aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

私の好きな言葉たち

大山鳴動して鼠一匹」(ホラティウス)

 

「生命とは虚無を掻き集める力である。それは虚無からの形成力である。虚無を掻き集めて形作られたものは虚無ではない。虚無と人間とは死と生とのように異っている。しかし虚無は人間の条件である。」(三木清)

 

「滋養物に効き目があるかどうかは、その人の胃腸が強いか否かにかかっているというわけである。」(岡崎晴輝)

 

「掻き寄せて結べば芝の庵なり解くれば元の野原なりけり」(慈円)

 

「彼岸のことは彼岸で。此岸のことは此岸で。」(上野千鶴子)

 

「動くこそ 人の真心 動かずと 言ひて誇らふ 人は石木か」(本居宣長)

 

「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(論語-子路)

 

「理屈と膏薬はどこへでもつく」(出典不明)

 

「言うものは知らず、知るものは言わず。」(小林秀雄)

 

「le mieux est l'ennemi du bien.

The best is often the enemy of the good.」

(ヴォルテール)


"I may not always be right, but I am never wrong."(Aunt March)

 

「運命によって『諦め』を得た『媚態』が『意気地』の自由に生きるのが『いき』である」(『「いき」の構造』九鬼周造全集第1巻81頁)

 

「世界は永遠の動揺にすぎない。万物はそこで絶えず動いているのだ。大地も、コーカサスの岩山も、エジプトのピラミッドも。しかも一般の動きと自分だけの動きとをもって動いているのだ。恒常だって、幾分か弱々しい動きに他ならない。」(『エセー』Ⅲ,2)

 

俺みたいな映画オタクの後衛クソ左翼をエンパワーしてくれる音楽

https://youtu.be/wEBlaMOmKV4

 

I was born by the river
In a little tent
俺は川のほとりの
小さなテントに生まれた。

Oh and just like that river
I've been running ever since
それからというもの、
この川と同じように
ずっと生きてきた。

It's been a long,
A long time coming
流れる時間は
本当に本当に長かった。

But I know a change is gonna come,
Oh yes it will
でも俺は知っている。
転機が来ると。
きっと来るのさ。

It's been too hard living,
But I'm afraid to die
’Cause I don't know what's up there
beyond the sky
あまりにもつらい人生だった。
しかしそれでも死ぬのは怖い。
だって天国があるかどうか、
わからないんだぜ。

It's been a long, a long time coming
流れる時間は、本当に本当に長かった。

But I know a change is gonna come,
Oh yes it will
でも俺は知っている。
転機が来ると。
きっと来るのさ。

I go to the movie
And I go downtown
俺は映画を見にも行く。
俺は下町にも行く。

Somebody keep tellin’ me
Don’t hang around
「ぶらぶらしてんじゃねぇ」と
いつも誰かが言ってくる。

It's been a long, a long time coming
流れる時間は、本当に本当に長かった。

But I know a change is gonna come,
Oh yes it will
でも俺は知っている。
転機が来ると。
きっと来るのさ。

Then I go to my brother
And I say, brother, help me please
But he winds up knockin' me
Back down on my knees and oh
そういうとき、俺は兄弟のところへ行き
「なあ兄弟、頼むから助けてくれや」と言う。
でも結局のところ、そいつは俺を殴りつけ、
またひざまづかせる。

There been times that I thought
I couldn't last for long
もう長くはもつまいと思った時が、
何度もあった。

But now I think I'm able
To carry on
それでも俺は
まだやれるんじゃねえかと今は思っている。

It's been a long, a long time coming
流れる時間は、本当に本当に長かった。

But I know a change is gonna come,
Oh yes it will
でも俺は知っている。
転機が来ると。
きっと来るのさ。

 

カネコアヤノの『カウボーイ』に対する私の批評

0.【批評対象】
https://youtu.be/1dHrFFs6UDs

1.【礼讃批評宣言】
「批評は常に褒め言葉でなければならない」。これは、私がこれから一生、貫くと決めた信条である。これが私のテネットである。であるから、批評は私にとっていわゆる対象の「考察」のようなものとは無縁である。なんとなれば、考察とは本来、音楽家ならば音楽家が(思考の道具が言葉ではない場合の方が多いのであえてこう言うが)楽器を用いてするものなのであり、考察という高尚な芸当が批評家どもの仕事であるわけがないからである。考察というのは、厳密に言うならば芸術家の仕事なのである。繰り返すが、批評は思考のことではなく、常に褒め言葉でなければならない。どういうことか。批評は批評の対象に、一切の手を加えてはならないのだ。批評はひたすら対象を褒める。褒めるというのは対象に手を加えることではないし、対象を素材にしてそこから別の何かを作り上げるといった、まさしく冒涜的な営みのことでもない。そんなことをしたら褒める対象が変化してしまう。いつの間にか褒める対象がすり替わること、つまり、褒めたいものを批評家がこっそりと他から密輸入してくること、これが批評家にとって最もきたしてはならない蹉跌なのである。だから、批評の武器は書かれたものを対象にするならばせいぜい言語学であり、そしてテクスト分析しかやることはないのである。だから、批評家が参照する文学理論の類は、全てなんらかイデオロギッシュなものの密輸入であると思う。それらを密輸入することでしかうまく褒められないならばそれも必要悪なのだろうが、やはり無いに越したことはないのである。批評はそのたびごとに新しいものを素手で掴み取る営みである。日本の文芸批評の豊かな土壌がこれまで育ててきた、あまりにも長過ぎる伝統に訴えるようで恐縮だが、与えられたものの細部をよく観察するということ以外に、うまく褒める方法などあるはずはない。

2.【「礼讃」の理由】
では、なぜ褒めるのか。不意打ちになるかもしれないが、あえて断言すれば、対象に出会った時に、私が気持ちが良かったからである。作品に出逢って、気持ちが悪かったのに相手を褒める奴がいるとしたら、それは皮肉っぽいし、やはり趣味の悪いことだと思う。倒錯したことだと思う。また、あえて「礼讃」という言葉を用いたのには理由がある。「褒める」という言葉はどこか上から目線なところがあって、インテリくさいのである。「褒める」のはインテリであって、礼讃するのは古今東西、阿保と変態だけである。「教授が学生を褒める」という日本語は不自然ではないが、「教授が学生を礼讃する」という日本語は不自然である。かつて和室の陰翳を礼讃した者もいたし、古くは愚神を礼讃した者もいたが、私は彼らの態度こそ批評的であると思う。「褒め」はともすると歪曲するが、礼賛はどこまでも率直に相手を目指す。

3.【批評は補助輪並みに必要である】
批評は対象に対して、せいぜい宣伝文句のようなものでしかあるはずがない。作品とのダイレクトな出会いに向けて、読者たちを煽れればそれでいいのである。批評は読者にのぼられるや否やすぐさま捨て去られるべき梯子のようなものであらざるを得ない。だから、読者を文体で惹きつける諧調など、畢竟不要である。良い批評とは、乱調の檄文であり、乱調の檄文であった方がいいのである。もちろん、批評が激しく誰かや何かを罵ることもあっていいが、それは褒められるべきものが不当に貶められているのを見た時だけかろうじて正当化されるトリビアルな事柄に過ぎない。既に私は長年無数の批評を匿名で書き散らしてきたが、私のこの信念は、日増しにどんどん強くなった。「作品自体よりその批評の方が読み応えがあって面白かった」などと言われてしまううちは、まともな批評とは言えないのである。

4.【『カウボーイ』における凝縮について】
さて、カネコアヤノの『カウボーイ』という曲がある。この曲は『来世はアイドル』という、駒込在住の私がよく訪れている「一〇そば蕎麦(=いちまるそば)」という蕎麦屋のカウンターで不意に撮られたような、比類なきジャケットのアルバムに収録されている曲である。この曲は私が思うに、このままでは無数の凡庸なるものどものうちで埋もれてしまうと思われる。たった2分の曲であるが、この曲の中には、「恋」というものが最も輝く瞬間の楽しさが見事に閉じ込められていると思われる。これほどの凝縮力に私は滅多に出会うことがない。

5.【カネコアヤノについて】
カネコアヤノがあきらかに天才であることはいまさら言うまでもない。カネコアヤノは疾走するが、疾走しているのは彼女の悲しみではない。優しさである。カネコアヤノは愛のままで疾走できる、唯一の人であると思う。彼女は凡百の音楽が私のようなメンヘラに媚びてくれるなか、ひとり愛のままで駆け出していく。『やさしい生活』のなかにいみじくも顕現しているが如く、彼女は誰よりも哀しみに対して鋭敏な感性を持っていながら、カネコアヤノは決してそれに酔わず、颯爽と駆け出していくチャンスを常に伺っている。彼女は鋭敏過ぎて、悲愴に溺れるものが密かに味わう自己憐憫の不健康さにすら、勘づいているのだ。メンヘラになれるほど、カネコアヤノは鈍感な動物ではない。

6.【テクストの引用】
↓以下に当該の詩を載せる。

走る蹄の音
止まらぬ速さで恋は進む
君はまるで草原に吹く風 風

青い空に囲まれてこれからどこに行こうか?
どこまでも 君が 案内してよ

君と居るのが楽しいカウボーイ
それだけじゃダメかしら?
明日を夢見る二人の鼓動
風のように軽やかに

土煙まきあげ
小高い丘 なんのそのと 登る
君はまるで荒野を抜ける風 風

星座たちに囲まれて今日はそろそろ帰ろうか
家までは 君が 送ってよ

君と居るのが楽しいカウボーイ
それだけじゃダメかしら?
なにも知らない二人の行動
少し眩しすぎるでしょ

青い空に囲まれてこれからどこに行こうか?
どこまでも 君が 案内してよ

君と居るのが楽しいカウボーイ
それだけでもいいよね
明日を夢見る二人の鼓動
風のように軽やかに

7.【「カウボーイ」とは誰か】
まず、「カウボーイ」とは誰か。これは私が思うに「私」である。作品中に「ふたり」と「君」という言葉が登場する。しかし、「私」という語は登場しないから、「「ふたり」から「君」を引いて残るもの」と言っても良い。この「カウボーイ」は、「走る蹄の音」という表現からもわかるように、「馬」に乗っているのだが、「騎乗」から連想される肉欲的なところが、この騎乗には一切存在しない。「馬」という形象さえ肉欲と全く結びつかない。しかし、女(ただし、あくまで厳密に言えば「私」は性別無規定なのであって、「ボーイ」であるからなんならボーイッシュなのであるが)が常に上なのである。家まで送るのはあくまでも「君」なのである。この構図はいくら強調しても、したりない。

8.【「君」とは誰か】
では、「君」のほうは、誰だろうか。これは、作中にも登場する「恋」である。しかし、「恋」はそれ自体が「進む」のであるから、「馬」でもある。つまり、この「カウボーイ」は「恋」である「君」という「馬」に乗って疾走しているのである。この物理的な構造が、この作品の全体を支配し、その上に豊かな意味世界を分泌しているのだ。この構造は、とてつもない発明である。万障を繰り合わせの上でまず褒めなければならないものこそ、この構造なのだ。整理しておくと、「恋」と「君」と「馬」という三つの名詞が三位一体となって、未分化・未分節のままで使われ、その三つの名詞が表す対象に、「私」が乗って進むという構造を、私は指摘している。だから、お気付きだろうが、この未分化な三名詞が相互に互換可能であるとすれば、①「私は君に乗っている」のであれば、同時にそれは②「私は恋に乗っている」ことになるのであり、またさらに③「私は馬に乗っている」ことにもなる。このことを素直に解釈するならば、「私」にとって「君」は①気の合うひとなのであり、②そのこと自体がウキウキするのであり、そして③時に「君」は「私」に使役されてもいることになる。

9.【「君」である「恋」に「私」が「乗る」ことは可能か】
なお、「恋」が「人」を意味できるということが、英語においては既に実現されている。以下の例文を見てほしい。特に、第5例を見てほしい。第5例における「love」はどう見ても「汝」、つまり目の前の二人称を志向している。

①She is the love of my life.
彼女は私の最愛の人だ
②Who was your first love?
初恋の人はだれですか.
③He was her first love.
彼は彼女の初恋の人だった
④She was really a little love.
あの娘は実にかわいい子だった
⑤Good morning, love!
あら、おはよう

上記からわかるとおり、「私」が「君」である「恋」に乗って疾走しているという解釈はそれほど突飛なものではない。

10.【構造から必要十分に出力される恋】
さて、「何も知らないふたり」は「鼓動」だけを共有している。しかし、上に乗るのが「私」であるにも拘らず、先導するのは常に「君」である。「私」は「君」に乗っているのだから、受動的に「君」の行きたいところに行くしかない。そう、「君はまるで草原に吹く風」のような「止まらぬ速さ」で、「私」を振り回しているのである。しかし、それが私にとって、「楽しい」のだ。そして、「それだけでもいい」のである。これ以上に明確で、必要十分な「恋」の表現があるだろうか。「土煙巻き上げ、小高い丘をなんのそのと登る」くらい力強い君は、結局「私」を家まで送る羽目になっている。「君」が駆け抜けることでそれに乗る「私」を振り回していたはずが、いつからか、「どこまでも君が案内」するようになり、最後は「家まで送る」のである。この何も知らない二人の、ごく自然な力関係の転倒を当然の如く諒解しつつ進むドタバタした行動、土煙を巻き上げて進むふたりの行動の全体が、「少し眩しすぎる」のである。これほどまでに構造的なテクストがあるだろうか。たった2分で、恋の構造を彫琢しそれこそ「風のように軽やかに」終わってしまうこの曲であるが、これほど細部まで計算が行き届いているのはなぜだろうか。「カネコアヤノは内奥の感情をぶちまけるパンク少女である」という凡百の評価に抗して、我々の「礼賛批評」は、彼女の技巧的で構築的な側面、つまりほとんど無自覚な設計主義を礼賛せざるを得ないのだ。「パンク少女」という役割を彼女に押し付けるのを私が懸命に躊躇った反動なのであろうが、どうも私には、カネコアヤノのこの曲が、この上なく知的に思えてならぬ。

最小哲学史と哲学書からの引用集

【最小哲学史

 

1.【ソクラテス:不可欠で不可解なものに日常が依拠している】

 ソクラテス(B.C.469-B.C.399)は、アテナイの職人であったが、ペロポネソス戦争に従軍した後、告訴され、死刑になり慫慂(しょうよう)と毒杯を仰いで死んだ人。「フィロソフィア」という言葉を最初に用いたとされる。「勇気とはなにか」「何かを知っているとはどういうことか」などと具体例はいくらでも挙げられるがそれが何かを抽象的に定義するのは難しいようなことについて問答をして回ったとされる。現代でも「「わび・さび」とはいったい何ですか」と聞いて回ればソクラテスのようになることはできる。「竜安寺の石庭」や「芭蕉の俳句」など、「わび・さび」の具体例は教えてもらえるだろうが、結局「わび・さび」の定義についてはなかなか得られないだろう。そして、そのような定義がなければ、外国人に「わび・さび」について説明したり、その価値についてわかってもらうことはできないかもしれない。「わび・さび」があるものが何かについて、わかっているはずなのに、それがどういうことなのかうまく言えずに隔靴掻痒(かっかそうよう)としてしまう状態は、すでに哲学をしてしまっている状態だと言えるだろう。

 

2.【プラトン北極星には届かないが北極星のおかげで現在位置がわかる】

 プラトン(B.C.427-B.C.347)は、アテナイの王族の出身で師ソクラテスを主人公にした多数の対話篇を書いた。プラトンソクラテスが追い求めていたものは、「イデア」であったとした。「イデア」は単なる「定義」のことではない。誰かが三角形を作図しようとした時、どうしても「いびつな三角形」になってしまう。だから、三角形そのもの、つまり「三角形のイデア」はこの世界には存在しない。「イデア」は、現実には実現不可能な理想であり、しかしだからといって存在しないのではなく別世界(=イデア界)に存在するとされた。ところで、この作図行為において、イデアは目標とされており、そのイデアがあるからそれを目指す仕方で作図行為は円滑に進行できている。花子や太郎も、「よりよい人間」になろうとしており、犬はより犬らしくなろうとしていることがわかる。さらに抽象化すれば、犬にしても人にしても、「より善い在り方」を日々模索している。この最も抽象的な「より善い在り方」こそが「善のイデア」である。花子と太郎と犬と三角形は全然違うが、最終的には同じ「善のイデア」をめざしており、それに惹きつけられていることになる。プラトン哲学の意義は、「現実には全員条件が違うのだけれども、目指すべき目的としては無限遠点に同じものを持ちうるし、その同一の目的に向かう進路をそれぞれが見出しうるのではないかという可能性を示したこと」にあると言える。ただしプラトンは、ソクラテスに自分の学説を押し付けたというよりも、むしろソクラテスが考えたことを突き詰めていけば、「こういうことを言うソクラテスが本来いる」と考えたというほうが適切である。

 

3.【アリストテレス:諸原因に満ち満ちた現実世界】

 アリストテレス(B.C.384-B.C.322)は、理想こそを問題にしたプラトンとは異なり、現実をこそ問題にした。アリストテレスプラトンアテナイの出身であったのとは違って、マケドニアの出身であり、アレクサンドロス大王の家庭教師であった。プラトンは現実を駆動(というより牽引)している原理を別世界にあるイデアだと考えていたが、アリストテレスは、そうした現実を動かす原理は現実世界の中にあると考えていた。例えば胎児の成長を考えてみよう。胎児の中には、将来大きくなった時に現実化されるであろう骨格や臓器となるような遺伝子構造が非常に詳細にビルトインされている。これが「形相因」である。さらに、胎児は母乳や食事を養分として成長している。つまり、母乳や食事が素材となって成長が進行しているのであり、これは「質料因」である。さらに、この成長というのは、親や環境がすべてを担っているから介入をやめた瞬間に止まってしまうというものではなく、子供の中から内発してくる子供自身の成長する力も存在している。これが「作用因」である。さらに、そもそも子供が成長するのは生存(サバイバル)という目的を達成するためであるとも言える。これが「目的因」である。要するに、「なんでこんな生成変化が可能だったの?」という問いに対して①「そういう計画を準備していたから」と答えること、②「素材があったから」と答えること、③「変化させる力に押しだされていたから」と答えること、④「目的に引っ張られていたから」と答えることが可能で、このような様々な要因の様々な比率での組み合わせによって現実世界は動き続けているというのがアリストテレスの見解であった。ポイントは、プラトンの見解とは違って、こうした諸要因はすべて現実世界の中にあるということである。


4.【アウグスティヌス:心の漆黒の最奥でかすかに白む輝き】

 アウグスティヌス(354-430)は北アフリカに生まれ、マニ教の信徒であったが、成長してからキリスト教徒となり、キリスト教の教義を確立した。そもそもキリスト教は、神による天地創造を前提している。その天地創造の6日目に、最初の人間を作った。最初の人間アダムは神の似姿であるから、神的性質を幾分か受け継いでいるはずの存在である。創造された後のアダムはヘビ(サタン)に騙されて知恵の実を食べてしまい、これについて神は激怒し、アダムとイブは楽園から追放されるのである。この原罪(=神を裏切った罪)は、このアダムとイブの子孫の全員に受け継がれていくことになっている。しかしこの原罪から我々を救ってくれる存在が現れる。これがイエスである。さて、上記のような話が聖書には書いてあるのであるが、この中でアウグスティヌスが注目したのは、「人間は神の似姿である」というこの点であった。まさにこの点ゆえに、人間は自分を徹底的に内省すれば、神に似た要素・特徴・在り方が自らの中に発見できるはずだと考えたのである。つまり、自分の心の外側というよりはむしろ内奥に神への通路があるとアウグスティヌスは考えていたことになる。


5.【デカルト:疑えば疑うほど確実になるものがある】

 デカルト(1596-1650)は、日本で言えば江戸時代の初期に活躍した人であり、フランスの中部の法服貴族の家に生まれた人物であった。1543年にはいわゆる「天文学上の発見」によってキリスト教会の正統教義であった天動説ではなく、むしろ地動説が主張し始められていた。このように教会の権威が動揺し、諸信念が危機を迎えていた時代、デカルトは、これまで信じており、また教えられてきたものが本当のところは確実なことなのだろうか、と疑いを持ち始めていた。しかし、では、もはや疑わしいものにとって代えて、今度は何を信じればいいのだろうか。その当時に新しく出てきていた諸科学だって、即座に飛び付けるほど絶対確実かどうかはわからない。では、そもそも、絶対確実なものなんてあるのだろうか。これがデカルトにとって、大問題であった。だから、少しでも疑い得るものはなんであれ全力で疑ってみようとデカルトは試みたのである。多くのものごとは、疑えば疑うほど確実性は揺らいでいく。しかし、この世の中にただひとつ、疑えば疑うほど、むしろ確実性が強まっていくものがある。それが、「考えているということ」であった。実際、「考えているということ」が本当かどうかと考えている時、そのとき、やはり考えてしまっている。「もしかして全部が夢かもしれない」と考えている時、考えてはいる。考えていることを疑うとき、考えてはいるので、考えていることそれ自体から逃れられているわけではない。考えていることを疑えば疑うほど、本当に考えているのかどうかを考えていること自体は認めざるをえなくなっていく。そして、考えているからには考える主体がいるはず(=考えるためには考える主体が必要なはず)で、ゆえに考えている私が存在することは絶対確実である。デカルトはこのような道筋を進んだ。このようなデカルトの道行きは、ヨーロッパの思想界に賛否両論のさまざまな議論を巻き起こすことになった。

 

6.【ルソー:一般意志は全体意志ではない】

 ルソー(1712-1778)は、ジュネーブの生まれで、『むすんでひらいて』のメロディーの作者であった。社会哲学者としてのルソーは、「人間は自由なものとして生まれるも、いたるところで鎖につながれている」(『社会契約論』冒頭)と考え、私有財産制さえ不平等につながるとした。同じ社会哲学者のロックの場合には、私有財産制自体は保証し、各人の私有財産に危害を加える人に、刑罰を加えるための力として政府の権力を認めるわけだが、ルソーからすると、これは結局不平等を固定化するための方便に過ぎなかった。それゆえルソーは、私有財産制自体を廃止してしまい、個人の財産すべてを国家に委ねるべきだと考えたのである。では、共同体の存続のために最大多数者の利益が常に優先され、個人は犠牲にされるべきだというあまりにも単純なことをルソーは言っていたのであろうか。実はそうではない。ルソーは、多数者の圧政へとつながりかねない、各人の特殊意志の算術的総和としての全体意志から、「一般意志」を区別し、一般意志はむしろ個々人の間の差異が最大化されることを保証し、皆の共存と自由とが同時に達成されるように、つまり全体意志あるいは多数決の暴政によって少数者が犠牲にされるといったことが生じないように意志する、全員のための意志だとした。このルソーの考え方は、フランス革命において指導者となったジャコバン派ロベスピエールに大きな影響を与えた。


7.【カント:人間には何がわかりえないのか】

 カント(1724-1804)は、ハンザ同盟加盟都市のひとつ、北ドイツのケーニヒスベルグの生まれで、現在のロシア領のカリーニングラードで生まれた。カントは元々、天文学を研究していたのだが、56歳の時に『純粋理性批判』を書いた。人間の認識能力(=理論理性)の可能性と限界を論じた主著が『純粋理性批判』である。また、意志を規定する根拠とされた、善悪を判断する能力(=実践理性)を論じたのが、『実践理性批判』であり、美しさと自然(例えば峨々たる山脈)の神々しさを感ずる際に用いている能力(=判断力)を論じたのが、『判断力批判』である。では、具体的にカント哲学にはどんな意義があったのだろうか。代表的な意義を3点挙げておく。①まず、「神は存在するのか」とか「死後の霊魂は存在するのか」といった問題に熱中していた当時の哲学者たちに対して、そのような問題は原理的に認識不可能であるとし、そのような問題を考えるよりも哲学には考えるべきことがあるとし、哲学の方向転換を促した点。②次に、我々が何かを認識する際には、常に既に色眼鏡をかけてから認識していて、人間皆にとって普遍的に正しく思われることであっても、人間皆が同じ色眼鏡をかけているから人間皆にとって普遍的に正しく思われているに過ぎないのだということを示した点。③また、『実践理性批判』で「汝の意志の格率がつねに同時に普遍的立法の原理に妥当せんよう行為せよ」(=「汝の主観的原則が普遍的な法則となることを求める意志に従って行動せよ」=「誰もが行うべきだと考えられるようなことだけをやってください」)と述べられているように、自分だけが得をすることはもちろん、自己犠牲までをも特別扱いだとして倫理的に正当化しなかった点。

 

8.【ヘーゲル:花が咲けば蕾は否定され実がなれば花は否定される】

 ヘーゲル(1770-1831)は、南ドイツのバイエルンにあるシュトゥットガルドに作曲家のベートーヴェンと同じ年に生まれた。ヘーゲルはイタリア・オペラを好んだ。ヘーゲルは哲学の方法として、「弁証法」という方法を用いていた。この方法は、同じ問題についてふたつの対立する立場を考え(=定立と反定立)、その対立する立場の核心部を維持しながら調停(=止揚)する立場を考え出す(=総合定立)という方法である。弁証法は妥協案を作ることではない。例えば、「「正月に小樽に行きたい人」と「正月に蔵王に行きたい人」がいるとして、小樽ではスキーができず蔵王では海産物が食べられないので、その代わりに洞爺湖に行けばスキーができて海産物も食べられるだけでなく、さらに温泉にも入れるから洞爺湖にいくことにする」というのは「弁証法」ではなく「妥協案を作ること」である。また、「うどんを食べたい人とカレーを食べたい人が対立したのでカレーうどんを食べにいくこと」も弁証法ではない。弁証法は、人間同士の対立を調停する方法かのように見えてしまうのだが、ヘーゲルは日常で生じうる些細な対立を解消するテクニックを披露しているのではない。実際、「うどん派」と「カレー派」は対立しているけれど、別に「うどん」と「カレー」は対立してない。さらに「カレーうどん」において、「カレー」と「うどん」はそれぞれ自らの姿を変えていないまま合体している。また、「カレーうどん」は、「カレー」や「うどん」より高次の段階のものではなく「カレー」や「うどん」と同じ水準にあり、「料理」の一種に過ぎない。弁証法における高次の段階とは、むしろ「もともとあった自分のあり方」を放棄して、新たな関係を築いた先にあるものである。そこで、哲学の方法である「弁証法」の具体的使用場面を見てみよう。例えば、『精神現象学』の最初の部分(=「感覚的確信」)では、①私が机を見るときに、「これは机である」と記述する。②次に、机の上のペンをみて「これはペンである」と記述すると、先ほどの「これは机である」という記述は否定される(=意識があるものに向かうと、その前に意識されていたはずのものは意識されなくなる)。③次に、「机」や「ペン」という「個別的なもの」はその都度、感覚的に確信されるが、その都度否定されてしまい、結局は「これ」という、ありとあらゆるものを指し示すことのできる言葉(=「一般的なもの」)のみが残るということが気づかれる、という具合に、意識のあり方の発展が語られている。また、ヘーゲルの『アンティゴネ』の解釈においては、「家族の義務」を大切にするアンティゴネが、「共同体の掟」を重視するクレオンによって死刑になり否定される。ところが「家族の埋葬」は、単に家族の義務だったのではなくて、「共同体」よりも高次の「神々の掟」だったので、「アンティゴネと対立していたクレオンも罪を犯していたのだ」ということになりクレオンも否定されるという弁証法的解釈になっている。また、もっとわかりやすい弁証法の例であれば、「植物が育つ」というモデルを考えてみてもよい。「花が咲けば蕾は消えて否定される」し、「実がなれば花は消えて否定される」という弁証法的発展をしていると言えることがわかるだろう。いずれにせよ、弁証法において目指されており、問題になっているのは、「妥協案を作ること」においてのように「対立の解消(≒友達と喧嘩しないこと)」などではなくて、「「他」による「自己の否定」」と「高次の段階」なのである。つまり、「対立の解消」は弁証法において目的ではなく結果である。

 

9.【マルクス:すべての歴史は階級闘争の歴史である】

 マルクス(1818-1883)は、ドイツ西部のトーリアの弁護士の家に生まれた。マルクスは、ヘーゲルのように、「歴史は精神の自己展開によって進む」とは考えなかった。では、ヘーゲルは歴史展開の原理をどのように考えていたのか。次のように考えていた。人間は、我々を取り囲む自然から技術によってエネルギー(=生産諸力)を取り出すために、生産諸関係(=領主と農民のような階級のこと)を組織する。そして、この組織の中には「余剰生産物」が蓄積されていく。そしてあるときこの余剰生産物を梃子(てこ)にした技術革新によって生産諸力が大きく増大する。そして、生産諸力が増大すると、新たな生産諸関係が組織されるのである。これがいわゆる「革命」なのであり、だから、「すべての歴史は階級闘争の歴史である」。そして、たとえば「ドイツ観念論」などの思想は、 上記の生産諸関係という下部構造の上になり立ち、その体制を正当化するために生産諸関係の成立を後追いする仕方で作られた、「イデオロギー」に過ぎない。このように、「下部構造(=各時代の生産諸力に対応した生産諸関係)は、上部構造(=その時代に主流となる思想や宗教や道徳)を規定する」のである。例えば、①農業を下部構造とする社会であれば、水路を共同で開発し、田畑を開墾するなど、共同体単位で人は働くことになる。だから、そこで主流となる思想は、共同体の調和を乱したり富を独占したりすることを良しとはしないだろう。②それに対して、農家から都会に出てきた人々で構成されているような、工業を下部構造とする社会であれば、工場労働者や事務労働者が個人あるいは核家族単位で行動することになる。だから、そこで主流となる思想は、「プライバシー」や「自己決定権」を尊重するような思想となるだろう。③さらに、(肉体を駆使した)サービス業を下部構造とする社会では、デザインや広告やアイデアなどを駆使したオリジナリティが求められる。だから、そこで主流となる思想は、工業社会において以上に、各人に個性と創造性とを要求するだろう。このいずれにおいても、生産諸関係としての経済システム、すなわち下部構造が上部構造を規定していることになる。マルクスがこのような「唯物史観」に至ったのは19世紀の煤煙が立ち込めるロンドンにおいてであり、当時のロンドンは、公害規制も労働時間規制も全く十分ではなかった。


10.【ニーチェ:獅子から幼子の強さへ】

 ニーチェ(1844-1900)は、東ドイツライプチヒの牧師の家に生まれ24歳にしてバーゼル大学の教授に抜擢された人物である。キリスト教の教義によれば、善悪の起源は神の決定であるらしい。しかし、ニーチェによれば、善悪の起源は弱者が持つ強者にたいする嫉妬心に発する精神的な奴隷一揆であるという。例えば、次のような過程で善悪は産まれるのである。どうしても腕力や知力において歯がたたないので、強者に負け続けた弱者たちが、ある日、「どうせあいつらはズルをしているから強いのだ」とか「我々は神に選ばれているから試練を受けているだけなのだ」とか「彼らは肉体や頭脳においては優れていても、精神的には劣っているのだ」として、強者を「悪者(わるもの)」とし、その反対に自分らを「善人」と規定するのである。このような、弱者の強者に対する道徳上の奴隷一揆、すなわち嫉妬心から発された逆転の一計によって、主流の道徳理論が樹立されたというのが、ニーチェの考えであった。例えば、キリスト教の道徳は、元を辿ればローマ帝国時代の弱者たち、つまりは奴隷の道徳なのであって、「善悪は神によって定められた」などというのは弱者が「ルサンチマン(=嫉妬心)」という道徳の起源を隠蔽し、自己を正当化するために捏造した見せかけの理屈に過ぎないとしたのである。こうして従来奉じられてきた価値の卑劣な起源を暴露したニーチェは、従来の価値を否定する必要にさえ駆られずに、新たな価値を創造していくような、強く率直な存在への生成変化を次のように呼びかけている。

 

哲学書からの引用集】

1.【オネットムとは特殊属性が与えられるとその人が思い出されるのにその人が与えられると特殊属性が思い出されないような平衡感覚の優れた人である】
「紳士(=オネットムhonnête homme)について、彼は数学者だ、雄弁な人などと言われるようであってはならない。彼は紳士なのだ。私の気に入るのは、ただこの普遍的な性質だけだ。ある人に出会ったとき、その著書が思い出されるのは芳しくない兆候だ。雄弁が話題になっているときでなければ、彼が雄弁であることは思い出してほしくない。しかし、話題になっていれば、思い出してほしい。」

(パスカル『パンセ』中巻、塩川徹也訳、岩波文庫、2015年、362頁)


2.【なぜすべてについて少しだけ知るべきなのか】
「すべてについて知りうることのすべてを知って、万能になるのはできない相談だから、すべてについて少しだけ知らなければならない。なぜならあることについてすべてを知るよりは、すべてについていくらかを知るほうがはるかに見事だからだ。こちらの普遍性のほうがもっと美しい。」

(パスカル『パンセ』上巻、塩川徹也訳、岩波文庫、2015年、236頁-237頁)


3.【幸福とは現存の感情だけが魂の全体を満たすことである】
「いつまでも現在がつづき、しかもその持続を感じさせず、継起のあとかたもなく、欠乏や享有の、快楽や苦痛の、願望や恐怖のいかなる感情もなく、ただわたしたちが現存するという感情だけがあって、この感情だけで魂の全体を満たすことができる、こういう状態があるとするならば、この状態がつづくかぎり、そこにある人は幸福な人と呼ぶことができよう。」

(今野一雄訳、『孤独な散歩者の夢想』、岩波文庫、1960年、87頁-88頁)


4.【ハイデガーにおける非本来性】
「<だれでもないだれか>によって、このように選択することもなく引きずられていくことで、現存在は非本来性のうちに巻き込まれてゆく。このようなはこびをもとに戻すことができるのは、現存在がじぶんを、<ひと>へと喪失されているありかたから、ことさらにじぶん自身のもとへと連れもどすことによってのみである。」

(熊野純彦訳、『存在と時間(三)』、岩波文庫、2013年、211頁)

 

5.【ツーハンデネスとフォアハンデネスの区別】
「「道具的存在者(Zuhandenes)」·「道具的存在」·「道具的存在性」は、「事物的存在者(Vorhandenes)」・「事物的存在」·「事物的存在性」に対する。前者は、「手(Hand)」と「かかわりあう(zu)」という意味を含み、したがって手の延長と解されている「道具」に関係する。これに対して後者は、「手(Hand)」の「まえにある(vor)」という意味を含み、したがって、手から離れて、人間とのかかわりあいの向こう側に存在する「事物」に関係する。」

(ハイデガー存在と時間Ⅰ』原佑・渡邊二郎訳、中公クラシックス、2003年、187頁)

 

6. 【啓蒙とは未成年状態からの勇気ある離脱である】
「啓蒙とは人間が自ら招いた未成年状態から抜け出ることである。未成年状態とは、他人の指導なしには自分の悟性を用いる力がないことである。この未成年状態の原因が悟性の欠如にではなく、他人の指導がなくとも自分の悟性を用いる決意と勇気の欠如にあるなら、未成年状態の責任は本人にある。したがって啓蒙の標語は、「あえて賢くあれ!Sapere aude!」「自分自身の悟性を用いる勇気をもて!」である。[…] なぜ彼ら(=多くの人間)は生涯をとおして未成年状態でいたいと思い、またなぜ他人が彼らの後見人を気取りやすいのか。怠惰と臆病こそがその原因である。未成年状態でいるのはそれほど気楽なことだ。」

(福田喜一郎訳『カント全集第14巻(「啓蒙とは何か」)』、岩波書店、2000年、p25)


7.【哲学は学ぶことができない】
「哲学は(それが歴史的でないかぎりは)決して学ぶことはできない。理性に関しては、ひとはせいぜいのところただ哲学をすることを学びうるのみである。」

(有福孝岳訳、『カント全集第6巻』岩波書店、2006年、115頁-116頁)


8.【馬:アブ=ポリス:哲学者】
「私(=ソクラテス)は神によってポリスにくっ付けられた存在なのです。大きくて血統はよいが、その大きさのゆえにちょっとノロマで、アブのような存在に目を覚まさせてもらう必要がある馬、そんなポリスに、神は私をくっ付けられたのだと思うのです。その私とは、あなた方一人ひとりを目覚めさせ、説得し、非難しながら、一日中どこでもつきまとうのをやめない存在なのです。」

(納富信留訳『ソクラテスの弁明』、光文社古典新訳文庫、2012年、65頁)


9.【ブリコルール(器用人)とはどんな人か】
「器用人(bricoleur)の使う資材の世界は閉じている。そして「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。しかも、もちあわせの道具や材料は雑多でまとまりがない。[…]ブリコルールの用いる資材集合は[…]「まだなにかの役にたつ」という原則によって集められ保存された要素でできている。」

(レヴィ=ストロース『野生の思考』大橋保夫訳、みすず書房、1976年、23頁)


10.【哲学とは「クルトゥラ・アニミ(cultura animi)」である】
「哲学とは、魂を耕すことである。(Cultura animi philosophia est.)」

(キケロトゥスクルム荘対談集』)


11.【アーレントの「政治」は「多様であること」が最大の必要条件】
「活動(action)とは、物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行なわれる唯一の活動力であり、多数性という人間の条件、すなわち、地球上に生き世界に住むのが一人の人間(man)ではなく、多数の人間(men)であるという事実に対応している。たしかに人間の条件のすべての側面が多少とも政治に係わってはいる。しかしこの多数性こそ、全政治生活の条件であり、その必要条件であるばかりか、最大の条件である。たとえば、私たちが知っている中でおそらく最も政治的な民族であるローマ人の言葉では、「生きる」ということと「人びとの間にある」ということ、あるいは「死ぬ」ということと「人びとの間にあることを止める」ということは同義語として用いられた。」

(ハンナ・アーレント『人間の条件(The Human Condition)』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994年、20頁)

 

12. 【ストア派にとって哲学とは防壁のことである】
「外には数多くの災いがあって、私たちを取り囲み、私たちをあるいは欺き、あるいは圧迫する。内にも数多くの災いがあって、孤独のただなかにいても激しく心を波立たせる。哲学という防壁を周囲に築かねばならない、運命がさまざまな攻城機械で攻め立てても超えることのできない難攻不落の城壁を。その征服しえない高みに立つ魂は、外なるものを放棄し、みずからの砦で己の自由を守り抜く。」

(セネカ「ルキリウス宛書簡82」(←ただしルキリウスという人物は実在しない可能性がある)『倫理書簡集I』大芝芳弘訳、『セネ力哲学全集』第6巻所収、岩波書店、2006年、15頁)


13.【ハイデガーの抛下とはリラックスして今までの自分から自由になること】
「実際私は、放下(Gelassenheit)という語が何を言っているのか、未だ知ってはおりません、併(しか)しそれでも大略次のように予感しております、すなわち、放下が目覚めるのは、我々の本質がそれ自身を抑々(そもそも)意欲に非(あら)ざることの内へ放ち入れるということ、そのことへ我々の本質が放ち容れられている場合であると。」

(ハイデガー『抛下』辻村公一訳、理想社、1963年、50頁)


14.【デカルトにおける良識】
「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。[...]われわれはみな、大人になる前は子供だったのであり、いろいろな欲求や教師たちに長いこと引き回されねばならなかった。しかもそれらの欲求や教師は、しばしば互いに矛盾し、またどちらもおそらく、つねに最善のことを教えてくれたのではない。したがってわれわれの判断力は、生まれた瞬間から理性を完全に働かせ、理性のみによって導かれていた場合ほどに純粋で堅固なものであることは不可能に近い」

(デカルト方法序説」、谷川多佳子訳、岩波文庫、1997年、22頁)


15.【プラトンにおける哲学の飛び火】
「その事柄については私の書物というものは決してありません、また今後あることもないでしょう。というのは、その事柄はその他の学科と違って語ることのできるものではなくて、事柄そのものに関してなされる多くの共同研究と共同生活とから、いわば飛火によって焚き付けられた光のように、突如として、魂のうちに生じてきて、やがて自分で、自分を養うものなのです。」

(プラトン「第七書簡」『書簡集』山本光雄訳、角川文庫、1970年、62頁)


16.【ラクダ→獅子→幼な子の生成変化】
「 わたしはきみたちに精神の三つの変化を挙げてみせよう。すなわち、精神がラクダになり、そしてラクダがシシになり、そして最後にシシが子供になる次第を。内に畏敬を宿す精神、強くて、重荷に耐える精神にとっては、多くの重いものがある。この精神の強さは、重いものを、最も重いものを欲しがるのだ。

 何が重いか?重荷に耐える精神はそう尋ねて、ラクダのように、ひざまずき、そして、たっぷりと荷を負わされることを欲する。わたしがわが身に負うて、わたしの強さを享楽すべき、最も重いものは何か、きみら英雄たちよ?重荷に耐える精神はそう尋ねる。

 最も重いものは、こういうことではないか、すなわち、自分の高慢さに苦痛を与えるために、わが身を低めることではないか?自分の知恵をあざけるために、自分の愚かさを明らかにすることではないか?

それとも、こういうことなのか、すなわち、われわれの仕事がその勝利を祝うとき、それから別れることなのか? 誘惑者(悪魔)を誘惑するために、高い山へ登ることなのか?それとも、[以下、長いので中略]

 重荷に耐える精神は、これら最も重いもののすべてをわが身に負う。こうして彼は、荷を負わされて砂漠へと急ぐラクダのように、自分の砂漠へと急ぐのだ。だが、この最も寂寥たる砂漠において、第二の変化が起こる。ここで精神はシシになるのだ。彼はみずからの自由をかちとろうとし、自分自身の砂漠において主であろうとするのだ。

 彼はここで自分にとっての最後の主を捜し求める。彼は、この最後の主、自分の最後の神に、敵対しようとするのだ。彼は大きな竜と勝利を争おうとするのだ。精神がもはや主とか神とか呼ぶことを欲しない大きな竜とは、どのようなものか?この大きな竜は、「なんじ、なすべし」と呼ばれる。だが、シシの精神は「われ欲す」と言う。「なんじ、なすべし」が、この精神の行く道のかたわらに、金色にきらめきながら、横たわっている。それは一匹の有鱗動物であって、そのうろこの一枚一枚に、「なんじ、なすべし!」が金色に輝いている。これらのうろこには、千年の諸価値が輝いている。そして、あらゆる竜のなかで最も強大なこの竜は、次のように語る。「諸事物のあらゆる価値―――それがわが身に輝いている。」 「あらゆる価値はすでに創造された。そして、あらゆる創造された価値―――-わたしがそれである。まことに、もはや〈われ欲す〉が存在してはならない!」竜はこのように語る。

 わたしの兄弟たちよ、なんのために精神のうちなるシシが必要であるのか?断念し、畏敬の念に充ちた、重荷を負いうる動物では、なぜ充分ではないのか?新しい諸価値を創造すること―――それはシシもいまだなしえない。だが、新しい創造のための自由を獲得すること―――それはシシの権力のなしうることだ。自由を獲得し、義務に対しても或る神聖な否認を行なうこと、そのために、わたしの兄弟たちよ、シシが必要なのだ。

 新しい諸価値への権利を取得すること―――それは、重荷に耐え、畏敬の念に充ちた精神にとって、最も恐ろしい取得である。まことに、このような精神にとって、それは強奪であり、猛獣のしわざである。この精神はかつて「なんじ、なすべし」を自分の最も神聖なものとして愛した。いまや彼は、自分の愛からの自由を強奪するために、最も神聖なもののうちにすらも、妄想と恣意とを見いださなくてはならない。この強奪のために、シシが必要なのだ。だが、言え、わたしの兄弟たちよ、シシもなしえなかった何ごとを、子供はさらになしうるのか? なぜ、強奪するシシは、さらにまた子供にならなくてはならぬのか?

子供は無邪気そのものであり、忘却である。一つの新しい始まり、一つの遊戯、一つの自力でころがる車輪、一つの第一運動、一つの神聖な肯定である。そうだ、創造の遊戯のためには、わたしの兄弟たちよ、一つの神聖な肯定が必要なのだ。いまや精神は自分の意志を意欲する。世界を失った精神は自分の世界をかちえるのだ。

わたしはきみたちに精神の三つの変化を挙げてみせた。すなわち、精神がラクダになり、そしてラクダがシシになり、そして最後にシシが子供になった次第を。」(『ツァラトゥストラはかく語りき』太線強調は引用者)

 

 

 

人類史と進化に関するノート

【宇宙の歴史まとめ】
宇宙の始まりは138億年前。太陽系が生まれたのは約50億年前。太陽系に地球が生まれたのは推定45.5億年前。生物が産まれたのはいまから約38億年前。「細胞」が生まれたのはいまから約33億年前。生物よりも「ウイルス」の方が先に出現したのか、それとも約38億年前に「生物」が誕生した後に、それを利用して増殖する「ウイルス」が出現したのかという点は、よく分かっていないが、おそらく「生物」が先だろうと言われる。ホモ・サピエンスが出てきたのは30万年前である。産業革命は、1760年から1840年なので、たかだか200年前くらいである。

【文明の歴史】
3万年前から「芸術」の証拠がある。農耕と牧畜の開始が1万年前である。5000年前に古代文明が起こった。

地質年代の区分まとめ】
地球には46億年の歴史がある。38億年前に初めての「生命」が地球上に現れたが、そこからはずっと単細胞で、小さくて見えないような生きものの時代が極めて長く、5億4000万年前にようやく化石に残るような大きさの生物が出てきた。現在は「顕生代」である。顕生代は、「化石に残るような生きものがたくさん出てきた時代」である。46億年前は「冥王代」で、その次が「太古代」で、その次が「原生代」で、その次が「顕生代」である。5億4000万年前から顕生代が始まって、「顕生代」の中身は「古生代」と「中生代」と「新生代」に分かれている。古生代で有名なのは古生代の最初、つまりカンブリア紀である。中生代は基本的に「恐竜の時代」だと覚えていたらよくて、新生代とは基本的に「哺乳類の時代」だと覚えておいたらよい。新生代は6600万年前に始まる。今から6600万年前に始まった新生代の中身は「古第3紀」と「新第3紀」と「第4紀」の3つに分けられる。今はこの「第4紀」である。この「第4紀」は258万年前に始まって現在まで続いている。今度はこの第4紀の中を見てると、「更新世(Pleistocene)」と「完新世(Holocene)」の2つに分けられている。「1万1700年前」に最終氷河期が終わって、今は暖かい「間氷期」にあたる。この「1万1700年前」から現在までが「完新世」である。完新世では、最終氷期が終わったので人間は農耕牧畜を始めたのである。つまり今は、顕生代の中の新生代の中の第4紀の中の完新世である。しかし2000年ごろから、この第4紀の中に「人新世(Anthropocene)」を認めるべきだということを、オランダの大気化学者パウル・クルッツェンと、アメリカの生態学者でユージーン・ストーマーなどが提唱している。クルッツェンはオゾンホールの研究で1995年にノーベル化学賞を取っている。シヴィツキーらの研究によると人新世の始まりは1950年以降であるという。


【出アフリカは3回あった】
原人の出アフリカ→旧人の出アフリカ→新人の出アフリカという3回の出アフリカがあったことになる。原人の代表はホモ・エレクトスである。旧人の代表はネアンデルタール人とシベリアのデニソワ洞窟から出たデニソワ人である。新人はホモ・サピエンスである。

 

【サフールランドとスンダランド】
最終氷期が終わったのは1万1700年前だが、その前は氷河期であった。氷河時代には海水面が低下していた。海の水が陸に上がって、それが氷河で凍っていた。したがって、海の水が少なくなるので、海面は最低でも80メートルは低下するということになる。だから、パプアニューギニア、オーストラリアの間にある、「アラフラ海」という非常に浅い海が全部つながっていた。それから、タスマニア島、これらが1つにつながって、専門的には「サフールランド」と呼ばれる陸地だったのだ。さらに氷河時代インドシナベトナムカンボジア、タイ、といった国々が今あるところと、マレー半島スマトラ島、ジャワ島、そしてボルネオ島が全部つながった「スンダランド」という、非常に巨大な半島があった。これを「スンダランド」と呼ぶこともある。ちなみに北海道と樺太も繋がって巨大な半島になっていた。津軽海峡はとても深いので陸地ではなかった。


【霊長類の歴史まとめ】
霊長類の共通祖先から、2000万年前にテナガザルが分かれた。1500万年前にオランウータンが分かれた。900万年前にゴリラが分かれた。600万年前にチンパンジーとヒトが分かれた。「ルーシー」が有名である。つまり600万年前までチンパンジーとヒトは同じ動物だったということである。チンパンジーの立場から見ると、ゴリラよりヒトのほうが一緒にいた期間が長いということになる。人から見たらチンパンジーとゴリラのほうが近そうだが、チンパンジーから見たらチンパンジーはゴリラから遠くにいるのである。250万年前にチンパンジーと分かれた後のホモ属がアフリカで進化した。「トゥルカナボーイ」が有名でこの頃の脳容量はだいたい900ccくらいであった。ただしこのときはまだホモ属というだけであって、ホモ・サピエンスとは限らない。200万年前にホモ・エレクトスがアフリカを出てユーラシア大陸に拡散した。これが「北京原人」とか「ジャワ原人」とか「ハイデルベルク原人」とか「ドマニシ原人」である。しかしこれらの原人は全て絶滅してしまった。「オルドワン石器」という用途が5種類くらいしかない石器を使っていたらしい。しかし、180万年前から始まってそこから「ムステリアン石器」が発明されるまで100万年間くらい使われていた石器を「アシュレアン石器」という。人類の脳は、この最後の200万年間で3倍に巨大化している。20万年前にアフリカでホモ・サピエンスが進化した。この頃の脳容量は1400ccであった。有名なのは「クロマニヨン人」である。10万年前から5万年前にホモ・サピエンスがアフリカを出てオーストラリアやアメリカ大陸を含む地球上の全てに拡散した。地球上の全ての国の民族は、20万年前には全員アフリカ人であったことになる。黒人も白人も金髪も茶髪も、20万年前にはみんなアフリカ人だったのである。ちなみに、有名な「ネアンデルタール人」や謎の「デニソワ人」などは、現生人類の祖先と少し交配していたとされている。これらは「旧人」と呼ばれ、我々「新人」とはDNAが異なり、新人よりも先にアフリカを出ていたのである。日本列島に新人ホモ・サピエンスの集団がやってきたのが3万8000年前(3万8000年前というのはかなり遅い。オーストラリアにはもっと早くに到達していたからである。ちなみにハワイが一番遅く到達されており、ハワイに到達した人々は「ラピタ人」と言われている。「グレートジャーニー」において、台湾は重要な土地である。なぜならハワイ、それからモアイのあるイースター島、それからマオリ族が行ったニュージーランド、フィジー、そしてマダガスカルに渡った人々は実は台湾を出発点としていたから)で、当時はまだ最終氷期が終わっていないので、今よりも80メートルくらい海面が下がっていたので、北海道は大陸までつながる半島になっていた。だから大陸から北海道までは歩いて来られるんが、その先には津軽海峡の海があって、本州とはつながっていない。それゆえこのルートは寒いし、楽ではない。これが北海道ルートである。朝鮮半島から来ると、対馬海峡は開けているので、海があってこの海を越えないといけない。朝鮮から対馬が見えて、対馬から九州が見えたのである。肉眼で見える程度の距離ではあれど、対馬から九州まで渡るのに海を越える必要があった。これが朝鮮半島対馬ルートである。それから、このときまだ台湾がユーラシア大陸の一部になっているので、台湾海峡はなかった。この台湾から与那国島まで来たというのが沖縄ルートである。ただしこのルートは黒潮の妨害もあるので、最古のルートではない。日本に来るために一番早く開通したルートが朝鮮半島対馬ルートであった。2万5000年前に「細石刃」という非常に特徴的な石器が現れるのだが、これは北海道ルートから来た人々の使っていた石器だろうと言われる。

 

【狩猟採集と農耕定住の違い】
狩猟採集生活には非常にバラエティに富む食事があり、カロリーは取りにくいが、バランスの取れた食事ができて、健康的である。つまり、狩猟採集生活は、新鮮で高品質で栄養が豊富な食生活だけれども、たくさんは採れないので、食べるものの種類だけがとても多くなるわけだ。しかし、カロリーとしては非常に少なく、むしろぎりぎりぐらいで、余裕はない。ある日、飢餓がきて、獲物が捕れなくなると、ばたばたと死ぬ。しかし、皆一応健康なのである。というのも、毎日10キロ以上は歩いているし、歩くだけではなく、走る、掘る、運ぶというような労働を毎日こなしている。これを我々は、600万年の霊長類の歴史のうち、599万年続けていたことになる。それに対して、農耕定住の生活は、貯蔵が可能になり、カロリーがたくさんとれるようになったが、少数の種類の食物に特化して依存することになるので、栄養が偏る。それゆえ、農耕定住生活が始まった直後のものとされている骨の状態は実はそれほど良くない。これをもって、人類はイネや小麦によって使役され、イネや小麦の増殖を助けるための奴隷となってしまったと考える論者(=ハラリなど)までいる。また、蓄積が可能になったことで、その蓄積された富の独占ということも同時に可能になり、「階級」と「不平等」が生まれたのである。また、強い者による税の収奪記録を管理し、誰が税を納めて誰がまだ納めていないのかを記帳するために「文字言語」も発明された。この「文字言語」は、家系を記録するのにも使えるので、一度生まれたヒエラルキー(=階級構造)を維持するためにも使えるものであった。都市も分業もこの頃からである。では、私たちの体や頭、感情などが、このような狩猟採集から農耕定住への変化にリアルタイムで追いついていて、この暮らし方を楽しいものと感じ、適応できているのかというと、そうとも限らない。進化的に言えば、599万年かけて発達させてきた能力に対して、最近1万年のライフスタイルがミスマッチであり、エラーが出やすいとさえ言える。ただし、農耕定住社会になってから、「自分で種を蒔いて自分で収穫する」という予測可能性やコントローラビリティが現れたという点で明らかに未来についての観念が問題になる時代に突入したとは言える。これまでは未来のことは考えても仕方がなかったわけだが、農耕定住社会は未来を常に意識することに価値があるのだ。計画を立てることで、未来の不安に追われつつ、現在をコントロールすることで未来の不安に対処できるようになったのである。

 

人口爆発まとめ】

1650年ぐらいには5億人だったといわれる世界人口。1850年には倍の10億人になり、1930年にはさらに倍の20億人になった。1950年には25億人。1975年には40億人。1987年には50億人。1999年に60億人。2000年には63億人。2011年には70億人になった。

 

【DNAの何がすごいのか】
生物のDNAはいわば4つの文字で書かれている。すなわち、アデニン、チミン、シトシン、グアニンの4つである。この4つからできるアミノ酸は20種類。ところが、この20種類のアミノ酸から出てくるタンパク質は、数百万から数千万にも及ぶ。つまり、単純な原理でありながら非常に複雑な効果を実現しているのである。


【三項関係の論理構造】
「共同注視」による三項関係の成立とは犬を見てワンワンと叫んだ赤ちゃんに対して、親が「うんうん。ワンワンだね。」と同意するということである。この親による同意とは「「『あなたがワンワンを見ているということを私が知っている』ということを、あなたが知っている」ということを、私は知っている」という構造をしている。例えば、赤ちゃんは、人の顔を見て、目を見て、その人が「あるものを見ている」ことを理解し、自分もそれを見ると、何か発話をしたくなる。それで、「ワンワン」とか「アーアー」とか「ウーウー」とか言って、指さしたりします。それを見たお母さんの方は、「赤ちゃんがワンワンを見ている」ということを知っているので、「ワンワンね」と言う。そう言うことにより、赤ちゃんも、お母さんが自分がワンワンを見ているということを理解してくれていると思う。その全体像を、お母さんは理解している。そして、そのことが楽しい。そうやって、「そうね。ワンワンね」と言ってうなずくことが楽しい。人間の赤ちゃんは視線を追うが、そのようなことは猿の場合はやらない。だから、共同注視は人間固有なのだ。


【人間の脳の異常な大きさ】
体重と脳重の関係は比例関係であるが、単純な比例ではなく、頭打ち曲線になる。たとえば、ある程度大きくなってしまうと、それ以上体重が増えても脳は大きくならなくなってくるのが普通なのだ。つまり体重が40キログラムを超えたあたりから、脳の重さはそれほど上昇しなくなるわけである。人間の仲間である霊長類の体の大きさはどのくらいで頭の大きさはどのくらいか考えてみよう。体重と脳重の関係をグラフにすればわかる。霊長類には小さなサル類がたくさんいるが、脳が大きいのは、チンパンジー、オランウータン、ゴリラで、これらは非常に大きい大型類人猿です。チンパンジーの体重は大体40キロ。オランウータンは70キロ。ゴリラは100キロを超える。それでもチンパンジーもオランウータンもゴリラも、脳みそは皆、大体380から400グラムぐらいです。ですから、体重が100キロになっても40キロの時から脳重がそれほど増えていないのである。それに対して、人間の体重を大体60キロぐらいだとすると、脳は1200から1400グラムなので、このグラフの曲線からするとおよそ霊長類の中でも3倍の大きさの脳をもっていることになる。

 

【性淘汰】
ダーウィンナチュラル・セレクションの他に、セクシュアル・セレクションということも考えていた。オスとメスが同じ物理的環境に属しているにもかかわらず性差がこれほどあるのは変だと考えたので、自然淘汰では説明できない性淘汰というものを考えたのである。性淘汰の原理は2つである。ひとつ目が雄間競争で、ふたつ目がメスによる選り好みである。では、なぜこのような性淘汰が生じるのかというと、それは配偶子の大きさにある。メスの配偶子は栄養が多くて大きいから大量生産できないが、オスの配偶子は栄養が少なくて小さいから大量生産できる。これによってオスの配偶子は常に余っている状態になるため、オスの競争が激しくなるのだ。


【ランナウェイ仮説】
一般にきれいな色というのは発色が難しく、非常に元気な個体でないと輝くような色は出ないとか、寄生虫や病原体に強いものでないと長い尻尾は伸ばせない、と言える。つまり、雄の遺伝的な強さ、生存力や免疫力が正直にシグナルとして現れているというわけだ。では、尾羽が長く発色が良い個体は必ず強い生存力を備えた個体なのだろうか。調査の結果、必ずしもそうではないということが分かってきた。この奇妙な事態を説明するのが、ランナウェイ仮説である。ランナウェイとは、「どんどん限りなく」という意味。例えば、「尾羽の長い雄がいい」と雌が選り好みを始めたとする。選り好みを始めたときには、長い尻尾をつくるための免疫力の高さが根拠だった。つまり、寄生虫に侵されず、病原体に強い雄でないと、長い尻尾は作れない。だから尻尾を見れば、いい遺伝子を選べるということが、最初の段階にはあったとする。ところが、その選り好みの性質が雌の中に広がっていくと、どんどん限りがなくなってしまう。なぜだろうか。雌が長い尻尾を好むと、その雌から生まれた次の世代の雄は、前の世代より平均して長い尻尾を持っている。そしてその次の世代の雌は、その中でもさらに長い尻尾の雄の方がいいと選り好みをする。次の世代は、集団としてもっと尻尾が長くなる。それが続いていくと、雄の尻尾は際限なく長くならざるを得ない。こうなると、長くなり過ぎて、もう生きていけないというところへ行き着くまで止まらない。最後には雄自身がもう駄目になる限界までいってやっと止まる。雄は、集団の中で平均より長い尻尾を持たないと、はなから雌に見向きもされない。その選り好みは娘に伝わるため、次の世代の娘は「もっと長い尻尾でなければ、嫌だ」となる。双方がどんどん一緒に共進化して、もうこれ以上尻尾が長くなったらうまく生きていけないところまで行き着く。その実例ではないかとされているのが、グッピーのきれいな色です。グッピーの雄はたいへんきれいな色をしているのだが、「雄の色」と「雌の選り好み」、そして「雄が残す子どもの数」と「雄自体の生存力」を比較してみた実験がある。雌は実際にとても派手な雄を好むので、派手な雄ほど「残す子どもの数」が増えていた。ところが、そういう色が派手な雄ほど生存率が低くて、実際に死にやすいことが、研究の結果から分かった。

 

クジャクの羽根】
クジャクの羽の派手さと繁殖成功率に相関はなく、むしろ「ケオンケオン」という鳴き声の回数と繁殖成功率の間に相関があるらしい。

 

【ライオンの子殺し】
ライオンは別の群れを乗っ取ると、前の群れにいた別のオスの子供たちを全員殺してしまう。なぜなら、子育てが終わるのを待っていたらその群れの雌が発情しないし、それを待っていたら別のオスに乗っ取られて殺されるかもしれないからである。

 

【ブルース効果】
配偶相手ではないオスの匂いを嗅いだメスが流産することをブルース効果という。多数回繁殖の動物の場合、「渡り」の時期に差し掛かった場合、そのヒナは捨てる。現時点での繁殖がうまくいきそうにない場合は子育てをその時点でやめて次の機会に賭けるということを動物はするのである。


進化心理学の祖】
ジョージ・ロマニス(1848-1894)はダーウィンの一番若い弟子で動物の心理と人間の心理を比較する比較心理学をやろうとしたが早死してしまった。

 

【「ウェイソンの4枚カード問題」における「コスミデスとトゥービーの仮説」】
「AとKと4と7という文字が書かれた4枚のカードについて、「ある面に母音があればその裏面は偶数でなければならない」という規則が守られているかどうかを調べるにはどのカードをめくってみるべきか。」という問題の正答率は4%から15%(ちなみに答えはAと7のカード)なのに、「ビールを飲んでいる人とコーラを飲んでいる人と25歳の人と18歳のひとという文字が書かれた4枚のカードについて、「ビールを飲むのは20歳以上でなければならない」という規則がみんなに守られているかどうかを調べるにはどの人を取り調べてみるべきか。」という問い方にすると、正答率が75%にまで上昇する。それはなぜか。コスミデスとトゥービーは、それについて「互恵的利他行動が成り立つためには、利益を得るだけでコストは負わないような抜け駆けをするフリーライダーを検知して排除するメカニズムが必須であり、ヒトにはそのようなメカニズムに特化したモジュールが備わっているのではないか。」という仮説を立てた。これが、コスミデスとトゥービーの仮説である。さらにここから「プーさんのおうちに遊びに行く子とイーヨーのおうちに遊びに行く子と緑色の帽子の子と赤い帽子の子という文字が書かれた4枚のカードについて、「プーさんのおうちに遊びに行く時には緑の帽子をかぶらないといけない」という規則がみんなに守られているかどうかを調べるにはどのカードをめくってみるべきか。」というような問題に変えることで、単に馴染みがあるから正答率が上がるのではなく、馴染みがなくても契約には敏感に反応しているのだということを彼らは実験によって明らかにしようとした。


【原始から「うつ症状」はあったが「うつ病」はなかった】
うつを引き起こす脳機能は非常に古くからあり、ネズミにもうつがある。つまり、「やってもやってもうまくいかない」という経験が重なると落ち込んでやめてしまう、という脳の仕組みはかなり古く、哺乳類ならみんな持っている。なぜならそのようになるのが進化的に考えて適応的だからである。狩猟採集民も、そのように嫌なことが連続して続くと、ずっと引っ込んでいるということはあったはずだ。しかし、このような「うつ状態」はあっても、それを全く病理だとは思われなかった。それはなぜだろうか。その答えは、カレンダーもなく、時計もないのだし、別に9時から5時まで働かなければいけないということはなかったからである。だから、適当な時間に皆で集まって狩りに行くけれど、「あの人、この頃ずっと落ち込んでいるよね。でもまあいいんじゃない。」というような、そうした世界だった。今では病院に通い、薬を飲むことさえある。今のような社会になると、時間を管理されるので、古くからあったこの全く同じ症状が「病気」として認識される。これは、赤ちゃんのころ大きかった母親の手のひらのなかのリンゴが、大人になってから見ると小さく見えるのと同じで、りんご自体は変わらなくても、りんごをどう意味づけるかには可塑性があるからである。テクノロジーの進歩によって、人間それ自体の根本部分は変わらなくても、人間社会がそれをどう意味づけるかは劇的に変わる。うつ症状は変わっていなくても、その人がどう扱われるかは劇的に変わる。本性的に変わらないところは変わらなくても、日常的にやっている可塑性のある部分は激変するわけだ。


【素朴生物学と素朴物理学と素朴心理学が人にはあらかじめキャナライズされている】
「何が食べられるものか、何が危険なものか、こういう生き物はどういう動きをするのか」ということに関する知識が、生得的にキャナライズ(canalize)されているということを素朴生物学という。デイビッド プリマックというアメリカの心理学者が1970年代に「心の理論(Theory of Mind)」を最初に考えた時、言語の不思議について書いた本が『GAVAGAI』である。原始人の世界で、川のほとりでウサギがばっと横切ったところ、そこである原始人が「GAVAGAI」と言った。ここには、それを聞いていた他の原始人は、なぜ「GAVAGAI」を「ウサギ」だと分かるのか、という問題がある。この「GAVAGAI」は、ウサギの動きのことかもしれないし、耳だけのことかもしれないし、白色のことかもしれない、ウサギを見て沸き起こった感情のことかもしれないし、その日の天気のことかもしれない。「GAVAGAI」の意味には、さまざまな可能性が考えられる。その中で、なぜ走っていったウサギを見て「GAVAGAI」と言ったことに対して、それは「ウサギ」を意味すると皆が分かるのか、という素朴な疑問をもとに、言語の不思議さを書いている。それが『GAVAGAI』という本である。明らかに人間は言語を使うときに、その意味を「決め打ち」によって理解している部分があるのだ。例えば、お母さんが「これ「みかん」よ。「み・か・ん」」と言って赤ちゃんにオレンジ色の果物を提示した場合に、それが緑色のヘタの名前であると誤解されない保証は全くないのに、赤ちゃんはあくまでもその果物の全体を優先して理解し、部分の理解は後回しにされるのだ。また、「黄色と黒」で毒々しい危険を表す虫がいるのも、感知する側にもそのように思えないと意味が感受できないわけで、その意味ではすり合わせがあらかじめできているということである。これは共進化の一例である。毒虫の方は喰われないように毒々しい色を進化させ、捕食者の方は喰わないようにその色に対する素朴生物学をキャナライゼーションしたことになる。そして今度は、その捕食者に素朴生物学が備わっていることに適応して、毒がないのに毒々しい色を備えるようなテントウムシなどが現れることになる。


【ウイルスとは何か】
ウイルスは遺伝情報を包んだ袋であって細胞ではない。また、ウイルスは自分でエネルギーを得て代謝することができないので他の生物の細胞に入り込み、そこの力を借りて自らを複製してもらっている。それゆえウイルスは「生物」とは言えないが、複製体ではある。だから、ウイルスは細胞を持った肺炎菌や大腸菌などの細菌類とは全く異なるのだ。ウイルスの大きさは数10ナノメートルから数100ナノメートルで普通の細胞の100から1000分の1の大きさである。ウイルスには、遺伝情報とそれを覆うタンパク質の殻である「カプシド」のみの構造のものが基本なのだが、そのさらに外側に「エンベロープ」という脂質の膜があるものもある。新型コロナウイルスエンベロープを持っていて、エンベロープはリン脂質なので、アルコール消毒をしたり石けんを用いて手洗いしたりすると、油が石けんで落ちるのと同じ原理でエンベロープも壊れるわけだから、これが非常に効果的である。ウイルスがどの細胞に入れるのかはきわめて特異的に限定されており、インフルエンザウイルスなどは鼻や気道の上皮細胞であるし、ノロウイルスは腸の細胞であるし、単純ヘルペスウイルスは口唇と口内の細胞だけである。家畜の「口蹄疫ウイルス」も有名である。有名な植物ウイルスは、「タバコモザイクウイルス」というもので、タバコの栽培を阻害する病気を発現させる原因として研究が進み、それがウイルスであることが判明した。植物は自らの遺伝子のなかにウイルスに対抗できる遺伝子を進化させて保持している。単細胞で人間に悪影響を与えるものは「バイ菌」と呼ばれるが、そのような細菌類に感染するウイルスで有名なのが「バクテリオファージ」である。ウイルスには、DNAを持っているものと、RNAを1本持っているものと、RNAを2本持っているものがある。1980年代に「天然痘ウイルス」を撲滅できたのはなぜかというと、「天然痘ウイルス」はDNAを持っているウイルスだったからである。そもそもDNAの二重螺旋構造というのは遺伝情報保存のための強固な構造であるから、天然痘が変異したりする前に人間による対抗策が取りやすかったのである。しかし、そもそもRNAは1本鎖である。ということは、変異しやすい。さらに、RNAから逆にDNAを作れる逆転写の構造をもつウイルスを特別に「レトロウイルス」という。このレトロウイルスは、逆転写酵素の働きが不正確で、裏情報から表情報をつくる際の精度が高くないので、ウイルスの遺伝情報が頻繁に変化していくため、進化速度が非常に速くなることが知られている。ヒトの免疫を壊す病気であるAIDSの原因となるHIVウイルスの進化速度は、宿主の細胞の100万倍である。レトロウイルスとは要するに、逆転写酵素を用いて一本鎖RNAを読み取って「マイナスの裏DNA」をつくり、それを鋳型として本物のDNAを宿主の細胞内で生成するというウイルスである。宿主の細胞が自分のDNAを用いてさまざまなタンパク質をつくる際に、宿主のDNAのなかにウイルスのDNAが埋め込まれているので、そこからメッセンジャーRNAがつくられて、さらにそこからウイルスのタンパク質がつくられていく。これが、レトロウイルスに乗っ取られるということの意味である。大きな被害をもたらす有名なウイルスのほとんどは、このDNAウイルスよりも変異しやすい1本鎖RNAのウイルスで、HIVウイルスも新型コロナウイルスも、SARSウイルスも、エボラウイルスも、インフルエンザウイルスも、ノロウイルスなどもそうである。ちなみに、HIVウイルスの起源はアフリカのサルのSIVであろうと言われている。インフルエンザウイルスの場合は、もともとカモやアヒルといった水鳥に感染するウイルスだった(ただし水鳥はインフルエンザウイルスとの共生に成功しているので症状は出ない)らしいが、水鳥からニワトリへ、ニワトリからブタへ、さらにブタからヒトに感染するようになったという。エボラウイルスは、アフリカのコウモリの仲間が起源だと言われているがよくわかっていない。黄熱病の場合には、蚊が媒介してアフリカで発生している。キャサヌル森林熱はマダニに刺されると感染するが、これらはインドのリス、コウモリ、サルなどの動物への感染を媒介しており、それらに既に吸血したマダニにヒトが吸血されると感染するという仕組み。マールブルグ熱もウイルス由来の病気である。妊婦が発症すると胎児に影響が出るジカ熱やデング熱は、「ネッタイシマカ」という蚊が媒介していて、この蚊に吸血されると発症する。

 

能登客院と敦賀客院】
渤海(698-926)」という国が、今の沿海州にあった時、能登客院、敦賀客院(つるがきゃくいん)という呼び名で、能登半島や今の福井県敦賀(つるが)に渤海の国の使節をきちんと迎えるところがあった。そこから彼らは奈良、あるいは京都に行った。

モンテーニュとパスカルからの引用

パスカルからの引用は、

セリエ版は[S]

ラフマ版 [L]

ブランシュヴィック版は[B]

で表記する。

 

【『エセー』の序文】

「読者よ、これは正直一途の書物である。(中略)もしも世間の好評を求めるのだったらわたしはもっと装いをこらし、慎重な歩みで姿をあらわしたことだろう。わたしは単純な、自然な、平常の、気取りや技巧のない自分を見てもらいたい。というのは、わたしが描くのはわたし自身だからである。(中略)読者よ、このようにわたしというものがわたしの書物の題材なのだ。こんなにつまらぬ、虚しい主題のためにきみの時間を費やすのは道理に合わぬことだ。では御機嫌よう。モンテーニュにて 1580年3月1日。」(「読者へ」『エセー』序文)


【覆ったのだからまた覆るかもしれない】

「3000年の間、天と星とが地球のまわりを運行し、皆もそう信じていた。だがついにサモスのクレアンテスだか、テオフラトスによればシュラクサイのニケタスだかが、実は地球の方が黄道帯の斜めの地帯を通ってその軸のまわりを回転しているのだと主張することを思いついた。そして今日では、コペルニクスがこの説を立派に根拠付け、あらゆる天文学的結果に適合するようそれを用いている。だが、ここからわれわれが学ぶべきは、これら二つの説のうちどちらが正しいかという問いは重要ではないということである。それに、今から千年後、第三の意見が出て、先の二つの意見を覆さないとは限らないのではないだろうか。」(『エセー』第二巻、第12章)

 

【実験によって私を知る】

「たとえ誰も読んでくれなくとも、わたしがこんなに多くの間暇を、こんなに有益な愉快な思索に紛らしたことが、時間の空費と言えるだろうか。わたしは自分にかたどってこの像を作りながら、わたしの姿を取り出すために何度も自分を整え、身構えねばならなかった。そのために原型(=自分)の方がひとりでに、ある程度固まって形ができてきた。他人のために自分を描きながら、初めの頃よりも鮮明な色彩で自分を描くことができるようになった。わたしが書物を作ったというよりも、むしろ書物がわたしを作ったのである。これは著者であるわたしと同質のもの、わたしだけに関するもの、わたしの生活の四肢をなすものであって、他のすべての書物と異なり、第三者の他人を対象とし目的とするものではない。」(『エセー』第二巻、第18章)

 

→一方で、言語化したからには、ある意味では他人に読まれるために自分を書いたのである。しかし、他方で、結果的に出来上がった作品は、自分の生活の四肢をを成すものであり、他人を対象とし、誰かに読まれることを目的とするものではない。そういう両面性がある。


【理解者】

「もし田舎にか、町にか、フランスにか、外国にか、家にある人でも、誰か一緒にいて楽しい人、わたしの気質を気に入ってくれ、その人の気質もわたしに合うような人がいたら、掌を口につけて口笛で知らせてくれさえすればよい。わたしは肉も骨もあるエセーを提供しに行こう。」(『エセー』第三巻、第5章)

 

【自然な普通の歩み】

「わたしは偶然以外にわたしの考えの断片を整理してくれる隊長を持たない。わたしの夢想の数々があらわれるにつれ、わたしはそれらを積み重ねる。(中略)わたしはどんなに常軌を逸していても自分の自然な普通の歩みをお目にかけたいのだ。わたしは自分をあるがままに進ませてやる。」(『エセー』第二巻、第10章)

 

【サンプルな言葉遣い】

「わたしの好きな言葉使いは、口に出しても紙に書いても同じような、単純で、自然のままの言葉使い、充実して力強い、短くて引き締まった言葉使い、繊細で手入れの行き届いたというよりは、激しくて唐突な、(中略)閉口なというよりは手ごわい感じの、気取りからは遠い、常軌を逸した、とりとめない、奔放な言葉使いである。各々の断片が自足した全体をなしているような、学者風でも修道士風でも弁護士風でもなく、むしろスエトニウスがユリウス=カエサルの言葉使いをそう呼んでいるように、兵士風の言葉使いである。(中略)新奇な言いまわしや聞き慣れない言葉を探し回るのは、子供っぽい、学を衒った野心から来ることで、わたしはといえば、できればパリの中央市場で使われる言葉だけで済ましたいくらいだ。」(『エセー』第一巻、第26章)

 

【すぐれた読者】

「すぐれた読者は他人の書物の中に、著者がそこに盛り込んだ、自分でも承知している美点とは違った美点をしばしば発見し、そこにより豊かな意味と相貌とを付け加えるものである。」(『エセー』第一巻、第24条)

 

【食人族について】

「われわれは彼らを、理性という尺度で、野蛮だと呼ぶことはできても、われわれを規準として、彼らを野蛮だと呼べはしない──われわれは、あらゆる野蛮さにおいて彼らを凌駕しているのだから」(『エセー』第一巻、第31章「人食い人種について」)


【「ビュリダンのロバ」の問題と、「どこも同じように丈夫な紐」の問題】

二つの同じような欲求の間でちょうど釣り合った状態にある精神を思い浮かべるのは、愉快な想像である。なぜなら、その精神が決して決定を下せないというのは疑い得ないことだからだ。専念と選択とは価値の不同を前提とするから、飲むことと食べることとの同等の欲求をいだいて酒瓶とハムの間に立たされたら、乾きと空腹とで死ぬしかないのは明らかである。この不都合を解決するため、ストア派の人々は、異なるところのない二つのものから一つを選ぶ気持ちはどこからわれわれの心にやってくるのか、まったく同じで、どれをより好むという気持ちを起こさせる理由がまったくないのに、多数の金貨のうち、他方より一方を取るように仕向けるものは一体何なのか、と問われた時、その心の動きは異常な、常軌をはずれたものであって、外的な、偶発的な、不慮の衝動からわれわれの内へと訪れるものである、と答えた。わたしの思うところでは、むしろ次のようにも言えるだろうと思う。すなわち、いかなるものもわれわれの前にあらわれる時は、どんなに軽くはあれ、必ず何らかの相違を宿しており、視覚にであれ、触覚にであれ、知覚できないほどであっても、常にわれわれを引きつけるなにかのプラス分があるのである、と。同様に、どこも同じように丈夫な紐を考えるとしたら、それが切れるということは、あらゆる不可能さをもって不可能である。なぜならどこからほつれが始まるというのか。それに、紐があらゆる箇所でいっぺんに切れるというのもあり得ない話だ。こうしたことに加え、幾何学の命題がその確実な証明によって結論する事柄、たとえば、内容物は容器よりも大きいとか、中心は周囲と同じくらい大きいとか、相互に絶えず接近し続け、しかも決して出会うことのない二本の線というものがあるとか、賢者の石とか、円積問題とか、おしなべて理性と経験とがあまりに相反する様を見れば、そこからプリニウスの次の大胆な言葉を支持する何かの論拠を引き出せるかもしれない。曰く「不確実より確実なものはなく、人間ほど悲惨で驕慢なものはない」と。(『エセー』第二巻、第14章)

 

 

【現にある自分と和解すること】

人々は、自分の外へ出たがり、人間から逃れようとする。愚かなことだ。天使に変身しようとして獣になる。自己を高くしようとして倒れてしまう。(中略)自分の存在を忠実に享受できることは、絶対的な、神のような完成の境地である。われわれは自分のありようを用いることを知らないために、他のありようを求める。自分の内部がどうなっているか知らないために、自分の外に出る。だが、竹馬に乗っても無駄である。竹馬に乗っても、やはり自分の脚で歩かなければならないのだ。そして世界で最も高い玉座にのぼったとしても、つまりは自分の尻の上に座っているにすぎないのだ。(『エセー』第三巻、第13章)


モンテーニュアフォリズム

「結局のところ、自分について語れば、どっちに転んでも損することしかない。自分を非難すれば、かならず信じてもらえるのだし、逆に自分をほめれば、まず信じてもらえないのだから」(『エセー』第三巻、第8章「話し合いの方法について」)

 

「わたしは良い論理学者より良い馬丁(ばてい)になりたい。」(『エセー』第三巻、第9章)

 

「我々は死を心配することで生を乱し、生を心配することで死を乱す。」(『エセー』第一巻、第12章)


「きみは病気だから死ぬのではなく、生きているから死ぬのだ」(『エセー』第三巻、第12章)

 

「何度わたしは、罪よりも罪深い非難を目にしたことか。」(『エセー』第三巻、第13章)


アリストテレスは人に理解してもらうために書いた。彼にそれができなかったとしたら、彼より力のない者、第三者には、みずからの考えを扱っている彼自身よりもなおのことそれができないはずではないか。(中略)注釈は疑問と無知とを増大させると言わない者があろうか。(中略)われわれは互いに注釈し合ってばかりいる」(『エセー』第三巻、第13章)

 

【無限のエセー】

「わたしは尻切れの話をどんなにたくさん入れたことだろう。だが、少し巧みに皮を剥いていく人なら、そこから無限のエセーを引き出せるはずである」(『エセー』第一巻、第40章)

 

【なぜ後半では各章が長いのか】

「『エセー』の最初のほうでは、章をかなり細切れにしてしまったが、そうすると、読者の関心が芽生える前に、それを断ち切ってしまうように感じられたし、読者の側も、こんなわずかな分量のことで、熱心に思いを凝らすことなどいやになって、読む気もくじけてしまうと思った。そこで、各章をもっと長くすることにした」(『エセー』、第三巻、第9章)


【エセーとは】

「判断力(ジュジュマン)は、どのような主題にでも通用する道具であって、どこにでも入りこんでいく。したがって、今している、この判断力の試み(essais)においても、わたしは、あらゆる種類の機会を用いるようにしている。自分に少しもわからない主題ならば、まさにそれに対して判断力を試してみて(je l’essaie)、その浅瀬に遠くから探りを入れて、それから、どうも自分の背丈には深すぎるようだと思えば、川岸にとどまるのだ。(中略)またわたしは、ときには、空虚で、なにもない主題に対して、それに実体を与えて、それを支え、つっかい棒をするような材料を、はたして判断力が見つけたりするものかどうかを、試してもみる(j’essaie)。(中略)わたしは、運まかせに、とにかく手近の主題を取り上げる──どれでも同じだけ、有効なのだから」(『エセー』第一巻第50章「デモクリトスヘラクレイトスについて」)


「結局のところ、わたしがこうして、やたらに書き散らした寄せ集めの文章(フリカッセ)は、わが人生の試み(essais)の記録簿(ルジストル)にすぎない」(『エセー』第3巻第13章「経験について」)


「人々に、「おまえは自分のことをしゃべりすぎるぞ」と不満をいわれても、わたしとすれば、彼らこそ、自分のことさえ考えないくせにと、逆にいってやりたいくらいなのである」(『エセー』第三巻、第2章「後悔について」)

 

【自分を貸し出すこと】

「人間はだれもが、自分を貸し出している。本人の能力が本人のためではなく、服従している人のためになっている。つまり、本人ではなくて、借家人が、わが家同然にくつろいでいるのだ。こうした一般的な風潮が、わたしには気に入らない」(『エセー』第三巻、第10章「自分の意志を節約することについて」)


「人間は自分の精神の自由を節約して使って、正当な場合でなければ、これを抵当に入れてはならない」(『エセー』第三巻、第10章「自分の意志を節約することについて」)

 

【仕事は芝居である】

われわれの職業・仕事のほとんどは、にわか芝居みたいなものだ。「世間全体が芝居をしているのである」(ペトロニウス)。われわれは、自分の配役をしっかり演じなくてはいけないが、その役を、借りものの人物として演じるべきだ。仮面や外見を、実際の本質としてはいけないし、他人のものを、自分のものにすべきではない。われわれは、皮膚と肌着を区別できないでいる。でも、顔におしろいを塗れば十分なのであって、心にまで塗る必要はない。(中略)けれどもわたしの場合、市長とモンテーニュはつねに二つであって、はっきりと分けられていた」(『エセー』第三巻、第10章「自分の意志を節約することについて」)

 

【家事】

「日々の面倒とは決して軽微なものなどではない。それらはずっと続き、埋め合わせようがない。とりわけ、家政という、途切れなく続いて、切り離しがたい仕事のあちこちから生じる厄介ごとは、なおさらだ」(第3巻第9章「空しさについて」)

 

【店の奥の部屋】

「本当の自由と、極めつきの隠れ家と孤独とを構築できるような、完全にわがものであって、まったく自由な店の奥の部屋arrière-boutiqueを確保しておくこと」(第1巻第38章「孤独について」)


【死】

 「死というものは、いたるところで、われわれの生と混じりあっている」(第3巻13章「経験について」)


「われわれは死ぬことを心配するせいで、生きることを乱しているし、生きることを心配するせいで、死ぬことを乱している」(第3巻第12章「容貌について」)


パスカルの人間観】

「人間とは一体、なんという怪獣なのか。なんという珍奇な代物、なんという怪物、なんという混沌、なんという矛盾、なんという驚異なのだろうか。森羅万象の審判でありながら愚昧(ぐまい)なミミズでもあり、真理の保持者でありながら不安と錯誤の巣窟でもあり、宇宙の栄光でありながらそのごみくずでもあるとは!」(S164-L131-B434)


モンテーニュの方法】

世の中の人びとはいつも自分のまっすぐ前のほうを見つめる。わたしのほうは自分の視線を内側にむけ、そこにそれを植えつけ、そこに落ち着かせる。誰もが自分の前を見つめるが、わたしのほうは自分の中を見つめる。わたしは自分にしか用がない。自分をたえず考え、検討し、吟味する。ほかの人びとはいつもほかへ出かける。(ミシェル・ド・モンテーニュ『エセー Ⅱ 思考と表現』荒木昭太郎訳、中央公論新社、2002年、p199)


【天使と動物と人間】

「人々は自分の外に出たがり、人間から脱しようと望む。愚かなことだ。天使になろうとして動物になる。天に昇ろうとして地に倒れる」(モンテーニュ III,13「経験について」)

 


【完成とはなにか】

「自分の存在をありのままに享受するすべを知るのは、神聖なまでに絶対的な完成である」(モンテーニュ III,13「経験について」)


【学問はそれ自体が楽しい】

「獲物を捕まえる望みがなくなった人間が、相変わらず狩猟に楽しみを見いだすのを、変だと思ってはいけない。学問とは、それ自体が楽しいいとなみであるばかりか、とても面白いものなのだ。[…]食べ物の場合でも、食の楽しみだけのために食べることがあったりして、食欲をそそるものが、かならずしも栄養面や健康面ではよくないことがあるではないか。これと同じように、われわれの精神が学問から得るものも、たとえそれが滋養にならず、健康によくないとしても、それでもやはり快楽に満ちたものなのだ」(宮下志朗訳『エセー4』白水社、p129-131)


【習慣】

「人間は、みずから統治すべき世界のしくみを、いったい何を基盤にして築き上げようとするのか。各個人の気まぐれだろうか。とんでもない! では、正義だろうか。いや、人間はそんなものを知らない。たしかなのは、もし知っていたら、人間界のすべての原則のなかで最も普遍的な次の原則を打ち立てはしなかっただろうということだ。すなわち、個々人はその国の習慣に従うべし、との原則である」(S94-L60-B294)


【法は正義だから従うものではない】

「習慣は、それが受け入れられているという唯一の理由によって、公正さのすべてを作り出す。これがその権威の神秘的な基盤である。権威を起源にまでさかのぼってみれば、それは消え去ってしまう。誤りを修正する法というものほど怪しげなものはない。法が正しいがゆえに従っているという者は、法の本質にではなく、自分が想像する正義に従っているのだ」(S94-L60-B294)


【国家の起源にあるのは力だ】

「もっとも強い部分がもっとも弱い部分を圧迫し、ついに支配的な一党ができるまでたがいに戦いあうであろうことに疑いはない。だが、それがひとたび決せられると、 戦いがつづくのを欲しない支配者たちは、かれらの手中にある力が自分たちの気に入る方法で受け継がれていくように制定する。ある者はそれを人民の投票に、他の者は世襲等にゆだねる。[...]そして、この時点から想像力がその役割を演じはじめる。それまでのところは純粋な力が事を強行した。これからは力が、ある党派のうちに、想像力のおかげで保たれていくのである」(S668-L828-B304)

 

【国家の根底には横領の事実がある】

「民衆に横領の事実を知られてはならない。それはかつて理由なく導入されたが、合理的なものになったのである。横領をすぐに終わらせたくないのなら、それが正統で、永続的なものだと信じさせることだ。そして、その起源を隠蔽することだ」(S94-L60-B294)

 

【力と正義の関係】

「財産の平等が正しいのは当然のことである。だが、正義に従うことを強制することができないがゆえに、力に従うことを正義とした。正義を力となすことができないがゆえに、力を正義となした。そうして、正義と力が合わさって、最高善である平和が生じるようにしたのである」(S116-L81-B299)


【内戦よりは愚かな後継ぎを取れ】

「悪のうちで最大のものは内戦である。[…] 生来の権利によって後継ぎとなるひとりの愚か者がもたらす恐れのある害悪など、それにくらべれば大したことはないし、確実なものでもない」(S128-L94-B313)


【未熟な知者と真の知者】

「無知で純朴な「民衆」は、権力が正統であると錯覚し、為政者に畏敬のまなざしを注いで服従する。「未熟な知者」は、民衆の誤りを告発し、真理と正義を標榜して権力に立ち向かうが、それによって平和を乱し自滅する。真の「知者」は、民衆の倒錯を知りながら、その服従の姿勢を評価する。」(S124-L90-B337)


【裏の考えを持つのが真の知者】

「裏の考えをもち、それをもってすべてを判断し、それでいて民衆と同じように語らなければならない」(S125-L91-B336)


【原因と結果】

「人間の空しさをしっかりと知りたければ、恋愛の原因と結果を見ればよい。恋愛の原因とは〈なにやらよくわからないもの〉« un Je ne sais quoi » である(コルネイユ)。そして、結果は恐るべきものだ。この〈なにやらよくわからないもの〉は、ささいなあまり知覚できないものであるが、これが地球全体を、王侯を、軍隊を、全世界を揺るがすのだ。/クレオパトラの鼻がもっと小ぶりだった(plus court)としたら、地球の様相の全体は一変していただろう」(S32-L413-B162)


モンテーニュの自己評価は高い】

「私が美貌という強力で有利な長所をどんなに高く評価しているかは、どれだけ強調しても足りない(中略)私は、形においても、相手の受け取る印象においても、恵まれた外見をしている」(『エセー』III, 12)


パスカルの無限】

「無限に1を加えても何も増えないし、無限の長さに1ピエを加えても同じである。有限は無限の前では消失し、純粋な無となる」(S680-L418-B233)

 


パスカルの寿命観】

「十年ほど長く生きたところで、われわれの寿命は、永遠に比べれば依然として微々たるものにすぎないではないか」(S230-L199-B72)

 


パスカルの賭けと無限】

「どうしても賭けなければならない場合に、無限の利益が得られる可能性と何も失わない可能性とが同等ならば、[参加料である]一生涯を差し出さずに温存しようとするのは、理性を欠いた行いだろう」(S680-L418-B233)

 

モンテーニュ(1533-1592)の鋭さ】

「どんな不合理なことも、どこかの哲学者に言われなかったためしはない」[キケロからの引用](『エセー』Ⅱ, 12)


ソクラテスは耄碌(もうろく)していた】

「死に瀕したソクラテスは国外追放を死刑宣告よりもつらいものだと考えたのだが、私の方はと言えば、そこまで耄碌(もうろく)していないし、そこまで自国に拘(こだわ)ってもいない。このような方の神々しいまでの生き方は、ただただ尊敬するばかりで、好きにはなれない。場合によっては、あまりに崇高かつ非凡で、およそ想像を超えるために尊敬することも難しい。それにしても、全世界が自分の町だと言い切った人にしては、このような気質はあまりに情けない。なるほど彼は旅行を毛嫌いしていたので、アッティカの領土より外に足を運んだことがほぼなかった。」(『エセー 』Ⅲ, 9, 「空しさについて」)


【驚くほど先駆的な思想観】

「わたしは強力にして博学なる思想をもとうとはあえて思わない。むしろ楽な・生活に適応せるそれを持ちたいと願っている。思想は役に立つ愉快なものでありさえすれば、それで十分真実かつ健全だと思う。」(『エセー』Ⅲ,9)


【既にしてフェミニスト

「わたしはあえてこう言おう。「男も女も同じようにできている。教育と習慣を除けば大した差異はない。」」

(『エセー』Ⅲ,4)


【新大陸の食人族よりも我々の方が野蛮だ】

「しかるに我々は、理性の法則に照らし合わせて彼らを野蛮と呼ぶことはできても、我々自身に照らし合わせてそう呼ぶことはできない。なぜならばあらゆる野蛮さにおいて我々は彼らを凌駕しているからだ。彼らの戦争はあくまで気高く高潔なものであって、戦争というこの人間の宿痾(しゅくあ)がもちうる限りの言い分と粉飾とを有している。彼らにおいては、徳行(とっこう)を求める以外の動機づけはない。新しい領土を征服しようなどとは夢にも思わない。彼らはいまだに自然の豊かさに十分恵まれており、働いたり骨折ったりせずとも必要なものを全て自然から授かっているので、境界を広げる必要など感じないからだ。自然の欲求が命じるものしか望まないという幸福な状態にいまだある彼らにとって、それ以上のものはすべて余計でしかない。」(『エセー 』Ⅰ,31,「人食い人種について」)


【自分と他者の脳みそを擦り合わせろ】

「もっぱら書物にたよった(=livresque=この単語自体がモンテーニュの造語)知識力とは、なんとなさけない知識力であることか![...]こうした次第ですから、人々との交際などは、非常に目的にかなっているのです。また外国を訪ねるのも、よろしいかと。[...]なによりも、そうした国民の気質や習慣をしっかりと見て、自分の脳みそを、そうした他者の脳みそと擦りあわせて、みがくためなのです。そのためにも、幼年時代のうちから、お子さんを外国に連れ出すといいと思います」 (『エセー 』Ⅰ, 25「子供たちの教育について」)

 


【旅行とはなにか】

「旅行は私にとって有益な訓練であるように思われる。精神は未知のものや新奇なものを見つけることによって、たゆまず習練を行う。これまでにも述べた通り、人生を培うためには、生き方や考え方や習慣が実に様々であるということを絶えず目の当たりにし、我々人間の性質が恒久的に多彩なかたちを取るということを実感する以上に、私の知る限り、より良い学習の場はない。」(『エセー』Ⅲ,9)


モンテーニュは1580年6月22日から1581年11月30日まで17カ月間にわたってボルドー→パリ→スイス→ドイツ→イタリアを旅した。ちなみにローマでは法皇に拝謁したという。


【旅に出る理由は何か】

「旅に出る理由を聞かれたら、私はいつもこう答える。「何から逃げたいのかはよくわかっているが、何を求めているのかはわからない」と。」Je respons ordinairement a ceux qui me demandent raison de mes voyages: que je sçay bien ce que je fuis, mais non pas ce que je cerche.(『エセー』Ⅲ,9「空しさについて」)


【「年老いた精神の老廃物」】

「ご承知のとおり、わたしはここまで一本の道をたどってきたわけで、この世にインクと紙があるかぎりは、休みなく、苦労せずに、この道を歩いて行くつもりだ。[…]でもって、わたしがここでお目にかけているものも、まあ少しはお行儀がいいけれど、ときには固かったり、ときには軟らかくて、いつもまともに消化できてはいないところの、年老いた精神の排泄物なのである。それにしても、いかなる題材にぶつかっても、動揺し変化し続ける、わが思考の表明に、わたしは一体いつになったらけりを付けられるのだろうか?」(『エセー』Ⅲ,9)


【帰ってくるために旅をする人々について】

「わがフランス人たちが、自分たちの習慣に反するような習慣に腹を立て、そんな馬鹿げた気質を自慢げに披露するのは恥ずかしいと思う。村から一歩出ただけで自分でなくなってしまうとでも思うのだろうか。彼らはどこへ行こうと自分たちの流儀に固執し、外国の流儀を忌み嫌う。ハンガリーでたまたま同国人に会おうものなら、その出会いに大喜びする。いきなり意気投合して連(つる)み始め、目にする習慣をことごとく野蛮だと罵り始める。フランス式でなければ、何だって野蛮だというわけだ。それでも、これを承知のうえで悪口を言うのは、まだ賢い方の者たちだ。大部分の者たちは、ただ帰ってくるためだけに出かける。慎重に押し黙って、誰とも交わるまいと身を強張らせ、見知らぬ土地の空気に毒されまいとしながら旅をする。」(『エセー』Ⅲ,9)


【死は絶えず喉元を小突いている】

「もしも生まれた土地以外で死ぬことを恐れるならば、また、家族と離れては安心して死ねないと思うのならば、フランスから一歩も出られなかったことだろう。恐ろしくて自分の教区を出ることだってかなわない。死は、絶え間なく私の喉元や腰を小突いている。だが、どうやら人と造りが異なるようで、私はどこで死んでも同じなのだ。それでも、もし選べるのであれば、ベッドの上よりは馬上で、できれば家の外で、家族から離れて、死にたいものだ。」(『エセー』Ⅲ,9)


【死とは目的ではない】

「けれども思うに、死はたしかに生の終わりであるが、目的ではない。生の結び、終着点ではあるが、生の目標ではない。生それ自体が生の目的であり、目指すところでなければならない」(『エセー』III, 12)Mais il m’est avis, que c’est bien le bout, non pourtant le but de la vie. C’est sa fin, son extrémité, non pourtant son objet. Elle doit être elle-même à soi, sa visée, son dessein. (Montaigne, Essais, Livre III, Chapitre XII, 1632-3)


【死の苦しみは説法するほどのものではない】

「私たちは死を心配することで生を乱し、生を心配することで死を乱す。生は我々を嘆かせ、死は脅えさせる。私たちが身構えるのは死に対してではない。死はあまりに刹那的なものだから、わずか15分ほどの、それきり何も残らない断末魔の苦しみなど、わざわざ説法するようなことではない。実のところ私たちは、死の準備に対して身構えているだけなのだ」(Ⅲ, 12)

Nous troublons la vie par le souci de la mort, et la mort par le souci de la vie. L'une nous cause du regret, l'autre nous effraie. Ce n'est pas contre la mort que nous nous préparons, c'est une chose trop momentanée : un quart d'heure de souffrance passive sans conséquence, sans dommage, ne mérite pas des préceptes particuliers. À dire vrai, nous nous préparons contre les préparations à la mort. (Montaigne, Essais, Livre III, Chapitre XII)


※ここでモンテーニュは、「死」として恐れられているものが、実は「死それ自体」ではないと言っており、むしろ刹那的な「死それ自体」を見定めることで生を死の恐怖に脅えて、ひたすらそれに備えて生きることから解放してやり、かくして、生きることそれ自体を楽しみ、死に際してもむしろ潔く臨めと言っているように思われる。


【柔軟性を持った精神】

「自分の資質、性格にあまり固執してはならない。われわれの第一の才能はさまざまな習慣に順応できるということである。やむをえずたった一つの生き方にへばりつき、しばられているのは、息をしているというだけで、生きるということではない。もっとも美しい精神とは、もっとも多くの多様性と柔軟性をもった精神である。」(『エセー 』Ⅲ,3)


【運命について】

「運命はわれわれを幸福にも不幸にもしない。運命はただその材料と種子を提供するだけである。 それを、運命よりも有力なわれわれの霊魂が、好きなように曲げたり用いたりする。自分の状態を幸福にもし不幸にもする唯一の支配的な原因は、我々の霊魂である。」(『エセー 』Ⅰ,14)

La fortune ne nous fait ny bien ny mal : elle nous en offre seulement la matiere et la semence, laquelle nostre ame, plus puissante qu'elle, tourne et applique comme il luy plait, seule cause et maistresse de sa condition heureuse ou malheureuse.

 


【人間は虫けら1匹作れない】

「人間は実に狂っている。虫けら一匹造れもしないくせに、神々を何ダースもでっち上げる」(『エセー 』Ⅱ,12,「レーモン・スボン弁護」)

 


【猫について】

「私が猫と戯れているとき、ひよっとすると猫のほうが、私を相手に遊んでいるのではないだろうか。」(『エセー』Ⅱ,12)

 


【権威は教育の効率を下げる】

「多くの場合、教える者の権威が学ぼうとする者の邪魔をする。[キケロからの引用]」(『エセー』I,26)


【他人の学識の限界】

「われわれは、他人の学識によって学者になることができるとしても、すくなくとも賢明な人間には、われわれ自身の知恵をもってしかなることができない。」(『エセー』I,25)


【人の上に立つことの空しさ】

「まったく、いくら竹馬にのっても、結局は自分の脚で歩かねばならないからである。いや世界で最も高い玉座に登っても、やっぱり自分のお尻の上に坐るだけなのである。」(『エセー』Ⅲ, 13)


【現代に生きることの不可避性】

「ひとは、もっとよい時代にいないことを残念に思うことはできても、現代の時代をのがれるわけにはいかない。」(『エセー』Ⅲ,9)


宗教戦争の時代に生まれて】

「私は明らかに知っている。われわれがすすんで信心のために捧げるお勤めは、自分の欲情を喜ばすためのものでしかないことを。キリスト教の敵意ぐらい激しいものはどこにもない。[...]われわれの宗教は悪徳を根絶させるために作られたのに、かえって悪徳をはぐくみ、養い、かき立てている。」(『エセー』Ⅱ,12)

 

 

宗教戦争時代の人間の残酷さ】

「私はわが国の宗教戦争の紊乱が生んだ残酷な例がふんだんに見られる時代に生きている。古代の歴史にさえ、われわれの毎日経験しているよりも極端なものは見られない。だからといってけっして残酷になじんだわけではない。私はこの目で実際に見るまでは、ただ快楽のために殺人を犯そうとするような怪物じみた人間がいることを信じることができなかった。他人の手足を切り刻み、精神を研ぎすまして突飛な拷問や新しい死刑の方法を案出し、敵意も利益もないのに、ただ苦悩の中に死にかける人のあわれな身振りや、うめき声や、かわいそうな泣き声を見て楽しむことだけを求める人間がいることを信じることができなかった。」(『エセー』Ⅱ,12)


【世界とは永遠の動揺である】

「世界は永遠の動揺にすぎない。万物はそこで絶えず動いているのだ。大地も、コーカサスの岩山も、エジプトのピラミッドも。しかも一般の動きと自分だけの動きとをもって動いているのだ。恒常だって、幾分か弱々しい動きに他ならない。」(『エセー』Ⅲ,2)Le monde n'est qu'une branloire pérenne. Toutes choses y branlent sans cesse : la terre, les rochers du Caucase, les pyramides d'Egypte, et du branle public et du leur. La constance même n'est autre chose qu'un branle plus languissant.


モンテーニュの運命愛】

「もしもう一度生きなければならないならば、わたしは今まで生きて来たとおりに再び生きるであろう。わたしは過去もくやまなければ未来も恐れない。」(『エセー』Ⅲ,2)


モンテーニュの人物批評の方法】

「私は自分の尺度で他人を判断するという万人に共通の誤りを全然もち合わせない。私は、他人の中にある自分と違うものを容易に信用する。自分もある一つの生き方に縛られていると思うけれども、皆のように、それを他人に押しつけることはしない。そして、たくさんの相反する生き方があることを信じ、理解している。また、一般の人々とは反対に、お互いの間にある類似より差異の方を容易に受け入れる。私はできるだけ、他人を私の生き方や主義を共にすることから解放し、単に彼自身として、他とは関係なしに、彼自身の規範に従って考察する。」(『エセー』Ⅰ, 37)


【真理について】

「昨日はもてはやされていたのに明日はそうでなくなるような善とはいったい何であろうか。河一つ越しただけで罪となるような善とは何であろうか。山のこちら側では真理で、向う側では虚偽であるような真理とは何であろうか。」(『エセー』Ⅱ,12)


【「実るほど頭を垂れる稲穂かな」】

「わたしは人間が、もし正直に語るならば、わたしに向ってこう告白するであろうと信ずる。「自分があんなに長い間の探究から得た獲物といえば、自分の弱さを認識することを学んだということに尽きる」と。生れつき我々のうちにある無知を、我々は長い間の研究によってやっと確信し確証した。ほんとうに学んだ人々には、あの麦の穂に起ることが起った。それは空っぽであるかぎりますます頭をあげてそそり立つ。けれどもいよいよ熟して穀粒で満ちあふれてくると、だんだんへりくだってその頭を低くする。」(『エセー』Ⅱ,12)


【地動説が絶対的に正しいわけでも別にない】

「そして今日にあっては、コペルニクスがこの学説をじつにみごとに基礎づけ、それを天文学上のあらゆる結果にたいしてひじょうに規則正しく適用している。[...]そしてまた、今から千年ののちに、第三の説が現れて、これらのふたつの先行する説を覆えさないと誰が知ろうか。(『エセー』Ⅱ,12)


【随筆家の文体論の極致】

「わたしは物を書くとき、書物の助けをかりたり、かつて読んだことを思い出したりすることをしないようにする。書物がわたしの考え方に影響するといけないからである。」(『エセー』Ⅲ,5)


【キャベツを植えながら死にたい】

「わたしは人が働くことを、人ができるだけ人生の務めを長くすることをのぞむ。そして死が、わたしがそれに無頓着で、いわんや菜園が未完成であることことにも無頓着で、ただせっせとキャベツを植えている最中に、やってきてくれることを望む。」(『エセー』Ⅰ,20)


【ラ・ボエシとの友情】

「もしひとが、わたしがなぜ彼(=ボルドー高等法院の同僚エチエンヌ・ド・ラ・ボエシ)を好きだったか言わせようとすれば、それは彼だったから、それはわたしだったから、と答える以外言い表わしようはないと思われる。」(『エセー』Ⅰ,28)


【不可知論のあやうさ】

「ほんとうに欺瞞が幅をきかすのは不可知の世界である。[...]そこで人に最もわからない事柄が一番堅く信ぜられる事になり、荒唐無稽なことを語る者どもが最も確信ある人ということになる。」(『エセー』Ⅰ,31)


【何も感じないのが善行で抑えるが徳行】

「生来温厚の君子であるために人の侮辱を何とも感じない人もまた、はなはだ立派な讃むべきことをしているのであろうが、恨み骨髄に徹しながら理性の武器によって切なる復讐の念を抑えるであろう人、大いなる煩悶の後ついにこれを制御するであろう人こそ、確かに前者にまさるであろう。前者は善行、後者は徳行であろう。」(『エセー』Ⅱ,11)


【難解な文体は学者の詐欺である】

「難解とは、学者たちが手品師のように、その学芸の空なることを示すまいとて用いる貨幣である。これによって人間の痴愚はまんまと買収される。」(『エセー』Ⅱ,12)


【病気と健康の非対称性】

「我らは最も小さい病気も感ずるくせに、完全な健康は少しもこれを感じないのである。」(『エセー』Ⅱ,12)


【犯罪よりも罪深い処罰】

「犯罪そのものよりを遥かに罪深い処刑を、いかに多くわたしは見たことであろう?」(『エセー』Ⅲ,13)


【なぜ複数の観点から別々に論じるのか】

「沢山の部面をもつ事柄を、一ぺんに判断しようというのは間違っている。」(『エセー』Ⅱ,32)


【快楽は追随せず、回避せず、享受せよ】

「快楽は決して追っても避けてもいけない。ただ受け入れなければいけない。」(『エセー』Ⅲ,13)

 

 

【極端は敵だ】

「極端はわたしの主義の敵なのである。」

(『エセー』Ⅱ,33)


【物体より精神の方が変化しやすい】

「わたしは決してわたしの思想に反する思想を憎みはしない。わたしの判断と他人のそれとの間に大きな食いちがいがあるのを見ても、どうしてどうして、わたしはいきり立つどころではない。人々が自分とは異なる分別を持ち、異なる意見を持つからといって、それらの人々の交際に背を向けるどころではない。むしろ変化こそ自然が採用した最も一般的な流儀なのであるから、それは物体においてよりも精神においてますます多くあるものであるであるから、(なぜなら精神の方がより柔軟な・より多くの形を与えられ易い・実体であるから、)わたしは我々の考えや企てに一致を見たら、かえって珍しいことと思うのである。実に、世に二つと同じ意見はなかった。二筋の髪・二粒の米粒、が同じでないように、人々の意見に最も普遍的な性質といえば、それはそれらが多様であることである。」(『エセー』Ⅱ,37)

 


【解釈の解釈ばっかり】

「われわれは事物を解釈するよりも解釈を解釈するのに忙しい。どんな主題に関するよりも書物に関する書物の方が数が多い。われわれはたがいに注釈し合うことばかりしている。注釈書はうようよしているが、著者のほうは大いに欠乏している。」(『エセー』Ⅲ,13)

 


【極端は若い時にやっておけ】

「私の言うことを信用するなら、若い人はときどきは極端に走るがよい。そうしておかないとちょっとした道楽にも身をほろぼすことにもなり、人とのつきあいにも扱いにくい不快な人間にもなってしまう。紳士たるものにもっともそぐわない性質は、やかましすぎること、ある特別な生き方に束縛されることだ。生き方は順応性がないと気むずかしいものとなる。」(『エセー』Ⅲ,13)    

  

 

【必要な行為は快適である】

「私は踊る時には踊る。眠る時には眠る。また、一人で美しい果樹園を散歩するときも、いくらかの時間は、何かほかの出来事を考えているけれども、それ以外の時間は、これを散歩に、果樹園に、この一人でいることの楽しさに、私自身のことに、連れもどす。自然は、われわれの必要のためにわれわれに命ずる行為を、われわれにとって快適なものするという原則を慈母のように守ってくれた。そしてわれわれを理性によってばかりでなく、欲望によってもそこに誘ってくれる。この自然の原則を損なうのは不正である。」(『エセー』Ⅲ,13)

 


【「書物が私を作った」という境地へ】

「もしも誰一人私を読む者がないとしても、私がこんなに多くの暇な時間を、こんなに有益な愉快な思索にまぎらしたことが、はたして時間の空費というべきなのだろうか。私は、私に型どってこの像を作ってゆく間に、私の本当の姿をとりだすために、何度も自分を整え、身構えねばならなかった。そのために、原型のほうがだんだんと固まって、ひとりでにいくらか形が定まってきた。他人のために自分を描きながら、私は初めの頃の自分よりもはっきりした色彩を帯びてきた自分を描いた。私が私の書物を作ったというよりも、むしろ書物が私を作ったのだ。」(『エセー』Ⅱ,18)

 

モンテーニュの教育方法:「知の知」】

「教師は生徒にすべてを篩いにかけさせ、何事も単なる権威や信用だけに基づいて頭に宿さないようにさせなければなりません。アリストテレスの原理も、エピクロス派やストア派の原理と同じく、生徒にとって原理であってはなりません。千差万別の判断を彼の目の前に出してみせなければなりません。生徒はそれが可能ならば選択するでしょうし、それが不可能ならば懐疑の中にとどまることでしょう。

 


「知ることと同じように、疑うことは私には気持ちがよい。」(ダンテ『神曲』からの引用)

 


なぜなら、もしも生徒がクセノフォンやプラトンの思想を自分の判断力にいだくなら、それはもはや著者らのものではなく、生徒自身のものだからです。他人に追随する者は、何をも追究していないのです。何も発見することもありませんし、まして探究することもありません。

 


《われわれはいかなる王にも従属しない。各人は自らの自由を主張せよ》(セネカ

 


少なくとも生徒は知っているということを知ることが必要です。彼らの教訓とともに生徒を腐敗させてしまうことではなくて、彼らの知識を生徒に染み込ませることが必要なのです。そして、何なら、それをどこから得たかなどといったことは思い切って忘れてしまってもいいから、それを自身のものとして身につけるようにしなければなりません。真理と理性はみんなの共有物であって、後からそれを言った人よりも先にそれを言った人に属するというようなものではありません。プラトンも私(モンテーニュ)もそれを同じに見て同じに解す以上、それは私に拠る程度にしか、プラトンには拠らないのです。蜜蜂は、見つけたところにある、此処其処の花々から、幾らかの甘味をより集めてきますが、彼ら自身でその後に蜜を作るのです。そしてそれらの蜜はすべて、そして立派に彼らのものなのです。もはやタイムでもなければ、マヨラナでもないのです。同様に、生徒は他人から借りてきた幾つかの断章を変形し、一緒に混ぜ合わせて、確実に生徒のものとなるべき作品、すなわち、自分の判断力を作り上げるでしょう。教師の教育も労働も研究も、ただこの判断を作るのが目的なのです。」 『エセー』第1巻、第26章「子どもたちの教育について」

Qu'il luy face tout passer par l'estamine et ne loge rien en sa teste par simple authorité et à credit; les principes d'Aristote ne luy soyent principes, non plus que ceux des Stoiciens ou Epicuriens. Qu'on luy propose cette diversité de jugemens: il choisira s'il peut, sinon il en demeurera en doubte. Il n'y a que les fols certains et resolus.

 


Che non men che saper dubbiar m'aggrada.

 


Car s'il embrasse les opinions de Xenophon et de Platon par son propre discours, ce ne seront plus les leurs, ce seront les siennes. Qui suit un autre, il ne suit rien. Il ne trouve rien, voire il ne cerche rien. 

 


Non sumus sub rege; sibi quisque se vindicet. 

 


Qu'il sache qu'il sçait, au moins. Il faut qu'il emboive leurs humeurs, non qu'il aprenne leurs preceptes.

 


Et qu'il oublie hardiment, s'il veut, d'où il les tient, mais qu'il se les sçache approprier. La verité et la raison sont communes à un chacun, et ne sont non plus à qui les a dites premierement, qu'à qui les dict apres. Ce n'est non plus selon Platon que selon moy, puis que luy et moi l'entendons et voyons de mesme. Les abeilles pillotent deçà delà les fleurs, mais elles en font apres le miel, qui est tout leur; ce n'est plus thin ny marjolaine: ainsi les pieces empruntées d'autruy, il les transformera et confondera, pour en faire un ouvrage tout sien: à sçavoir son jugement. Son institution, son travail et estude ne vise qu'à le former.

 

モンテーニュにおける「知の知」の英語版】

Let him make him examine and thoroughly sift everything he reads, and lodge nothing in his fancy upon simple authority and upon trust. Aristotle’s principles will then be no more principles to him, than those of Epicurus and the Stoics: let this diversity of opinions be propounded to, and laid before him; he will himself choose, if he be able; if not, he will remain in doubt.

 


"Che non men che saper, dubbiar m’ aggrata."

["I love to doubt, as well as to know."—Dante, Inferno, xi. 93] 

 


for, if he embrace the opinions of Xenophon and Plato, by his own reason, they will no more be theirs, but become his own. Who follows another, follows nothing, finds nothing, nay, is inquisitive after nothing.

 


"Non sumus sub rege; sibi quisque se vindicet."

["We are under no king; let each vindicate himself."ーSeneca, Ep.,33] 

 


Let him, at least, know that he knows. It will be necessary that he imbibe their knowledge, not that he be corrupted with their precepts; and no matter if he forget where he had his learning, provided he know how to apply it to his own use. Truth and reason are common to every one, and are no more his who spake them first, than his who speaks them after: ‘tis no more according to Plato, than according to me, since both he and I equally see and understand them. Bees cull their several sweets from this flower and that blossom, here and there where they find them, but themselves afterwards make the honey, which is all and purely their own, and no more thyme and marjoram: so the several fragments he borrows from others, he will transform and shuffle together to compile a work that shall be absolutely his own; that is to say, his judgment: his instruction, labour and study, tend to nothing else but to form that.



Essays of Michel de Montaigne, Complete Michel de Montaigne, Translated by Charles Cotton, Edited by William Carew Hazlitt

 

反出生主義と「なぜ死んではならないのか」

 

以下は、「反出生主義」と呼ばれる流行思潮(あたかも哲学的であるかのような装いを持つ思想)に対してどう反論すればよいのかを考えてみた反-反出生主義的な文章である。

⑴.【反出生主義は当為問題を事実問題化している】

そもそも、「生まれてこなかったほうがよかったのではないか」という反出生主義者が立てる問いは、問いの立て方が間違っている。なぜなら、生きることは事実問題ではなく当為問題だからである。

たとえば、いじめが起きた時に、ものすごく大雑把に分ければ、「いじめがあるような学校には行かなくてもいいんだよ(=死ぬ権利擁護型の優しい言葉)」と言うのか、「いじめをしたやつを退学させたほうがいいよ」と言うのか、というふたつのオプションがその関係者にはとりうる。雑に言えば、前者はいじめられっ子の退場を勧める立場で、後者はいじめっ子の退場を勧める立場である。

前者のオプションも、後者のオプションも退場を勧める立場である。しかし、前者のオプションをとる立場は「そもそも学校はいじめのないような楽しい場所であるべきである(=そう、これはただの素朴な「べき論」なのである)」という最初に前提されていたはずの価値を忘れたまま議論を展開していることがわかるだろう。

後から提示された目の前の小さな価値(=いじめのある学校に行かなくてもよいという価値)に釣られてそちらを確保することにより、原始に承認・保証されていたはずの大いなる価値(=そもそも学校からいじめを撲滅してもらうことができるということの価値)をみすみす明け渡すわけにはいかない。だから、前提されていた価値の順序通りに粛々と物事を進めるならば、後者の立場を取るべきである。さて、このいじめの話を自死の件にも敷衍するとどうなるか。

死にたい人がいる(=その場から退場したい人がいる)場合には、その人に退場させてあげるのではなく、基本的には、社会の側を変えていくべきなのだ。つまり、社会のあり方をかえる(=いじめっ子を退場させる)べきなのである。なぜなら、「人はそもそも生きるべき」だからである。

(※もちろん、ここでいう「退場」というのは、極端なケースの話である。いじめっ子が問題の発覚により突如改心して、もういじめなくなるのであれば退場退場と言い立てなくてもよいはずだが、リアルに極端なケースを想定するなら退場も視野に入れなければならないだろう。また、「人はそもそも生きるべき」というこの発言自体が非倫理的だと糾弾される場合があるが、そのような特殊事例については後述する。)

では、「そもそも学校はいじめのないような楽しい場所であるべきである」という価値がはじめに前提されていたのと同様に、「人はそもそも生きるべきである」と言えるのはなぜか。

つまり、人生が事実問題として生きるに値するかどうかを考えるのは問いの立て方が間違っていて、当為問題として、「事実はどうであれ生きるべきである(=人生は確かにクソだし、世界は戦争とか起きてて最悪かもしれないけど、それでも、人は基本的には生きるべきなのである)」のはなぜか。

以下に、少なくとも5つの理由を挙げる。まだまだあるだろうが、すぐに思いつくものだけを掲げる。

⑵.【人はなぜ生きるべきなのか】

①生物であることからくる理由:カマキリのオスが自己をメスに食わせることで、そのメスに結果的には栄養を与えるように、生物の無意識レベルでは自己否定が働くことがあるとしても、自己保存は意識を持つ生命の基本傾向であるから、実は生きたいはずだ。

②技術的な理由:もう生きてしまっているので、反出生主義者の言うようにこれから多くの人を無痛で殺したりは、まだできないからだ。そして、仮に無痛であったとしてもまだ大多数の既に生を受けた人間たちが死ぬことに大いに抵抗することは間違いない。

③既成事実からくる理由:自分ひとりが無痛で死んだりはもう技術的にできるけれども、放っておけば死ぬはずの赤ん坊がここまで育ってしまったということは、最初そいつの誕生を肯定し喜んで、言祝(ことほ)いだ周囲の人間が確実にいるのでなければならない、ということである。そうでなければ、既にその赤ん坊は死んでいるはずである。それほどホモ・サピエンスの原初形態としての赤ん坊は脆弱である。また、その証拠に、「お誕生日おめでとう」とか、「ハッピーバースデー」などと言われて喜ばない人は、ほぼいない。

④例外と原則の関係からくる理由:たしかに、脳腫瘍ができて毎秒頭をハンマーで殴られるように痛いという人にたいして、それでも「人はそもそも生きるべきだ」などとと説くのは間違っている。実際、自死の是非が議論されるような深刻な精神的病とされるものの多くは、そのじつ、よく調べてみれば身体に症状があったり、脳の異常であったりする(=なぜなら、心身二元論は変だから)。だから、そのような事例(=不可逆的な身体症状を伴う事例)には安楽死が適用されるべきである。しかし、身体の異常----価値の問題としては扱えない具体的な次元における異常----がない場合、それらは価値の問題として扱い、別の価値文脈に置いてやれば人生が素晴らしいと思うことは常にできるはずの問題である。だから例外事例には安楽死が適用されてよいとしても、原則としては適用されてはならない。なお、ここでいう「別の価値文脈に置く」とは単に環境を変えるという話でなにも特別なことを意味してはいない。

⑤統計上の理由(青年期の典型的な振る舞いとして見ればよいのだという理由):近年、名前は伏せるが某大学でアンケートを取ると「過半数の回答者が人類は絶滅すべきだと答えた」などという統計結果が出て、倫理学徒を驚かせることがあるという。これは「そのように斜に構えた態度を取ることが、たそがれていてかっこいいと思っている」というような青年期の典型的振る舞いとして説明することができなくはない。このように説明すること自体が非倫理的だという意見も必ずあるだろうが、このような「斜に構えた態度に対する斜に構えた説明」にも一考の余地はある。ゆえに、そもそも反出生主義が近年支持されてきているという根拠となるデータ自体が、母集団が偏っているがゆえに怪しいと考えることもできる。