aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

「①数学の快楽」と「②肉体の快楽」の先後関係について

ある日、大学のゼミ内で「①数学の快楽」と「②肉体の快楽」との位置関係が問題となっていました。それで少し考えてみたのですが、もしも我々が直立二足歩行していなかったら、直角三角形があれほどまでに注目されて、三角比などの様々な性質が分析されたでしょうか。我々は直角三角形に対して他の三角形とは比べ物にならないほどの美、価値、快楽などを感じると思いますが、それは我々が直立二足歩行するからだと思います。もしも猿のように79度立歩行とかで、すこし傾いて歩いていたり、軟体でウネウネ歩いていたりしたら、79度の三角形やらはたまた全然別の三角形やらが特権的な地位を得たに違いないと思います。我々は直立二足歩行しているから、❶三角比と❷影と❸分度器を使えば、他人の身長を求めたりすることができます。地面の影を測り、分度器で仰角を求めたら、あとはタンジェントをかけるだけで求まります。遠くの地面から直立したビルもこれと同じやり方で高さを求めることができますが、このビルが曲がっておらず直立しているのが気持ちがいいのも、我々の直立二足歩行に理由があると思います。もちろん、生まれたての赤ちゃんに対して、世界は一挙的に現前してきますから、①と②は同等であって、同じ「快楽」という言葉を当てはめてよいと主張する功利主義者や、②より①が根本的だと言い張る数学者(またはプラトニスト)なども生まれてくるかもしれませんが、事柄の順序としては①より②が根本的です。そういう変なことを言う人がいることを否定はしませんが、①より②が根本的であり、①は②から派生したものに過ぎないということが見失われない方が良いと思います。つまり、からだによって感じる快楽を抽象化したものが、数学において感じられている快楽の正体だと思います。