aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

ひとまずの知覚理論

【知覚空間が運動空間を先取りするようになるまで】

①全身の運動性能による運動空間の切り出し

②各種知覚器官に固有の運動性能による知覚空間の切り出し(ただし知覚器官別の微弱な空間規定の総体としての知覚空間)

③全身運動による各種知覚空間の運動空間への準拠的統合

④知覚空間に運動空間に対する先取り機能が成立(下書き機能)

⑤知覚空間のパースペクティブ性(=起点となる視点がありその視点の運動空間内での移動を前提に知覚空間が意味付けられていること)は知覚空間が運動空間に準拠することで可能となる(つまり運動空間が成熟した知覚空間を可能にする)。ちなみに「AがBに準拠する」とは、「AはBに対応するものとして意味づけられる」という意味である。だから、楕円に見える湯呑みの飲み口も正円としてまずは意味づけられる。

⑥体の移動を通じてパースペクティブ性を解消した空間構造が確定する。

 

【日常的知覚の論理的発達の順序】

①複視(=ペットボトルが幾つもみえる。だって焦点があってくるのは生後3ヶ月から。)をしている赤ちゃん。

②運動(=触ってみたら1個だった)による触覚知。

③触覚の場所への単眼視による像たちの収斂と重ね合わせ。

④日常的知覚の成立。

立体視の成立は、複視による像のズレで説明されることがあるが、なぜ複視による像がズレたままではいけないのかを説明するには結局運動という契機が必要になる。

なぜゴリラは見えないのか

https://youtu.be/vJG698U2Mvo?si=AK2qECMobTiEY_gk

Daniel Kahnemanの『Thinking, Fast and Slow』を読んで以下のように整理しておく。

 

①注意力の使用権はシステム1(=fast thinking)とシステム2(=slow thinking)によって共有されている。
②注意力の総量は一定かつ有限である。
③システム1は注意力をほとんど消費せずに働くことができるし、主体を動かすこともできる。
④システム2は注意力を大量に消費しないと働けず、注意力を大量に消費しないと主体を動かすこともできない。
⑤システム1は常に注意力をほとんど消費しない仕方で働き続けているし、主体を動かし続けている。つまり、システム1は停止することができない。
⑥システム1の働きを抑制するためにはシステム2が働く必要がある。
⑦システム2が他の細かい作業に集中している間は、システム2がシステム1に抑制を効かせることができない。なぜなら、②より注意力の総量は一定かつ有限であり、また④よりシステム2がシステム1に対して抑制を加える働きをするのにも大量の注意力が要求されるからである。
⑧だから、システム1の働きに抑制が効かなくなり、それゆえゴリラは見えない。

なぜ私は同性婚の法制化に賛成なのか

同性婚の法制化は合憲だと考えるからである。

憲法24条1項「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」

という条文は、

たとえば、次のような事例で考えるとよい。

高尾山にピクニックにいくとしよう。ピクニックのリーダーから、「高尾山にはお弁当のみを持ってこい」と言われたとする。でも、そう言われたひとが、「でもお弁当は箱がかさばるな。お弁当つくるの面倒くさいな」と思って「ウィダーインゼリー」を持ってきたとする。それで、現地についてみると、「俺はお弁当のみを持ってこいと言ったのに、お前はお弁当を持ってこないで、ウィダーインゼリーを持ってきてしまった。だからお前には高尾山に登る資格がない。いますぐ帰れ!」と言われたとする。だとするとこのリーダーは少し、論理的に考え過ぎて頭がおかしくなったのかな、と思うのが普通だと思う。

高尾山ピクニックを成立させるために必要なのは弁当であるよりも前にエネルギーであって、エネルギーが摂取できれば弁当である必要はないと考えるのが普通だから。

また、あるピクニック参加者が、お弁当を持参せず、ウィダーインゼリーすら持参せず、高尾山の山頂でピザハットにヘリコプターで出前を頼むという、かなり尖った行為をするとしよう。それはおそらくとんでもないお金がかかるだろうけれど、事前予約などをしておけば、やってもらえるかもしれない。これは、ものすごく異常な手段を使って、エネルギー摂取という目的を達成し、お弁当を持ってこないような事例である。しかしこの場合も、参加者たちは山頂でピザハットを食べることを許容することもありえる。それくらい、エネルギー補給に比べたらお弁当なんかどうでもいいのだ。みんなが空腹にならずに山頂で楽しくおしゃべりができることが重要なのであって、そのとき各人が食べているものはお弁当であれウィダーインゼリーであれ出前のピザハットであれ、どれでもよいのである。ちなみに、お花見会場にすらピザハットは出前をしてくれるのだから、それ相応のお金を出せば、どこでも来てくれるだろう。

さらに例をあげよう。市役所に、

「住民票はマイナンバーカードのみで発行されます」

と書いてあっても、それは、マイナンバーカードのみで十分である(だから他のものは要りませんよ)という意味で、マイナンバーカード以外が禁止であるとまでは書いていないと読める。マイナンバーカードがどういうものかについての文脈があるからだ。

つまり、マイナンバーカードを作るときに必要だった、より強力な書類をもってくることを禁止していると取るのはむしろ変である。マイナンバーカードは、それらより重要な書類の代用となることで、手続きを簡略化できることがその存在意義のひとつだから。

たとえば、そもそもマイナンバーカードを作るときにパスポートや身体障がい者手帳を出す人がいるけど、ということはマイナンバーカードよりもパスポートのほうが強い力を持っていることになり、そちらの提出を住民票発行の際に禁止するのはまさに本末転倒である。

実際、マイナンバーカードがなくても、在留カード特別永住者証明書・パスポート・運転免許証・健康保険証などを出したり、組み合わせたりすれば、マイナンバーカードと同等(どころかそれ以上)の力に到達することもできるような仕組みに今もなっている。

結論として、「マイナンバーカードのみで住民票が発行される」と書いてあることと、実際にはマイナンバーカードがなくてもほかの手段で住民票が発行されることとは、日常言語レベルでは、なにも矛盾していない。

もちろん、マイナンバーカードがあれば一番簡単に発行できるだろうし、わざわざ健康保険証や在留カードをもっていくのは馬鹿げているから、推奨されてはいないだろうけど、禁止もされていない。

それと同様に、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立する」という条文も、両性の合意がなくても、そもそも結婚を成立させるためにより重要な「合意」があれば、「両性の合意」がなくても結婚できると考えるべきである。

マイナンバーカードよりも在留カードの方が得にくいものである(←現に私は在留カードなんか持ってない!)のと同様に、「両性の合意」よりも「同性の合意」の方が得にくいものであることは認めなければならない。しかし、上記の理由から、「同性の合意」があれば「両性の合意」がなくてもかまわないと考えるほうが自然である。



「性」について私はどのように考えているのか

どんな身体で生まれても、それとは独立に人は「性自認」を決めることってできるし、できたほうがいいよね。例えば、生物学的に女性に産まれた人がその日の気分を含めた様々な理由で自らを男性としてみなし(=性自認)、社会的にも男性として扱ってほしいと要求するということが、できた方がいいと思う。

それは、日本に生まれて日本国籍をもっている人がそれは自分で選んだわけではないからアメリカ国籍を取得してもいいし、そういうことができるほうがいいのと同じ。人間にはそういう自由があるしその自由を守っていかなくてはいけない。

「生物学的性」を根拠にしてふつうは「性自認」が決まるけど、自分の生物学的性別を引き受けるのが嫌だというひともいるかもしれないよね。ペニスがあるからという理由で自分を男性としてみなすのが普通というだけで、ペニスがあるからといって自分を男性としてみなさなければならないわけではないよね。人間は自由だもの。(ちなみに、人間は自由だということを認めないひともいるけど、「ではなにが人間をあらかじめ決定しているのですか?」とその人に問うと、その答えは「科学法則」であることが多く、「ではなにが科学法則をあらかじめ決定しているのですか?」とその人に問うと、その答えは結局「人間」であることがわかり、最終的に人間は自由だと、その人も前提していることが判明してしまう。)

例えば、生物学的には男性だけど、だからといって男性として自分をみなしたり、男性として人にみなされたりするのが嫌だっていうひとも全然いてかまわないと思う。人間って自由な生き物だからね。それで、そういう人に男性としての性的役割の強制がなされないようにしたいよね。

ここまでが前提で、そのうえで私が気になるのは生物学的な性別それ自体が「性自認」によって変えられるという主張。それはありえないと思う。自由で尊重されるべき性自認のあり方によって変えられるのはあくまでも自分が演じるべき「性役割」としての「ジェンダー」だよね。

あくまでも「ジェンダー(性役割)」が自由な「性自認」によって自由に変えられるほうがいいのであって「生物学的性」は生まれてから死ぬまで安定しているよね。

もちろん性転換手術によって性器を取り付けたり切除したりはできるし、ホルモン投与でホルモンバランスさえも変えられるけど、身体中のすべての細胞の染色体レベルまで性転換させるのは、無理だと思う。

だから、自分の生物学的な性は生まれてから死ぬまで確定しているものとして一旦まずは受け入れざるをえないと思う。つまり、性染色体の在り方が時間的に安定していて、そう簡単に変えられるものではないということは受け入れざるをえないと思う。そしてこのことは「性染色体がXXかXYかの二通りしか生物学的性別はない」などという変な主張をしているのではなく、XXYやXXXYのような様々な生物学的性の在り方があるという前提で、しかしそれらの変更の難しさについては受け入れざるをえない、と言っているに過ぎない。

もちろん、性転換手術には保険が適用されるべきだし、「戸籍上の性」だって変えられていいに決まっているんだけど、それによって「生物学的な性が、性自認によって変えられる」と考えるのは誇張じゃないかな、と思う。

それから、「こころ」というのを実体化して、さらにそこに性別までつけて、「こころの性」という言葉もあるみたいだけど、あんな言葉は不要で、「性自認」という従来の言葉だけあれば、それで十分だと思う。

ここまで出てきた話をまとめると、いわゆる「4つの性」、すなわち①生物学的性、②性自認、③性的指向、④性表現のうち、②と③と④は各人でそれぞれに自由に自己決定できるものであるべきだというのが私の考え。

そして、⑤性役割(ジェンダー)については、現状、自分だけで決められる問題ではないと思う。本人の希望を押し潰してまで、社会が押し付けてくることが多いものだから。つまり、内発的側面と外発的側面の両面から「⑤性役割」については論じる必要がある。だから、「性役割」については、後述する。

さて、①生物学的性に関しては、まず、男か女かの二通りであるという理解を即刻やめるべきだと思う。例えば、River Galloさんはインターセックスで、「生物学的性」が男が女かに定まっていない。クラインフェルター症候群についても同様だし、そもそも放出されている性ホルモン量が各人で違うということも考慮すべきだと思う。

また、「生物学的女より生物学的男の方が優れている」とか「生物学的男より生物学的女の方が優れている」とかいう考えも、ある特定の価値を前提して見た時にはじめてそう見えるというだけで、一般に言える話ではないと思う。例えば、寿命に注目する観点を取れば女の方が優れているし、凶暴さに注目するという観点を採れば男女別犯罪発生率などの統計から考えても女の方が優れているということになりそうだが、一般にすべての項目で生物学的女性のほうが生物学的男性より優れているとは言えないだろう。

そして、⑤性役割に関して言えば、そもそも生物学的男は「男らしい」とされる特徴をもっているべきだとか、生物学的女は「女らしい」とされる特徴をもっているべきだという考えを、なるべくはやく捨てたほうがいいと思う。そしてそのためには、性役割(=ジェンダー)の内容規定をどんどん流動化させ、事実上、無化していく作戦が有効だと思う。つまり、生物学的男が演じるべき「男らしさ」という役割の内容が曖昧になっていった方がいいと思うということ。女らしさについても同様である。たとえば、マルセル・デュシャンの『泉』という作品によって、「では、キャンバスに唾を吐きかけたら、それはアートと呼べるのか」という議論が巻き起こり、「アート」の内容規定がどんどん流動化していった歴史があるけれども、あのようなことが性役割についても起きていけばいいと思う。生物学的男性がどんどん子育てや家事をしたりスカートを履いたりすれば、何が男らしいのかはわからなくなっていくと思う。女らしさについても同様。たとえ、もともと「男らしさ」や「女らしさ」が典型としてはどういう在り方なのかということが歴史的にある程度共有されていることが歴史調査によって判明したと仮定しても、その場合でさえ人間は自由なので、それに縛られる必然性などない。(歴史調査によって分かるのはむしろ、男性はかつてスカートやリボンをつけていたというような歴史的事実であることも多いのだが)もし仮に人の典型的性役割を進化論的研究によって突き止めることによって、固形化した性役割の流動化運動に対抗できると主張する人がいたとしても、そのような研究によって可能となるのは、所詮、典型的性役割と派生的性役割の区別が言えるようになることくらいであって、その典型的性役割を人が再び受け入れるべきだということまでは言えないのである。複雑化している現状を理解しようとして本源や典型を突き止めてから現状に至る来歴を描こうとする発生的議論は、あくまでも現状理解にとって有用であるに過ぎず、ここが発生論の原理的限界である。要するに、性役割が流動化してきた来歴を暴くだけでは現状の流動化を抑えることなどできないので、進化論的研究を恐れる必要などないのである。

さて、ここまでの話をここで一気にまとめていこうと思う。私が総論として言いたいのは、「その人が自分で選んだのではないことについての価値判断はなるべく中立化されるような社会がいい社会だと私は思う」、ということである。

だから、例えば生物学的女性として生まれたひとが、本当は生物学的性に一致した性自認がしたかったのに、「女性はこの社会では社会的に劣位に置かれている(=女性差別が現にある)」という理由で自分を女性としてみなす(=女性として性自認する)ことを回避して男性として性自認し、男性として自らを扱ってもらうことを社会に要求する、ということが起きるとしたら、それはそもそも女性差別をなくしたらいいのであって、「性自認が自由なのだから女性差別はあっても大丈夫だよね」という論理がまかり通らないようになるべきだ、と私は思う。もちろん性自認は当事者の自由であるし、自由であったほうがいいという冒頭に述べた私の考えを私は維持するが、だからといって、女性差別を許容するわけにもいかないので、「本人の本当の希望どおりの性自認が誰にも強制されずに成し遂げられるべきだ」と私は言いたい。この話は、「タバコを吸う権利は万人に認められるべきだが、タバコ自体は推奨されるべきではない」という話と構造レベルではかなりよく似た議論であると思う。どこらへんが構造レベルでよく似ているかというと、「生物学的性と性自認が不一致であってよい権利は万人に認められるべきだが、不一致自体は推奨されるべきではない」ということを私は主張しているからである。とくに今私が話題にした事例では、不一致への権利が女性差別をする悪しき人からの強制によって希求されているわけで、このような事例では、(不一致への権利は常に認めるにせよ)不一致を推奨するわけにはいかないと私は言っているのである。

生物学的男性として生まれようが生物学的女性として生まれようが、それについて他人や当事者から下される価値判断(=評価)がなるべく中立化されている(=プラスともマイナスとも言えないような評価が下される)ような社会を人は目指していくべきなのだ。

次に、性自認流動性についての話だが、これは例えば、❶「生物学的男性が突然自分の性自認が女性であると言い出し、そのまま女湯に入っていくのを許容するのか」とか❷「生物学的男性が突然自分の性自認は女性であると言い出してオリンピックの女子種目で圧勝するのを許容するのか」とか❸「生物学的男性の性犯罪者が性自認は女性であると主張して女子刑務所に送られることを許容するのか」とか❹「生物学的男性が性自認が女性であると主張した場合に女子トイレを使ってもいいのか」とか❺「十歳以下の子供が自発的に要求した場合には第二次性徴抑制剤を投与したり性転換手術を受けさせてもいいのか」といった問題設定で議論されることが多い問題だよね。これら❶から❺の論点はいわゆる「反トランス」言説を唱える論者によって言及されることが多い論点であることも注目に値する。

これらについては、自由な②性自認をどこまで⑤性役割に直結させるかという話だと思う。まず、性自認に連動させて性役割を決めてもよいと私は思う(だから、私は反トランス言説を唱える者ではない)。ただし、すぐにそれをやると混乱が起きるかもしれないので、性自認に連動させて性役割を決めてもよいという方針を取るためには、例えば❶については「各銭湯がどんな方針であることを明らかにして近隣住民の理解を得る」とか❷については「オリンピックを二個の性別でやるのをやめる」とか❸については「女子刑務所に送るが独房にする」とか❹については「男性小便器を段階的に廃止してみんなのトイレ」を普及させるとか❺については「第二次性徴後に手術しても第二次性徴前に手術したのと同じ結果が得られるような技術開発を進めるまでは、一時的に許可する」とか、さまざまな対策を事前に講じておくことができると思う。そして、これらの対策が取りうるのだから、これら❶から❺の論拠に基づいていわゆる「トランス排除」の言説に賛同していいことには決してならない。

「机が硬い」はなぜ価値判断なのか

【机が硬いことも価値判断を前提していることについてのわかりやすい証明】

Aさん「机は硬い。」

Bさん「え、でも、クラゲやタコにとっては机が硬くないかもよ?」

Aさん「うん、そうだね。じゃあ、君は机は硬くないと言えるというのかい?」

Bさん「そうさ。机は硬くないと言えるはずだ。僕が「机は硬くない」と言える場合だってあるんじゃないかな。」

Aさん「じゃあ、君は骨を大切だとは思わないということかい?僕が君から全ての骨を引っこ抜いてもいいということ?重要ではないなら文句は言わないよね。」

Bさん「いや、骨は大切さ。」

Aさん「いつも?」

Bさん「うん。常に骨は大事さ。引っこ抜かないでほしい。」

Aさん「だったら、君は常に骨を大切に思っているんだね。僕もそうだよ。」

Bさん「あ、そうか!」

Aさん「そう。骨が常に大事ならば、骨のことを大切にしているやつらの集団内でなら、「机は硬い」と、常に言わざるをえないんじゃないかな。そして、この常に言える事柄は、骨にたいする価値判断を前提しているのさ。つまり、君が「机は硬くない」と言うことは、君が君のいまの身体を大切に思う限り、できないんだよ。」

Bさん「なるほどー!」

『カラマーゾフの兄弟』に関するノート

【『カラマーゾフの兄弟』に関する基礎的なノート】

罪と罰』(1866)や『白痴』(1868)や『悪霊』(1871)を書いたロシアの文豪フョードル・ミハイロヴィチ(=ミハイルの息子)・ドストエフスキー(1821-1881)の最後の長編小説が『カラマーゾフの兄弟』(1880)である。作家の村上春樹の『海辺のカフカ』などにおけるそれをはじめとして、この『カラマーゾフの兄弟』に強烈な影響を受けた作家は数えきれない。『カラマーゾフの兄弟』は、複雑な4部構成(第1部が1〜3編、第2部が4〜6編、第3部が7〜9編、第4部が10〜12編)の長大な作品であり、この作品の「序文」によれば、続編が考えられていたらしい。『カラマーゾフの兄弟』は翻訳が全部で2000ページを越えるような大長編作品なので、多くの読者は、第二部の三男アリョーシャが綴るゾシマ長老の生涯のあたりで挫折する。ここまでまずは読破することを「ゾシマ越え」という。ちなみに、哲学者のヴィトゲンシュタインはこの『カラマーゾフの兄弟』を自身の生涯で30回も読んだらしい。劇中に挿入されているサイドストーリーの中で、もっとも有名なもののうちのひとつである「大審問官」編は第2部第5編「プロとコントラ」のとくに第5章である。また、この物語を複雑にしている要因として、アグラフェーナ(通称グルーシェニカ)という女性が、①父フョードルと、②長男ドミートリーと、③品性下劣なポーランド人将校ムッシャローウィチ、この三人の男性の間で揺れていること、そして、カラマーゾフ家の兄弟の長男であるドミートリーは、グルーシェニカのために婚約者のカテリーナを捨てようとしているのだがそのカテリーナにドミートリーは3000ルーブル借りていること、そのカテリーナとイワンは相思相愛であること、などなどに注意しなければならない。また、この物語を読むときには、「チェルマシニャー」という領地はカラマーゾフ家の遠方の領地でありつつ、ドストエフスキーの実の父親ミハイル・ドストエフスキー農奴たちによって殺された(とされることが多い)場所であることを留意せねばならない。つまり、「チェルマシニャー」という言葉は「遺産」と「父殺し」のふたつを象徴しているのだ。

【主人公は誰なのかという問題】
主人公は三男のアレクセイ・カラマーゾフであるとされているが、主人公は皮肉屋の料理人スメルジャコフという見方もある。ちなみに、主人公はイワンであるという説が最も深いと考える向きもある。いずれにせよ、父フョードルとその3人(あるいは4人)の息子たちの愛憎劇が描かれている。要するに、主人公が誰かをひとりに決める意味はあまりない。

【『カラマーゾフの兄弟』に描かれている主題】
①愛と憎しみ、
②淫蕩と純潔
③三角関係
④金銭欲と殺人
⑤悪と恥辱の関係
無神論と敬虔
⑦大地と生命
⑧父親殺し
などなど数え上げればきりが無い。

【1866年の「スコトプリゴニエフスク」が舞台】
カラマーゾフの兄弟』の舞台は19世紀後半の農奴解放令(1861)の直後である1866年(←アレクサンドル2世暗殺未遂事件が起きた年であることに注意)のまだ社会秩序が混乱したロシアの架空の田舎町「スコトプリゴニエフスク」(Skotoprigonievsk:家畜追込町)である。この街は、まだ社会構造が安定せず拝金主義と犯罪は横行している、という設定である。ただし、この「スコトプリゴニエフスク」は架空であるから、実在しない。では、そのモデルとなった街はどこかというと、ドストエフスキーは1875年から1878年1880年に「スタラヤ・ルーサ」というロシアのノヴゴロド州中部の古い実在する街に住んでおり、「スコトプリゴニエフスク」というこの架空の町のモデルは、このスタラヤ・ルーサであるとされている。

ドストエフスキーの生涯】
1821年にモスクワの慈善病院の次男として生まれる。
1838年にペテルブルク陸軍中央工兵学校に入学。
1839年に父が領地の農奴に殺害される。
1846年に処女作『貧しき人々』で華々しい作家デビュー。「第二のゴーゴリ」などと言われる。
1849年に社会主義者グループの「ぺトラシェフスキー会」のメンバーとともに逮捕される。この「ぺトラシェフスキー事件」でドストエフスキーは逮捕され、同年12月にドストエフスキーを含む21名の被告が死刑判決を受ける。12月22日、セミョーノフスキイ練兵場に引き出され、銃殺刑執行寸前のところで、皇帝ニコライ1世による恩赦の知らせが届き、死刑にかえて、シベリアのオムスクで4年間の懲役刑に処せられる。ただし、最初から直前恩赦の予定で銃殺刑が言い渡されていたらしい。
1854年にオムスク出獄。
1859年に兵役解除となり、10年ぶりにペテルブルク帰還を許される。以後、作家活動を再開。
1861年死の家の記録』を発表。
1864年地下室の手記』を発表。
1881年1月28日死去。
1881年3月1日、ロシア皇帝アレクサンドル2世が革命家によって暗殺された。ドストエフスキーはそのほんの一月ほど前に病気で亡くなった。しかし、彼が住んでいた建物の中の隣の住居には、皇帝の命を狙う「人民の意志」党のアジトがあり、テロリストたちがさかんに出入りしていたらしい。

ドストエフスキーの後期5大長編】
①『罪と罰』(1866年)
②『白痴』(1870年)
③ 『悪霊』(1872年)
→ 革命家たちによるリンチ殺人事件や、人神思想にとり憑かれた男、陵辱された少女の自殺などが描かれる。最もディープな作品は実はこれ。
④『未成年』(1875年)
⑤『カラマーゾフの兄弟』(1880年)

ドストエフスキーの父ミハイル・ドストエフスキーの死】
1839年6月、ドストエフスキーの父ミハイルが死ぬ。ミハイルの死の真相はいまだによくわかっていない。ミハイルは「チェルマシニャー」という村の領主だった。『カラマーゾフの兄弟』の中で、次男イワンは「スコトプリゴニエフスク」から遠く離れた農村チェルマシニャーを引き継ぐことになるがそれはここである。また、次男イワンと料理人スメルジャコフがこの街について言及した翌日に殺人事件が起きることも忘れてはならない。ドストエフスキーの父親ミハイルの死因は、実は他殺ではないかとされることもある。ミハイルは泥酔に見せかけて窒息死させられていたらしい。この件について、ミハイルは自分の領地の農奴に殺されたのだ、という噂は当時から広く流布していた。 ドストエフスキーの父ミハイルは、元軍医で、領民である農奴たちに対して非常に残酷な人物で、農奴の子女をレイプしたりしていたらしい。これは若き理想主義者のドストエフスキーにとって耐えがたいことであった。

ドストエフスキーと父的なものの関係】
カラマーゾフの兄弟』における「父親殺し」の主題とは、①家庭の父、②国家の父(すなわち皇帝)と、③人類の父(すなわち神)の3層を含んでいるという解釈がある。父ミハイルが死んだとき、ドストエフスキーはまだ18歳であった。この時、サンクトペテルブルクで学生生活を送っていたドストエフスキーは父の死を知らされると激しい癲癇(てんかん)の発作を起こしたらしい。フロイトが有名な論文「ドストエフスキーと父親殺し」という1928年の論文で分析するところの「ヒステリー発作」である。この父の死によって、ある意味でドストエフスキーは解放を味わったのだろうとされている。その後ドストエフスキーは『貧しき人々』(1846)で作家デビューを果たしたのち社会主義思想青年の会合「ミハイル・ペトラシェフスキーの会」に接近していく。貧富の差の拡大に抵抗する活動をしているうちにドストエフスキーは危険分子とみなされ、1849年、28歳で仲間と共に「反逆罪」で逮捕されて死刑判決が下される。しかし銃殺執行直前にドストエフスキーはニコライ1世から恩赦されて4年間のシベリアのオムスクへと流刑となる。1858年にペテルブルグに帰還する。刑期を終えてからのドストエフスキーは、革命運動からは手を引き、「理想主義的社会主義者」から「キリスト教人道主義者」へと転身し(たとされていて)、作家活動に入るが、それでも皇帝権力からの手紙の検閲などは生涯続いた。重度の賭博癖と恍惚感を伴う「てんかん発作」も生涯続いた。雑誌では、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を絶賛したり「プーシキン論」を書いたり「反ユダヤ主義」や「ロシアメシアニズム」を唱えたりもした。ロシアの父である皇帝(ツァーリ)(の権力)と自分の緊張関係(あるいは和解)と、そして、父ミハイルと自分との関係(あるいは和解)がドストエフスキーにとって極めて重要であった。ドストエフスキーは歳をとるにつれて皇帝派にすりよっているように見えるが、「カラマーゾフ万歳!」というシュプレヒコールで『カラマーゾフの兄弟』を終えているのは流石である。というのは、「アレクサンドル2世暗殺未遂事件」(1866)の主犯の名前は「ドミートリー・カラコーゾフ」だったのであり、しかもそのシュプレヒコールを叫ぶのは熱狂的社会主義者の若者コーリャ・クラソートキンなのだから。そもそも、この「父親殺し」という主題を拡大解釈すると「国民の父」、すなわち「皇帝殺し」に繋がるという読み筋はふつうにありえたわけだ。実際、ソ連ドストエフスキー学者のグロスマンは予告はされていたが書かれることのなかった『カラマーゾフの兄弟』の続編において「アリョーシャはアレクサンドル二世の暗殺計画に加わり断頭台に登る」と推定している。『カラマーゾフの兄弟』発表(1880)の1年後、つまり1881年3月1日、ロシア皇帝アレクサンドル2世が革命家によって実際に暗殺される事件が起きていることは非常に興味深い。


【田舎地主のフョードル・カラマーゾフ
強欲でアルコール依存症で、無類の女好きで守銭奴。離婚してから彼は3人(あるいは4人)の息子たちと別れて暮らしている。スメルジャコフを息子ということにするなら息子は4人だが、そこが問題なのである。商人サムソーノフの妾であるグルーシェニカが好き。総資産は12万ルーブルであり、その遺産が愛憎の元になっている。彼は物語の中で撲殺される。

【長男ドミートリー・カラマーゾフ
息子たちのうちの長男がドミートリー・カラマーゾフ。1866年4月4日,ロシア皇帝アレクサンドル2世が狙撃された事件の首謀者の名前がドミートリ・カラコーゾフDmitrii Vladimilovich Karakozov(1840‐66)であることを考えるといかにこの名前がギリギリの名前かがよく分かる。ドミートリーの愛称は「ミーチャ」。熱血漢の元将校で非常に切れやすい。父とグルーシェニカをめぐって争っており、父フョードルと仲がとても悪い。父フョードルと長男ドミートリーの仲がどのくらい悪いかというと、父が長男ドミートリーを『群盗』というシラーの戯曲に登場する「父を裏切る息子」であるフランツ・モールに喩えるくらい仲が悪い。しかも、愛憎を複雑にするのは、長男ドミートリーがグルーシェニカに恋するあまりに捨てようとしているドミトリーの婚約者カテリーナのことを次男のイワンが好きなのだ。長男ドミートリーは3000ルーブルをカテリーナに借りており、これを返すためにお金が必要で、父親の財産をあてにしている。よって長男ドミートリーに父親を殺す動機は十分にある。最終的に彼の情熱にほだされたグルーシェニカとついにモークロエ村で相思相愛になる。最終的に、ドミートリーは「馬車の中から火事で焼け出された女性たちと赤子とグルーシェニカにまつわる神秘的な夢」を見て、「すべての人間の中で最も下劣な悪党は私だ」と判事たちに宣言し、「私は無実だが、父を殺したいと思ったのだから罰を受け入れる」と宣言して20年のシベリア流刑に処される。

【ポイント:二系統の母親】
長男のドミトリーの母親はアデライーダ(金持ちで、フョードルを捨てて駆け落ちする情熱的な女性)。次男イワンと三男アレクセイの母親はソフィア(敬虔で静かな女性)。カラマーゾフの兄弟のうち長男だけ母親が情熱的で、次男と三男は母親が敬虔的である。

【次男イワン・カラマーゾフ
次男がイワン・カラマーゾフ。愛称はワーニャ。ただし、次男イワンだけは、愛称で呼ばれることは基本的にない。イワンは無神論者(とされる)。スメルジャコフ曰く「父フョードル・カラマーゾフに最もよく似て欲深いのはイワン」らしい。モスクワで活躍する批評家。劇中で「大審問官」という叙事詩を述べる。ドミトリーの婚約者のカテリーナが好き。しかも、カテリーナもイワンのことが好き。次男イワンは「大審問官」において、「地上の不幸に神が手を差し伸べないこと」に激しい怒りを表明しておきながら、他方で、これから殺されようとしている階下の自分の父親の足音を聞いていながら、父がこれから殺されようとしているのを分かっていてそれを許容してしまう。なぜなら、彼は自分の父親が死んだらいいとどこかで思っていたからだ。それを癲癇で病室にいるスメルジャコフに指摘された時、彼は激昂することになる。そして最終的にイワンは狂気に落ちていく。

【イワンと「大審問官」】
イワンは、「大審問官」という叙事詩を作中で語り始める。物語詩「大審問官」の舞台は異端審問が吹き荒れる中世末期のスペインのセビリヤである。大審問官は自分は反キリストであるとキリストに宣言する。

【三男アレクセイ・カラマーゾフ
三男はアレクセイ・カラマーゾフ。三男アレクセイが『カラマーゾフの兄弟』の主人公(ということになっているが、実際問題主人公はスメルジャコフという見方もできる。もっと深く読むならばこの物語の主人公はイワンだともされる)。アレクセイの通称が「アリョーシャ」。アレクセイは、ゾシマ長老がいる修道院に通う修道僧である。アレクセイは穏やかで優しく、人に悪意を抱かず、欠点だらけの父親や兄たちを愛している。大金持ちで美人な未亡人、ホフラコワ夫人の一人娘であり、小児麻痺が原因で、車いすの生活をしている女性リーズと相思相愛の関係にある。ドミトリーに侮辱された過去のある退役した二等大尉スネギリョフ(←誇り高い軍人だったが自尊心を完膚なきまでに叩きのめされていて、貧しい)の息子で、アリョーシャの指を川辺で噛んだ地元の子供イリューシャ(←この子は物語の終盤に若くして死んでしまう)と、その師である社会主義者のコーリャ・クラソートキンに、アリョーシャは尊敬されている。ゾシマ長老の死後に、アリョーシャはゾシマ長老の一代記(伝記)を書くことになる。当時のロシアの伝説では、「聖人の死体は腐らない」はずだったのに、尊敬する師匠ゾシマ長老の死体が速やかに腐り、アリョーシャは信仰のゆらぎに直面する。絶望しかけたアリョーシャは、ドミートリーを翻弄しているかに見えたグルーシェニカに出会い、彼女の中に純粋な魂を見出す。その後、棺の傍らでゾシマ長老の夢をみて、ゾシマ長老から促されたアリョーシャは歓喜に満たされ、打たれたように大地と口づけをする。ロシア的土壌主義の力で精神的に復活した(とされる)。ちなみに、ゾシマ長老の「長老」とは、ロシア正教会の高位の僧が持つ尊称で、ゾシマ長老は三男であるアレクセイの精神的な父であり師匠である。

【四男(とされうる)スメルジャコフ(パーヴェル・フョードロウィチ)】
農奴のことをロシア語で「スメルド」という。ドストエフスキーの父は「チェルマシニャー」で農奴に殺されたことが思い出される。父フョードル・カラマーゾフは、次男イワンが「俺はチェルマシニャーに行く」とスメルジャコフに言ったその日の夜に殺された。この暗示の意味はもはや明白である。スメルジャコフは、カラマーゾフ家の料理人。母親はリザベータ・スメルジャーシチャヤ。スメルジャコフは料理人なのもあって潔癖症。スメルジャコフは、父フョードルの支援を受けてモスクワに料理修行に行って帰ってくるとかなり老けこんでおり、「「虚勢派」(=ロシア正教からまったく独立した異端宗派)の宗徒のようだった」とされている。「虚勢派」は性器を切除して神との一体化を目指すため、皇帝権力からしても脅威であったとされている。スメルジャコフは、フョードルの4人目の息子というか庶子かもしれないのだが、カラマーゾフ家の召使として扱われている。スメルジャコフは次男のイワンに、強い影響を受けている。そもそも、スメルジャコフの誕生からして暗示に満ちていて、長年、カラマーゾフ家に仕えている召使夫婦である下男グリゴーリイとその妻マルファの間に6本指の赤ん坊が生まれるのだが、その赤ん坊が生後2週間で死亡し、その赤ん坊が死亡した日の夜中にカラマーゾフ家の風呂場に迷い込んだスメルジャーシチャヤという死にかけの女が風呂場で産み落とした赤ん坊がスメルジャコフなのだ。そしてグリゴーリィとマルファがスメルジャコフの育ての親となる。ちなみに、パーヴェル(=名前)・スメルジャコフ(=臭い男)・フョードルヴィチ(=フョードルの息子)は、カラマーゾフ家の敷地内で産まれたが、父フョードルの息子かどうかについては議論がある。「カラマーゾフ」と名がついた者は、みんな生命的だが、「スメルジャコフ」は虚勢的で非生命的であるし、名前にも「カラマーゾフ」とついていない。最終的に、真犯人探しの裁判が始まると彼は癲癇(てんかん)の発作で倒れる。靴下の中に3000ルーブル隠している。イワンに3000ルーブルを返してスメルジャコフは首吊り自殺。

【フョードルの死】
フョードルが何者かに撲殺され、3000ルーブルが奪われる。同日の夜、カラマーゾフ家の召使グリゴーリィは、塀を乗り越えて逃げ出すドミートリーを見つけるが、ドミートリーに殴り倒され気絶する。ドミートリーは血まみれで商店に行き食物や酒を買い込む。ドミートリーが向かった村の宿では、グルーシェニカが、昔の恋人ムッシャローウィチと再会していた。ドミートリーは、自分がグリゴーリィを殺したと思っている。警察官と検事がやってきてドミートリィを父親殺しの罪で逮捕し、ドミートリィは、自分は父フョードルは殺していないと言うが信じてもらえない。ドミートリー裁判にかけられる。一方真犯人のスメルジャコフはイワンに、「あなたにそそのかされたのだ」という。スメルジャコフは、イワンの「神も不死もなければ全ては許される」という無神論にそそのかされて実行しただけだと言い、イワンこそ主犯だと言い、そして自殺する。イワンは彼の言葉によって自分自身の隠された欲望に気づいて狂気へと追い込まれる。イワンはスメルジャコフの告白に戦慄し、自分が従犯として訴えられることを覚悟のうえでイワンは法廷で真実を話すが、誰にも信じてもらえない。イワンを愛するカテリーナが、イワンをかばうために、ドミートリーが酔って「父を殺してやる」と書いた文書を提出したため、ドミートリーの有罪が確定する。

【第2部第5編「プロとコントラ」第5章:大審問官】
作中叙事詩「大審問官」は、16世紀のスペインが舞台で、異端審問の時代。大審問官と復活したキリストが対峙する。大審問官は「人間は自由の重荷に耐えられない生き物であり、自由と引き換えにパンを与えてくれる者に従うのだ」と主張する。これは20世紀の全体主義の問題を予言するかのような問題提起だった。そもそも福音書のマタイ伝には「人はパンのみに生くるにあらず」とある。しかし、大審問官は地上のパンの大切さを確信している老獪な人物である。「聞くがいい。我々はお前とではなく「あれ」とともにいるのだ。これが我々の秘密だ。我々はもうだいぶ前からお前につかず、「あれ」についている。」と大審問官はキリストに言い放つ。ここでいう「あれ」とは悪魔のことである。キリストは、大審問官に敗北を認めつつ大審問官に口づけをする。その瞬間、大審問官の心は燃え上がる。イワンは、「大審問官」の中で「神がいなければ全てが許されるのではないか」「神がいるならなぜ世界に悪がこれほどはびこっているのか。」「神が創った世界は調和に満ちているなら、なぜこれほど世界には幼児虐待があるのか。」とアリョーシャに問いかける。アリョーシャは、その問いかけを受けて、ただイワンに口づけする。それはキリストが大審問官にした行為と同じであった。


【『カラマーゾフの兄弟』の何が興味深いのか】
カラマーゾフの兄弟』の興味深さは、「イワンではなくむしろアリョーシャこそが現実主義者である」、という点だろう。ドストエフスキーは、「アレクセイこそが現実主義者だ」と言っている。つまり、ドストエフスキーは人間の心を本当の意味で見抜いているのはイワンではなく実はアレクセイだと言っているのだ。『カラマーゾフの兄弟』のまさにここが根本的である。なぜなら、無神論者のイワンが現実主義者で、修道僧のアレクセイが理想主義者だという解釈に誰しも引きずられるからだ。しかし、それがちょうど逆なのである。ここが端的に深い。というのも、「大審問官」は次男イワンが作った作り話なのである。それなのに、その劇中物語「大審問官」の中に、大審問官がキリストに敗北宣言をされつつ、最後にキリストにキスをされ、なぜか一瞬大審問官の心が燃え上がるようなシーンがあるのだ。なぜイワンは、自分で作った反キリスト的な話に信仰のかけらを潜ませてしまったのか。イワンが、実は自分の信仰を否定しつつもそれを捨てきれていないことをアリョーシャは見抜いていて、それでアリョーシャはイワンにキスをするのである。アリョーシャはイワンの心に信仰が残っていることを見抜いたから、そこに賭けようとしてキスをするのである。対するイワンは、この「大審問官」において、一方で「地上の不幸に神が手を差し伸べないこと」に対する激しい怒りを表明しておきながら、他方で、これから殺されようとしている自分の父親に対しては、彼がこれから殺されようとしているのを分かっていながらそれを許容してしまう。つまり、イワンは冷静で知的に理論武装しているように見えるが、実は弱さと不安と欲望を抱えているのだ。

 

ドストエフスキーに影響を受けたとされている作家】

埴谷雄高の『死霊』
加賀乙彦の『宣告』
高村薫の『照柿』
大江健三郎の『さようなら、私の本よ』
島田雅彦
鹿島田真希の『ゼロの王国』は『白痴』を踏まえた長編

松永澄夫氏の諸著作からの印象に残る引用

0.【松永哲学のキーワード】
①質的差異
②価値的没入
③かまえ
④6つの価値問題圏
⑤価値文脈
⑥正負大小の価値
⑦重層的複層性
⑧秩序創出の要求
⑨予断的前提
⑩ミーシー、漏れなくダブりなく、そして順序よく
⑪技術的関心
⑫価値当事者と価値評価者の区別。価値当事者とは価値文脈を発生させる者のことで価値評価者とは価値を付与する者のこと。
潜在的で不可解な自然の仕組み
⑭未来の価値の現在化、過去が全く過去の資格で現在で力を揮うこと
⑮地図の地図としての自己の複数性
⑯対象的意識と様態的意識
⑰感覚空間と知覚空間と運動空間の区別:運動空間は知覚空間を可能にし、知覚空間は運動空間を先取りする。
⑱知覚の空間規定が育つことで運動空間内に位置規定を複数経路で得られるようになりこれが秩序の始まりでありこの秩序創出こそが人にとって価値なのであり確かな存在である
⑲知覚の現在から行動の時間への引き継ぎ
⑳「もしもそこまで歩いていけば」と言えるようになっていることの重要性
㉑純粋な現れかにみえたものは、実は価値に浸透された感情(=想い)のことであり、それは他者を秘めているということ
㉒身体としての私にとっての現実性と、想いとしての私にとっての現実性の区別
㉓生存の舞台としての世界
㉔雰囲気的熟知性
㉕行為の模倣されることによる分解と「やりながらわかってくること(行為遂行によって確定していくような各行為の意味)」
㉖神秘的な自然の仕組みを理解するとは、自明性という価値を失うことで操作可能性という価値を手にすること
㉗知覚の第一様態、第二様態、第三様態
㉘知覚の公共性と感覚の私秘性、体に外在的なものを発見する知覚と体自身の現象形式としての感覚
㉙知覚と常に同時にある感覚は身体のオウナーシップを告げる
㉚分節的知覚様態
㉛匂いを頼りに獲物を追う動物と足跡を頼りに獲物を追う人間の違いは想像が現に知覚されている内容を横方向に離れられるかどうかが異なる
自然淘汰が働かないほどに環境を改変できるのが人間
㉝犬が吠えるのは来訪者が来た徴、苺が赤いのは熟して甘い徴、チューリップの球根を植えたところに棒を立てるのは標、お坊さんの袈裟や王冠や三種の神器は標だが、左官屋の服は徴
㉞感受の強い形が感情
㉟人は物的事象だけではなく「意味事象にも価値を見出して生きる」
㊱知覚即行動が第一の知覚様態、分節的知覚様態が第二の知覚様態、知覚に没入するのが第三の知覚様態

㊲人間においては潜在性の次元が意味事態として作用する力をもつ

㊳松永哲学は発生の論理的順序と発見の経験的順序を区別する

 

 

1.【主体の成立】

「主体は、或る価値文脈のもとで環境内の何らかのものを選択的に行動の客体(相手)とすることによって成立する。確かに、たとえば外気温の低下に、私たちの体は熱産生で対応する。けれども、これは体の内部の事柄で、外部の何かをどうにかしようとする行動ではない。睡眠時にしている呼吸も、外界との遣り取りではあるが、空気は体の周りに溢れ、既に満たされていて、選ぶ必要がない。鼻や口をふさがなければ、いつでも呼吸はできる。だから、まるでその価値を問題にしなくてよいかのようである(鉱山や医療の現場などでは別だが、生きているときには空気ないし酸素が既に供給されているという前提がある。空気は間断なく不可欠のものであるから)。外部世界の何かを選別的に価値評価し、それを相手の、体が一丸となった行動の必要性がないところ、主体はまさに眠っている。」(松永澄夫著「環境に対する要求と設計の主体」p.10)

 

2.【詩人は自分にかまけている】

「自分を包む庭が沢山のことを語りかけると詩人は言う。だが、それは詩人が投げ入れた言葉を庭のうちに聴き取っているだけ、幸福な夢のヴェールが詩人を護っているときだけなのだと思われる。詩人というものは、結局は自分にかまけている存在なのだ。」(松永澄夫著「言葉と感情」『言葉の歓び・哀しみ』所収、p.41)

 

3.【意味が感情を喚起することによる価値の付着】

「感情はさまざまな価値事象のマグマとなる。ものの世界も、人間関係構築のために利用されるものとしての諸価値を与えられるようになる。意味世界を構築するさまざまな事柄は、意味とともに価値を携えていると先に述べたが、そこにも、意味が感情を喚起することによる価値の付着を考えねばならず、逆に、価値的要素が感情を動かすことも考えるべきである。感情は人間関係から生まれ、その後、人が関わるあらゆる事柄が感情のら動きの契機となり、感情が事柄を染めていく。」(松永澄夫著「眼差しを見せる」p.11)

 

4.【哲学は問いの亢進によって始まる】

「行為を選ぶことにおいて、人がささやかなりと自分の在り方を選ぶのであることも間違いない。確かに、石を手に入れるか否かの選択が、自分が商人であるか否かの選択にまで及ぶわけではない。むしろ、諸々の行為の積み重ねは、その人が商人であることをますます自明なことにしてゆく。しかし、時に私の行為の選択が行為者としての私自身の深いところでの選択に直結する場合もある。それまで自明に保持してきた自分を揺り動かすこともないわけではない。そして、そのような種類の選択の前の問いの状況、ここに日常性のうちに潜んでいた哲学の欲求の目覚め、覚醒の余地がある。問う自分自身を巻き込む問い、それゆえに答える自分に関する内容を含むものでなければ答として通用しない問い、この問いとともに哲学が生まれる。そして、そのような問いは私が自明性と呼んだものの消失と結びついている」(松永澄夫著「哲学の覚醒」p.69)

 

5.【ナメクジの知覚は分節的知覚様態ではない】

「人間を除く動物は恐らく、知覚の種類ごとに異なる内容のそれぞれに応じて或る行動を為すと思われるのですが、人間の最も一般的な知覚様態ではそうではありません。私たちは、異なる知覚種によって手に入れる内容を一つの知覚対象のさまざまな知覚的質として捉えることをします。多くの知覚種によって捉えることができる対象の例として、人が作るもので自然のものではありませんが、煮えたっているカレーを取りましょう。或る匂いがしてきて、ふつふつと音も聞こえ、匂いや音がする方を見ると辛子色のものが見え、お皿によそって食べると熱々で、或る味がします。色も匂いも音も熱さも味もカレーの性質だという捉えを私たちはしますね。私たちは異なる知覚種によって得る内容を一つのもの(カレー)の異なる性質だと捉えるのです。これは、「何かと・その何かのさまざまな性質」という仕方での知覚ですので、「分節的知覚様態」と呼ぶのが適切です。翻ってナメクジが或る匂いを嗅いで動いてゆくとはどのようなことか考えてみましょう。ナメクジは匂いを苺の匂いとして捉えてはいないと思います。ひたすら匂いが強まる方向に進み、その結果苺に到達し、今度は苺を囓ります。囓るという新たな行動は囓る相手との接触によって生じる知覚内容(そして恐らくナメクジ自身において生じる或る感覚のようなもの)によって促されます。行動が止むのは何か危険を察知したとき、それから言うなれば満腹したときでしょう。以上のことは私がナメクジについて研究した人の報告も踏まえ、推測して、しかも擬人的表現も交えないわけにはゆかない仕方で述べていることです。ですが、人間の知覚仕方の特性を理解するための対比としては役立つと思います。(実はあと二つの知覚様態が人間にはあります。一つは元々の知覚機能の発生の理屈に沿ったもので、たとえば背後で大きな音がするなら直ちに人はぎくっとするし、振り向いたりするでしょう。尤も、振り向くというのは何が音を出したのかを見て確かめようとするのですから、この様態は、以上に述べた知覚様態へと直ぐに移行します。そしてもう一つ、綺麗な色、あるいはさまざまな色の配置にうっとりするとか、匂いを味わうとかして、その色が何の色か、味わっているのは何の匂いなのかを全く気にせずに知覚的質だけが前面に出るという知覚様態もあります。)」(松永澄夫著『生きること、そして哲学すること』p.105-p.106)

 

6.【知覚されうる物的環境内の事象どうしの横の関係を捉える人間の知覚】

「現に知覚している内容Aに向き合うのではなくそこから離れて横の関係にある別のBに向かうというのは特異なことなのです。動物では決してこのようなことは見られません。」(松永澄夫著『生きること、そして哲学すること』p.110)

 

7.【志向項なき感情こそ内面の本体であり最奥の存在】

「人の存在とは、他の現実の事柄と同じように時間的なもので、現在にどうあるかこそが存在の内容そのことです。では、各人が現在あるということに内容を与えているものは何か。最初に、内面の事柄としての、考えたり想像したり意欲したりということですが、これらは、何かを考え、何かを想像し、何かを意欲していることで、その何か無しには無内容です。しかるにその何か、想像されたりするものは、考える、想像する、意欲することが消えれば消えるものです。ですから、その何かは意味次元の事柄、意味事象でしかありません。他方、感情ばかりはそれ自体が人の内面を満たします。想像される感情は想像することをやめれば消えますが、感情そのものではそのようなことはありません。感情こそ内面の本体というか、最奥の存在です。(因みに、見たり嗅いだりする内容は人の外の事柄という位置付けになっていますし、痛いとか怠いとかは体のことという位置付けです。)」(松永澄夫著『生きること、そして哲学すること』p.275-p.276)

 

8.【松永の生活哲学主義】

「大事なのは、私たちは静かさの中の思索から行動へ、哲学から生活へ、返るのだということである。哲学的思索そのことが生活に優先する価値をもつと妄想することは、己を発生させ、支えるものを軽んじる嗤うべき態度、転倒であり、独善である。思索が位置づくべき生活では、為すべきさまざまなことがある。それは思索にとっての雑事では断じてない。そうして、しばしば「雑事」という蔑称のもとで呼ばれることもある事柄、これなしに人の生はなく、思索すべき材料もない。」(松永澄夫著「生活と思索と言葉」p.35)

 

9.【価値の強い感受が感情である】

「想いとは意味的なもので、それは必ずや或る価値を帯びていて、その価値の感受が、ないしは強い感受が感情に他なりません。」(松永澄夫著『生きること、そして哲学すること』p.277)

 

10.【哲学はなぜ役に立つのか】

「人は、大きな事故に遭う、大病をする、大事だと思う人間関係が全くうまくゆかない、失業し、その後に仕事に有りつけない、自分の大切な人が不幸であるように思え、その人をその境遇から抜け出させたくても自分には何もできない、酷い孤独感を覚える、無力感ばかり覚える、何もしたくない、何のために生きているんだろうと問うてばかりいる、自分のことを認めてくれる人は誰もいない等々に、人生の過程で見舞われないとは限りません。そのとき、それでも生きるとはよいものだと思えるし、そう思うことで新しい一歩が踏み出せる、それを可能にするのは何かを私は考えていて、そこに希望を託しています。どういうことかというと、そのような現実が生まれる理屈を理解することで、新しい現実を引き寄せる術を手に入れ得るのだということです。物事を理解するとは、その物事がなぜそのようなものとしてあるかを理解することで、すると、あらゆる事柄は理由あってあるものだから受け入れるしかないと、このように保守的な営みであるかにみえます。しかし、そうではないのです。それら生まれているものに関してその生まれた理由と生まれ方とが分かれば、それらに対してどのような態度を取るのが自分にとって望ましいかが分かってくる、こちらの方にこそ要点があります。また、その生まれ方を転用して別の事柄が生じるようにし向けることもできます。」(松永澄夫著『生きること、そして哲学すること』p.308)

 

11.【トマトでさえ意味づけが力を持つ、いわんや自己像をや】

「自分を現にどのような世界のどのような人間として捉えているのか、それも必ずしもいわゆる客観的ないし中立的な捉えではなく、単なる或る世界像――自分が生きる意味世界の或る像――と自己像でしかないということも理解することができます。そして世界像と自己像とは別ものでありながら、互いに影響し合うものです。自己像とは各人にとって極めて重要なものですが、自己の一つの象りでしかなく、意味事象に過ぎないとも言えます。そしてこれらのことを理解すると、人は、己が現在持っている世界像も自己像も、その時点で自分が重きを置いているそれぞれ一つの像、意味事象でしかないことに気づき、別の像を持つことも可能になります。意味事象であるとは意味づけでもあるということです。そして意味は人にあって力を持つものです。アメリカの最高裁がトマトを果物ではなく野菜と認定したとき、それも意味づけで、トマトに関税を課すことができるようになりましたが、トマトの新しい意味づけに馴れて野菜とイメージするようになった人々は、果物のようにそのまま食べるだけのことをやめて、さまざまな料理の食材として使い始めたのかも知れません。物の意味づけですらこのような効果を有します。それが自己像という意味事象として自分自身を意味づけるものであったら、その力は非常に大きい。トマトは時々目にするだけですし、手に入れることはもっと少ない。けれども自己はいつでも居る自分自身です。たとえば自分は三日坊主だとの想いは、何かやってみようと思っても、どうせ長続きしないからやめとこう、と自分を縛ってしまいます。そして自己像の形成はというと、誰かから「君は優柔不断だからな」と言われる、あるいはそう言われているらしいのを耳にすると、そうだよね、と、幾つか自分が直ぐには決められなかったことだけを多く想い出して、頷いてしまい、優柔不断な人間という内容の自己像が生まれる、そのようなものなのです。すると、いろんなことをさっさと決めている自分もいるのに、そちらの方には目がゆかなくなる。」(松永澄夫著『生きること、そして哲学すること』p.310-p.311)

 

12.【政治が経済を可能にする】

経済の在り方が政治の在り方を決める、という思想もあるが、人間社会のサイズが大きくなる過程では、まずは政治的事柄が先だって社会の秩序をつくり、今日の言葉で経済と呼ぶものは、あとからやってくる。ないし、埋め込まれた状態から自律的なものとして立ちあがってくる。また、そのような立ち上がりのあとでも、政治の枠組みなしに経済の安定はない。(松永澄夫著『食を料理する―哲学的考察[増補版]』p.53)

 

13.【知覚や感覚という意識のステージ】

「では、意識とは何か。これを明確に限定するのは難しい作業になる。ここでは、これまでずっと問題にしてきたプロセス、すなわち価値的に重要な諸事象に関わる体の内外の変動を受けて生体がそれに対して適切な対処をすることで終わるというプロセス、この大枠の中で、プロセスの進行における或る自由度の出現として意識を考えてみたい。実際、知覚や感覚という意識のステージとは、プロセスの中に現われた、ただ流れてゆく進行のみでなく立ち留まりが出現したときのステージである。それは、適切な対処というプロセスの終点にまで未だ至らない段階で、いわば素通りされずに自己主張する内容をもつ。そうして、その立ち留まりによって諸事象への最終的な対処の在り方は大きな自由度を獲得し、かつ、対処をプログラムに従った遂行とせずに、課題としての行動の位置に引き上げる。プロセスにおけるためらいの契機、もしくは問いの出現だと考えてもいい。あるいは、別の言い方で、こう表現してもよいだろう。知覚や感覚の経験において初めて、単に刺激に反応するのでなく、真の意味で諸事象についての情報を情報として受け止める主体が立ち上がり、対応して、刺激でなく、刺激を発する源としての事敵が初めて、知覚される対象の地位を獲得する。」(松永澄夫著『食を料理する―哲学的考察[増補版]』p.83)

 

14.【梃子と人体】

「私たちには、自分の体に準じた構造を持つものが扱いやすいのである。それは固体であり、サイズも体に見合ったものである。また、私たち自身が関節で結合された内骨格をもっていて梃子の原理を使った運動をするゆえに、私たちの最初の道具も、梃子などの力学的なものであったのである。」(松永澄夫著『食を料理する―哲学的考察[増補版]』p.88)

 

15.【人体の梃子が力学を方向づけた】

「力学の始まりは、内骨格をもつ私たちの体の運動が、梃子の原理を利用していることによって方向づけられています。体の運動は弾丸のように一丸となった運動ではありません。体の局部互いの位置関係を、配置は元のままだが、少し変えることでなすもので、また、体の運動に抵抗する外部の物との関係においてなされるものです。」(松永澄夫著「生じることと生じさせることとの間」p.9)

 

16.【美味しいという言葉の二義性】

「空腹のあとで食べてお腹一杯になり、「ああ、美味しかった」と言う場合の中身には用心する必要がある。美味しい味がした、とは限らないからだ。余りに夢中でがつがつ食べて、どんな味の食べ物だったか分からない、ということもある。それでも、その食べ物が「美味しかった」と表現されることは多いであろう。「美味しい」、これは食べることによって得られる満足の一般的表現として通用する。そして、強い空腹を癒すことによる食べることの満足の場合、味覚は補助的位置しか占めていない。」(松永澄夫著『食を料理する―哲学的考察[増補版]』p.159)

 

17.【知覚の空間規定の前景化と後景化】

「知覚において第一に重要なのは、知覚されるものの空間規定である。その空間とは、知覚する側の動物や人間もまた位置し、その体を移動させ得る空間である。知覚対象と体との位置関係の把握が知覚において重要なのである。そして、重要なのはなぜかと言うと、そのものと体とが交渉をもつことがある場合に、その交渉が重要な意味を持つであろうからである。そして、交渉がある場合には、そのものと体との距離が零になる(もしくは媒体が距離を埋める)のだから、距離と方向からなる位置関係の把握が重要となる。けれども、私たちは音を、音の出所に関心をもたずに楽しむこともする。せせらぎの音、鳥の囀りを、耳に心地よく聞く経験を想い浮かべよう。もちろん、私たちは、聞きながら、あの谷川の水の音、空高いところで舞うヒバリ、薮でガサゴソ動いているに違いないコジュケイの鳴き声だと認識もする。しかし、水音と鳥の声とが溶け合うように聞こえる、あるいはそのように聞くとき、音の出所とそれらの空間配置はどうでもよくなってくる。」(松永澄夫著『食を料理する―哲学的考察[増補版]』p.164)

 

18.【味覚の特徴】

「味覚は、人間では、味を味わうそのことの楽しみのためにこそ発揮される場合が圧倒的に多いこと、このことが確認できる。つまり、音を出すものや事象、また色のついたもの・事象への関心に従属することから解放されて、音を音そのものとして、色を色そのものとして、聞いたり見たりするという、聴覚や視覚の場合には、いつでもそういうふうにあるわけにはゆかない在り方が、味覚では普通の在り方だということである。」(松永澄夫著『食を料理する―哲学的考察[増補版]』p.167)

 

19.【知覚の本来の役割】

「一般に知覚的質が知覚対象の把握への通路として経験されることを離れ、従って知覚対象の性質として知覚対象に帰属させられることから開放されて、質自体として享受されるということが人間にはある。そして、知覚の一種である味覚における質の経験には、特にその傾向があるのである。というのも、一般に知覚的質の経験は、その質をもった物を弁別的に発見し、物についての情報を与えながらその物を相手に必要な行動へと引き継がれるのが本来の役割であったのが、味覚においては既に食物という知覚対象との交渉関係が始まっていて、そこで、食べることの続行か否かという問題に指示を与えることに知覚の役割は縮小しているからである。」(松永澄夫著『食を料理する―哲学的考察[増補版]』p.236)

 

20.【なぜ無為の時間は成立したのか】

「そもそも、質がそれ自体として注意を惹き、物の属性としての身分(痛みのような感覚的質の場合は肉体の或る在りようを示すものとしての身分)から解放されることは、人間が行動への従属から解放されて、豊かな内容をもつ無為の時間をもつようになったことを示す。(ついでながら、そのような質を自ら作り出そうとすることが、芸術の発生につながる。ただし、味という質を中核とする経験の、芸術への移行契機は弱く、料理が芸術たらんとしたときにも芸術の諸ジャンルの中では周辺的に留まる。これには、二つの理由がある。一つには、味覚は他の経験よりは、空腹や渇きなどの生理的欲求に繋がれやすいこと、二つには、質の享受が物の消費と一体になっていて、物の構造に依拠した様式化が困難であることである。)このような豊かな無為の時間の経験の成立を可能にしたのは何なのかを言うのは難しい。が、私見では、人間は人と向き合う存在で、人の力を情動のレヴェルで受け取るものであり、その結果、新しい時間のリズムが生理的リズムの上にかぶさってくる、ここに出発点がある。刺激に条件づけられた行動は中断ないし遅延させられ、無為の時間が情動や情緒で満たされ豊かになる。他方で行動の開始が特異時点として大きな意義をもち始め、そこに欲求の意志への転換の始まりがあり、更に問いの構造とともに意志が確立してくる。」(松永澄夫著『食を料理する―哲学的考察[増補版]』p.237-p.238)

 

21.【滋味は複雑な味ではないから教養主義的にならない】
「ちなみに、「滋味」という言葉がある。「滋養」のあるものは一般に美味しい。目立つ、派手な美味しさでなく、着実にというか、振り返れば美味しいというか、外れなく誰にでも美味しい。病気からの回復時に、日常の主食としている米やパンの美味しさが更めて分かるということがある。これは、いわゆる複雑な味ではないし、また「珍味」でもない。」(松永澄夫著『食を料理する―哲学的考察[増補版]』p.240)

 

22.【時間の観念を初めて意識するのは食事の時間】

「私たちの誰もが、人と人との交わりに入っていった最初は、食事を通してのはずである。そして、時間の観念を初めて意識するのも、食事の時間であったであろう。(人との交わりと時間の区切りと、これら二つの事柄には密接な関係がある。というのも、人間関係の介入なしには、自然の時間の流れが意識されるとは限らないからである。暑くなる昼、暗くなる夕方、夜、そういったものも、それぞれの時間で人が何をなすのか、それも人々の間で決まる事柄に関与して何をいつ為すのか、という経験を積むことを通じて、ただ移り過ぎてゆくのでなく区分された時間として把握されてくる、このような道筋を考えることは、動物である人間が人となることとはどのようなことかを考える上で重要である。暦をつくり時計を工夫するのは人間だけである。)目覚めた時間のすべてが遊ぶことで構成される幼児が、自己への没入から呼び戻され、人に向き合わされ、人から働きかけられ人々が生み出す諸感情の場に浸されるのは、多く食事の時間においてである。そして、その食べることと言えば、それは元々が歓びをもたらす情的側面をももつ事柄である。かくて、幼児は、欲する食べ物を与えられるという事柄を基盤にしながら、人々と情緒的関係を結んでゆく。食事の時間を骨組みに、目覚めた時間はメリハリを与えられる。食事の時間とは、食事を共にする人々が互いに調整して、その時間に、それぞれに為していたことから引き上げてきて、一緒に過ごし、エネルギーを取り戻す時間となるべく設けられた時間である。そして、一日に何度かの食事をいつも共にする人がいること、これが、人が必要とする人間的感情、特に親密さの感情を育てる基盤となるのでなくて、どのような事態が代わりなり得るというのか。物質面においても人が多くの人々に支えられているのはもちろんだが、人が心をもつ存在として生きてゆくのに、他の人との心のつながりは不可欠である。食事は、このつながりの基本的な場面を提供する。」(松永澄夫著『食を料理する―哲学的考察[増補版]』p.261-p.263)

 

23.【時間以外のもので時間を説明することはできず、在るものはあれこれ個別的で、基礎的な在るものは時間性格をもつ】

「時間を言うとは、何もかもが刻々と新しいということを指すのではないのか。(「刻々と」という表現は時間概念を前提しているが、時間以外のもので時間を説明することはできない。このことは、時刻を定めたり時間を計るには空間概念が不可欠であるということとは別の事柄である。註2:時刻を決めたり時間の長さを問題にしたりするのは、「行為の秩序においてまず諸々の物を考え、次にそれらの諸変化と出来事を考える中で」(松永澄夫『知覚する私・理解する私』勁草書房、一九九三年、オンデマンド版二〇〇三年以降、一六九頁)出てくる時間の捉え方である。それに対して、「何もかもが刻々と新しい」というのは、すぐに述べるように、何か在ることの時間的性格そのことを表現しようとしている。だから、なお、時間そのものが在る、というようなことは考えていない。在るものはあれこれ個別的で、基礎的な在るものは時間性格をもつと言っているだけである。ただし、在るものの概念が拡張されると、無時間的な存在を人は想定してくる。)」(松永澄夫著「現実性の強度と秩序」p.8)

 

24.【感覚から知覚へ:対象性の成立】
「冬の陽溜まりに私がいる場合を考えよう。私の背はぽかぽか温かい。日陰に入ると寒い。それで、私が体に感ずる温かさ寒さは、私が陽溜まりと日陰との間で動く限りで場所の温かさ寒さの知覚に転換する。しかし、陽溜まりの中で私がうづくまっていると、温かさはただ私の肉体の事柄となる。けれども、再度、陽溜まりに留まったままで、だが私が体を巡らすと、私の背や後頭部から、肩、横顔へと温もりが移動し、同時に私は或る温かいものを私の体の向こう、一定の方向にあるものとして知覚する。それを太陽とか光と同定するのは判断であっても、判断以前に、知覚として微かな対象性を持って、私によって発見されることを待っていたものとして温かさは発見される。まさに私の肉体において生ずる変化、或る作用のお陰で、しかも、その作用は肉体の事柄として現われながら、ただ、肉体の事柄としては消去する方向性を持つことによって、対象の現われが可能となる。」(『知覚する私・理解する私』、p.74-p.75)

 

25.【感覚や知覚から生まれる感情もある】

「意味事象は価値的なものだから、人は意味に関わるあらゆる場面で意味の作用を受ける。しかるに、価値の感受の強い形が感情に他ならない。その感情が人の人らしさを構成し、人個人の最も中心を成す、そう私は考えている。感情はもちろん、感覚内容(痛いとか痒い、体がぽかかぽかする等)や知覚内容(食べ物や目が眩むような崖、凶暴そうな大きい犬など)が携える価値の感受からも生まれる。が、人間では諸々の意味事象が重要なもの(価値を携えるもの)として力をもつのだから、むしろ多くはそのときどきになす何らかの意味の理解とその価値的側面の感受から生まれる。そして感覚内容と知覚内容もその時々の〈私〉の現在を満たすが、〈私〉のそのときどきの有りようの中心は感情となる。(註26:感覚が「〈私〉の現在の事柄である」というのは、感覚は自分の体ないし体の局部の状態を告げるゆえに頷けるが、知覚は元来が体の特定とともにしかない〈私〉とは別の存在----体の外の存在----の捉えである、なのに、どうして〈私〉の現在を満たすと言えるのか。知覚は〈私〉とは別の存在の捉えであるとしてもそれは〈私〉の行動と関わる可能性があるという観点からの捉えであり、他方で〈私〉が知覚するものである限りで〈私〉の存在に参与するという性格ももっているからである。この性格は特に行動から全く離れた知覚様態において目立つ。人間には、知覚即行動へ、という第一の様態よりは、行動に引き継がれる前にそれ自身の内容で自足している知覚という第二の様態が多いし(そしてその後に必要に応じて行動を導くこともする)、更に進んで、知覚に没入するという第三の様態もある。この三つめの様態における没入とは実は知覚的質の感受であり、この感受の強さが知覚的質を有した知覚対象の空間規定という契機を薄れさせる。しかしながら、たとえば知覚する人が形や色彩とそれらの配置の調和に魅せられるとき、その内容から空間規定が消えるはずはない。ただ、その空間性は「体の運動空間である----運動空間として読み取れる----」という原則的な性格を削ぎ落としたものになっている。なお、このような知覚様態では、音に聞き惚れ、色の美しさに心奪われ、匂いや味、肌触りの良さや心地よさにひとときを委ねるなど、好ましい経験であることが多い。なぜかと言えば、嫌な音、不快な色等の場合には、それらから逃れようとする行動、嫌な味なら食べ物を吐き出す行動、が生じがちで、知覚は行動との関係を直ぐに取り戻すからである。ただし、このとき、音や色等の知覚的質を直接に相手にはできない。音を出すものや空気、色をしたものないし光等を行動対象として間接的に音と色等の知覚的質の有り方を変える。なお、ここで「嫌だ」とか「好ましい」とかの感情的な言葉が出てきてしまうのも、結局は価値の感受がいつでも問題であり、感受の強い形が感情に他ならないゆえである。こうして、人個人のそのつどの存在の中心を成すのは感情だということが表だってくる。また人が何かを想像するとき、行動するとき、それらの活動そのこともそのときの人の存在を満たすが、想像は意味事象に関わるのだから意味事象の価値の感受があるし、行動にもその内面としての感情があるのだから、人における感情の中心的位置取りは微塵も揺るがない。)」(松永澄夫著『食を料理する―哲学的考察[増補版]』p.306-p.307)

 

26.【なぜ無前提な原理から始めることによる煩悶の最終的解決や統一的回答は不可能なのか】

「さて、真理へのこだわり、そうして、こだわりゆえに探究が認識論へと転換してゆくことと並んで、哲学が陥りやすいもう一つの傾向がある。それは、「原理」とか「根拠」とかの概念への執着である。「原理」とか「根拠」とかの概念に魅力を感じることは、問いを終息させるものを求めてのことだろう、その気持ちは分かる。しかしながら、いったん無前提という状況を想定し、その上でそこに、他を前提せずに己から始まる原理や根拠を求め、発見しよう、発見したいと、このようなことを人が言い出すとき、私たちは向きを変えるよう彼女/彼に要求しなければならない。つまり、何が原理か、或る何か(誰かによって候補として挙げられた、ないし主張されたもの)が本当に根拠に相当するかどうか、などを論ずる前に、そもそも原理や根拠という概念自身がどういうものであるのか、これらは明晰な概念であるのかを、疑う方がよいのである。アインシュタインの相対性原理でもいい、水力発電の原理でも法治国家の原理でもいい、民主主義の原理でもイスラム原理主義者が従う原理でもいい、これらにおいて原理という概念が意味をもつ、内容をもつのは、何か限定された領域で用いられるからである。根拠の概念も、被疑者が真犯人だと主張する根拠とか、或る未知の物質が混入しているはずであるということの根拠とか、以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)が源頼朝の東国の支配権の根拠であるとか、文脈を従えてのみ内容をもつ。すべてを問うまでに亢進した問いを終わらせるものとしての地位ないし力をもつ原理や根拠などありはしない。(信仰の事柄である神、絶対者をもちだせば別である。)原理は原理から引き出されるものと、根拠は根拠づけられるものとの関係において意味をもつが、そのような関係性が見いだされる諸項は、関係の外に無数のものを目を向けないまま放置しており、一方で放置したものどもの原理や根拠のことなど与(あずか)り知らないし、そうして他方、見いだされたことになっている原理や根拠は、それら放置したものどもがあることを当然の条件として成立しているのかも知れないのである。(註9:この事情は原因の概念の場合と同様である。或る出来事、たとえば山火事の原因は、強風で枝どうしが擦れた際の摩擦熱だとする場合にも、山火事が結果として生じるには、それ以前の青天続きで空気が乾燥していて強風時にも雨が降らなかったこと、枯れ枝が周りにあったことなど、原因とされたもの以外に幾つもの条件が必要である。しかし、私たちはさまざまな条件を差し置いて或るものを特にクローズアップし原因の位置におく。(原因と条件とに差をつける。) しかも、そもそも山火事の例の場合には、その諸条件の幾つかは目立ち、気づきやすいから、それらの条件についても話題にする(そして場合によっては、それら諸条件をも原因の位置に昇格させることもする----一つの原因を言うのではなく、複数の原因を列挙し、山火事をそれらの複合の結果とするのである----)のだが、或る出来事が出現するためには必要な条件なのだがいつでも成立し終えているゆえに条件として気づきもしない、そういう事柄が無数にあるのが普通である。(※引用者註:条件と非条件とにも差をつける)たとえば、或る気圧の空気があったこと、重力が働いていたこと、など。原因と目されるものの他に諸条件をも挙げても、列挙には切りがない。私たちが原因と結果との線を引き得るのは、その線の外側に無数の事柄の成立を放置、無視してのみなのである。)原理や根拠の概念は、単線であれ複線であれ交叉する線であれ、引き出すのか積み重ねるのかどちらであれ、線形の鎖を理想とする強固な構造の存在を前提している。しかしながら、第一にそのような構造は抽象であり、第二に、第一の事柄と同じことを別の面から言うのだが、一つの構造に収まる全体などありはしない。私たちが生きる現実は離散的である。そうして、それらを辛うじて一つの世界につなぐのは、それぞれの「私」である。問うものとしても己を現れさせる各人である。では、その「私」が結局はすべてを一つにつなぐではないか、と言うべきであろうか。だが、私は時間的な存在である。時間を貫く一つのもの(事柄)が一つである仕方は多様である。一つということの中身がはっきりしないところで、統一とかのことを言っても詮なきことである。」(松永澄夫著「地図の地図」p.16-p.18)

 

27.【形は知覚的質ではない】

「形は正確には知覚的質ではない。物的事象が存在することとその場所規定とは不可分で、場所の占有仕方はそのまま形がどうであるかと一緒である。」(松永澄夫著『食を料理する―哲学的考察[増補版]』p.313)

 

28.【哲学する私は私の半身である】

「本当に知っているのかと問うとき、人は、知を所有していると思い込んでいたそれまでの自分の代わりに、新たに、知を求めている自己を見出す。しかも、二つの自己はいずれも架空のものでなく実際に現実の生活を生きている自己である。」(松永澄夫著「哲学の学び方」p.151)

 

29.【肉体も意識されているだけの幻だとは言えないのは肉体は生きられた現実の第一位だから】

「哲学は存在という概念がお気に入りですが、そのくせ存在の概念の出生地を振り返ることは必ずしも得手ではありません。存在の概念に先立つのは現実の概念です。

 私たちは、自分が生きているという現実を尺度にしてしか、何かが存在していることの有りようの水準を測れません。そして、生きている現実は自分の体の体験とともに始まります。ここで注意すべきは、意識の始まりがどのようなものであり、自己という概念がどのようにして発生するのか、確定的なことは言えませんが、しかし私たちは意識をもち自己について語る有り方の中でしか事柄を語り得ないのだということを踏まえた上で、なお、その制約の中でも、私たちが意識には決して還元できないたぐいの現実のことをも知っており、体調その他、体の有りようはその現実の第一位を占めるものだということです。物体の非在を仮定し、そこで物体の一種として想定された体の非在をも帰結させながら、それでも意識する私の存在だけは確保できると主張する哲学者たちがいようと、自分の体を抜きにした意識も自己の経験も私たちは知りません。しかも、体が意識や自己の経験に入り込んでいるのは、意識し気づかれた体はもはや意識内容でしかない、体の存在も幻ではないかという議論に引きずり込まれることを拒む仕方で、私たちの体の存在経験はあるのです。何かの物体についての意識があってもその物体の不在が許容されることはあります。しかし、体についての意識がありながら体が不在であるということはあり得ません。それは、切断された腕を今でも自分が持っていると錯覚する人の事例を持ちだすことによっては覆されません。腕はなくしても肩は持っていること、空腹や尿意を感ずる体があるということは、否定されようがないからです。この事態の核心にあるのは、体の概念を物体の概念に従属させてはならぬということです。逆に体の経験に物体の経験が従うということを洞察しなければなりません。

 眠さや疲れ、深呼吸の爽快感、鼓動の高まり、空腹、尿意、痛み、痒み、熱っぽさ、むずむず動きたくなる感じ、このようなものすべて、体の有りようとして現出する事柄のすべてと無縁の自己の存在があるでしょうか。たとえ、死後の、体を抜け出た魂としての己の存在を想像するにしても、そのような存在が私たちが経験する現実を構成したことは決してなく、だからこそまさに、それは現実と対比をなす想像においてしか語れないものという位置を与えられています。私たちは生きている体として存在しています。そして、その存在に類比的なものとして他の存在を考えるのです。」(松永澄夫著「生じることと生じさせることとの間」p.4-p.5)

 

30.【蟻にとって小石は地面から分離できない】

「私たち自身であれ、特定の対象であれ、それらがどのようなものであるかを言うことは、まずそれらを他から区別して取り出す必要があるわけですが、実のところ、それらはすべて孤立してはいません。相対的な独立が言えるに過ぎません。私たちに関して言えば、生命体としての私たちの存在とは体の構成に他ならず、体は環境である世界から切り離されては存在しません。私たちは周りの空気を吸い、吐き、食べ物を摂取してのみ存在します。それに、そもそも、気温や気圧が或る範囲の大きさであることによってのみ一つの形を取って存在しています。それでも、私たち自身の相対的な独立、体の構成において明白に認められる独立は主張できるのです。

 そして、この独立を梃子に、私たちの体の運動が体の周囲の特定の物体的なものを他から一時的に切断し、一つのもの、相対的に独立なものにすることができるということが次に重要です。地面を這いまわる蟻にとっては地面の一つの様態を呈示するものでしかない小石が、それを掴み持ち上げる私によって地面とは別の一つの纏まりあるものとして分離されます。」(松永澄夫著「生じることと生じさせることとの間」p.9)

 

31.【単なる継起の規則性では科学の成立には不十分で人間が操作できるパラメータが必要】

「原因の概念と法則の概念とを巡って、マルブランシュ、ヒューム、ダランベールなどが議論したとき、自然の現象が生じてくるときの継起の規則性の意味するところに人々の目がいったわけですが、単なる規則性だけでは科学の成立には不充分で、幾つかの(それぞれに変化する)パラメーター間に見られる比例関係等の線形理論で表せる種類の規則性(ないしそれへの準拠)が必要なのです。たとえば花が咲いた後には種ができる、月が満月になった後は欠けてゆくなどの規則性を確かめるだけでは近代科学が要求する意味での理論の構成にまでゆかず、たとえば一リットルの水を日向に十分間置いたときに上昇する水温の大きさは、五分間だけ置いたときの上昇幅の二倍だ、ニリットルにしたらどうだ、水を入れる器の大きさ(陽が当たる表面の広さと深さ----これら自身、同量の水を仮定するなら、側面が垂直な容器なら反比例の関係にあります----)を変えるとどうなる、などの諸関係に見られる規則性が探されるべきなのです。」(松永澄夫著「生じることと生じさせることとの間」p.8)

 

32.【科学実験は幾つかのパラメーターの変移の間に見られる規則性を発見している】

「一般に或る事柄に関して対照をなす事例を用意して、それに平行して別の事柄に関する差異が見られないかを探ること、ここに実験の基本形があります。たとえば他の条件を同じにして光だけを変え、そのときに、光の差異に平行して色という事柄に差異が見られるかを確かめる、あるいは、銀杏の実が落ちる高さの違いだけを比べ、それにつれて実の潰れ具合に差異が生じるか探るわけです。先に私は単なる継起の規則性ではなくして、幾つかのパラメーターの変移の間に見られる規則性の発見が科学の成立の根幹だと述べましたが、実験はこの発見に向けられています。」(松永澄夫著「生じることと生じさせることとの間」p.12)

 

33.【分類の学から関係の学へ:実験という技術の内実】
生じるものをただ観察するのでは理論は手に入れることはできず、生じさせる仕方で生じたものに関して観察し理論を提出することができるのです。(このことは惑星の運動に関する理論の形成には当てはまらないではないか、というのも、惑星の運動を私たちが生じさせることなど決してできないゆえ、ただ生じる運動を観察するしかないのだから、という疑義が出るかもしれません。けれども、惑星の運動の理論、天文学は、地上でものを落としたり放り投げたりする運動についての理論、力学と接続されて初めて、近代的な科学理論となったのです。暦をつくることができる古来の天体の学は、さまざまなものを分類し、それがどのようなものであるかの一覧表を作成するたぐいの学問と同じ平面にあります。しかるに、分類の学から関係の学へ、これが近代科学への転換の中核をなします----ただし、分類を放棄することは決してできない、これまた、もう一方の真実です----。要素を分離して他のものとさまざまに関係させてどのようなことが生じるかを見る、これは、分類において各事物に固有なものとして与えられる特性を関係的なものとして考えることに他なりません。パストゥールの仕事を、さまざまな微生物を発見し、それらをそれぞれの特性において分類したものだと考えることももちろんできます。けれども、微生物の特性を知ることは実験によってであり、実験とは、微生物をさまざまな諸関係の中に投げ込み、その関係を通じて何かを生じさせることなのであり、特性の正体は関係の中で各微生物がどのように振る舞うかにあるのです。)(松永澄夫著「生じることと生じさせることとの間」p.15-p.16)

 

34.【言葉は本来すべて表語文字

「「ハ」と「ハハ」の違いも分かります。しかも、二番目の音は最初の音を二つ重ねたものだ、二つは違うけれども、同じ音が一方では一つ、もう一方は二つ続くという点で違うのだということも分かります。そうして、言葉の音というものがこれらの明確な区別の条件をすべて満たしている種類の音であればこそ、文字という書き言葉も可能となっているのです。いわゆる表意文字ですら、表音文字と同じく読まれる、つまり音に変換されます。(ただし、文字は本来すべて表語文字として登場し、それゆえに読まれるものなのです。表音文字ですら、語の構成音の一つ一つを更めて語の位置に置き、その読み方という資格でのみ、自己限定します。たとえば「『ことば』の『こ』という字はこう書く」と言うとき、「『こ』という字」という表現における「『こ』」は主語として既に語の身分を持っています。)文字の一つ一つの独立性、他の文字からの分離は、言葉をなす音の明確な分離、並列的に相互に区別されると同時に時間的にも言える分離に立脚しています。」(松永澄夫著「おとぎ話が教えてくれること」p.10-p.11)

 

35.【生活場面において感覚と知覚はしばしば交代する】

「温暖、冷熱はまずは体の感覚として現れるが、それらを私たちは体の外のものの知覚内容として体ならざるものに帰属させもする。関心の有りよう----それは価値の置き方でもある----がそうさせる。その場合でも、自分が外的対象とどのような関係を取るかということが関心を導く。また序でに言えば、触覚に関しても触れることによる外物の発見、すなわち知覚と、自分の体が触れられているという体の感覚の出現がある。また、怪我をしたり歩きすぎたりして痛いという体局部の感覚単独のこともあるが、歩いていて急に足の裏が痛いと感覚し、と同時に何かを踏んだと何かを知覚するということもある。」(松永澄夫著『食を料理する―哲学的考察[増補版]』p.309-p.310)

 

36.【過去が過去の資格で力をもつ人間特有の事態とはどういうことか】

アッテンボローという人は自然界の様々な映像作品で有名な人で、ご存じの方も多いと思いますが、彼の或る著作によれば、死肉、つまり死んだ動物の肉や腐り掛けの肉を漁るという評判のハイエナですが、本当はハイエナはニ、三頭のグループでヌーを、また、もっと大きな群れをつくってシマウマを襲い、それは苦労を伴う狩りをするそうです。そして実に、力の強いのをよいことにハイエナを追っ払って、もはや殺された獲物を頂戴することもするのが、かの百獣の王、ライオンだということです(『地球の生きものたち』日高俊隆他訳、早川書房、昭和57年、277-278頁)。さて、この横取りを皆さんはどう思われるでしょうか。『猿カニ合戦』の発想でゆけば、ライオンは怪しからん、ずるい、とかいうことになりましょう。ですが、これは人間の発想、ライオンやハイエナを人間のような存在に見たてての発想です。ハイエナにとっては、逃げようと走り、時には手向かうヌーが自然の恵みであり、ハゲタカにとっては死にゆく動物こそが自然の恵みであるように、ライオンにとって、無傷のヌーもハイエナが倒したあとで地面に横たわるヌーもどちらも自然の恵みです。ヌーが成長してハイエナやライオンにとってたっぷり食べでのある大人のヌーになったことそのことが自然の恵みであると同様に、そして、そのヌーの成長のために草原に雨が降り草が生えることが背景としての自然の恵みであると同じように、ヌーを倒すハイエナの活動もまたライオンにとっては自然の恵みの一部、地面に横たわるヌーの背景としてもはや埋もれてゆく自然の恵みなのです。私は先に「横取り」という言葉を一旦は使ってみましたが、ライオンが横取りとしてハイエナに不正を働くというなら、ハイエナはヌーに命を奪うことでもってもっと大きな不正をヌーに対してなすのだとでも言うのでしょうか。動物の世界で、ハイエナがヌーを倒したという過去は何の効力ももちません。確かに現在というものは過去に規定されてあるわけですが、その過去は過去としては消えて、その過去をいわば完全に消化して全き現在としての事柄があるだけです。倒れたヌーはハイエナの活動抜きにはあり得ないのだとしても、ハイエナに倒されたヌーと、仮に尖った岩か何かに足を痛めて倒れた間抜けなヌーがいたとして、その過ぎた時間における違いはライオンにとっては区別のない事柄です。どのようないきさつによるのであれ、現にいまヌーが倒れているということだけが重要です。ヌーの間抜けさに遠慮が要らないと同様に、ハイエナにも遠慮は要らない、ハイエナの過去の活動を一顧だにする必要はライオンにはないのです。ハイエナはと言えば、ヌーをやっつけるために既に力を使った分、ライオンとの現在の争いには不利になるだけで、ヌーを倒したことが手柄として、いま通用するわけではありません。ところが、人間の世界では、過去が過去の資格で力をもちます。過去による現在の支配、時に過剰なまでの支配は、いたる場面でみられます。私が畑を耕し、種を蒔けば、収穫を刈り取るのは当然に私だと見なされます。過去に殺人を犯した人は、もはや決して殺人などしない人間となっていても、いつまでも殺人者として見られ、現在に影を落とします。反対にオリンピックの優勝者はその栄光をバックにその後の人生を歩んでゆくことができます。短い時間の尺度では、責任を取ったり報酬を受けたりするのも、やはり過去との関係において現在や未来の在り方を決めるからです。」(松永澄夫著「おとぎ話が教えてくれること」p.35-p.36)

 

37.【創造論はお話に過ぎない】

人間機械論には抵抗を覚える人は多いだろう。その一方で、ヒトの体の仕組み、特に脳の仕組みなどの研究の進展に面して、人間機械論を不承不承で認めざるを得ないかと考える人も少なからずいるだろう。いずれにしても、本音は、機械的であることとの対極にあるものという程度での人間の自由な有り方は認めたいのだと思われる。では、どう考えるべきか。機械は人間が製作するものである。すると一つの発想としては、自然全体も機械のごときものとして何ものかが——人間よりずっと強力な神のような存在が——造ったのだ、という思想も出てくる。そして神は被造物の中で人間だけを特殊なものに造った、その特殊性の中には人間的自由がある、とすることで人を満足させる道もないわけではない。だが、これは根拠なきお話である。(ただし、お話が人間にとって大きな意味的力をもつということは別問題である。)」(松永澄夫著「自然・機械・人間」p.251)

 

38.【知覚の成立には能動的関与が必要で、知的活動は不要】

「ところで私としては、位相空間を構築する知的活動と、視覚を初めとする「知覚における空間経験」を成立させるものとは区別するべきことを指摘したい。(このものが何かを言うことはできない。或る種の動物における知覚の成立という、驚嘆すべき、ただ受け入れるしかない事実——ただ、そこに知覚する側の能動的関与が必要だということは確認できる事実——がある。)知覚対象は体を起点(基点)として或る方向の或る遠さに位置すると知覚される、ここに、体の周りが(少なくとも近傍の一部は)体を支えるものは別にして空虚であるということに接続された、またそのことにより体(ないし体の局部、特に知覚器官)の感覚と連携した、知覚における空間経験があるが、そこにいわゆる知的活動の関与を認める必要はない。知的活動は想像の或る仕方での働き方であり、想像一般は知覚のうちに含まれる契機から生まれるが知覚に先立つものではない。では、知覚空間への物の配置に関しても、それは可能的なものとして位置づけることだと、どうして言えるのか。知覚空間の基点は、数学の空間の原点と違って任意にとることはできず、また、知覚内容は徹底して現在の事柄であり、これらゆえに知覚こそは現実的なものである。(翻り、任意性が、数学的空間を構築する知的活動は徹底して可能性の次元に関していることを証示している。そして同じく、知的活動が想像の任意性に根ざしていることも示唆している。また特に、物理の数学的表現としての位相空間では時間も任意性を付与された一変数である)しかしながら、知覚内容は現在の事柄として経験されるのではあるが、知覚とは行動を導くものとして或る種の動物が獲得した能力だという観点からすれば、知覚対象の体からの隔たりの現実性は、行動からすれば可能的領域を指し示しているのである。そしてここに、知覚のうちに潜む想像の一つの契機もある。人は可能な行動との関連で、未だ知覚していないものや出来事を想像する。たとえば、尻尾だけ見える猫の体の全体、飛んでくるボールの行方。そして、知的活動は、想像内容の間の諸関係を操作的に確認しようとする、それ自身、一つの想像活動である。」(松永澄夫著「自然・機械・人間」p.252-p.253)

 

39.【感覚空間は知覚空間の此処として包摂され知覚空間は運動空間として読み取られる:運動空間は知覚空間を可能にし知覚空間は運動空間を下書きする】

「ところで、ここで私は体の移動に言及したが、移動は体の外の広がりの中で、さまざまなものが知覚されている中で言われることで、もちろん体もその広がりの一部を占めるものとして理解されている。しかるに自分の体としての感覚が既に、指の痛さ、目の腫れぼったさ、背中の痒さ等と或る空間性を携えていて、その感覚空間が体の外の広がりに包摂されるのである。この包摂は、知覚空間が原則として運動空間として読み取られ、運動する体が知覚されるものとしては知覚空間の此処に位置していることによってなされる。知覚におけるいわゆるパースペクティブの経験は運動する自分の体抜きでは生じない。」(松永澄夫著『食を料理する』p.310-p.311)

 

40.【知覚が能動的だと言えるのはなぜか】
人間機械論に固執する人は、人の或る行動そのことを、人という機械における或る必然的な出力として生じるものに他ならない、と主張するに遠いない。この主張は次のような「知覚に関する考え」と同根の発想であり、その考えの方は一見は説得力あるゆえ、連れてこの「行動についての主張」の方もまた論破しにくいように思えてしまう。すなわち、たとえば物体からの反射光(あるいは光源からの直接の光)が目に入ると、その入力から始まって、光刺激の受容器、伝達回路、脳へと進んで、その最後に「物体(ないし光源)の見え」が結果(=出力)として生じるという仕方で、視覚という種類の知覚の成立を説明する考え(物体→光→視細胞→双極細胞→神経節細胞→視神経→脳=物体の見えの成立)。この考えに平行して、柿の木から柿の実をもぎ取る行動も、脳から運動神経を通して伝わる指令に従う筋肉の収縮として実現されるとする、こうした考えも受け入れるべきだと思えてしまう。ただ、物体の見えの成立の場合には明確な光エネルギーという入力、これに相当するものが「筋肉の収縮という出力に対応するもの」としては何なのか俄(にわか)には特定できないという曖味さはある、という歯切れの悪さは残るだろう。だが実は、一見は明確なものにみえる光という入力に戻ってさえ、これを決定するのは物体を見る人の側なのであることを理解しなければならない。知覚を「体への或る入力に対応する出力」として捉える見解の方も間違っているのである。体への入力は無数にある。いま私は光エネルギーという目への入力に言及したが、実のところ目には、太陽からの真っ直ぐな光、雲からの光、川の水面からの光、川岸の木立からの光等、無数に飛び込んでくる。いや、それどころか目には光だけでなく風も当たっている。そして光はと言えば目に飛び込むだけでなく頬にも届いている。なぜ入力として注目するのが光であり、他方で入力場所は目なのか。実に、一つの輪郭をもった木立を見るとは、無数の入力をスクリーニングして必要な入力だけを選ぶことなのである。この選びは能動的なものである。体の外からの体への入力は無数にあり、それゆえにそれらは乱雑だが、生きている体がその乱雑さから或る秩序を取り出す。体は、それへの入力なしではそのまま変化せずにいる(変化してもそれは無視してかまわない)、そのような機械なのではない。そして体が取り出す体の外の秩序はどのようなものかと言うと、体の外界に対する適切な対処を可能にする秩序である。可能であって、対処が機械仕掛けで生じる必然ではない。」(松永澄夫著「自然・機械・人間」p.247-p.248)

 

41.【因果性が規則性を浮かび上がらせるとはどういうことか】

「自然現象において、規則性は恰(あたか)も観察すれば分かるものであるようにも思える。それに、少なくとも惑星の運動の規則性は観察する仕方で確認する以外にはないと思われるし、その規則性の発見は人間の歴史において非常に古い時代まで遡ることができる。けれども、近代以降の物理学が発見するたぐいの規則性は実験を経て確認される規則性であり、ということは因果的関係によって発見される規則性なのである。だから、西洋一八世紀の哲学での、因果性を規則性に還元しようとした試みは間違っている。なお、観察するしかない惑星の規則的運動を、かつて暦の作成に利用したときになしたような理解としてではなく、近代力学的仕方で理解するようになったのも、その運動を、地上で実験できる鉛置下方への落下や放物線を描く落下の運動等とつなげてなそうとしたときなのである。それから、本文での「因果性が規則性を浮かび上がらせる」という趣旨の文を読むと、因果関係が何であるかは定まっているかのごとく思えるかも知れないが、そういうわけではないということも指摘しなければならない。或る出来事を原因とする結果は無数の方向に散らばっているのだし(行動が原因である場合もそうである)、或る出来事は無数の事柄が集まって初めて生じる結果なのである。ただ、いずれの場合でも私たちは重要性の尺度によって原因と結果とを選び出す。そして、この逃び出しということを認めないなら、或る時間経過だけは認めつつ、「すべてによってすべてが生じる」ということを言うはめになり、それはその通りだが、(運命論的になり一時的な諦めや怠惰は出てくるかも知れないがそのような帰結の可能性は措いて)その確認から何も新しいことの発見は生じないゆえに、実際には何も中身のあることを言わないことになってしまう。或る種の決定論的な言説や、自由と必然とは究極のところ同じでしかないなどのしたり顔の言説などの場合である。選び出しということに私たちが自然に気づくのは特に、私たちが原因の概念の他に「条件」の概念を持ち出すよう迫られるときである。(ところが、条件を言うなら、それは「原因と目される事柄を除くすべての事柄」でしかあり得ないのだが、にも拘わらず、実のところは、そのすべての中からやはり重要性の尺度に従って或るものを選び出すことで初めて具体的な条件、特定できる条件を指摘することができる。)なお、私たちは或る出来事が生じることへの人の関与というものには敏感であり、その関与を原因としてであれ条件としてであれクローズアップさせる性向をもっている。時に、誰かが何かをしなかったことが或る出来事の原因であった、というような考えすらする。また、この人の関与に対する敏感さゆえに、私たちは自然と人為との区別を重要なことと考えるのである。」(松永澄夫著「自然・機械・人間」p.256)

 

42.【行動は時間を統合する】

「それから、目を向けるべき重要なことを一つ。機械は或る目的のために何かをするものとして人間が製作する。このこととの関連で、機械を使う行動だけでなく行動一般にも目的があると言いたくなる。実際、人が動物であることに鑑みれば、行動は元来は目的をもった働きであるのは間違いないからである。けれども、人間は目的をもたない行動もする。また、もっと肝腎なのは、人間はむしろ無為の時間に自己存在を享受するもの、その享受として自己の存在----最も人間的な核心----をつくるものなのである。そしてこの享受の時間とは現在である。(行動の方は時間をかけてなし、かつ、いわば時間を統合するものである。)このことについては、私は諸々の著作で、しかるべき箇所を見つけて繰り返し論じてきた。翻るに、物理学は時間を変数として扱い、どの時間にも言えることだけを表現するのであり、その点、結局は可能的領城に留まることしか言えないのである。だが、時間的に存在するものはすべて「それはそれでしかない」という仕方で特殊なのである。そうして、その特殊な有り方をその都度の現在として確認し味わうのが人間である。」(松永澄夫著「自然・機械・人間」p.262)

 

43.【生命維持活動だけでは私が己を見出して存在をそのつどに獲得するのには不十分:感受が必要である】

「そもそも、肉体であるとは物質であるばかりでない。私は活動において己を維持する生物である。呼吸し大気の組成を変え、熱を生産し放熱する。それから更には、自ら動くもの、動物である。自分の周りの空気などはものともせず、自分の周りには運動のための自由な広がりがあるのが当たり前な仕方で皮膚による限定を受け入れている動物である。この活動、特に場所の移動によって肉体は強い意味で一つのものであることを示す。ただ生きていること、生理的活動の持続があることは未だ力ではない。心臓の鼓動や呼吸、毛細血管の収縮や拡大、発汗、睡眠と目覚め、排尿や排便、これらは肉体の環境の恵まれた安定的条件下で許された、むしろ傷つきやすい活動である。自己を維持するのに精一杯で、他に向かう前の基礎をなすに過ぎない。けれども、何かに向かって運動する時、動物は積極的な一つの力として己を規定する。」(松永澄夫著「自分が書き込まれた地図を描く」p.7)

 

44.【感覚の空間規定も肉体の運動によって育つ】

「感覚が示す肉体の各部位は、私が能動的に肉体を分節的に動かすことによって互いに明確な差別と配置とを受け取る」(松永澄夫著「自分が書き込まれた地図を描く」p.44)

 

45.【他人がいなければ感情は生じる甲斐もなく消えてしまう】

「人とは自分を見守る人であり、そこに安心が生まれるというのが出発点にあるのなら、人が独り投げ出されるとき、そこに生じるのは不安だろうか。いや、仮にずっと人が一人きりの世界にいるのなら、それは文字通りの沈黙、意味の消失、更には、いわば自失の状態にまで至るのではないのか。そもそも何のために感情が生まれるとでも言うのだろうか。感情を聴き、増幅し、引き継ぎ、最初の感情を変容すべく返してくれるものがいないときに。独りのときも、何かした拍子に恐怖が起こり、美味いものを食べて満足し、何かが首尾良くいったと喜ぶ、これらは当然にある。しかしそれは、私たちが、応答する人間の世界で既に自己を獲得したゆえにちょっとやそっとの孤独の中でも感情的生活を送れる、このことを前提に生じるものであろう。もし人が初っ端から単独の動物として生きていたら、と想像すると、私たちが恐怖や満足、更に驚き等と理解しているもの、これらに対応するものは刺激に対する体の反応や体の自律的機能の円滑な遂行としてしか生じないのかも知れない。」(松永澄夫著「在ることと為すこと」p.15)

 

46.【肉体の姿勢の維持でさえ肉体を支えるものを対象化する】

「実際、肉体は重さを持つものであり、地面で、床で、椅子で、蒲団でなど、何かによって支えられている。そしてしばしば、それらに触れているという感触は、触れる肉体の状態の感覚と融合している。けれども、この融合から、肉体と触れている相手とが触れたままでありながら共に分離してこようとする態勢、すなわち触れているものを対象の位置に、肉体の向こう側、外なるものとして現われさせる態勢が常にあり、肉体の側の運動がこの分離を実現する。つまり、既に触れているものの改めての触覚的知覚というものが生ずる。もともとが、触れているものに応じて或る姿勢を取ることそのことのうちで既に、肉体の運動が触れている相手を肉体の外なるものとして対象化すべく働いている。固い椅子では私は背を伸ばし、柔らかいソファーには身を沈める。そうして、もちろん、一つの姿勢の特続においては肉体の外なる対象は消え、肉体自身についての意識もまどろみがちではあるが、肉体の姿勢の維持は、転がっていた石がいったん或る場所に落ち着くともう動かないのとは、わけが違う。とりわけ目覚めている時の肉体の姿勢の維持は、運動を孕む緊張によってのみ維持されるのであり、すると、肉体は肉体に或る姿勢を取らせる接触物を己の外なるものとして位置づけることを繰り返すのである。そうして更に、私が動物として移動するものである限り、その移動のたびに肉体は己を支えるものに触れないわけにはゆかない。」(松永澄夫著「自分が書き込まれた地図を描く」p.27-p.28)

 

47.【私の中身が外からやってくるように思える場合もある】

「「俺から会社を取ると何が残る」「祖国が私のいのちです」と言う人の場合のように、<私>の中身がほとんど<私>の外からやってくると思えることもあるが、そうだとしてさえ、それぞれの個的な<私>、その人ただ独りの<私>が問題で、しかも、その<私>はいつも、<私>を見いだす現在の<私>で、そして、その現在は来たるべき時間を孕み、<私>は来たるべき時間への方向づけを、積極的にであれ消極的にであれ、己に課すのである。」(松永澄夫編『私というものの成立』「序」、p.ⅴ)

 

48.【アンズと知覚の三様態:コンサマトリーな知覚】
「私の庭にはアンズの木がある。夜の暗がりの中ではともかく、昼間、私は確実に、それにぶつからないように避けて通っている。それはアンズの木が見えているからである。見るとはなしに見えていて、その見えが私の歩行を導いている。知覚が私の肉体とアンズの木との間にあり得る諸々の関りを前もってうつしているのは間違いない。
 けれども、また、私はアンズの小枝の蕾を見、もっと膨らまないか、早く咲かないかと思う。あの枝を剪定しようかと考える。枝に宿る先程の雨の滴が、今に落ちるかと思う。それで、このように見ているとき、私はアンズの木に向き合っている。現実の肉体の運動ないしは行為に巻き込まれることなしに、私はアンズをただ在ると見いだし、その上で、アンズと私との間で可能な様々の関りのことを想像している。
 しかし、時に、更にその先の経験仕方もある。私はアンズの花を見上げ、見惚れる。その艶やかな桃色にいわば溺れゆく。これは、そのつどの時で完結して濃密な内容を持った経験である。そして、その時、私はあたかもアンズの花群れの中に、そこ、私の肉体の目の前、半メートルとか二メートルの厚みのアンズの枝々の張り渡された中に居るかのようである。更には、花と花との間で光を吸う青さ、空の青さも、私と一体になったかのようである。すると、その青さ、アンズの桃色の照り映え、それを美しいと思うとき、美しいのはアンズの花であり空の青さでありながら、私は、その青さ、桃色の照り映えとして、美しさのうちに、色の歓びのうちに、自分を見いだしている。それは私の心、私の現在の何よりも実質的な内容である。私はアンズという物、他の物と区別されて対象として選び出されたものに向き合っているのではない。空と一緒になったアンズ、目に映るすべての一成分としてのアンズが問題で、そして、そのすべてというものは、私に向き合う対象ではもはやなくなっている。向き合っているのは知覚のあれこれの対象と、知覚する私の肉体である。だが、まさにそうであるからこそ、この経験、あれこれの対象を超えた知覚の総体の経験では、経験する〈私〉は肉体に尽きていないこと、肉体のこの場所に閉じ込められているのではないことが如実に告げ知らされている。
 そう、だから私は、ここで「心」と言う。心、それは何か肉体と同じようには限定されず、それでいて肉体として限定される<私>と同じ<私>、しかも、肉体以上に<私>自身であるような<私>である。それで、私の肉体ならざるアンズの花びらが風で舞い散る時、私の肉体はここで動かずにいて、私の心は動く。花びらと同じリズムの動きの中にある。
 一体、心とは何か。私は次のように考える。あらゆる事柄に、その感知によって現に在るという実効性を与え、同時にその実効性そのこととして己の存在を獲得するもの。そうして、心というものが人間に可能であることは、ゆっくりと流れて幅を持つ現在という時間の経験が可能であることと一体になっていて、しかるに、この経験の一つの形として、肉体の運動ないしは行動へと直ちに引き継がれゆく必要もない仕方での知覚、いや、行動に引き継がれることの想像すらとも無縁な、いわば完全な無為のうちにある知覚、人間に許された特有の在り方のその方向を進めきった知覚を考えることができる。次の時間の行動のためのものとしての規定から完全に自由になって、それゆえに追われるごとく時間的展開の中に組み込まれることなく、ただ在るとだけ発見されるものを人は知覚するが、更にそれどころか、つまり、行動へと引き継がれることなく完結して自足的な知覚を持つに留まるどころか、進んでは知覚のうちで夢見るような仕方で人は在ることもできる。」(松永澄夫著「自分が書き込まれた地図を描く」p.18-p.21)

 

49.【物の性質とは物に期待ないし予期された力のことで、石の相対的独立を切断して同一性をつくるのは反復的に石を切り出すこちら側の操作である:そしてその石の抵抗という特権的な質の位置にあらゆる質の位置規定が連動する】

 「ここで、物とその諸性質という分節構造の内実を考えてみたい。すると、可能性と力との概念が呼び出されてくる。確かに、たとえば或るもののそれが青いという性質は、可能的な事柄でも力であるわけでもないように思われる。そのものに現実に属する事柄、しかも力と無縁に静態的に属するだけの事柄に思える。けれども、私のこの「青い」石は、夕間の書斎では青くない。夜に電気機器に灯る緑色の弱い光に照らされると不思議な色を呈する。色とは、或る状況におかれたときに私が知覚する質だ。状況が変われば、少なくとも知覚される限りでの質は変わる。そして、その質をもつ物といえば、それは様々な状況を通じて同じであると理解されたものである。物とその諸性質とは、様々に可能な場をくぐり抜けて同一であるものと、それが違った様々な場で見せることがあり得る可能性の束、という関係にある。
 常態で知覚される質とは違う様々な性質については、この「可能的な」事柄であるということがもっと鮮明である。私の石がもしかして石炭のように燃えるものであるなら、それは可燃性という性質をもつと言えようが、その性質とは、或る温度で、酸素があって、等々の状況では燃えることもある、そのような可能性を、今は燃えていないこの石がもっているということである。
 物の同一性の根拠は、自然科学が明らかにするような、物の物理的構造にあるに違いない。だが実は、同一性の概念とは、石をつかんだり運んだりするような、物を相手の私の行為の中で重要なものとして機能するもので、この文脈を離れると物の同一性は曖味になる。たとえば石といえども溶鉱炉ないし少なくとも地中のマグマの中でのような高熱では溶けるであろう。石と呼ばれる物質的なものは周りの状況と相関的な在りようをするものであり、その相関性から相関項の一方である石だけを反復的に切り出す私の側の操作、これが或る石の同一性の設定に不可欠である。物理的構造という或る石の同一性の根拠は、その石をおのが一部として呑み込む宇宙全体の中で石の相対的分離を実現している根拠なのであって、この相対性を同一性に転ずるのは石を行為連関に組み込むものとしての私という存在なのである。(そして、私がまた諸行為を通じて同一の私であることは、あとで触れる人格のことは別にして、まずは私の肉体の物的同一性を要求するが、その肉体も或る条件の範囲内----或る気圧や或る温度の範囲内等----でのみー個の生き物として己を相対的に分離している、分離できているに過ぎないのである。)」(松永澄夫著「人に特有な力について」p.2)

 

50.【人間の自己了解をモデルにした物事の理解仕方が分節的知覚】

「物の内側での或る力の存続と、その発揮としての諸々の性質の現実化という構造は、恐らく、人についての了解構造を反映したものである。内においてある、人の人たるゆえんのものと、その外なる諸表現という分節構造が、物にも持ち込まれたと思われるのである。そして、このような了解においては、力とその現われとしての性質との関係は、物それ自体において、言い換えれば自律的なものとして(だから物に内的な事柄として)考えられていることが重要である。

 ところが、性質が言い表している内実は物の可能性であって、その内容は物が他の事象と関係をもつ時に定まる事柄であってみれば、物に帰せられる力の概念の方も、その物の他との関係の在りようを言うものであることになる。石の静態的な性質と思える青いという性質さえ、白色光線を構成するものの中から或る波長の光を選んで反射する力をもつということを言うのであり、そしてこの力は光との関係を抜きにしては意味をなさぬ概念なのである。
 それにしても、物と他のものとの関係が力によって言い表されることは適切なことなのだろうか。どのような事情ゆえに、方向性を含意する力の概念が、方向に中立的な、関係という概念の中に持ち込まれるのだろうか。
 私が石を武器として用いて獣を傷つけること、トチの実の殻を砕くこと、杭を地面に突き刺すために打ち付けること、これらが石が硬い性質をもつということの実際的内容であり、石が獣や木の実や木の杭に対して発揮する力をもつということである。石の青いという性質でさえ、特定の光を捉える力であるのだが、その力であることがはっきりと示されるのは、私がその青さを影刻作品のうちで利用するときなどにである。私から石へ、石から獣や木の実、杭、光へと進む力の線がある。すると、(物のうちで完結する、力とその発現としての性質という理解構造の場合には、人のその人たるゆえんをなす内なるものとその外への表現という了解構造に倣った理解仕方があったのだけれども、ここ、物が他の物との関係においてとる様相が強調されるここにあっては)、人が行為において力を何かに対して及ぼす、この構造が、物が力をもつという理解仕方に引き継がれている、このようになっている。
 確認すべきだが、物がもつ様々な性質が現われることを、つまりは様々な力が発揮されることを期待ないし予期するのはーー可能性の束の中のどれかが現実化するのを予期するのはーー、私である。そして、このことは、存在事象の中での物の相対的分離に依拠して、私の物との関わりが物の同一性を描き出すということ、この先に述べた事柄と併せて理解しなければならない。」(松永澄夫著「人に特有な力について」p.4)

 

51.【石の相対的分離を石の同一性とみなすことができる】

「私が石を抱えるときに、石の他からの相対的分離が石の同一性に転ぜられる。実際は、石の残余の事象からの分離は飽くまで周りの気圧や温度の或る在り方抜きでは可能ではないのだが。」

 

52.【哲学に価値の優劣を断定することはできないが発生順序は示せる】

「いろいろなものを見落とすことなく公平に眺め、「順序関係をハッキリ」させるのが哲学の思考だ。そのようなスタイルに、先ほども言ったように人間の感情的な側面を載せていくことが大事だろう。例えばグローバリズムが進む中で、収益などの経済的な価値と人権などの価値は自明とされている。しかし、お金は「より有用なもの」と交換できるからこそ価値がある。そうやって考えていくと、結局一番最初にあった価値というのは「素朴に泣いたり笑ったりしている生活」ではないか。人権の価値も、そこにいきつく。哲学は「どの価値がより重要か」を断定することはできないが、価値が発生した順序を示すことはできる。」(松永澄夫著、讀賣新聞、2007年4月11日)

 

53.【概念の内容規定が少しずつズレていくことが哲学の議論ではしばしばある】

「哲学では言葉と概念の多義的使用がいちばんの曲者です。議論しているあいだに、概念がだんだんずれていったりする。理科系の論文の場合、概念は絶対にぶれない。一つの概念規定があったら、それがずっと一貫しますが、哲学の議論では、一つの言葉が別のところでは少しずれた使い方をされ、概念が動いてゆくことがしばしばある。それで話が通って、うまくいっているような錯覚に陥るわけです。それをきちんと見極めるような読み方ができるのがいちばんいい。ただ、相手の話に引き込まれて読んでしまいがちです。」(松永澄夫著「哲学/哲学史の読み方」p.133-p.134)

 

54.【物活論的唯物論の誕生】

「もろもろの権威を尻目に、みずからが確認できる範囲で、人間とはどのような存在であるのかを探究すること。それは反省でもあり、分析でもあった。一八世紀の人々は前世紀に登場した新しい自然学と哲学とを踏み台にしたのであり、それによれば、人間の格別な地位は自明であると思われた。探究するというまさにそのことが、人間を思考する存在としてあらわにしていた。そのことはキリスト教とともにある古くからの人間の規定に調和的でないわけではなかった。デカルトの思惟する実体と延長実体との二元論は、人間における霊と肉との相剋に対応するものと見えたのだから。だが、新しい物体の概念は世界を平板化していた。さまざまに異なる多様な種類の存在が階層をなしつつ世界に位置するという描像は壊れ、物質という一元的で量的規定しかもたない存在が世界を埋め尽くすかに見えてきた。人間の肉体も、まさに、その運動のあり方によって力学を導いた当のものたる資格を存分に発揮し、その生命活動も複雑な機械的運動にほかならないようなものとしてイメージされていた。

 そこに博物学がやってきた。そして、物質像は変わる。天文学革新の後、地球が測定され、地質が調査され、化石の体系的分類が進んだ。天体を征服したガリレオの望遠鏡の後で顕微鏡が微小生物(これは一九世紀中葉にパストゥールが酵母菌を皮切りに発見した微生物とは違う)を発見させた。動物とも植物とも判別しかねる生き物などの発見は、観察大好きな人々を驚喜させた。人々の経験の拡大は限界を知らないかのようであり、一方、人間は、与えられた諸現象の限界にとどまらなければならない。すると、今のところはまだ私たちには知られていない機制で物質が思考活動さえなすという可能性、誰
がこれを否定できようか、ということになる。こうして唯物論というものも出てくる(つまり、精神と物質の分割線の消失)。かわりに物質像は、たんなる「時空で運動する質点」というものとは違う、豊饒性をもつものになったのである。」(松永澄夫著「人間の科学に向かって」p.41-p.42)

 

55.【知覚のパースペクティブ的性格とは何か】
「私は同じ現在という時間にさまざまなものを知覚する。そのとき第一に、そのさまざまなものは或る広がりの様態で知覚される。直ぐ目の前の木立と遠くに見える山々とが一緒に見え、その木立の高い方で囀るヒヨドリの声と足下で枯れ葉が立てるカサコソと鳴る音が同時に聞こえ、隣家から煙草の匂いがしてくる。これらの知覚内容は同じ一つの広がりの中で或る配置を取っている。あるいは逆方向に述べて、何かの配置が言えるとは広がりを見出しているということである。そしてこの見出しは、いつでも知覚の時である現在という時間においてなされる。しかるに第二に、この配置は知覚する人の体を起点にさまざまな方向への遠近が言える広がりにおける配置で、この方向や遠近というものは体の移動によって直ぐに変化するので、知覚が携える広がりにおける知覚されるものどもが互いに取る配置も大きく変化する。たとえば私がちょっと動くだけで、桂の木の手前でそれよりは左側に見えていたアオダモの木が桂の右側に見えてくる。それから桂の方に歩いてゆき、その横を通り過ぎると、桂の幹で一部が隠れて見えていた灌木の全体が見えてくる。また、電信柱が一列に並んでいる通りを歩いて行くと、遠くに見えている二つの電信柱の間隔が近づくに連れてより広いものとして見え、電信柱はより大きく見えてくる。」(松永澄夫著「価値の誕生」p.16)

 

56.【感覚や知覚自身が既に意味的である:方向と距離は音の大きさの度合いが語る】

「石の形が石工に石刻み行為を呼びかけることもあろう。元来、言語行為は行為主体と行為対象との共同作業であるが、言語行為の対象たり得る存在者、内面を持つ人間にとって、彼を取り巻く一切のものはいわば半・言葉となり得る。人が積極的に自らを言葉の受け取り手としようとする時、諸事象は種々の程度で表現的なものとなる。車の音は、この車の音として規定されるよりもむしろ、一般的な都市生活を意味するものとなり、金閣の壁の色は、この壁へ人の注意を向けさせる代わりに、中世へ人を誘うかも知れない。そうして、音や色が人の内面に働きかけることは、これらが、苛立たしさや活発さ、げだるさやもの悲しさ等の種々の質を運び込むことを考えれば納得できる。(元来、この車や壁が世界内事象として位置づけられる際に働く感覚・知覚自身が、既に意味的なものである。唯、意味の方向には種々のものがある。音という質を例に取れば、音の出所が問題である場合が、最も基本的な意味作用の方向である。この場合はまさに空間的な方向づけ、定位が音に於て聞きとられ、その遠さ近さに関しては、音の大きさや鮮明さの度合が語る。次に、音調こそが支配的な音楽では、音の含む意味は早、或る種の普遍性へ向かう。そうして、最高度に複合的な言語音では、言葉が道具となることによって獲得した定まった意味の指示が支配的になろうとする。しかし、音楽が、歌い手や楽器演奏者の運動自身が含む内面の次元----つまりは音楽行為の内面の次元----から離れられないように、言葉は音調から離れては生命を失う。母親の子守歌は、赤ん坊に、己の母親なる、この特定の人物が今、此処に居るということを告げると同時に、既に普遍的な音楽の調べであり、そうして、「私はお前をいつくしむ」と語る言葉である。音の持つこれら種々の意味方向が分化する時、車のクラクションの音を聞くこと、笛の音に耳を傾けること、雷葉を聞き取ること等が、そこに於て支配的な意味方向の差異に従って、別種の事柄である如く己を規定してくる訳である。)」(松永澄夫著「因果連関からみた行為の諸側面」p.110-p.111)

 

57.【行為の内面とは絶対的内面であり、行為と無為とを貫通して先ずある】

「しかし、一切の評価から離れてそれ自身に於て絶対的であり、己自身が価値尺度であるもの、そのようなものとして行為の内面は現われる。石工が親方の命令故にであろうと石の形に心惹かれた故にであろうと、石を刻む時に、彼は嬉々として若しくは憂鬱に石を刻もう。ここに現れる内面は、その時に於ける石工の存在の実質であり、この自己享受が初めて行為を行為者に結びつける。何故なら、この内面の次元に於て行為と行為者とに距離はない、同一なのだから。(しかし、石刻みの動機を懐いている限りの石工と石刻み行為とは別ものである。)そして、行為の動機を意識し、或いは目的を意識しつつ人が行為する時、それは行為をいわば反省的なものにするだけであり、しかし、この反省的意識は、唯、或る価値文脈を開いて行為を外的に評価するだけである。しかるに、動機や目的の意識が鮮明であると否とに関わりなく、行為は、喜びや軽快さ等の或る質に於て、時間の中で刻々と己の実質を獲得していく。そして、ここに絶対的価値自身もある。
さて、最後に、行為している訳ではない他者の承認という残された問題に一言触れよう。我々は今や、表象を形成する内面の水準でなく、行為の内面としてその所在が指摘された絶対的内面の次元は、実のところ、行為と無為との区別に関りない次元であることを言わねばならない。行為と無為とを貫通して、その都度の各人の存在そのもの、生命そのものである内面の次元が先ずある。そうして、行為や無為の区別が現れるのは、既に述べたように、表象の中で、或る価値文脈に従ってである、そこで、他我承認の問題は、今や、表現行為をなすものの承認の問題を超えてしまう。絶対的内面の次元が表象に於ける限定を逃れ、第三者による構成的接近を許さぬ以上、他我承認の問題は、己自身の内面が絶対的な自己享受であるのと対照的に、絶対的に隠れたものの承認の問題となる。すると、ここに於てはまた、他者の行為の動機を知るといったような、他我認識の問題は存在しようがなくなる。各人は己が存在のみを生き、唯、表象に於てのみ、他者と諸事物とを評価しつつ、そうして己をもその行為と無為とに於て評価しつつ、生きるのである。しかし、一切の評価の試みを逃れて、各人は己が存在の質を自己享受する。」(松永澄夫著「因果連関から見た行為の諸側面」p.117-p.118)

 

58.【動き回れる空虚とその中での物体の存在は身体運動が開示する平等な二面である】

「私が活動的なものとして生きていること自身に於て不断になしている身体運動の基本的パターンは、《押し、押し返される》というものである。腕を振り回す、立ち上がる、歩く、これらのあらゆる振舞いは、私(の身体)が既に或るものと接触しつつこれに支えられており、それを押しそれから押し返されることと共にのみ可能である。勿論、この可能性は同時に、(私の体全体が弾丸のように一塊となって運動するのでなく、各部分が互いに動き合う柔構造を有していることを前提すると共に)、私の体の全表面がそのような物と接触しているのではないことをも要求する。而して、この不在、これは唯、私が現実に振舞うことができることに於てのみ確認できる。尤、私の振舞いを可能にする、私を支え私の押しを押し返す諸物の存在----私との共在----も、私の振舞いの現実の経過に於てのみ確認されるのであるから、或る種の物の私自身との共在と不在とは、私の身体運動が顕わにする平等な二面である。
 さて、私の押しを押し返す類の物とはどのようなものであるのか?固体である。そして、私の運動が要する時の経過を越えた十分な時間、存続する物である。そこで、固体の存続が私の行動の地盤をなす。しかし、地盤であるもの、それは私の個々の行為によって選択されるものではない。つまり、行為を呼び起こしたり行為の志向項たる資格を持つものではない、それ故に、個別的なものとしては現われない。

ところで、私の身体と地盤との共在、そして、地盤となるものを除いては私の身体の近傍での固体様のものの不在、これらは或る広がりを指定するのではないのか?実際、私が身体を反復的に種々の仕方で動かし得ること、更に突き詰めて言うなら、私が一定の地盤に留まっていながら、猶、頭を巡らし手を動かし得ること、そうして、頭や手が何時も他の身体部分との平衡の位置に帰る体制が確立されてあること、ここに広がりの根源的経験がある。近傍とは、私の身体の諸部分が相対的運動によって互いに位置付け合うことに於て示される《広がりの核》である。而して、先に林檎や机、更には山などの配置と共に語られた広がりの描像が、主として広がりの視覚経験に訴えて得られていることは承認されよう。私が諸個物の輪郭を、見ることによって知るのなら、私は同時に広がりを見もするのである。そこで、身体の振舞いに於て開示される広がりと、見られる広がりと、両者の関係を吟味することが課題となる。しかるに実際、私の対象的諸活動(志向項に秩序づけられた身体運動)に於て確認される、《視覚が行為を導く》(車を見て、避ける、本を見て、取る、友人の顔を見ながら、談笑する)という分かりきった(視覚と行為との共通の対象を軸として考えられた)関係の基礎には、《私と対象(車、本、友人)との間に私が自由に振舞える広がりがあること私が見る》という、もう一つの一層自明的な視覚と行為との関係(広がりに関する関係)が横たわっている。この際、後者の関係に於て行為は、未だ対象志向的なものとして規定される要は必ずしもないことが注意されるべきである。こうして、《見える広がり》が《私が自由に振舞うことのできる広がり》であるという自明性を敢えて吟味することが、件の二つの広がりの関係を考察することに他ならない。」(松永澄夫著「個体について」p.45-p.47)

 

59.【知覚空間が運動空間の延長に位置するものとして両者は接合される】
「視線が同じ輪郭を行きつ戻りつできることは幸福である。これなしに、視覚的幾何学の構成はなし得ないであろうから。だが、私の視線が常に、此処、私の居る位置から出発し、この位置に帰り来ること、ここに視線の更なる幸福がある。しかも、眼球や眼球の嵌め込まれた頭の微かな運動が開示する《運動する身体》に、自と《見える身体》は重なり合う。かくて、これらの事情故に、《視覚によって得られる広がり》は挙げて、《私が物の地盤に支えられて身体運動をなすことに於て開示される広がり》の延長に位置することになり、両者は接合される。」(松永澄夫著「個体について」p.50)

 

60.【鏡の中にも知覚空間は広がるし知覚の現在は科学的説明のむしろ前提となる】

「見える広がりの構成的性格を納得するには、平面鏡の中に見える広がりを考えてみるとよい。今机の向こうに木棚の上部が見えている。私が伸びをして覗くと本棚の下段も見えてくる。本文で述べられたこのような事情は、机と本棚とが描かれている絵や写真に関しては望めないが、私が普通に書斎を見る場合と同様、鏡に映った書斎を見る場合にも、見出せる。それでは二つの場合でどの点が違うのか?見える広がりという資格ではどの点も遠わない。お店の鏡は、鏡がない場合に見える広がりと較べて、実際に見える広がりを広くする。鏡の外と内とで見える広がりは連続している。確にその連続性は、私が鏡の存在に気付く時に否定されよう。しかし、それは見える広がりに加えられた解釈に過ぎない。それは、見える広がりと接合されるけれどもこれから区別されるべき物理的空間が、鏡の面からの延長に於ては別のものとして構成されることを言うに過ぎない。唯、見える広がりの一番手前には必ずや私自身が位置して見える故に、私の極く近傍では必ずや視覚空間と物理的空間とは一致しよう。そこで、見える空間の本性を理解するには、二つの空間が自と接合されることからくる取り違えを避ける為に、むしろ、鏡の中に見える広がりをこそ範例として考えるのが良いのである。猶、視覚像の成立についての承認された説明に拠るなら、広がりと一体となって見える物の像は、物から出発した光がどのように曲りながらやってくるのかにお構いなしに成立するのであるが、これと好一対に、光が何時物を出発したかにお構いなしに成立するのである。」(松永澄夫著「個体について」p.62-p.63)

 

61.【概念の発生順序としては動物的生命の外物との抗争と自己の輪郭づけ→意識→生命の自己概念化→寛ぎの時間の確保→意識なしの生命概念】

「屡々私達は、生命とは何かを言うことは、無機の物質から生命体を分かつミニマムの諸要件を挙げつらうことであるかの如く考えてしまいます。しかし、一旦その諸要件でもって定義することを受け入れたなら、確かに或るものに関して、それを生命体に数えいれてよいかどうかを決定するために、その諸要件を満たしているかどうかを調べる訳ですが、しかし、その諸要件自身を取り出すには、先に、辛うじて生命体であるものを、それは無機物でなく生きているものだと、その諸要件に照らす仕方ででなく認めることができなければならず、ところが、その認めることは、そのものに、生命の最高度の発現形態に於いてこそ力強く告げられる事柄へと向かおうとしている萌芽を、方向を見いだし得るからだ、ということを忘れてはいけません。生命らしさという表現でもって私の言おうとしたのは、このこと、生きているものが持つ方向に於いて理解される事柄のことで、その方向とは生命体の外物との抗争を通じての自己実現であり、抗争は動物的生命に於いて顕わになり、その動物的生命には意識の誕生が不可避に刻み込まれているのです。
 何であれ具体的な生きているものが己をそれとして限定する論理は、異物との抗争の論理です。生きているものは己のうちだけで理解されるものではありません。生命は己を死に至らせようとするものとの抗争として活動に於いて自己を実現する、自己を確定し続けてゆかねばならないのです。ここに、生命には方向があることの理由があります。そうして、具体的なものとしての生命体の自己確定の活動がいつか意識を要求します。勿論、生命より何か高次の原理としての意識ではなく、生きているもの自身が己を確定する営みそのことに於いて必要とする事柄としての意識です。つまり、外物との抗争に於いて外物の刺激を動物的感覚性によって受け取り、異物と己自身とを共に現われさせ、そのことによって己を確定しつつ生き延びることに成功する、その現われに他ならない意識です。そうして、この意識が生命の自己概念化への突破口をなします。重要なのは、この自己確定が、皮膚のような、生体が異物と関係を持つ己の最前線で、己自身に文字どおりに現われる仕方でなされることです。現われるのは異物と周縁部です。意識とは生体の己への現われ、体である己の現われとして出現するものなのです。本日の報告を始めますに当たって私が、意識は肉体の意識として最初の意味を持つと述べておいたのはこのことを指します。また、そうしますと、意識を脳のような中枢の概念にのみ結び付けて考えることは酷く偏ったものであることにも気づかされます。周縁部があっての中枢です。意識の概念は動物的生命全体、従って個体としての生体に関っていて、決して生体の特定部位の在りようとの相関で考えられるべきであるような事柄ではないのです。
 さて、確かに落ち着くところ、私達は生命の概念一般というものを、意識の概念を要求しないものとして語ります。しかし、それは生きているものがそれとして、具体的な体の輪郭づけに於いて確定されていることを前提しての話です。ところが、この確定は、生命とは意識の誕生を刻み込んだ方向にあるものであるということを私達が知っている限りで、可能になっている事柄です。何故なら輪郭づけは周縁部の意識化へと進む個体としての生命を言うこととしてのみ可能なのですから。そこで、異物との抗争のうちで生体が支配する領域の確定の後でのみ、人はもはや意識を要求することのない生命について、言い換えれば、平和のうちに生きることが許される有機的生命についても安んじて語れるようになります。有機的生命という「カンヴァス」の上に動物的生命が描かれるのだとしても、概念としては動物的生命の方が先なのです。そうして、動物的生命とは個体の生命であり、その個体の概念には意識の概念がそっと入り込んでいます。」(松永澄夫著「生命と意識」p.74-p.75)

 

62.【動物はなぜ機械のように見えるのか】

「動物の運動はいつも部分の運動によって、つまり部分相互の配置を反復的に変えることによって実現される運動である故に、特に運動器官を語ることができるのである。また、運動が部分の配置によって決定される仕方でなされることにこそ、動物体と機械との類似がある。道具が手足などの延長であるかのように言われるが、機械は動物の運動が弾丸の如き運動ではなく分節的運動であることに規定され、それを模して作られるものなのである。」(松永澄夫著「生命と意識」p.79)

 

63.【動物と植物の違い:個体としての確定というよりはその仕方として移動運動が動物にはあるということが決定的に意識の発生にとって重要である】

「ここでは概念を問題にしているのであって、だから勿論、生体の個体としての確定自身が、その生体にとっての意識を要求するというのではない。そこで、有機的生命しか持たない植物を考えても、根や茎や葉を部分として一つながりの輪郭で囲まれた一個の植物を言うことはできる。しかし、植物に於いて個体の概念は曖昧になり易い。部分の生命の独立性は非常に高い。私は、これを言うなれば、植物では外的環境と内的環境との区別が殆どないことだ、というふうに理解することもできると思う。そうして、これは、植物には栄養吸収などの為の運動、即ち部分の生命に属する有機的収縮性はあっても、個体としての移動運動はないことと同根のことであろう。[...]次に動物を考えるに、やはり、動物の個体としての確定が当の動物にとっての意識を常に伴うというのではない。しかし、次の二点に注意したい。第一に、動物では外物の弁別が個体全体の能動的移動運動によって探される仕方でなされることに着目すると、それを私達は意識の概念に準じて理解しない訳にはゆかない。第二に、動物の個体を輪郭づける境界は外的生命を生きることの中で皮膚となり、皮膚は根源的感覚器官として、意識される
ものになるべく運命づけられているのである。なお、人間でも、眠りのうちにある時、動物生命はまさに微睡んでいる。しかして、本文でも既に述べたように、眠りとは平和を前提して可能な事柄である。」(松永澄夫著「生命と意識」p.79)

 

64.【感受がつくる無為にただ在る私をどう反省し位置付けるのか:他との比較という操作によって】

「諸知覚事象の方向や遠近の空間分節という、行動に関わる意義を消えさせて、知覚事象すべての現れを現われ自体として受け取るとき、では、この現われはどういう身分のものなのか。楓の葉群と空の青さをともに見、またシジュウカラの囀りを聞いてもいる私がまさにそのようにして在り、他の仕方、たとえば海辺で波と雲の姿と音を聞いているときの私とは違ったものにしていること、このことに注目すれば、知覚の現われすべてがそのまま私の存在をなしている、それが現在ただいまの私の在ることの内容を作っていると、筆者は言いたいのである。行動するものとしての私、体と一緒に考えるべきで、体の外側の諸事象と違った関係を取ろうと時間経過を通じて同一の行動主体として規定される私とは違って、そのつどの現在において内容を確定し尽くした私というものを、現われそのことが存在であり現われのうちに存在がそのつどに成就するものとして、規定することができるのではないか。私が在るとは突きつめれば現在に在ることだ、前の時間も次の時間も考慮しない、というときの「私」を筆者は問題にしているのである。」(松永澄夫著「現実性の強度と秩序」p.35)

 

65.【「存在」という概念の最も深みにあるもの】
「そもそも、何かを想うこと、これは感受性の問題だが、更に明示的に言えば、価値の感受の問題である。そうして、それは或る仕方での存在の生成でもあるのである。私が何かを想うとは、それが想うに値するからである。そして、その感受は「私」を満たし私の現実をつくり、想われた何かも私のうちに参入する。ところが、すると、想いがいわゆる空想的事柄に留まる場合でも、その事柄は何らかの存在性を獲得する、獲得していたのである。想い、感受、価値、私、想われたものは、一つになって固有な存在を形成する。それは「意味的な存在」だと言いたければ言ってもよいが、「存在」という概念の最も深みにあるものだと私は言う。」(松永澄夫著「生活と思索と言葉」p.31-p.32)

 

【いつか松永先生に会ったら聞いてみたい話題】

①松永氏の文章には梃子の原理がよく出てくるし、人体の構造解明と力学の発展には関係があるというような話もよく聞くのだがそれは具体的にはどういう事例なのか。

②感覚も価値的であり出来事であるならば、感情とはどう違うのか。空間規定の有無は大きいとしても、どのくらい連続的といえるのだろうか。ジェームズ・ランゲ説は極端だとしても、まずは感情にも身体的基礎がありそれが無視できるようになったという次第だろうか。

③いわゆるセルフネグレクトを解消する時どのような方針があるだろうか。というのも、私がひどく塞ぎ込んでいるときにはほとんどセルフネグレクトになってしまっていて、パートナーがいるからかろうじて布団から起き上がって動き出せるというようなことがあるから。

④「時間を組織する」(「現実性の強度と秩序」p.36)とはどのようなことかが、まだ明確に理解できていない。またそれに関連して、この論文の註5と註17の難解すぎる記述はどう理解したらいいのだろうか。

⑤意味次元を出ることについて。筋トレやボクシングは意味が力をもつことで所有権が認められる世界で生きるならばもう必要ないはずなのに流行っているし、空腹ゆえの美味しさではない根本的美味、つまり身体を空腹状態にしてから一気に栄養補給をする仕方での美味を求める食事の在り方もある。二郎系ラーメンの食べ方はそうである。これらも実は意味事象ではあるだろうが、意味が力を持たなくても大丈夫だという物的手ごたえのようなものを求めてのことにも見える。原子人ならそんなことするだろうかと自分の行動チェックするひともいる。武道の達人は動物のように動けるようになっているのかもしれない。

⑥無為の私と行為する私との中間形態としてたとえば散歩する私を考えてもよいか。