aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

音について

 


【耳の方向感知の不思議】

ステレオスピーカーが目の前に二つあるとする。そうすれば、レーシングカーが左から右へと通りすぎる音を再現できる。しかし、上空からヘリコプターが左から右へ通り過ぎる音を再現できない。しかし、耳は、2つしかないのに、自然界のあらゆる方向からの音の方向を感知できる。

 


【耳にまつわる言葉の遣い方】

聴覚は外耳(=集音と共鳴)と中耳(=固体電音伝達)と内耳(=感音)でできている。「耳たぶ」と呼ばれているものは「耳垂」である。「耳」と呼ばれているものは多くの場合「耳介」である。「外耳」とは「耳垂と耳介と外耳道」のことであり、「中耳」とは「鼓膜の奥にある3つの耳小骨のある小部屋」のことである。「内耳」とは「中耳の奥にある前庭と蝸牛と三半規管」のことである。蝸牛の内側にはリンパ液に浸った有毛細胞がある。有毛細胞は蝸牛神経に耳小骨から来た振動を電気信号に変えて伝達し、大脳に送る。

 


【人は位相のズレで音の方向を特定する】

まず耳介にあたった音波は複雑に反射して色々な位相にずれて外耳道、中耳の小部屋、そして内耳へと進んでいく。その位相のずれが音源の方向の認知のヒントになっていると言われている。その証拠に成長した後に事故などで耳介が変形すると、音は聞こえてもどこからの音なのかがわかりにくいという症状になって現れることがある。もちろん身体の全体で音波を感じているので耳介の変形の影響は限定的なのであるが。

 


【風呂場の共鳴と同じことが外耳道でも起きている】

外耳道は大人では約3センチほどある。この外耳道は3000ヘルツから4000ヘルツの音によく共鳴する共鳴管の役割を担っている。風呂場で気持ちよく響く音は風呂場全体と共鳴している音だからである。それと同様に、3000ヘルツから4000ヘルツの音は耳の中の外耳道とよく共鳴する音なのである。よって、その音から聞こえなくなることがある。「騒音性難聴」と言って、エンジンルームやトンネル工事などで働く人は、様々な音域の音を聞き続けることになるのだが、その音のうち、人間には特に響くように耳の形がなっている4000ヘルツ周辺の音だけが共鳴によって増強されて、内耳の蝸牛のリンパ液の中にある有毛細胞が損傷されるのだ。これが他の人には聞きやすいはずの4000ヘルツ音から発生する難聴である「騒音性難聴」である。会話音域である1000ヘルツの音と外耳道とよく共鳴する4000ヘルツの音を人間ドックや聴力検査で2つとも試すのは、この騒音性難聴を検出するためである。

 


【中耳の耳小骨:①ツチ骨、②キヌタ骨、③アブミ骨】

鼓膜に入った音波は中耳内の小部屋で、ツチ骨→キヌタ骨→アブミ骨が「てこの原理」によって音を効率的に、リンパ液が溜まった蝸牛の有毛細胞に伝えているのだ。アブミ骨はリンパ液に接しているわけだが、これはスピーカーを水面から離すよりも水面に触れさせると水中の人に声を伝えられるのと同じ原理を利用しているのである。

 


【中耳は空洞の小部屋になっているのだが、その空気は鼻から来る】

中耳炎や伝音性難聴が鼻と関係しているのは、中耳を換気するのが鼻だからである。鼓膜は太鼓と同じで、鼓膜内部と鼓膜外部の気圧が同じときよく響くのである(実際、新幹線がトンネルに入ったり、飛行機で上空に入った時のように鼓膜内外の気圧差ができると聞こえが悪くなる。これは鼓膜が震えづらいからである。)が、そのために鼓膜内部の中耳の気圧を鼓膜外部の外耳の気圧と同じにしているのが中耳に接続された耳管なのである。耳管は通常閉じているのだが、あくびや唾を飲み込むときに開き、鼻から中耳を換気することが知られている。実際、耳管が開くのを体験することができる。鼻をつまみ、口を閉じながら唾を飲み込むと、気圧が変わるのがわかる。そして手を離してもう一度唾を飲み込むと気圧が元に戻るのだ。このような現象を体験できるのには理由がある。唾を飲み込むときには、空気を一緒に飲み込むのだが、鼻と口を閉じているため、鼓膜内部の気圧が唾の飲み込みによって下がるのだ。そして耳管を通じて中耳内部の空気も一緒に飲み込まれて減るのである。それゆえに飛行機で上空にいるときのような気圧差が生じるというわけである。そして鼓膜が振動しにくくなるから音が聞こえづらくなるのだ。これは花粉症や鼻詰まりの状態とよく似ている。もし耳管の入り口に鼻水があったら空気が中に入れないし、鼻水が中耳に送り込まれて急性中耳炎になるかもしれない。このようにして耳管を通して中耳の働きが制限されると「伝音性難聴」になるのだ。また、耳管は普段閉じているわけだが、開きっぱなしになる病気もある。これが「耳管開放症」である。これは「歌手の中島美嘉が、かかった病」として有名である。「耳管開放症」とは、声を出すときに、その声帯の振動が開いた耳管を通して直接鼓膜を振動させてしまうために、自分の声ばかりが周りの音以上に自分に響いて日常生活に支障が出るのである。

 


【内耳は中耳のさらに奥にあり、①蝸牛(カタツムリ管)、②三半規管、③前庭がある】

①蝸牛は、鳥類では真っ直ぐで、哺乳類では回転している。蝸牛が回転しているのは低音域の音を増強するためで、「長いものを巻いて納めている」という理由以外の理由もある。蝸牛の中は内リンパ液と外リンパ液で組成が違うため全体で電池の役割を果たしている。「半透膜を使って電池が作れる」のと原理は同じである。物理エネルギーである音の振動を電気エネルギーに変更するのが有毛細胞である。蝸牛内の場所によって二回転半ある蝸牛の担当音域は違う。根本の太いところは高い音を担当しており、頂上の方の細いところは低い音を担当しているのである。②三半規管では、頭が回転したときに内部のリングにリンパ液が流れ、リングの中のリンパ液の流れを感知することで頭の回転を感知しているのだ。③前庭には、垂直と水平方向に板が置いてあり、耳石という砂が敷き詰められている。この耳石という砂の傾きで重力や加速度の方向を感知するのである。「めまい」の原因はこの「耳石」と「三半規管」にあることが多い。

 


【フォンという単位は何なのか】

音の三要素は「①音の強さ(波でいう振幅)」、「②音の高さ(波でいう振動数)」、「③音色(波でいう波形)」である。音の強さの表し方は「音圧」と考えて「パスカル」で表すものと、ある一定の音を基準として相対的な音圧レベルを示す「デシベル」がある。また、他にも感覚的な音の強さは物理量に比例するとは限らず振動数(周波数)によっても変化するので「フォン」を使うこともある。

 


【人間が聞こえる音の高さの範囲】

人間に聞こえる音の高さの範囲は、一般成人では20ヘルツから16000ヘルツと言われている。年齢が低いと、「モスキート音」という高音域まで聞き取れる。また、言語音のうち、特に子音は主に高音域でできているので、子音のところだけ何を言っているかわからないという難聴が生じる。

 


【伝音性難聴と感音性難聴の違い】

「伝音性難聴」は外耳から中耳の障害で、電気信号に変換される蝸牛まで行かない段階で生じるのが伝音性難聴である。耳垢(みみあか)だって伝音性難聴を引き起こす場合がある。それに対して、「感音性難聴」は蝸牛から脳までの電気信号の変換伝達が障害されることで生じる難聴である。「メニエール病」などが感音性難聴の代表である。

 


【耳鳴りを音楽にしたのがスメタナシューマン

楽家スメタナ弦楽四重奏第一番「我が生涯より」の最終楽章で耳鳴りの音をバイオリンで表現した。さらに音楽家シューマンは、交響曲第二番の第一楽章の冒頭は、耳鳴りの音をトランペットで表現ていると言われている。耳鳴りには、動脈瘤(りゅう)を原因とするもののように、外から聴診器を当てると、他人にも聴こえるものまであるという。

 


【音と光は似ていて、違う】

音はほぼ真空中だと伝わらないが、光はほぼ真空中でも伝わる。だからこそ夜空の星は見えるのだ。音の媒質は空気だが、光は電気と磁気の波なのである。なお、水の波の媒質は水である。

 

 


【音と媒質】

音は媒質中を伝わる。では、空気とはなにか。空気は窒素分子と酸素分子の混合気体である。では、媒質を「ヘリウムガス」にすると音の波が伝わる速度は速くなる。なぜだろうか。ヘリウム中の音速が空気中の音速よりも非常に速くなるのは、ヘリウム原子が空気を構成する窒素原子や酸素原子よりもずっと軽いからである。だから、ヘリウムを吸い込んで声を出すと、声は高くなる。あと、音の媒質はふつう空気なのだが、その空気の温度を高くすると、音の波が伝わる速度は速くなる。媒質を水にしても、音は速く伝わる。具体的に言うと、音は常温中で、約340m/sで進むのに対し、水中では約1500m/s、鉄では約5000m/sの速さになり、ヘリウムガス中では、約900m/sになる。

 

 


ケルビンの問い】

ケルビンはこのような問いを出した。「今、海からコップ1杯の水をすくう。そして、それらの水の分子に放射線を使って色というか、しるしをつけてみる。さて、これを海に戻して、地球の7つの海を全部かき混ぜる。そしてもう一度すくう。そうすると、ふたたびすくったそのコップには、さっきしるしをつけた水分子が、いったい何個くらい入っているだろうか。」答えは数百個である。数百個の水分子は海に戻してかき混ぜても、もう一度取れるのである。百万匹の魚で同じことをしても、もう1匹も取れないかもしれない。百万匹の魚を海に戻してかき混ぜたら同じ魚にはもう会えないだろう。では、ケルビンはこの問いを出すことで何を言いたかったのだろうか。ケルビンは、「それだけ分子というものは小さくてギッシリ詰まっているんだよ」、ということが言いたかったのである。空気というのは、両手で眼前の空気をとじこめると、その両手の中に10の24乗個の空気分子が入っているような密度なのである。そしてこの「10の24乗個」というのは、「1億の1億倍の1億倍の個数」ということである。このギッシリおしくらまんじゅうしている空気分子が振動するのが音波である。そしてその空気分子が鼓膜を叩いているのだ。

 


【音と光の身近な違い】

音が気になって仕方がないことは多いが、光が気になって仕方がないことは少ない。騒音は遮断しにくいけれども眩しい光はブラインドを閉めれば遮断できる。音を聴いて踊り出したくなる人はいるのに、光の点滅をみると不安になる人はいても踊り出したくなる人は少ない。

 


【音も光も波なのに波長とスピードが全然違う】

人間の耳に聞こえる音の波長は「数センチから長くても十数メートル」というスケールである。しかし、目に見える光の波長は「100万分の1メートル」である。さらに、伝わるスピードも違う。音は「秒速330メートル」のスピードだけれども、光は「秒速30万キロメートル」のスピードである。音と光の伝わるスピードは、100万倍違うのだ。

 

 


【身体は音を発せるのに光は発せない】

人間の身体は音の送信者にも受信者にもなれる。光は受信者にはなれど送信者にはなれない。音は体の至る所から出せる。

 


【音のドップラー効果と光のドップラー効果

近づいてくるときは音が高く聞こえて、遠ざかっていく時は音は下がって聞こえる。キャッチボールをする2人のうちの投げ手の方が、近づきながら一定の周期(2秒に1回)でボールを投げると、投げ手は2秒に1回投げているのに、受け取り手はそれより頻繁にボールを受け取る。振動数が増えれば音は高くなる。だから、近づいてくる時音は高くなるのだ。音のドップラー効果と同じように光のドップラー効果もある。遠ざかっていく光は赤みがかって見える。

 


【音の蜃気楼と光の蜃気楼】

蜃気楼で有名なのは、富山湾の蜃気楼。これは、光が屈折して起きている。光の光線が曲がり、屈折しているから、無いものがそこに見えるのだ。光の蜃気楼と同じように、音の蜃気楼もある。冬の寒い日に、夏には聞こえないような、遠くの線路を走る電車の音が聞こえる。これも音波の屈折現象である。静かだから聞こえるのではなく、音波が屈折するから聞こえるのである。

 

 


【超音波というのは聞こえる音よりも波長が短い方の波である】

波長があまりにも長くても、人間の耳には聴こえない。それなのに、あまりにも波長が短くて人間に聴こえない音のほうが超音波と呼ばれる。たとえば、イルカは波長が8センチメートルしかない波を使って相互に交信をしており、これを「超音波」という。

 


【波の邪魔のされ方】

ついたての向こう側の人の話し声は聞こえる。音の波は一本のビームのように伝わるのではなくドームのように広がる。障害物にぶつかると波はまた新たな波を作る(ホイヘンスの原理)。この、波面上(同位相面)の各点から出る球面波のことを「素元波」という。たとえば、石ころが何もない池の真ん中にぽちゃんと落ちる。そうすると、まるい図形を描きながら波ができる。この波の各点各点がまた新たな波を生み出し、これが雪崩式につながっていくのである。

 

 


【何も無い池に石を二つ落とすとどうなるか】

波と波がぶつかると、何が起きるか。何も無い池に石を二つ落とす。すると、輪っかが二つできる。そしてどこかでぶつかる、と思うが、ぶつかるのではなく、重なるのである。物理では自然界を「ツブ的なもの」と「ナミ的なもの」にわける。人間は「ツブ的なもの」である。「ツブ的なもの」は、ぶつかる。「ナミ的なもの」は、重なるのである。重なると、新しいパターンができる。これが干渉パターンである。新しい波は、「大きく揺れるところ」と「あまり揺れないところ」とが筋状になる。波は複数重なることによって、「跳ね返る」のではなく、「ぶつかる」のでもなく、「新たな波ができる」。

 


ピタゴラスと自然倍音の音階】

ピタゴラスは鍛冶屋の金槌が「かなとこ」を叩く音を聴いており、「心地よいもの」と「心地よくないもの」があることに気づいた。そして、「弦の長さを半分にすると、音の高さが倍になること」を見出した。「ピタゴラス音階」は、「振動数(=音の高さ)が整数倍になるように作られた音階」である。ちなみに、アリストテレスは「音は物体の振動と関係している」ということは見抜いていたのだが、それを数学に結びつけるということはしなかった。それを再び数学に結びつけたのはガリレオである。「職人の道具と技芸が開発されたこと」によって数学と観察を結びつけられるようになったのである。それゆえにこそガリレオの数学的な音の分析が可能になった。

 

 


ピタゴラス音階とバッハの平均律

合唱でハーモニーを作るために使われることがあるのが「ピタゴラス音階(整数倍の振動数比の和音)」である。たとえば、グレゴリオ聖歌ピタゴラス音階を使って合唱している。物理の言葉ではこれをハーモニクスという。また、振動数比が2倍になると1オクターブ違う音ができるので、それを12等分に分割して12回同じ操作をすると振動数が2倍になるように調節するとピアノの鍵盤のようになる。どうやってやるかというと、等比数列である。「2の12分の1乗(=約1.05946倍)」ごとに振動数を増やしていくから、ピアノの鍵盤のとなりあう音は綺麗な整数比では書けない。しかし、バッハの平均律はどこから始めてもドレミファソラシドを作ることができる。半音ずつ音を高くしていくのを12回繰り返すと1オクターブ高くなるのが平均律である。そして、「2の12分の1乗(=約1.05946倍)」を12回繰り返すとちょうど「2」になるのである。

 


【ヘルツとは何か】

1ヘルツとは、「1秒間に1回振動するということ」である。そうすると、「ハ長調のラの音」は440ヘルツなのであるが、すると、「440ヘルツの音」というのは、「1秒間に440回空気分子が耳の鼓膜を叩く」ということである。人間の身体は「とんでもなく鋭敏なセンサー」であることがわかる。1気圧とは「1013ヘクトパスカル」のことであるが、「20マイクロパスカル」の音圧さえ人間の耳は感知できる。「20マイクロパスカル」は、「100億分の1気圧」である。では、「100億分の1気圧」というのは、どのくらいの圧力かというと、1メートル四方の領域に蚊が一匹乗っかっているくらいの圧力であり、この「100億分の1気圧(20マイクロパスカル)」の違いを人間の耳は聞き分けているのである。耳が、どれほど、「とんでもなく鋭敏なセンサー」であるかがよくわかる。トンネルに入ったり、飛行機で上空に登ると何か異変を感じるのは当然なのである。


ハ長調のラの音などというものはどこにあるのか問題】

ハ長調のラの音」は、「振動数が440.00000ヘルツの音」である。しかし、そんなものはどこにも無い。小数点以下が何桁まで正しいかという話になると、どこかで厳密な440ヘルツぴったりではなくなってしまうのだ。「ラの音は、イデア界にある」と言いたくなるのである。これは「正三角形がイデア界にある」と言いたくなるのと同じである。

 


【波は自分の大きさと似た大きさのものにぶつかる時甚大な影響を受ける】

なぜコンサートホールの吸音板には数メートルのヒダヒダがついているのか。そのくらいの波長の音を吸収したいからである。1cmの波が1メートルの隙間を通っても大した影響を受けないが、1cmの波が1cmの隙間を通ると甚大な影響を受ける。これを「ディフラクション効果(回折効果)」という。


【音と音波を切り離そう】

「音というのは本当は音波でね」と物理学者はよく言うが、本当にそうなのか。実は「音波」は「音」のほんの一面なのではないか。

 


ヴェーバー=フェヒナーの法則】

ヴェーバー=フェヒナーの法則というものがある。ヴェーバーは19世紀の生理学者で、フェヒナーはその弟子である。たとえば、「1キログラムの重さと1.1キログラムの重さの違いを言い当てることができる人」がいるとする。さて、この人は、「2キログラムと2.1キログラムの重さの違いを言い当てることができる人」だろうか。違うのである。この人は、「2キログラムと2.2キログラムの重さの違いを言い当てることができる人」になるのである。つまり、人間の感覚の弁別は、絶対数ではなく割合になっているのだ。つまりこの人は「1割の変化を割り当てられる人」だったのである。さて、ここからが非常に興味深い点である。このヴェーバー=フェヒナーの法則の適用範囲は人間の感覚に一般に言えるとされ、音でも事情は同じだというのだ。

 


【「私は2ヘルツの音を聴き分けることができます」という文はなぜおかしいのか】

ヴェーバー=フェヒナーの法則に反しているからおかしいのである。つまり、感覚が刺激の差を聴き分けられるというのはおかしいから、この文はおかしいのである。次のことが非常に重要である。すなわち、人間に聴き分けられるのは、音圧刺激の「差」ではなくて音圧刺激の「比」なのである。そして、比を記述するならば、物理学者や数学者の自然な思考は、「対数」という道具を使おうと促されるはずである。対数とはなにか。比が1000だと10の3乗なので、対数は3である。比が100だと10の2乗なので、対数は2である。比が10だと10の1乗なので、対数は1である。比が1だと10の0乗なので、対数は0である。

 


【「音圧レベル」の単位がデシベル

比の対数を取ることで、音圧レベルという概念を導入することができる。人間に感知できる最小の音圧は、1メートル四方の領域に蚊が1匹乗っかっているくらいの圧力であり、これが「100億分の1気圧(20マイクロパスカル)」であった。ここで、問題になっている圧力が、この「20マイクロパスカルの何倍か」ということをまず考えて、その比を出すのである。さらにその比の対数を取るのである。最後に、その比の対数をさらに20倍するのである。こうして出てくる数値を、音圧レベルという。この音圧レベルの単位が、有名な、デシベルである。たとえば、電話の着信音は50デシベルで、飛行機のエンジン音をまぢかで聴くと120デシベルである。重要なことは、電話の着信音と飛行機のエンジン音はものすごい音の違いなのにデシベルにすると50デシベルと120デシベルになるということである。なぜこうなるかというと、これが、比だからである。そして、なぜこのような違いになるのかということは物理学では説明することができないと言われている。つまり、「物理学的な音波」と「人間の聴く音」との非常に興味深い違いはまさにここにあると言われている。ちなみに、騒音の単位として「フォン」が使われることと「デシベル」が使われることがあるが、両者は違う概念である。

 


【光は横波、音は縦波】

振動の向きと波の進む向きとが直行している波のことを横波という。光の電磁波は典型的な横波である。振動の向きと波の進む向きが同じ波が縦波である。音の音波は典型的な縦波である。たとえば、ゼッケン番号1の応援団員が屈伸運動をすると2秒後にゼッケン番号2の応援団員が屈伸運動をするのをゼッケン番号100の応援団員まで続けていくのが横波である。それに対して、ゼッケン番号1の応援団員が首を横に振ると2秒後にゼッケン番号2の応援団員が首を横に振るのをゼッケン番号100の応援団員まで続けていくのが縦波である。ぎゅうぎゅうに詰まった満員電車で、左端の人間がつまづくと、右端の人間までそのよろめきの衝撃が伝わるのは典型的な縦波である。音を作るとは縦波を作るということである。例えば、声帯の振動が直近の空気分子を揺らして他人の耳の鼓膜の振動にまで伝播するのも縦波である。

 


【横波は上下振動、縦波は左右振動】

横波において、各点は上下に振動している。たとえば、ゼッケン番号1の応援団員が屈伸運動をすると2秒後にゼッケン番号2の応援団員が屈伸運動をするのをゼッケン番号100の応援団員まで続けていく、というのを遠くから見たときに見える横波の場合、下がって上がる応援団員のブレ幅の半分の数値、つまり基準点からどれだけ上がるか、どれだけ下がるかを表す長さを、振幅という。振幅が大きければ大きいほど応援団員は大揺れすることになり、振幅は波の強さを表す。そして、ひとりの応援団員が屈伸運動をするために、下がって上がるというワンラウンドを終えるまでにかける時間を周期という。重要なことは、周期はたったひとりの応援団員でも言えるということだ。そして、1秒間に何回振動するかを表す数値が振動数である。周期の逆数が振動数である。1回振動するために2秒かかるなら振動数は0.5(2分の1)ヘルツである。1秒間に1回振動するなら振動数は1ヘルツである。よって、振動数が小さければ小さいほどゆったりとした振動になり、振動数が大きければ大きいほど激しい振動になる。つまり、聞こえる声が高ければ高いほど、耳の鼓膜は激しく高速で叩かれていることになる。

 


【①振幅と②振動数(と周期)と③波長が波の三要素】

ゼッケン番号1の応援団員が屈伸運動をすると2秒後にゼッケン番号2の応援団員が屈伸運動をするのをゼッケン番号100の応援団員まで続けていく、というのを遠くから見たときに見える横波の場合、応援団員たちの頭の位置をつなげていくと波のうねり模様が描ける。周期はひとりの人のその屈伸運動が一回終わるまでにかかる時間のことである。それに対して、波長というのは、複数人の頭の位置を並べたときに見える、盛り上がって盛り下がるうねり模様の一回分の長さのことである。周期はひとりの応援団員でも言えるが、波長は応援団員が複数人いないと言えない。波長は、応援団員たちのウェーブの、一瞬を捉えたスナップショットの画像のうねり模様のひとうねりの長さである。

 


【①「音色」と②「強さ」と③「高さ」が音の三要素】

波形が決める音の①「音色」、振幅が決める音の②「強さ(大きさ)」、振動数の決める音の③「高さ」、これが音の三要素である。

 


【振動数が大きければ大きいほど波が細かくなり波長は短くなる。】

大縄を持って左端の人が大縄を細かく揺らすと細かい波ができる。すなわち、振動数が大きければ大きいほど、つまり振動が激しければ激しいほど、波長は短い、つまり波が細かくなる。

 


【位相とは振動のパターンの情報のことである】

波の本質とは、「波長情報と振動数情報が組み合わさってできる位相」のことである。応援団員たちが全くバラバラのパターンの運動をすると、綺麗な波はできない。波の形が、時間の中でも移動しつつも維持されるのが綺麗な波である。つまり、「振動のパターンの情報」、すなわち位相が維持されるのが綺麗な波である。そして、「位相(フェイズ)」の情報の中身を分析すると、実はそれは波長情報と振動数情報がどちらも畳みこまれている、ということがわかる。つまり、波長情報と振動数情報がどちらも畳みこまれている位相情報が時事刻々と維持されることが波の本質である。つまり、「位相を持っている」というのが「波動」の「本質」である。

 


【「同位相」と「逆位相」】

応援団員たちがウェーブをするときに、ゼッケン番号1番の応援団員がしゃがんでいるときに、ゼッケン番号2番の人が立っているような動き方を「逆位相」という。逆に、ゼッケン番号1番の応援団員がしゃがんでいるときに、ゼッケン番号2番の人がしゃがんでいるような動き方を「同位相」という。で、波というのは、同位相では起きない。位相が揃っていればただの同時体操である。「振動現象の伝播」が「波」である。波は同位相でも完全な逆位相でも起きず、その中間で、少しずつ位相がずれているのでなければならず、かつ、位相の情報(=振動数情報と波長情報との組み合わせ)が維持されていなければ起きない。

 


エレキギターにおけるフェイザーと位相】

音楽における「ハーモニクス」や「うなり」という概念は、「位相あっての話」であって「位相を前提している」。「位相」を意図的にズラす操作をするのが「フェイザー」というエレキギターのデバイスなのである。意図的に少しだけ位相のパターンをずらす操作を電気的にするのがフェイザーである。

 


【位相が維持されるから重ね合わせられる】

ゼッケン番号1の応援団員が50cm屈伸運動をすると2秒後にゼッケン番号2の応援団員が50cm屈伸運動をするのを続けていく、というのを遠くから見たときに見える横波の時に、逆端の100番の人からも同時に10cm屈伸運動をする同様の指令があると、二つの指令は必ずどこかで衝突する。その衝突の時何が起きるかというと、右からの指令と左からの指令をそのまま足し算するだけでいいのである。たとえば50とマイナス10を足して40cm上がればいいという合成になる。「基準の位置からのずれ」を物理学では「変位」というのだが、この「変位」を単純に足し算すればいいのである。このように変位の足し算だけで合成された後の波のプロファイルが書けるのはなぜかというと、これも「位相がキープされる」ということがあってのことである。この「位相がキープされる」という条件が不成立で、つまり、みんながてんでバラバラの動きをしていれば、二つの指令を足し算すれば合成できるなんてことは無理なのである。


【うなり(ビート)】

振動数がほんのわずかに違う二つの波が重なると、ぐわんぐわんぐわんぐわんと音が「唸る」。たとえば440ヘルツと443ヘルツの「おんさ」を同時に鳴らすと音が「唸る」のである。


【音速(音の伝わる速さ)にまつわるニュートンの間違い】

ニュートンは、音速は約秒速280メートルであると『プリンキピア』(1687年)に書いてある。しかし、正しくは1気圧かつ室温程度で秒速330メートルである。これを1816年に訂正したのが、ラプラスであった。なぜニュートンは間違えたのかというと、音が空気を揺らしながら伝わっていくときに、空気が圧縮されたり膨張したりするのだが、そのときに空気の温度がずっと変わらないという「等温変化」をニュートンは仮定してしまっていたのである。しかし、実際には「断熱変化」であったのだ。音は非常に素早いので、空気の温度が変わることを考えなくてよかったのだ。

 


【単振動と正弦波】

正円の円周上を物体Pが等速で動くと考えてみよう。これを真横から見ると、点Pは上下に振動しているように見える。この振動を、単振動という。単振動は数学的に最も美しい振動ということになっており、調和振動とも言われる。たとえば、ゼッケン番号1の応援団員が屈伸運動をすると2秒後にゼッケン番号2の応援団員が屈伸運動をするのをゼッケン番号100の応援団員まで続けていく、というのを遠くから見たときに見える横波の場合に、そのゼッケン番号1から100の応援団員たちが全員単振動をすると作られる波が、正弦波である。

 


【1番数学的に綺麗な波が正弦波】

声色の違いは波形の違いとして現れる。正弦波を典型に、他の波は記述できる。そして、この波形の違いが声色として認識される。声色と楽器の音色も原理は同じで、バイオリンの音色、ハープシコードの音色、ピアノの音色などが違うのはその波形が違うからである。また、波形は、大縄のような形だけではなくて、ノコギリ型や富士山型など様々な形を作りうる。手を叩いた時の音は解析すると波形がぐちゃぐちゃであるが、楽器から出てくる音は波形が複雑な形ではあるが、規則正しく周期的になる(=位相の情報がキープされる)。これを「楽音(がくおん)」と言って、手を叩く音とは区別される。

 


【音のフーリエ分解】

調和振動が作りだす波が正弦波である。それがたとえば440ヘルツだとする。その正弦波の二倍の振動数の波は880ヘルツである。3倍ならば1320ヘルツである。このようにある正弦波の振動数の何倍かの音を強弱を調節しながら重ね合わせていくとあらゆる音が作れる。このように整数倍の振動数比の和音(=ピタゴラス音階)を作ることであらゆる音が作れるのだ。また、どんな音でも、正弦波に分解することができる。この正弦波への分解を「フーリエ分解」という。

 


【なぜヘッドホンやイヤホンで音を聴くと音が上から聴こえるのか】

耳は次のような仕方で音源を特定する方法も、持っている。すなわち、右の方を向いたときに、左の耳に音がたくさん入ってきたら音源が前であり、反対に、右の耳に音がたくさん入ってきたら音源が後ろだと分かる。では、右を向いても左を向いても音に変化がなかったらどう判断されるか。音源が上で音は上からきていると判断するのである。だから最近のヘッドホンはスピーカーで聴くときのように、前から音が来ているように補正するための仕組みを設けたりもしている。ちなみに、映画館では、スピーカーが上や下にあったり背後にあったりするのだが、映画の中のドラえもんが動いていても、ドラえもんの声はドラえもんの口から聞こえるように補正されて聞こえる。ちなみに、人間のマネキンの耳穴にマイクを設置する「ダミーヘッド録音」や「バイノーラル録音」をすると、イヤホンでも真上から聞こえてきてしまう効果を軽減することができる。

 


【ザックス=ホルンボステル分類法】

打楽器は動作に注目しているのに、弦楽器は振動しているものに注目しているであり、金管楽器は振動しているものが通るものである。これは、大量の洗濯物の山の中から服を引き出しにしまっていく時に、「長袖の引き出し」と、「半袖の引き出し」と、「かわいい服」の引き出しがあるようなものである。これでも、典型概念とそこからの距離の大小を使えば価値的な分類をうまく遂行できるのだが、それでも可愛くて長袖の服を手に取った時に一瞬の迷いは生じてしまうのである。こういった分類基準の不統一を解消し、分類基準を発音原理で一本化しようとしたのが、ザックス=ホルンボステル分類法であった。


カラヤンが好んだホールはヴィニヤード型】

極めてたくさんの道具を演奏に使おうとした音楽家として有名なのがグスタフ・マーラーである。オーケストラが大きくなるマーラーの曲はヴィニヤード(=ぶどう畑)型などの大ホール(たとえばベルリンフィルのホールや、日本のサントリーホールなど)が向いているが、室内楽的な響きが合うハイドンの曲などは小さいホール(200-300人規模)が向いていると言われる。シューボックス型はウィーン楽友協会のムジーク・フェライン・ザール・ホールが有名である。ここはニューイヤーコンサートが行われることで有名である。指揮者のカラヤンは自分を中心に周りに同心円状に広がる大ホールであるヴィ二ヤード型を好んだという。

 


【ビール瓶は気鳴楽器になる】

水を入れていないビール瓶を吹くよりも水を入れたビール瓶の方が出る音が高くなるのは、水を入れたビール瓶のほうが空気の入る体積が少ないので、単位時間あたりに空気が震える回数が多くなるからである。

 


【振動数】

振動数は一般に、波の伝わる速さを波長で割った値になる。材質と太さの同じ弦が等しい力で張られていると仮定すると、弦を伝わる波の速さは等しいので、弦の長さが半分になれば振動数は倍になり、音は1オクターブ高くなる。

 


【弦の中では何が起きているのか】

弾かれた弦の中では、波が往来しており、定常波という波を作り出している。定常波というのは何かというと、波長と周期と振幅という波の3要素が全て等しい二つの進行波が、両端からやってきてそれがぶつかって合成されるとできるようなものである。

 

短調はネガティヴ、長調はポジティブとされる】

西洋音楽では、短調はネガティヴ、長調はポジティブと言われるのだが、実際にはユダヤ民族の民謡「マイムマイム」のように、井戸が見つかって水が出て喜んでいる場面の曲でも短調であったりする。ちなみに、日本の民謡には「さくらさくら」など、短調の曲が多い。

 


【ファルセットと声帯】

ファルセットは裏声とも呼ばれる。ファルセットにおいて声帯は背中側が開いて前側の方だけ閉じている。ファルセットーネにおいては半開する。地声においては声帯は閉じている。左右の声帯が触れあう面積が大きければ大きいほど低い声になるのは、弦楽器で弦が長ければ長いほど低い音になるのと同じ原理である。

 


【シンガーズフォルマント】

車掌の声の成分や、漁港のセリ人のダミ声などは、3000ヘルツ付近の高周波成分でパワーが強くなっている。これは雑音が周りにある条件下でもよく通る声の条件を満たしているということである。車掌の声を特徴づける「鼻腔共鳴」によってシンガーズフォルマントが得やすくなっているらしい。

 


【感覚遮断実験】

音感覚の遮断実験をしていると様々な異常が起きる。たとえば、第一に、蝸牛管が自ら音を感知した時の電気信号を発する。他にも、全く響きがないところにいると、残響がないということは周りに壁がないということを意味するので、外敵に襲われることへの警戒が必要で、それゆえに不安になる。

 


【日光の鳴き龍】

天井と床との間で音が何度も反射して行ったり来たりするための「ムクリ」が廊下に仕組まれている。これが竜の鳴き声に見立てられている。

 


【中国語の2音節の語は20通りの発音がある】

中国語において、2音節(複音節)の語には、1音節目には4通りの四声があり、2音節目には四声と軽声があり、それゆえにふたつを掛け合わせると20通りの声調があることになる。ちなみに、日本語の短母音「あいうえお」に対応するものは中国語には、7つある。

 


【モーラとは何か】

モーラとはカナ文字1文字をひとつの単位として区切る日本語の音の数え方の単位であると言ってよい。ただし、カナ文字1文字とはいえ、キャキュキョなどの拗音は、小さな字まで含めて1モーラである。また、促音というのは独立で1モーラを形成する。例えばパイナップルはパイナツプルとなって6モーラである。ちなみに、二重母音である「ういろう」の「い」も、それだけで独立の1モーラとして数える。例えば、俳句の五七五は、音節の数を数えているよではなくて、モーラの数を数えているのである。その証拠に、「たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる」という芭蕉の俳句は、「たびにやんで」の部分は、音節数で数えるならば「やん」で1音節なのだから字余りではないのだが、多くの人が字余りだと感じる。これはなぜかというと、モーラを数えているからで、モーラを数えるならば「ん」で独立の1モーラを形成するからなのだ。

 


【古代の日本語は濁音で始まらない】

古代の日本語では単語の最初の位置に濁音がくることはありえなかった。ホシとかツチとかソラとかタキとかアメとかハナとか、全て清音で始まっており、中国語から来た漢語の影響を受けて濁音で始まる言葉、例えばゲンゴやガッコウやザイリョウなどである。

 


【「カエルの詩人」草野心平

草野心平はカエルの詩人と呼ばれた。彼はカエルの詩を書いたのではなく、カエルの立場から詩を書いた。

 


【学校のチャイム】

学校のチャイムは「ウエストミンスターの鐘」という曲が採用されており、4つの音だけで曲が構成されている。英国議会ビックベンでも流れている。

 


【防災行政無線放送】

17時になると街に流れる防災行政無線放送は地域によって違うものが流れており、九十九里町では「我は海の子」が流れるが、豊島区や渋谷区では「夕焼け小焼け」が流れる。「赤とんぼ」や「ふるさと」を流す地域もある。

 


【寺の鐘の梵鐘は三段階に分けられている】

寺の鐘の梵鐘は三段階に分けられていて、「①当たり」と「②押し」と「③送り」がある。当たりは近くの人に聴こえており、押しは遠音と呼ばれて遠くの人にも聞こえる。送りは、弱い音だが、うねりがあって、余韻となる。梵鐘の音は100デシベルくらいの大きな音である。ちなみに、ディドロの書いた百科全書の中に、当時の人々が鐘を作る際に、出てくる音たちの振動数をはかり、配分を調合しながら作るという説明が出てくる。

 


【振動数ヘルツとドレミの西洋音階との関係】

ドの音は135ヘルツである。ミの音は300ヘルツから330ヘルツである。ハ長調のラの音は440ヘルツである。通常の常音階の基準音として採用されている「ラ」の音はピアノの鍵盤の49番目の音で、ぴったり440ヘルツの音が使われている。

 


【ロンドンっ子の定義はボウベルが聴こえるところで育ったかどうか】

ロンドンには、サンマリールボウSt Mary-le-Bowという教会がある。ここのボウベルが聴こえるところで育ったかどうかがコックニーすなわちロンドンっこであるかどうかの基準になる。ちなみに、『徒然草』の第220段には、いまは妙心寺にあって、むかしは嵯峨野の天竜寺にあったこの鐘の音は「鐘の声は黄鐘調(おうじきちょう)なるべし」と言及されている。黄鐘調は西洋音階でいうラの音に相当する。ちなみに、「花の雲 鐘は上野か 浅草か」という句は、「花曇りの空に鐘の音が聞こえてくる。あれは、 上野東叡山寛永寺の鐘か、はたまた浅草浅草寺の鐘か」という意味である。


生理学者ヨハネス・ミュラーの「特殊神経エネルギー説」と「共感覚」の矛盾】

有名な共感覚者にはバイオリニストのイツァーク・パールマンカンディンスキーやロシアの音楽家スクリャービンや、リムスキー・コルサコフがいる。「異なる受容器を通して生じた感覚的経験はそれぞれ質的に異なる」というのが「特殊神経エネルギー説」である。これは耳は音波で目は光波を処理し、それだけを処理するのだから、それらが交わることはありえないという説であった。たとえば音を聞いて色を感じるというのは生理学的にはありえないと考えられたのである。