aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

なぜ私は同性婚の法制化に賛成なのか

同性婚の法制化は合憲だと考えるからである。

憲法24条1項「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」

という条文は、

たとえば、次のような事例で考えるとよい。

高尾山にピクニックにいくとしよう。ピクニックのリーダーから、「高尾山にはお弁当のみを持ってこい」と言われたとする。でも、そう言われたひとが、「でもお弁当は箱がかさばるな。お弁当つくるの面倒くさいな」と思って「ウィダーインゼリー」を持ってきたとする。それで、現地についてみると、「俺はお弁当のみを持ってこいと言ったのに、お前はお弁当を持ってこないで、ウィダーインゼリーを持ってきてしまった。だからお前には高尾山に登る資格がない。いますぐ帰れ!」と言われたとする。だとするとこのリーダーは少し、論理的に考え過ぎて頭がおかしくなったのかな、と思うのが普通だと思う。

高尾山ピクニックを成立させるために必要なのは弁当であるよりも前にエネルギーであって、エネルギーが摂取できれば弁当である必要はないと考えるのが普通だから。

また、あるピクニック参加者が、お弁当を持参せず、ウィダーインゼリーすら持参せず、高尾山の山頂でピザハットにヘリコプターで出前を頼むという、かなり尖った行為をするとしよう。それはおそらくとんでもないお金がかかるだろうけれど、事前予約などをしておけば、やってもらえるかもしれない。これは、ものすごく異常な手段を使って、エネルギー摂取という目的を達成し、お弁当を持ってこないような事例である。しかしこの場合も、参加者たちは山頂でピザハットを食べることを許容することもありえる。それくらい、エネルギー補給に比べたらお弁当なんかどうでもいいのだ。みんなが空腹にならずに山頂で楽しくおしゃべりができることが重要なのであって、そのとき各人が食べているものはお弁当であれウィダーインゼリーであれ出前のピザハットであれ、どれでもよいのである。ちなみに、お花見会場にすらピザハットは出前をしてくれるのだから、それ相応のお金を出せば、どこでも来てくれるだろう。

さらに例をあげよう。市役所に、

「住民票はマイナンバーカードのみで発行されます」

と書いてあっても、それは、マイナンバーカードのみで十分である(だから他のものは要りませんよ)という意味で、マイナンバーカード以外が禁止であるとまでは書いていないと読める。マイナンバーカードがどういうものかについての文脈があるからだ。

つまり、マイナンバーカードを作るときに必要だった、より強力な書類をもってくることを禁止していると取るのはむしろ変である。マイナンバーカードは、それらより重要な書類の代用となることで、手続きを簡略化できることがその存在意義のひとつだから。

たとえば、そもそもマイナンバーカードを作るときにパスポートや身体障がい者手帳を出す人がいるけど、ということはマイナンバーカードよりもパスポートのほうが強い力を持っていることになり、そちらの提出を住民票発行の際に禁止するのはまさに本末転倒である。

実際、マイナンバーカードがなくても、在留カード特別永住者証明書・パスポート・運転免許証・健康保険証などを出したり、組み合わせたりすれば、マイナンバーカードと同等(どころかそれ以上)の力に到達することもできるような仕組みに今もなっている。

結論として、「マイナンバーカードのみで住民票が発行される」と書いてあることと、実際にはマイナンバーカードがなくてもほかの手段で住民票が発行されることとは、日常言語レベルでは、なにも矛盾していない。

もちろん、マイナンバーカードがあれば一番簡単に発行できるだろうし、わざわざ健康保険証や在留カードをもっていくのは馬鹿げているから、推奨されてはいないだろうけど、禁止もされていない。

それと同様に、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立する」という条文も、両性の合意がなくても、そもそも結婚を成立させるためにより重要な「合意」があれば、「両性の合意」がなくても結婚できると考えるべきである。

マイナンバーカードよりも在留カードの方が得にくいものである(←現に私は在留カードなんか持ってない!)のと同様に、「両性の合意」よりも「同性の合意」の方が得にくいものであることは認めなければならない。しかし、上記の理由から、「同性の合意」があれば「両性の合意」がなくてもかまわないと考えるほうが自然である。