【経験論から言語哲学へ】
【イギリス経験論:方法自体を反省するときさえ、その方法に依拠する】
「経験から実践知を得ようとするそうした試みを(その方法自体を反省するときさえ、その方法に依拠するような愚直さで)包括的に実践し、その結果、多様な思考を生んできたのが、近代の「イギリス経験論」であった。」(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p3)
【経験から実践知へ】
「イギリス経験論は、経験から実践知を得ようと試みる方法を(その方法自体を反省するときさえ、その方法に依拠するような愚直さで)包括的に実践した。」(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p13)
【ロックの精神の能動性】
「精神は、さまざまな集成を作るにあたり、しばしば能動的なパワーを行使する。というのも、ひとたび精神に単純観念が備え付けられると、精神はこれを集めてさまざまに構成することができ、こうして多様な複合観念を、それが自然の中でもそのように一緒に存在するかどうか検討することなく、つくることができるからである。」(ニディッチ版『人間知性論』第2巻2-22、p.288)
【ロックの精神の複合観念に対する能動性】
「精神はその単純観念に関してはまったく受動的であるが、複合観念に関してはそうではないと言ってよいであろう。なぜなら、それらは、一緒にされ、一つの一般名辞のもとに統合された単純諸観念の組み合わせなので、人間の精神がそれらの複合観念を形成するうえである種の自由を行使することは明白だからである。」(ニディッチ版『人間知性論』第2巻30-3、p.373)
【ロックにおける一般観念を形成する困難と労力】
一般観念は精神のフィクションであり案出物(contrivances)であり、困難を伴い、われわれが想像しがちなほど容易には現れてこない。例えば三角形の一般観念(これは最も抽象的で包括的で困難な観念などではないが)を形成するには、いくらかの労力と技術が必要になるのではないだろうか。というのも、三角形の一般観念は斜角でも直角でもいけなく、等辺でも二等辺でも不等辺でもいけなく、それらのすべてであると同時にどれでもないのでなければならないからである。つまり、それは、存在するはずのない不完全な何か(something imperfect, that cannot exist)、すなわち、いくつかの異なった、そして互いに両立しない諸観念のいくつかの部分が寄せ集められた一つの観念である。この不完全な状態にある精神は、そのような諸観念を必要とし、知識の伝達と拡大の便宜のために、それら諸観念のもとへ急ぐのである。(ニディッチ版『人間知性論』第4巻 7-9 p.596)
【ロックにおける「人格」の定義】
「人格とは思考する知的な存在者であり、理性を持ち反省を行い、自分自身を自分自身として、つまり異なる時間と場所において同一である思考する者(the same thinking thing)として考察することのできる存在者である。」(ニディッチ版『人間知性論』第2巻 27-9 p.335)
【シャフツベリ:自然の形成力はわれわれの道徳的経験にいきわたっている】
子ども時代、祖父の盟友であるロックを家庭教師として学んだ哲学者であり政治家でもある第三代シャフツベリ伯爵(Anthony Ashley Cooper, 3rd Earl of Shaftesbury: 1671-1713)は、人間の自然な情愛や感覚が、利己的な情念を制御し、秩序を生むという論点を強調する。それによって、知性の幅広い役割を強調するロックの立場に対し、むしろ感覚や感情を重視する経験論者たち(ハチスンやヒュームやスミスら)に道を拓くことになった。シャフツベリの論点を、代表作の一つである『徳あるいは価値に関する研究』の議論を通して整理しておこう。
シャフツベリは、われわれが自分や他人の行為を反省する経験そのものを反省、考察しようと試みる。「われわれが自分や他者の行為を反省するとき、その行為が「自然な情愛(natural affections)」を通じてなされたか否かをただちに識別し、賞賛すべきものと憎むべきものを「内なる目 (inward eye)」によって区別するという経験についてである。これは、どのような経験なのだろうか。
シャフツベリは、自然な情愛や情念と、自己保存のための私的な情念をわれわれがただちに区別する経験を次のように描いている。前者は、愛、感謝、恵み深さ、寛大さなどで、それ自体が精神的快楽を与えるだけでなく、「正邪の感覚(sense of right and wrong)」を通じてさらなる秩序を生むのに対し、後者は、生命への愛、食欲、性欲、賞賛や名誉への愛など、個人や社会の存続のために必要だが、それらが過剰になってしまうと、自然な情愛を失い、他人や社会から離れる結果を招いてしまう。まして、残酷さ、悪意、敵意、嫉妬などといった反自然的な情念をもつことは、自然な情愛を完全に失うことを意味し、本人だけでなく、誰にとっても不幸なこととなる、と。
シャフツベリは、このような区別をただちになす「内なる目」を、「知性」と呼ばず、「正邪の感覚」や「秩序と均整の観念あるいは感覚(the idea or sense of order and proportion)」と呼ぶ。われわれは、自然の形成力をただ漫然と見ているだけではなく、自然が形成する全体の調和・秩序に「美」を感じそれを賞賛し愛するよう自然によって性向づけられている。したがって、「邪悪」や「卑劣」などといった道徳的な区別も、立法者の意志や神の意志によってつくられたものではなく、自分がその一部となっている全体(仲間、家族、同胞などの「種」や「システム」)との調和への愛(あるいはそれらとの調和を乱すことでバランスを失う情動への嫌悪)をもつわれわれの性向から生じる「自然な感覚」であるとされる。
このようなシャフツベリの所論を貫いているのは、独特な自然観である。シャフツベリは、自然を、有機体のように形態を形成する力を内に宿す「形成的自然(plastic nature)」(Characteristics of Men, Manners, Opinions, Times, Cambridge Texts in the History of Thought, 1999. pp.93, 240) 、つまり、調和と秩序を形成する「生命的原理」(Ibid, p.307)として見ている。「自然な情愛」がさらなる秩序を生むこと、そして、そのような秩序に美を感じ「自然な情愛」をわれわれがただちに賞賛するということ。「この二つの事実を、シャフツベリは経験を反省することを通じて観察し、自らの自然観の例証ととしているのである。
このようなシャフツベリの自然観は、古代ギリシアの哲学や、ケンブリッジプラトニストたちの自然観に通じる。しかし、シャフツベリは、自然の形成力がわれわれの道徳的経験にまで及んでいることを、自然な情愛とそれを賞賛する自然な感覚がさらなる秩序を生むという経験の反省を通して例証している。そして、そのような経験論的議論を通じて、「知性による労働」でなく、「自然な感覚」を重視する結論に至ったのである。(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p42-44)
【ハチスン:道徳的感覚(モラル・センス)とは何か】
シャフツベリの洞察のなかから道徳的感覚という論点を継承し、他の外的感覚との類比とその含意を探求した論者に、フランシス・ハチスン(Francis Hutcheson: 1694-1746)がいる。ハチスンは1694年にアイルランドで生まれ、後にスコットランドの大学で道徳哲学を教え、ヒュームやアダム・スミスらに大きな影響を与えた人物である。この章の最後として、ハチスンの代表作『美と徳の観念の起源』などの論点の特徴を確認しておこう。
第一に、ハチスンは、われわれの感覚の被決定性や受動性を強調する。感覚とは「われわれの意志から独立して諸観念を受けとり、快苦の知覚をもつわれわれの精神の決定(determination)」(Essay on the Nature and Conduct of the Passions and Affections, in Collected Works of Francis Hutcheson, Ⅱ, Georg Olms Verlagsbuchhandlung Hildesheim, 1971. p.4、以下EN)である。われわれはある対象から、感覚を通して、意志や利害とは関係なしに、不随意に、受動的かつ必然的に快を受けとる(An Inquiry into the Original of our Ideas of Beauty and Virtue, 4th edition, 1738, Lincoln-Rembrandt Publishing. xiv, ILL pp.135,140, 以下INQ。EN p.2)。 これと同様に、われわれは博愛(利他心)を見るときに、自分の利害・意志に関係なく、ただちにある特殊で単純な快、是認を感じる(INQ p.107)。したがって、「われわれが美徳と呼ぶ理性的行為者の感情、行動、性格を是認することへの決定」(INQ xv)としての「道徳的感覚(moral sense 以下、モラル・センス)」をわれわれはもっている。
第二に、ハチスンは、理性と感覚の分業を強調する。感覚は、対象が現れると、自分の利害についての反省なしで「一見して」作用する(at first view INQ pp.79,83)。同様に,モラル・センスとは「観察された行動からわれわれに及んでくる利益や損失についてのどんな意見にも先立って、その行動から是認や否認の単純観念を受けとる精神の決定」(INQ p.84)であり、モラル・センス自体の作用に推理は含まれない。これに対し、理性は「新しい種類の観念を生じさせず、受けとられた観念の関係を発見識別する」(Illustrations on the Moral Sense, 3rd edition edited by Peach Bernard, Harvard U. P., 1971. p.135以下ILL)にすぎないので、理性が是認や否認を感じさせるのではない。
第三に、ハチスンは、観察することで動機づけられるという論点を重視する。美徳は、観察者のなかに行為者に対する善意あるいは愛を引き起こす(INQ pp.84-85)。つまり、博愛的な行動をなす行為者を見る観察者は、モラル・センスによってその行動を是認するだけでなく、その行為者に対する利他心を感じ、観察者自身もまたその行為者への利他的な行動へと動機づけられる。
第四に、ハチスンは、快適な生という目的にとっての感覚の合目的性を指摘する。実際、われわれは、感覚によって受け取る快苦の感じによって、自分の保存に必要なものを得、危険なものを避けることができる。ハチスンは、この事実から、感覚とは、神が定めた何らかの目的に役立つように意図され付与されたものと考える。同様に、博愛を是認するモラル・センスをもつことによって、他者に役立つ行動は、その行為者自身に自らに対する是認の快を与え、同様のモラル・センスをもってそれを観察する他者がこの行為者を愛し、その人に善行をなすことを可能にする。つまり、博愛を是認するモラル・センスをもつことで、人々は、(悪意、すなわち他者の不幸への欲求を是認するモラル・センスをもっていた場合よりも)幸福への傾向をもつことになる。われわれの幸福に資するモラル・センスをわれわれがもっているというこの事実から、神が博愛を目的としてわれわれにモラル・センスを付与したと蓋然的に推理される(ILL pp.133-134, 137-138, INQ pp.83-85, 96-97, 191-192)。 われわれの幸福を欲求する博愛的な神は、われわれが感じる是認に愛を付随させ、モラル・センスをもつ人間を、神が設定したこの博愛という目的へと動機づけ、すべての人を対象とする「普遍的博愛」へ発展するようにわれわれを秩序づけているのであるとされる(INQ pp.140-142)。このようにハチスンは、シャフツベリ同様われわれの経験についての反省・考察を、われわれを含み込むより大きな洞察と結びつける。ただし、シャフツベリは、われわれの「正邪の感覚」を、調和と秩序を形づくっていく自然の働きの一部とみなした。それに対し、ハチスンは、われわれのモラル・センスを、博愛的で利他的な秩序を創造する神の意図の一部とみなすのである。
第五に、ハチスンは、このような感覚の普遍性を指摘する。自分の経験や他者を観祭するかぎり、感覚は、われわれの構造にとって普逼的な作用である(ILL pp.128,132,159,162)。同様に、歴史や他者についての観察によって知るかぎり、人々が博愛を是認することは是認しないことよりも蓋然性が高いと経験的に判断される。しかも、博愛的な神が付与すると推理されるこのセンスの作用が今後も続く蓋然性は、引力の法則が続くことと同じくらいきわめて高い(INQ xvi, p.139, ILL pp.161-162)。人類に付与された感覚としてのモラル・センス自体は発展も変化もなく、人類に普遍的に見出されるものである。したがって、モラル・センスの変化や不調という問題もあまり深刻には受けとめられていない。
シャフツベリとハチスンに共通するのは、人間の知性よりも感覚を、そしてそのような感覚を与えた自然や神の知恵を強調する点である。彼らによれば、われわれの認識や社会は、人間の知性による労働や工夫によってでなく、自然や神の知恵によって決定されている。そして、このような壮大な全体観は、われわれの日々の道徳的経験それ自体を反省、
考察しようと試みる経験論から推理されている。つまり、生得観念を媒介としてでなく、自他の行為を反省する経験を媒介として認識や社会の秩序が生まれると考える点では、彼らもロックと同じ線上にある。ただし、ロックは、われわれの知性の働きを、そしてシャフツベリとハチスンは、われわれの自然な感覚の働きを強調した。感覚や感情の影響力を評価する点で「道徳感覚学派」と呼ばれる後者の立場は、スコットランド出身の哲学者デイヴィッド・ヒュームとアダム・スミスによって批判的に継承、発展されることになる。(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p44-p47)
【シャフツベリとハチスンの違い】
「シャフツベリはわれわれの「正邪の感覚」を調和と秩序を形づくっていく自然の働きの一部とみなした。それに対し、ハチスンは、われわれのモラル・センスを、博愛的で利他的な秩序を創造する神の意図の一部とみなすのである」(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p46)
【ロックからバークリーへ】
「ロックによれば、外的物体の一次性質が、われわれの感覚を触発して単純観念を生み、この単純観念を素材として知性が一般観念をつくり、それに名前をつけることで、思考や知識の拡大伝達が可能になるのであった。
しかし、バークリは、このように外的物体を想定することを批判する。というのも、バークリに言わせれば、ロックが想定するような外的物体とは何かわからないし、外的物体から単純観念がどのように生まれるのかもわからないからである。」(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p52)
【ヒュームによる進化論にも似た「自然の作者」批判】
自然の作者として神の存在を推理する蓋然性批判の第二の論点は、自然と人工品とのクレアンテスの類比とは違う類比を複数指摘することで、クレアンテスの議論の確実性を弱めることにある。先の分類でいえば、②にあたる「反対の観察」があるときには、推理の確実性は弱まるという論理による反撃である。フィロは二つのアイデアを提示してこの論理を補強している。
第一のアイデアは、宇宙と動植物との類似を強調するアイデアである。部分が全体のために、全体が部分のために働いている点で、宇宙は知的な創作者がつくった時計によりも、動植物のような有機体に類似しているのかもしれないという代案である。
第二のアイデアは、進化論を予感させる次のような仮説である。つまり、物質が安定的な形態を求めて絶え間ない盲目的な運動を続けており、われわれはそのつかの間の安定を秩序ある宇宙と呼んでいるにすぎないという議論である。したがって、この仮説に基づくならば、目的と手段の適合は物質の継起的な運動の必然的な途中経過にすぎず、それを意図した知性を想定する必要はないという反論である。
フィロはこれらのアイデアを提示する真意を次のように説明する。「宇宙論のとんなシステムを確立するためのデータもわれわれはもっていない。われわれの経験は、それ自体とても不完全で、範囲においても持続においてもきわめて制限されているので、物事の全体についてのいかなる蓋然的推理もわれわれに提供できないのだ」(Dialogues concerning Natural Religion, edited by Eugene F. Miller, Liberty Fund, 1987. p.45)と。
つまり、われわれの経験は限定されているために、確実に知ることができない主題がある。しかし、そのような主題についても、われわれは想像力の習慣的な働きによって強固な信念を形成しがちである。そのような場合、多くの蓋然的な仮説を並置することによって、特定の推理や信念だけを主張する独断的態度を批判することができる、というのである。(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p68)
【ヒュームの可能性】
道徳的言語や社会制度の生成において「人為」がいかに有害であるか、そしてその害を緩和するための「対話」とはどのような形でありうるかということについては、主著である『人間本性論』よりも、それに続く著書である『道徳原理の研究(渡部峻明訳、晢書房、1993年)』(ヒュームはこれを自らの著作の中で最良の作品と呼んでいる)の「付録」における所論と、とくに巻末に収められた「対話一篇」が、大きなヒントになる。この「対話一篇」は、とても短いが、『自然宗教に関する対話』と同様、経験を超えたテーマや、道徳的言語で語らざるを得ないテーマといった、論争になりがちなテーマをめぐる「寛容な対話」、哲学的対話の実践例としてだけでなく、言語の本性と可能性を考えるうえでも役に立つ。また、『道徳・政治・文学論集(田中敏弘訳、法政大学出版局、2011年)』に収められたエッセイ群も、そのような「対話」を喚起するものとしてだけでなく、人間と社会について広く考える「人間の科学」の企てを理解するためにも、重要な論考である。ヒュームや経験論だけでなく、人間と社会の問題に関心のある人には、『人間本性論』だけでなく、これらの著書の精読を強く勧めたい。(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p91)
【不快を共感によって享受するので自分に関係ない不正義も不快である】
「不正義がわれわれからとても離れていて、われわれ自身の利益に全く影響を及ぼさない場合でも、それでもそれはわれわれを不快にする。なぜならわれわれは不正義を人間社会にとって損害を与えると、つまり、不正義を犯す人に近づくあらゆる人に害を及ぼすとみなすからである。われわれは彼ら(=不正義を犯す人に近づく人)の不快を共感によって享受する。そして、一般的に眺める際に、人間の行動において不快を与えるものは何であれ「悪徳」と呼ばれ、同じ仕方で満足を生むものは何であれ「徳」と呼ばれるのである。」(A Treatise of Human Nature. Edited by, David Fate Norton and Mary J. Norton, Oxford University Press, 2000. Ⅲ, 2-2 p.320)
【「彼は下劣だ」と評価することは他者と共通の感情を表現していて、偏ってはいるが素朴な主観主義ではない。】
「人が誰かに「悪徳」「睡薬すぺき」「下劣」といった形容辞を与えるとき、彼は(自愛の言語とは)別の言語を話しているのであり、それにおいては彼の聴衆すべてが彼と一致するはずであると彼が予期するところの感情を表現しているのである。したがって、このとき彼は、自分の個人的で特殊な状況から逸脱し、他者と自分とに共通な観点を選んでいるにちがいない。」(Hume, David. An Enquiry concerning the Principles of Morals, edited by T. L. Beauchamp, Oxford University Press, 1998, §9, p.148)
【ヒュームの幸福】
ヒューム「人間の幸福は活動、快楽、怠惰という3つの混合要素に存する」(David Hume, Essays Moral, Political, and Liberty, edited by Eugene F. Miller, Liberty Fund, 1987, p.269)
【ヒュームの快楽】
ヒューム「人びとが快楽について洗練すればするほど、どんな種類の快楽においても耽溺するということは少なくなる。というのも過度の耽溺ほど真の快楽を損なうものはないからである。」(David Hume, Essays Moral, Political, and Liberty, edited by Eugene F. Miller, Liberty Fund, 1987, p.271)
【スミスの疎外論】
「スミスというと、市場原理主義や自由放任主義の元祖というイメージがあるかもしれない。しかし、スミスは、政府の役割としての公共政策の重要性も論じている。たとえば、国富を増大させる分業の広がりによって、国民の大半が単純作業に従事するばかりとなると、「人間としてなりうるかぎり愚かで無知となる」とスミスは言う。さらには、「精神の無気力(the torpor of his mind)」によって、どんな理性的会話を楽しむことも参加することもできなくなるだけでなく、寛大で高貴で優しい感情をもつこともできなくなり、結局、私生活上の普通の諸義務についてさえ、その多くについて正当な判断を(just judgment)が下せなくなる」(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations, Liberty Fund, 1976, p782)。そして、自国の重大かつ広範な利害についても判断できなくなるというのである。ここからスミスは、庶民の初等教育などの公共政策や、政府による財政政策などの重要性に注意を促していくのであるが、このしばしば「スミスの疎外論」と呼ばれる指摘は、我々の生きる現代にも通じる警告ともなっているだろう。(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p109)
「富者や権力者を称賛し、ほとんど崇拝し、貧しい人や身分の低い人を軽蔑したり、少なくとも軽視したりする性向(disposition)は、身分の区別や社会的秩序の確立と維持の両方に不可欠だが、同時にわれわれの道徳感情の腐敗を導く、大きくて、最も普遍的な原因である。」(Smith, Adam. The Theory of Moral Sentiments, Liberty Fund, 1982)
【スミスの想像力論】
他者の思考や感情の中に入っていき、それについていく能力として想像力を捉えるスミス視点は、(中略)『道徳感情論』において、ヒュームの共感論に対する批判となって現れる。しかし、『道徳感情論』以前に書かれ、生前には出版されることのなかった哲学的な初期の論文群(特に、「哲学的探求を指導する諸原理」、「外的諸感官について」、「いわゆる模倣的諸技芸において行われる模倣の本性について」)において、そのような想像力論が生き生きと論じられている。そこでは、ヒュームが企てた「人間の科学」つまり、人間的自然を導く原理(原因)を推測しつつ、人間的自然の生成変化(結果)を描いていくという探求の、スミスにおける展開を見ることができるだけでなく、人間の想像力と技術との関係性という、アリストテレスから現代にまで連綿と続く哲学的な問題を考えるうえでも、興味深い議論が展開されている。これらの問題に関心のある人には、ぜひスミスの次の著書の一読をお勧めする。
アダム・スミス著、佐々木健訳、『哲学・技術・想像力 哲学論文集』(勁草書房、1994年)
(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p112)
【ジョン・ステュアート・ミルは何をやっていたのか:帰納→演繹→検証(具体的演繹法)】
「J.S.ミルの道徳科学の特徴は、低次のさまざまな経験法則(因果法則としてはまだ洗練されていないもの)と、人間本性の複数の法則とのあいだを媒介し、検証する中間公理の探究にあった。つまり、経験や歴史的事象から法則を帰納しつつ、その法則を、人間本性の諸法則から演繹可能であるかどうかを検証するという科学的探究である。」(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p132)
【ミルの危害原理は他者への無関心を正当化するものではない】
「ミルは、「多数者の専制」を、社会が警戒すべき害悪のひとつであるとさえ言う。それに身をまかせず、個性を成長させるためには、他の個性とのぶつかりあいが必要である。そして、この文脈で、ミルは、「他者危害の原則」と呼ばれる原理を提示している。それは、個人の行動の自由に対して、法的あるいは道徳的に干渉、統制する唯一の目的は、他者に危害を加えることを防止することであるという原則である。しかし、注意すべきは、この原則は、他者に迷惑をかけないかぎり、他者に無関心でいることを正当化する原則ではないという点である。この原則のもとで互いの個性を最大限尊重しあって、個性を自由に発展させることが、社会の責務であり、社会の利益となると説くのである。そして、そのように性格を形成する実践を通して、各人が、道徳的感情を感じるようになり、社会的存在者としての人格を形成するようになる。ベンサムが強調した外的な制裁でなく、良心の責めという内的制裁の経験も、ミルにとっては、思弁的能力の状態を向上させる自由と、それを通じての個性の自由な発展という実践と不可分なものであった。
今日を生きるわれわれは、行為の一般的ルールが、専門家や多数者によって次々と決められていく状況や、人びとの行動を規制する外的な制裁が次々と整備されていく状況に、合理性や効率性を感じこそすれ、不自由を感じることが少ない。そのような合理性や効率性は、個性と個性がぶつかりあい、互いの思弁的能力や個性を発展させる機会を減らす「合理化」なのかもしれないのだが、われわれは、各種の「合理化」に慣れてしまったせいか、そのような状況を、むしろ安楽と感じる感受性さえも身につけてしまっている。しかし、このようにして進む思弁的能力の衰退に、個人の能力だけでなく、社会全体の衰退の兆候を見、それへの処方箋を探求したミルの言葉は、われわれの心にまっすぐに語りかけ、問いかけてくる。」(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p131)
【ミルの具体的演繹法(帰納→演繹→検証)に対するパースのアブダクション】
「パースは、帰納に先立つプロセスとして仮説形成が生じているという。パースの挙げている例で考えてみよう。たとえば、内陸部で魚の化石が発見されるとする。このとき、われわれは、「化石が発見されたあたりは昔、海だったのだろう」という仮説を立てる。このように、驚くべき事実Cが観察されるとき、「もしAが真であれば、Cは当然である」という仮説を形成することを、パースは「アブダクションabduction」と呼ぶ。」(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p133)
【アブダクションにおける「誘拐」という意味】
「アブダクションは、いくつかの事象をただ凝視するにととまらず、合理的に関連づけて解釈し説明するための仮説形成である。それが荒唐無稽であるか、それとも先見性や洞察力に満ちた仮説であるかは、その仮説から引き出される帰結や予測を帰納によって検証することによって後から判明する。
では、なぜバースは「アブダクション」などという名でこのプロセスを呼んだのだろうか。われわれは「驚異」や「賞賛」や「恐怖」などの情念を感じさせるものと出会ったとき、なじみのものと取り合わせてみることで「まるで〜のようだ」というアブダクションを無意識のうちに模索し始める。アブダクションには「誘拐」という意昧があることからも予期されるように、「アブダクションを示唆するものは、われわれに対して閃き(flash)のようにやってくる。それは一つの洞察(insight)である。ただしそれは極度に誤りうる洞察である」(Pragmatism as the Logic of Abduction(Harvard Lectures on Pragmatism 1903)/The Essential Peirce Selected Philosophical Writings ed. By Nathan Houser and Christian Kloesel, Indiana U.P. 1992, 1998,2, p.227)とされる。特殊なものと出会ったときにそれについて「まるで〜のようだ」という仮説を形成するこの力には「抵抗できず、命令的である。われわれは自分の軍門を開いて、少なくともしばらくのあいだは、それを受け入れなければならない。」(『連続体の哲学』206頁)とパースは言う。つまり、われわれが能動的に仮説をつくるというよりは、それをひらめき、思い込んでしまうから「誘拐」なのである。帰納的推理が作動するためにはまず何かしらの仮説を思い込むということが先立たねばならない。では、なぜわれわれは、誤りに満ちた仮説を思い込むよう誘拐されてしまうのだろうか。パースの次の描写は示唆的である。」(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p134-p135)
【パースと、ただ一回だけの個別具体的なツツジ】
「気持ちのいい春の朝、窓の外をながめると、満開のツツジが見える。いや、そうではない! それが見えるわけではない。私に見えるものを記述するには、そう言うしかないけれども、それはすでにひとつの叙述であり、文であり、事実である。私が知覚するのは叙述でも文でも事実でもなく、ただのひとつのイメージなのだが、これを理解できるようにするには部分的にとはいえ事実の言明 (a statement of fact)に頼るしかない。この言明は抽象的である。しかし、私に見えるのは具体的だ。目に見えるものを文で表現しようとするときには、私はひとつのアブダクションを行っているのである。われわれの知識全体が、実を言えば、帰納によって検証され洗練された仮説でできた、もつれた毛せん (one matted felt)なのだ。一歩ごとにアブダクションを行うということがなければ、たんなる凝視(vacant staring)の段階よりも先に知識がわずかでも進むということはありえないのである。」(手稿 692,1901年, パースの手稿はハーバード大学図書館に寄贈され、マイクロフィルムとして公開されている。)
つまり、パースによれば、われわれが体験する具体的なものを言葉で捉え記述しようとするとき、その体験を「帰納によって検証され洗練された仮説」に置き換えて言明するほかない。具体的な体験の具体性を損なうにもかかわらず、われわれはそのような仕方で体験を言明化する。そして、なにかしら言明化されると、その言明は検証や解釈の対象となる。「たんなる凝視よりも先に知識がわずかでも進む」ことの副産物として、検証や再解釈の対象となることで、我々の信念は常に流動変化していくことになる。しかし、それこそが人間であるとパースは言う。パースの説く、人間に可能な探求とは何であるかをみていこう。(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p135)
【4つの能力の欠如からのいくつかの帰結】
「われわれはどのような方法で知識を探求していくことができるだろうか。この問いに対するデカルトの方法的懐疑に対する批判がイギリス経験論の展開を促してきた。パースもまた同様である。「パースは、四つの能力の欠如からのいくつかの帰結」という1868年の論文において、「デカルト主義」の特徴を次のように指摘している。①哲学は普逼的懐疑から始まらなければならないと考える。②確実性の究極的なテストは個人の意識の中に見出されるべきと考える。③そこからの一本の推論の糸を「哲学」と称する。④絶対的に説明不可能で分析不可能な何か究極のものを想定する。そして、パースはこれらにことごとく反対する。すなわち、内的な観念を直観する能力、自己について確実に認識する能力、記号なしに思考する能力、物自体を認識する能力といった能力を否定するのである。」(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p136)
【煮えたぎるものとしての経験】
「「真実 (the true)」ということは、きわめて端的にいえば、ただわれわれの思考において有用だ、ということである。それはちょうど「正しさ(the right)」ということが、ただわれわれの行動の仕方において有用だ、ということと同じである。ほとんどいかなる形態においても有用だということである。また長い目で見て、そして全行程からして、有用だということである。というのも、目下のすべての経験に有用に(=expedienceに=適切に)対処できるものが、必ずしもそれ以後のすべての経験に、同じように満足に対応できるとはかぎらないからである。われわれも承知しているように、経験とは煮えたぎって溢れ出るもの(ways of boiling over)であり、われわれに現在の諸定式を訂正するように迫ってくるのである。」(James, William. Pragmatism ed. with an introduction, by Bruce Kuklick, Hackett Publishing, 1981, p.100)
【原文】
Experience has ways of boiling over, and making us correct our present formulas.
【純粋経験】
では、溢れ出るものとされる、われわれの経験とは、どのような洞察なのだろうか。それは、それは、流動変化する「純粋経験」の宇宙についての洞察、つまり、異種交雑の混乱が生む経験の流動性、あるいは異種の経験が結ばれあう関係性の経験についての洞察である。ジェイムズは、「直接に経験される要素」を「純粋経験」と呼び、それがどんな経験であれ、経験されるものは排除せずに「実在的なもの」とみなす根本的な経験論を企てる。
たとえば、心霊現象や啓示体験といった、一般性に欠け、言語化しがたい経験であっても、その体験を切り捨てたり、「超自然的」などとレッテルを貼ったり、習慣的な連鎖の生成といった説明に置き換えたりすることなく、そのような宗教的な体験にも、それと連接する経験と「完全に平等な権利」を認め、それらを等しく「純粋経験」という名の「実在」とみなし、あらゆる生き生きとした純粋経験を相互に結びつける経験の推移において生じている事態を扱うこと。それが、「ふつうの経験論」とは異なる「根本的経験論」の立場である。(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p149)
【エルンスト・マッハについて】
「私は父の書斎で非常に早い時期に(15歳くらいの時)、カントの『プロレゴーメナ』を手にしたのであるが、これを想う時、私はいつも、すこぶる運がよかったという感銘にうたれる。私はこの本を読んで、強烈な、抹しがたい感銘をうけた。その後哲学書を読んでこれ程の感銘をうけたことはない。」(エルンスト・マッハ著、廣松渉、須藤吾之助訳、『感覚の分析』p32)
【物自体についての驚くべき考え】
「私は非常に早い時期に、それまで抱いていた全く素朴な世界観を、カントの『プロレゴーメナ』によって揺り動かされました。ところが、この著作に接したことで、私は却(かえ)って批判をよびさまされ、あの近づきがたい「物自体」は、なるほど自然に、本能的に生ずる幻影ではあるが、何といってもやはり不合理な、そのうえ危険な幻影だという考えをもつようになり、カントのうちに潜在的に残っているバークリーの立場や、ヒュームの考え方につれもどされるという結果になりました。カントはバークリーやヒュームから退行している。バークリーやヒュームの方がより整合的であった。私は本気でそう思います。」(エルンスト・マッハ著「物理学と心理学との内面的な関係について」廣松渉編訳『認識の分析』p4-p5)
【アインシュタインへの影響】
「私自身について言えば、少なくとも、とりわけヒュームおよびマッハによって、直接にも間接にも大いに助成されたことを承知している。[...]マッハがまだ若く感受性に富んでいた時期に、光速度の不変性の意義をめぐって物理学者たちの間に問題がすでに持ち上がっているようであったら、マッハが相対性理論に考え及んだということは、ありえないことではない。」(アインシュタイン「マッハ追悼文」『アインシュタイン、ひとを語る』東海大学出版部、p176-p179)
【マッハについての参考文献】
①今井道夫著『思想史のなかのエルンスト・マッハー科学と哲学のあいだ』(東信堂、2001年)
②木田元『マッハとニーチェ ー世紀転換期思想史 』(講談社学術文庫、2014年)
【経験論は途絶えていない】
「まとめよう。⑴経験論は「言語論的転回」によって途絶えたわけではなく、現代にも脈脈と受け継がれている。むしろ、原語の主題化という点で言えば、経験論的な議論の強い影響下で起こったもの(マウトナー、ホフマンスタールら)もあった。⑵他方、論理学的研究を基にした言語哲学(分析哲学)には当初は経験論の痕跡は見られず、後になって経験論と絡み合うようになっていった。⑶そして、そもそも、現代的な経験論も言語哲学も英米圏の哲学内部で完結するものではなく、むしろ最初はドイツ語圏で生まれたものであり、20世紀以降に主たる舞台を徐々にイギリスやアメリカに移していった。(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p171)
【一階述語論理と二階述語論理】
「フレーゲは論理主義に立って、まず、算術の概念がすべて論理学の概念だけで定義できることを示し、そして、あらゆる算術的命題が、論理学の公理体系からの隙間のない推論によって導出できる、ということを示そうとした。しかし、そのためには、どんな算術的命題も表現できる豊かな論理学が新たに必要だった。フレーゲが述語論理を開発したのはまさにこの目的のためだったのである。つまり、算術を述語論理に還元するというのが、フレーゲ自身にとって最重要の仕事だったということである。
ところで、この仕事を遂行するためには、実は先述した述語論理の体系ではまだ不十分である。算術的命題すべてをカバーできるだけの表現能力を獲得するためには、命題関数の変項に個体だけでなく命題関数それ自体を入れることーたとえば、命題関数「xは動物である」のxに命題関数「xは動物である」を入れることーもでかるような、発展的な述語論理の体系を構築する必要があるのである。(ちなみに、述語論理のうち、変項の値が個体だけのものは「一階述語論理」と呼ばれるのに対して、変項の値に命題関数も含むものは「二階述語論理」と呼ばれる。)
しかし、個体だけでなく命題関数も変項の値とする拡張を無制限に行うと、結果としてその公理体系は矛盾を抱え込むことになってしまう。このことを指摘したのが当時フレーゲと同様に論理主義の立場をとり、彼の論考を熱心に追っていたラッセルだった。」(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p176)
【語の意味はその語の表象ではない】
「語の内容が表象不可能だということは、その語に一切の意味を否認したり、その語を使用から排除する理由とはならない。これとは反対のように見えるのは、恐らく、我々が語を孤立させて考察して、その意味を問うからであろう。そのときには、我々は表象を語の意味と見なすことになる。こうして、対応する内的な像が我々に欠けている語は、いかなる内容も持たないように思われる。しかし、常に、完全な命題を念頭に置かなければならない。その中でのみ、語は本来、意味を持つのである。語の意味を問う際に内的な像が我々の心に浮かぶかもしれないが、そうした像が判断の論理的な構成要素に対応する必要はない。全体としての命題が意義(Sinn)を持つならば、それで十分である。そのことによってまた命題の部分もその内容を得るのである。」(ゴットロープ・フレーゲ『算術の基礎』第60節)
【『論理哲学論考』という著作は、思考に対して限界を引く書物、ではない】
「本書は思考に対して限界を引く。いや、むしろ、思考に対してではなく、思考されたことの表現に対してと言うべきだろう。というのも、思考に限界を引くにはわれわれはその限界の両側を思考できねばならない(それゆえ思考不可能なことを思考できるのでなければならない)からである。したがって、限界は言語においてのみ引かれうる。そして限界の向こう側は、ただナンセンス(unsinnig)なのである。」(ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタイン著、野矢茂樹訳、「序」『論理哲学論考』岩波文庫)
→たとえば、「人が生存できる環境」と「人が生存できない環境」との境界線を我々が引けるということは、我々が「人が生存できない環境」がどういうものかを考えられる、というこのことを前提にしている。しかし、「思考が可能なもの」と「思考が可能でないもの」との境界線についてはこの前提(=我々が思考不可能なものについて思考できるという前提)が成り立たない(ちなみに、「死ぬ前」と「死んだ後」についても同様の構造がある)。それゆえウィトゲンシュタインが試みたのは、ナンセンスな言語表現と有意味な言語表現との間の境界線を引くことを通して、間接的に、境界線の「内側から思考不可能なものを限界づける」(4.114節)ことであった。
→だから、ウィトゲンシュタインは思考の限界を直接は引けていないし、彼もそう言っているのである。彼はただ、思考の表現である言語に有意味な表現とナンセンスな表現との境界線を引こうとしただけである。それゆえ、問題は、「(私の)言語の限界が思考の限界と等価である」という主張のほうなのだ。「命題形成可能性」が「思考可能性」とまったく同じであること、つまり、「我々に作ることができる命題の総体」と、「我々に考えうる世界の有り様の総体」とがぴったりと一致するというこの「写像理論」が崩せれば、『論理哲学論考』の「摩擦の無いつるつるした世界(氷上の楼閣)」は崩れ去り、その世界は経験的世界と何のつながりも持ち得ない理想的結晶に過ぎなかったことになる。重要なのは、このことが、彼自身の理論の仕立て(→言語の限界=思考の限界=世界の限界という仕立て)からして、彼の理論に内在的にそう言えるということなのだ。
【そして後期へ】
「「崇高な把握」は具体的な事例から立ち去るように私に強いる。というのも私の言っていることは具体的事例には当てはまらないからだ。そして私は霊妙な領域へと赴き、本来の記号について、存在するはずの規則について(どこに、どのように存在するのかは言えないにもかかわらず)語るのだ。そして「ツルツルすべる氷の上へと」入り込むのである。」(ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタイン著、鬼界彰夫訳、『哲学宗教日記』、講談社、p115)
「現実の言語を精密に考察すればするほど、この言語と我々の要請との間の衝突が激しくなる。(論理の透明な純粋さといったものは、わたくしにとっては探求の結果生じてきたのではなく、一つの要請だったのである。)この衝突は耐えがたくなり、この要請はいまにも空虚なものになろうとしている。われわれはなめらかな氷の上に迷い込んでいて、そこでは摩擦がなく、したがって諸条件が、あるいみでは理想的なのだけれども、しかし、われわれはまさにそのために先へ進むことができない。われわれは先へ進みたいのだ。だから摩擦が必要なのだ。ザラザラした大地へ戻れ!」(ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタイン著、藤本隆志訳、『哲学探究』<ウィトゲンシュタイン全集8>、大修館書店、107節)
【ウィトゲンシュタインはハイデッガーのことを理解しようとしていた】
「私は、ハイデッガーが存在と不安について考えていることを、十分考えることができる。人間は、言語の限界に対して突進する衝動を有している。例えば、或るものが存在する、という驚きについて考えてみよ。この驚きは、問いの形では表現され得ない。そして、答えは全く存在しないのである。我々がたとえ何かを言ったとしても、それは全くアプリオリにただ無意味でありうるだけなのである。それにもかかわらず、我々は言語の限界に対して突進するのである。キルケゴールもまたこの突進を見ていた。そして彼はそれを全く似たように(パラドックスに対する突進として)言い表しているのである。言語の限界に対するこの突進が倫理学である。」(フリードリヒ・ワイスマンによる記録、黒崎宏訳、「ウィトゲンシュタインとウィーン楽団」<ウィトゲンシュタイン全集5>、大修館書店、p97)
【絶対的なものは語り得ず、語られれば相対的なものになってしまうのだが、それでも絶対的な倫理に敬意を払うと誓うウィトゲンシュタイン】
「倫理学が人生の究極の意味、絶対的善、絶対的に価値のあるものについて何かを語ろうとする欲求から生ずるものである限り、それは科学ではあり得ません。それが語ることはいかなる意味においてもわれわれの知識を増やすものではありません。しかし、それは人間の精神に潜む傾向を記した文書であり、私は個人的にはこの傾向に深く敬意を払わざるを得ませんし、また、生涯にわたって、私はそれをあざけるようなことはしないでしょう。」(ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタイン著、杖下隆英訳、「倫理学講話」<ウィトゲンシュタイン全集5>、大修館書店、p394)
【「偽」と不適切性】
真にも偽にもなりえないがその発話が不適切(infelicitous)にはなりうるような文がある。以下の①〜⑦を見て欲しい。
①「船をエリザベス号と命名します(I name)。」
②「彼女を妻とすることに同意します(I do)。」
③「遺言:私の銀時計を弟に譲ります(I give)。」
④「明日は雨である方に賭けるよ(I bet)。」
⑤「やあ」
⑥「電気つけて」
⑦「ちょっとそこの醤油とって」
→これら①〜⑦は、真にも偽にもなりえないが「不適切」(infelicitous)にはなりうる。
→たとえば初対面の人に「やあ」と発話するのは「不適切」である。
→これらの例が示唆しているのは、偽であるような文は、多種多様な不適切である文の一様態に過ぎないのではないか、ということだ。実際、「今雨がふっている」という真か偽になりうる文が偽になる時、「その文は偽である」の代わりに、「その文は、不適切だった」とも言いうるのである。
※ただし、偽な文であれば全て不適切な文かというと、そうとも言い切れない。というのも、偽だが適切な文というものがありえる。たとえば、
⑧(相手が約束を守っていない場合に)「約束を守ってくれてありがとう」
とその人に言うのは「皮肉」である。皮肉は「偽であることを前提とした発話」であり、偽であることは話し手にとっても聞き手にとっても分かりきっているから、ここでも真偽は問題になっていない。皮肉は、相手を非難する意図を伝える文脈では「適切」であったり、逆の文脈では「不適切」であったりすることができる。我々は偽の文でさえ適切に使っているというのは驚くべきことである。
→偽であったところで、不適切でなければ我々は言葉を使うのであるが、では、真偽が取り立てて問題になるのはどんなときか。それは、何かがどんなときも誰にとっても絶対確実でなければならないような状況である。そしてそんな危機的状況とは、いったいどこにあるのだろうか。どこかにはあるのかもしれないが、そんな例外的状況を言語分析における典型とする言われも必然性もない。
→要するに、我々は、例えば学校のテストで正誤判定をさせられるときには、文の真偽がとりたてて問題になっていると思い込んでいるけれども、自分たちが思っているよりもずっと、真偽が問題になっていない文を使っているのである。真偽が問題となる言語使用の局面は他の様々な言語使用の局面のうちのひとつに過ぎないのである。では、真か偽かを考えても仕方がないようなこれらの文について我々はどのように考えたらいいのだろうか。以下の3カテゴリーがその役に立つことがある。(ただし、言語について考えるそのやり方は無数にありえるので、以下のことをヒントに、なにか言語を学ぶときに気づいたことがあったら、ヴェリタスの先生に話してあげてほしい。英語について考えたり、日本語について考えることは授業を実り多く、そして楽しくするはずだ。)
【J.L.Austinにおける言語行為の3カテゴリ】
⑴【発話行為(locutionary act)】
→どんな言語も、それを使うとき何か(口、身体、他人、物)を動かさないことができるだろうか。できないのであれば、言語とは行為の一種であると考えてよいはずだ。そして、なんであれ発話する行為(以下「言語行為」と呼ぶ)の全般がまずは「⑴発話行為」にあたる。真偽が問題とならないパフォーマティブ(=行為遂行的)な発話(「明日は行くと約束します」)も、記述や報告に使われるコンスタティブ(=事実確認的)な発話(「雨が降っている」)も、意味も分からず唱えた外国語も、まずはこれに含まれるといったんは考えてみよう。様々な文をまずはここに溶かし込むのである。
⑵【発話内行為(illocutionary act)】
→なにごとかを言うことにおいて-in-、なにごとかを行うその行為のこと。
→たとえば、「約束する」、「告白する」などの、「相手にこちらの意図が伝わればその時点で十分」と言えるような言語行為は「⑵発話内行為」にあたる。
→「⑵発話内行為」とは「発話内の力(illocutionary force)」を伴った言語行為である。
→社会的な慣習や、習慣によって言語行為とその効果の間の関係が緊密で安定している。たとえば①〜④はこれにあたる。
⑶【発話媒介行為(perlocutionary act)】
→なにごとかを言うことによって-by-なんらかの実際的で実効的な「発話媒介効果perlocutionary effect」を聞き手に及ぼし、それによってなにごとかを行うその行為のこと。「⑶発話媒介行為」は、言語行為であるのに、発話の適切性が話し手の発話そのものによって構成も保証もされないような言語行為である。
→「怖がらせる」「確信させる」などは、「相手に意図が伝わればその時点で十分」と言えるような言語行為では全然なくて、その言語行為の「適切性」が聞き手に依存して変わってしまう。たとえば「約束する」の場合には相手に及ぼす実際的効果とは無関係にその言語行為を適切に達成することができたけれど、「どうなってもしらんぞ」と言うような言語行為の場合には、その効果によって相手がビビらなければ適切に達成できない。
→ 「⑶発話媒介行為」は、社会的な慣習や習慣によって言語行為とその効果の間の関係が安定してはいるが、その場その場での即興性もあり、「⑶発話媒介行為」が及ぼす「発話媒介効果」は文脈次第でどのようなものでもありうる。例えば「結婚するぞ!」という発話媒介行為が相手に及ぼす発話媒介効果は何だろうか。文脈によっては相手が笑い出すかもしれないし、泣き出すかもしれない。
→では、その「文脈」というのはいったいなんなのか。
【文脈の重要性】
人間の全ての言語行為(speech-act)は以上の3つのカテゴリーのうちのどれかに定まるということには結局ならないし、まったく同じ発話でも文脈が変わればどれに分類されるのが適切かは変わる。
[具体例1.]たとえば、Bさんを怖がらせようとしたAさんが「私は何をするかわからないぞ」と発言したことについて、「Aさんったら、これから何をするかわからないなんて変なの」とBさんが思った場合をまずは考えてみよう。この時、そもそもAさんが発話に込めた「発話内の力(illocutionary force)」がBさんに伝わってさえいないので、これは「⑵発話内行為」としては「不適切」であり、これは「⑴発話行為」でしかない。
[具体例2.]次に、Bさんを怖がらせようとしたAさんが「私は何をするかわからないぞ」と発言したことについて、「そんなこと言われてもちっとも怖くないぞ!」とBさんが思った場合はどうか。この時、Aさんが発話に込めた「発話内の力」はBさんに伝わってはいるのだが、Bさんが実際に怖がってはいない。よってこれは「⑵発話内行為」である。
[具体例3.]最後に、Bさんを怖がらせようとしたAさんが「私は何をするかわからないぞ」と発言したことについて、「怖い!」とBさんが実際に思った場合はどうか。この時、Aさんの発話は、Bさんに「発話媒介効果」を及ぼしている。つまり、「発話内の力」がBさんに伝わっていて、Bさんが実際に怖がっている。この「発話媒介効果perlocutionary effect」を聞き手に及ぼし、まさにそのことによってなにごとかを行うその行為こそが「⑶発話媒介行為」である。
【オースティンまとめ】
「われわれは、何ごとかを言うこと(発話行為)において何ごとかを行い(発話内行為)、しばしばそれによって何らかの効果を聞き手に及ぼす(発話媒介行為)。すなわち、この3つの行為の一部ないし全部によって、われわれの日々の言語的コミュニケーションが構成されていると言うことができるだろう。」(勢力尚雅・古田徹也著『経験論から言語哲学へ』、2016年、p257)
【参考文献】
『J・L・オースティン著、坂本百大訳『言語と行為』(1978年、大修館書店)
【マイケル・ダメットの反実在論と、全体論に反対して提示した分子論的言語観についての文献】
金子洋介『ダメットにたどりつくまで』(勁草書房、2006年)
森本浩一『デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか』(NHKブックス、2004年)
【グスタフ・マーラー(Gustav Mahler : 1860-1911)の交響曲と経験論】
【経験論の名著の時系列順】
【1562年】
セクストス・エンペイリコス(2-3世紀頃)『ピュロン主義哲学の概要」(ラテン語訳)
【1620年】
ベイコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』
【1625年】
グロティウス(1583-1645)『戦争と平和の法』
【1632年】
ガリレイ(1564-1642)『天文対話』
【1637年】
【1641年】
【1651年】
【1660年】
アルノーらポール・ロワイヤル『一般理性文法』
【1670年】
スピノザ(1632-1677)『神学政治論』
【1670年】
パスカル(1623-1662)『パンセ』(ポール・ロワイヤル版)
【1674年】
マルブランシュ(1638-1715)『真理探究論』
【1677年】
スピノザ『エチカ』
【1678年】
カドワース(1617-1688)『宇宙の真の知的体系』
【1687年】
ニュートン(1642-1727)『プリンキピア(自然哲学の数学的原理)』
【1689年】
【1690年】
ロック(1632-1704)『統治論』『人間知性論』
【1696年】
ベール(1647-1706)『歴史批評事典』
【1698年】
シャフッベリ(1671-1713)『徳あるいは価値に関する研究』
【1710年】
ライプニッツ(1646-1716)『弁神論』
【1710年】
バークリ(1685-1753)『人知原論』
【1714年】
マンデヴィル(1670-1733)『蜂の寓話』
【1717年】
クラーク(1675-1729)『クラーク=ライプニッツ往復書簡集』
【1721年】
【1725年】
ハチスン(1694-1746)『美と徳の観念の起源』
【1732年】
バークリ『アルシフロン』
【1733年】
ポウプ(1688-1744)『人間論』
【1734年】
【1739年】
ヒューム(1711-1776)『人間本性論』
【1741年】
ヒューム『道徳・政治論集」(1752年『政治経済論集』。1777年まで改訂重ねる)
【1751年】
ヒューム『道徳原理の研究』
【1751年】
デイドロら『百科全書』
【1755年】
ルソー(1712-1778)『人間不平等起源論』
【1759年】
スミス(1723-1790)『道徳感情論』
【1762年】
ルソー『社会契約論』『エミール』
【1771年】
ハーマン(1730-1788)「懐疑論者の夜の夢」(ヒューム「人間本性論』第1巻結論部の独訳)
【1776年】
スミス『国富論(諸国民の富の本質と諸原因に関する探求)』
【1776年】
ベンサム(1748-1832)『統治論断片』
【1776年】
「アメリカ独立宣言」
【1779年】
ヒューム『自然宗教に関する対話』(独訳出版は1781年)
【1781年】
カント(1724-1804)『純粋理性批判』
【1788年】
カント『実践理性批判』
【1789年】
ベンサム『道徳と立法の原理序説』
【1789年】
フランス革命→「人権宣言」
【1790年】
カント『判断力批判』
【1790年】
スミス『道徳感情論』(第6版改訂版)
【1807年】
【1819年】
ショーペンハウアー(1788-1860)『意志と表象としての世界』
【1821年】
ヘーゲル『法の哲学』
【1822-1831年】
ヘーゲル『歴史哲学講義』
【1835年】
【1843年】
ミル(1806-1873)『論理学体系』
【1844年】
マルクス(1818-1883)『経済学・哲学草稿』
【1849年】
エマソン(1803-1882)『代表的人物』
【1859年】
ミル『自由論』
【1859年】
【1862年】
ラスキン(1819-1900)『この最後の者にも』
【1867年】
【1867年】
【1872年】
【1874年】
ブレンターノ(1838-1917)『経験的立場からの心理学』
【1878年】
パース(1839-1914)「われわれの観念をいかにして明晰にするか」「信念の確定」
【1879年】
フレーゲ(1848-1925)『概念記法』
【1879年】
フェヒナー(1801-1887)『夜の見方に対比される昼の見方』
【1883年】
マッハ(1838-1916)『マッハカ学』
【1883-1885年】
【1884年】
フレーゲ『算術の基礎』
【1886年】
マッハ『感覚の分析』
【1889年】
ベルクソン(1859-1941)『意識に直接与えられたものについての試論』
【1896年】
【1897年】
ジェイムズ(1842-1910)『信じる意志』
【1899-1936年】
クラウス(1874-1936)『矩火(die Fackel)』
【1900年】
フロイト(1856-1939)『夢判断』
【1903年】
デューイ(1859-1952)『論理学説研究』
【1904年】
ジェイムズ「純粋経験の世界」
【1907年】
ジェイムズ『プラグマティズム』
【1907年】
ベルクソン『創造的進化』
【1910-1913年】
ラッセル(1872-1970)とホワイトヘッド(1861-1947)『プリンキピア・マテマティカ』
【1912年】
ラッセル『哲学入門』
【1913年】
【1914年】
ラッセル『外部世界はいかにして知られうるか』
【1914-1918年】
【1916年】
【1917年】
【1921年】
ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『論理哲学論考』
【1927年】
ラッセル『現代哲学』
【1927年】
【1929年】
【1929年】
ウィトゲンシュタイン「倫理学講話」
【1929年】
シュリック(1882-1936)らウィーン学団『科学的世界把握ーウィーン学団』
【1929年】
ホワイトヘッド『過程と実在』
【1929年】
【1932年】
カルナップ(1891-1970)「言語の論理的分析による形而上学の克服」
【1934年】
ミード(1863-1931)『精神・自我・社会』
【1936年】
エイヤー(1910-1989)『言語・真理・論理』
【1936年】
ベンヤミン(1892-1940)『複製芸術時代の作品』
【1936-1949年】
【1938年】
デューイ『論理学ー探究の理論』
【1939-1945年】
【1942年】
メルロ=ポンティ(1908-1961)『行動の構造』
【1945年】
【1945年】
広島、長崎に原爆投下
【1947年】
アドルノ(1903-1969)・ホルクハイマー(1895-1973)『啓蒙の弁証法』
【1947-1959年】
オースティン(1911-1960)『知覚の言語』
【1951年】
ライヘンバッハ(1891-1953)『科学哲学の形成』
【1951年】
クワイン(1908-2000)「経験主義のふたつのドグマ」
【1952年】
アメリカが水爆実験に成功
【1953年】
ドゥルーズ(1925-1995)『経験論と主体性ーヒュームにおける人間的自然についての試論』
【1955年】
オースティン『言語と行為』
【1955年】
【1958年】
ハンソン(1924-1967)『科学的発見のパターン』
【1960年】
クワイン『ことばと対象』
【1960年】
ガダマー(1900-2002)『真理と方法』
【1961年】
レヴィナス(1906-1995)『全体性と無限』
【1963年】
セラーズ(1912-1989)『経験論と心の哲学』
【1964-1975年】
【1966年】
【1967年】
デリダ(1930-2004)『声と現象』
【1967年】
【1967年】
【1967年】
ヨーロッパ共同体(EC)成立
【1968年】
ドゥルーズ(1925-1995)『差異と反復』
【1968年】
【1969年】
アポロ11号月面着陸
【1970年】
クーン(1922-1996)『科学革命の構造』
【1973年】
【1974年】
デイヴィドソン(1917-2003)「概念枠という考えそのものについて」