aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

哲学への導入に最適な題材

1.【平仮名を知らないひとから見た平仮名はどう見えるのか】
「右の「ぷ。」という文字、「ボーリングをしている人」と言われたら、そう見えてこないかな?」(永野潤著『キーワード哲学入門』16頁)

2.【心身二元論を取るなら腕を動かすことも超能力になる】
「念じた」だけで物質を動かす超能力はSFの世界にしかないが、しかし、念じただけで物質を動かすっていうことでは、腕を動かすことも同じだ。(永野潤著『キーワード哲学入門』46頁)

3.【心が何グラムかと尋ねるのは正義が何グラムかと尋ねるようなものだ】
「カテゴリー間違いとは、果物屋に「リンゴ」や「ミカン」とは別に「果物」というものが並んでいる、と考えるようなことだ。」(永野潤著『キーワード哲学入門』50頁)

4.【人格の同一性は記憶説も身体説もどちらも採用されているようだ】
スマホなどで用いられる指紋認証や顔認証などの生体認証は、同じ身体的特徴を持っている人を同一人物とする考え方にもとづいている。一方、パスワード認証は、本人しか知り得ない記憶を共有している人を同一人物とする考え方に基づいている。」(永野潤著『キーワード哲学入門』68頁)

5.【5億年ボタン】
「菅原そうたのマンガに登場する「5億年ボタン」という装置は、ボタンを押すと何もない異次元空間に転送され、眠ることも死ぬこともできずに5億年間過ごさねばならない、という装置だ。しかし、5億年がたった後、記憶を消されて元の世界に戻され、100万円が手に入る。5億年苦しんでいる私にとって、一瞬で100万円を手に入れた私は同じ私なのだろうか?」(永野潤著『キーワード哲学入門』71頁)

6.【シミュラークルとは何か】
サルトルは『聖ジュネ』という本で、次の様な寓話を紹介している。愛する王妃の似顔絵(イメージ)を戦場に持っていった王が、ほんものの王妃以上に似顔絵を愛するようになってしまう。戦場から帰った王はほんものの王妃に目もくれず王妃の似顔絵と部屋に閉じこもるようになったが、あるとき火災によって似顔絵が燃えてしまい、王は再び王妃を愛するようになる。このとき王は、王妃の似顔絵の「代わりに」ほんものの王妃を愛している。ここでは「ほんもの」の王妃とは、コピーのコピーでしかない。」(永野潤著『キーワード哲学入門』97頁)


7.【ジュネは現状の演技化によって実存の怪物性を暴露しようとする】
「ジュネは、浮浪児であるところの現にある自分を否定し王子であることを夢見る。彼は「王子のふり」をする浮浪児である。だがそれだけではなく彼はさらに「にせの王子」であることを夢見る。つまり「「王子であるふりをする浮浪児」のふり」をするのである。それによって、「ほんものの浮浪児である」ことそのものが演技に変容する。「ほんものの行為」が、俳優の「しぐさ」に変容し、現実そのものが虚構に変容するのである。演技は二重化し、あらゆるものが仮象(みかけ)に変容する。ジュネは仮象(みかけ)を選択することで、実在と仮象(みかけ)の境界をくずし、「存在」の世界に安住している善人たちに、「実在」や「本当の自分」など存在しないということ、そしてすべてが仮象(みかけ)であるということをつきつける。」(永野潤著『キーワード哲学入門』151-152頁)

 

8.【人は物語の中を生きていることがわかるなぞなぞ】

「路上で交通事故がありました。大型トラックが、ある男性とその息子をひきました。父親は即死しました。息子のほうは病院に運ばれました。病院の外科医は『この子は私の息子です!』と悲鳴を上げました」