処其処の花々から、幾らかの甘味をより集めてきますが、彼ら自身でその後に蜜を作るのです。そしてそれらの蜜はすべて、そして立派に彼らのものなのです。もはやタイムでもなければ、マヨラナでもないのです。同様に、生徒は他人から借りてきた幾つかの断章を変形し、一緒に混ぜ合わせて、確実に生徒のものとなるべき作品、すなわち、自分の判断力を作り上げるでしょう。教師の教育も労働も研究も、ただこの判断を作るのが目的なのです。」 『エセー』第1巻、第26章「子どもたちの教育について」

Qu'il luy face tout passer par l'estamine et ne loge rien en sa teste par simple authorité et à credit; les principes d'Aristote ne luy soyent principes, non plus que ceux des Stoiciens ou Epicuriens. Qu'on luy propose cette diversité de jugemens: il choisira s'il peut, sinon il en demeurera en doubte. Il n'y a que les fols certains et resolus.

 


Che non men che saper dubbiar m'aggrada.

 


Car s'il embrasse les opinions de Xenophon et de Platon par son propre discours, ce ne seront plus les leurs, ce seront les siennes. Qui suit un autre, il ne suit rien. Il ne trouve rien, voire il ne cerche rien. 

 


Non sumus sub rege; sibi quisque se vindicet. 

 


Qu'il sache qu'il sçait, au moins. Il faut qu'il emboive leurs humeurs, non qu'il aprenne leurs preceptes.

 


Et qu'il oublie hardiment, s'il veut, d'où il les tient, mais qu'il se les sçache approprier. La verité et la raison sont communes à un chacun, et ne sont non plus à qui les a dites premierement, qu'à qui les dict apres. Ce n'est non plus selon Platon que selon moy, puis que luy et moi l'entendons et voyons de mesme. Les abeilles pillotent deçà delà les fleurs, mais elles en font apres le miel, qui est tout leur; ce n'est plus thin ny marjolaine: ainsi les pieces empruntées d'autruy, il les transformera et confondera, pour en faire un ouvrage tout sien: à sçavoir son jugement. Son institution, son travail et estude ne vise qu'à le former.

 

モンテーニュにおける「知の知」の英語版】

Let him make him examine and thoroughly sift everything he reads, and lodge nothing in his fancy upon simple authority and upon trust. Aristotle’s principles will then be no more principles to him, than those of Epicurus and the Stoics: let this diversity of opinions be propounded to, and laid before him; he will himself choose, if he be able; if not, he will remain in doubt.

 


"Che non men che saper, dubbiar m’ aggrata."

["I love to doubt, as well as to know."—Dante, Inferno, xi. 93] 

 


for, if he embrace the opinions of Xenophon and Plato, by his own reason, they will no more be theirs, but become his own. Who follows another, follows nothing, finds nothing, nay, is inquisitive after nothing.

 


"Non sumus sub rege; sibi quisque se vindicet."

["We are under no king; let each vindicate himself."ーSeneca, Ep.,33] 

 


Let him, at least, know that he knows. It will be necessary that he imbibe their knowledge, not that he be corrupted with their precepts; and no matter if he forget where he had his learning, provided he know how to apply it to his own use. Truth and reason are common to every one, and are no more his who spake them first, than his who speaks them after: ‘tis no more according to Plato, than according to me, since both he and I equally see and understand them. Bees cull their several sweets from this flower and that blossom, here and there where they find them, but themselves afterwards make the honey, which is all and purely their own, and no more thyme and marjoram: so the several fragments he borrows from others, he will transform and shuffle together to compile a work that shall be absolutely his own; that is to say, his judgment: his instruction, labour and study, tend to nothing else but to form that.



Essays of Michel de Montaigne, Complete Michel de Montaigne, Translated by Charles Cotton, Edited by William Carew Hazlitt