aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

最小哲学史と哲学書からの引用集

【最小哲学史

 

1.【ソクラテス:不可欠で不可解なものに日常が依拠している】

 ソクラテス(B.C.469-B.C.399)は、アテナイの職人であったが、ペロポネソス戦争に従軍した後、告訴され、死刑になり慫慂(しょうよう)と毒杯を仰いで死んだ人。「フィロソフィア」という言葉を最初に用いたとされる。「勇気とはなにか」「何かを知っているとはどういうことか」などと具体例はいくらでも挙げられるがそれが何かを抽象的に定義するのは難しいようなことについて問答をして回ったとされる。現代でも「「わび・さび」とはいったい何ですか」と聞いて回ればソクラテスのようになることはできる。「竜安寺の石庭」や「芭蕉の俳句」など、「わび・さび」の具体例は教えてもらえるだろうが、結局「わび・さび」の定義についてはなかなか得られないだろう。そして、そのような定義がなければ、外国人に「わび・さび」について説明したり、その価値についてわかってもらうことはできないかもしれない。「わび・さび」があるものが何かについて、わかっているはずなのに、それがどういうことなのかうまく言えずに隔靴掻痒(かっかそうよう)としてしまう状態は、すでに哲学をしてしまっている状態だと言えるだろう。

 

2.【プラトン北極星には届かないが北極星のおかげで現在位置がわかる】

 プラトン(B.C.427-B.C.347)は、アテナイの王族の出身で師ソクラテスを主人公にした多数の対話篇を書いた。プラトンソクラテスが追い求めていたものは、「イデア」であったとした。「イデア」は単なる「定義」のことではない。誰かが三角形を作図しようとした時、どうしても「いびつな三角形」になってしまう。だから、三角形そのもの、つまり「三角形のイデア」はこの世界には存在しない。「イデア」は、現実には実現不可能な理想であり、しかしだからといって存在しないのではなく別世界(=イデア界)に存在するとされた。ところで、この作図行為において、イデアは目標とされており、そのイデアがあるからそれを目指す仕方で作図行為は円滑に進行できている。花子や太郎も、「よりよい人間」になろうとしており、犬はより犬らしくなろうとしていることがわかる。さらに抽象化すれば、犬にしても人にしても、「より善い在り方」を日々模索している。この最も抽象的な「より善い在り方」こそが「善のイデア」である。花子と太郎と犬と三角形は全然違うが、最終的には同じ「善のイデア」をめざしており、それに惹きつけられていることになる。プラトン哲学の意義は、「現実には全員条件が違うのだけれども、目指すべき目的としては無限遠点に同じものを持ちうるし、その同一の目的に向かう進路をそれぞれが見出しうるのではないかという可能性を示したこと」にあると言える。ただしプラトンは、ソクラテスに自分の学説を押し付けたというよりも、むしろソクラテスが考えたことを突き詰めていけば、「こういうことを言うソクラテスが本来いる」と考えたというほうが適切である。

 

3.【アリストテレス:諸原因に満ち満ちた現実世界】

 アリストテレス(B.C.384-B.C.322)は、理想こそを問題にしたプラトンとは異なり、現実をこそ問題にした。アリストテレスプラトンアテナイの出身であったのとは違って、マケドニアの出身であり、アレクサンドロス大王の家庭教師であった。プラトンは現実を駆動(というより牽引)している原理を別世界にあるイデアだと考えていたが、アリストテレスは、そうした現実を動かす原理は現実世界の中にあると考えていた。例えば胎児の成長を考えてみよう。胎児の中には、将来大きくなった時に現実化されるであろう骨格や臓器となるような遺伝子構造が非常に詳細にビルトインされている。これが「形相因」である。さらに、胎児は母乳や食事を養分として成長している。つまり、母乳や食事が素材となって成長が進行しているのであり、これは「質料因」である。さらに、この成長というのは、親や環境がすべてを担っているから介入をやめた瞬間に止まってしまうというものではなく、子供の中から内発してくる子供自身の成長する力も存在している。これが「作用因」である。さらに、そもそも子供が成長するのは生存(サバイバル)という目的を達成するためであるとも言える。これが「目的因」である。要するに、「なんでこんな生成変化が可能だったの?」という問いに対して①「そういう計画を準備していたから」と答えること、②「素材があったから」と答えること、③「変化させる力に押しだされていたから」と答えること、④「目的に引っ張られていたから」と答えることが可能で、このような様々な要因の様々な比率での組み合わせによって現実世界は動き続けているというのがアリストテレスの見解であった。ポイントは、プラトンの見解とは違って、こうした諸要因はすべて現実世界の中にあるということである。


4.【アウグスティヌス:心の漆黒の最奥でかすかに白む輝き】

 アウグスティヌス(354-430)は北アフリカに生まれ、マニ教の信徒であったが、成長してからキリスト教徒となり、キリスト教の教義を確立した。そもそもキリスト教は、神による天地創造を前提している。その天地創造の6日目に、最初の人間を作った。最初の人間アダムは神の似姿であるから、神的性質を幾分か受け継いでいるはずの存在である。創造された後のアダムはヘビ(サタン)に騙されて知恵の実を食べてしまい、これについて神は激怒し、アダムとイブは楽園から追放されるのである。この原罪(=神を裏切った罪)は、このアダムとイブの子孫の全員に受け継がれていくことになっている。しかしこの原罪から我々を救ってくれる存在が現れる。これがイエスである。さて、上記のような話が聖書には書いてあるのであるが、この中でアウグスティヌスが注目したのは、「人間は神の似姿である」というこの点であった。まさにこの点ゆえに、人間は自分を徹底的に内省すれば、神に似た要素・特徴・在り方が自らの中に発見できるはずだと考えたのである。つまり、自分の心の外側というよりはむしろ内奥に神への通路があるとアウグスティヌスは考えていたことになる。


5.【デカルト:疑えば疑うほど確実になるものがある】

 デカルト(1596-1650)は、日本で言えば江戸時代の初期に活躍した人であり、フランスの中部の法服貴族の家に生まれた人物であった。1543年にはいわゆる「天文学上の発見」によってキリスト教会の正統教義であった天動説ではなく、むしろ地動説が主張し始められていた。このように教会の権威が動揺し、諸信念が危機を迎えていた時代、デカルトは、これまで信じており、また教えられてきたものが本当のところは確実なことなのだろうか、と疑いを持ち始めていた。しかし、では、もはや疑わしいものにとって代えて、今度は何を信じればいいのだろうか。その当時に新しく出てきていた諸科学だって、即座に飛び付けるほど絶対確実かどうかはわからない。では、そもそも、絶対確実なものなんてあるのだろうか。これがデカルトにとって、大問題であった。だから、少しでも疑い得るものはなんであれ全力で疑ってみようとデカルトは試みたのである。多くのものごとは、疑えば疑うほど確実性は揺らいでいく。しかし、この世の中にただひとつ、疑えば疑うほど、むしろ確実性が強まっていくものがある。それが、「考えているということ」であった。実際、「考えているということ」が本当かどうかと考えている時、そのとき、やはり考えてしまっている。「もしかして全部が夢かもしれない」と考えている時、考えてはいる。考えていることを疑うとき、考えてはいるので、考えていることそれ自体から逃れられているわけではない。考えていることを疑えば疑うほど、本当に考えているのかどうかを考えていること自体は認めざるをえなくなっていく。そして、考えているからには考える主体がいるはず(=考えるためには考える主体が必要なはず)で、ゆえに考えている私が存在することは絶対確実である。デカルトはこのような道筋を進んだ。このようなデカルトの道行きは、ヨーロッパの思想界に賛否両論のさまざまな議論を巻き起こすことになった。

 

6.【ルソー:一般意志は全体意志ではない】

 ルソー(1712-1778)は、ジュネーブの生まれで、『むすんでひらいて』のメロディーの作者であった。社会哲学者としてのルソーは、「人間は自由なものとして生まれるも、いたるところで鎖につながれている」(『社会契約論』冒頭)と考え、私有財産制さえ不平等につながるとした。同じ社会哲学者のロックの場合には、私有財産制自体は保証し、各人の私有財産に危害を加える人に、刑罰を加えるための力として政府の権力を認めるわけだが、ルソーからすると、これは結局不平等を固定化するための方便に過ぎなかった。それゆえルソーは、私有財産制自体を廃止してしまい、個人の財産すべてを国家に委ねるべきだと考えたのである。では、共同体の存続のために最大多数者の利益が常に優先され、個人は犠牲にされるべきだというあまりにも単純なことをルソーは言っていたのであろうか。実はそうではない。ルソーは、多数者の圧政へとつながりかねない、各人の特殊意志の算術的総和としての全体意志から、「一般意志」を区別し、一般意志はむしろ個々人の間の差異が最大化されることを保証し、皆の共存と自由とが同時に達成されるように、つまり全体意志あるいは多数決の暴政によって少数者が犠牲にされるといったことが生じないように意志する、全員のための意志だとした。このルソーの考え方は、フランス革命において指導者となったジャコバン派ロベスピエールに大きな影響を与えた。


7.【カント:人間には何がわかりえないのか】

 カント(1724-1804)は、ハンザ同盟加盟都市のひとつ、北ドイツのケーニヒスベルグの生まれで、現在のロシア領のカリーニングラードで生まれた。カントは元々、天文学を研究していたのだが、56歳の時に『純粋理性批判』を書いた。人間の認識能力(=理論理性)の可能性と限界を論じた主著が『純粋理性批判』である。また、意志を規定する根拠とされた、善悪を判断する能力(=実践理性)を論じたのが、『実践理性批判』であり、美しさと自然(例えば峨々たる山脈)の神々しさを感ずる際に用いている能力(=判断力)を論じたのが、『判断力批判』である。では、具体的にカント哲学にはどんな意義があったのだろうか。代表的な意義を3点挙げておく。①まず、「神は存在するのか」とか「死後の霊魂は存在するのか」といった問題に熱中していた当時の哲学者たちに対して、そのような問題は原理的に認識不可能であるとし、そのような問題を考えるよりも哲学には考えるべきことがあるとし、哲学の方向転換を促した点。②次に、我々が何かを認識する際には、常に既に色眼鏡をかけてから認識していて、人間皆にとって普遍的に正しく思われることであっても、人間皆が同じ色眼鏡をかけているから人間皆にとって普遍的に正しく思われているに過ぎないのだということを示した点。③また、『実践理性批判』で「汝の意志の格率がつねに同時に普遍的立法の原理に妥当せんよう行為せよ」(=「汝の主観的原則が普遍的な法則となることを求める意志に従って行動せよ」=「誰もが行うべきだと考えられるようなことだけをやってください」)と述べられているように、自分だけが得をすることはもちろん、自己犠牲までをも特別扱いだとして倫理的に正当化しなかった点。

 

8.【ヘーゲル:花が咲けば蕾は否定され実がなれば花は否定される】

 ヘーゲル(1770-1831)は、南ドイツのバイエルンにあるシュトゥットガルドに作曲家のベートーヴェンと同じ年に生まれた。ヘーゲルはイタリア・オペラを好んだ。ヘーゲルは哲学の方法として、「弁証法」という方法を用いていた。この方法は、同じ問題についてふたつの対立する立場を考え(=定立と反定立)、その対立する立場の核心部を維持しながら調停(=止揚)する立場を考え出す(=総合定立)という方法である。弁証法は妥協案を作ることではない。例えば、「「正月に小樽に行きたい人」と「正月に蔵王に行きたい人」がいるとして、小樽ではスキーができず蔵王では海産物が食べられないので、その代わりに洞爺湖に行けばスキーができて海産物も食べられるだけでなく、さらに温泉にも入れるから洞爺湖にいくことにする」というのは「弁証法」ではなく「妥協案を作ること」である。また、「うどんを食べたい人とカレーを食べたい人が対立したのでカレーうどんを食べにいくこと」も弁証法ではない。弁証法は、人間同士の対立を調停する方法かのように見えてしまうのだが、ヘーゲルは日常で生じうる些細な対立を解消するテクニックを披露しているのではない。実際、「うどん派」と「カレー派」は対立しているけれど、別に「うどん」と「カレー」は対立してない。さらに「カレーうどん」において、「カレー」と「うどん」はそれぞれ自らの姿を変えていないまま合体している。また、「カレーうどん」は、「カレー」や「うどん」より高次の段階のものではなく「カレー」や「うどん」と同じ水準にあり、「料理」の一種に過ぎない。弁証法における高次の段階とは、むしろ「もともとあった自分のあり方」を放棄して、新たな関係を築いた先にあるものである。そこで、哲学の方法である「弁証法」の具体的使用場面を見てみよう。例えば、『精神現象学』の最初の部分(=「感覚的確信」)では、①私が机を見るときに、「これは机である」と記述する。②次に、机の上のペンをみて「これはペンである」と記述すると、先ほどの「これは机である」という記述は否定される(=意識があるものに向かうと、その前に意識されていたはずのものは意識されなくなる)。③次に、「机」や「ペン」という「個別的なもの」はその都度、感覚的に確信されるが、その都度否定されてしまい、結局は「これ」という、ありとあらゆるものを指し示すことのできる言葉(=「一般的なもの」)のみが残るということが気づかれる、という具合に、意識のあり方の発展が語られている。また、ヘーゲルの『アンティゴネ』の解釈においては、「家族の義務」を大切にするアンティゴネが、「共同体の掟」を重視するクレオンによって死刑になり否定される。ところが「家族の埋葬」は、単に家族の義務だったのではなくて、「共同体」よりも高次の「神々の掟」だったので、「アンティゴネと対立していたクレオンも罪を犯していたのだ」ということになりクレオンも否定されるという弁証法的解釈になっている。また、もっとわかりやすい弁証法の例であれば、「植物が育つ」というモデルを考えてみてもよい。「花が咲けば蕾は消えて否定される」し、「実がなれば花は消えて否定される」という弁証法的発展をしていると言えることがわかるだろう。いずれにせよ、弁証法において目指されており、問題になっているのは、「妥協案を作ること」においてのように「対立の解消(≒友達と喧嘩しないこと)」などではなくて、「「他」による「自己の否定」」と「高次の段階」なのである。つまり、「対立の解消」は弁証法において目的ではなく結果である。

 

9.【マルクス:すべての歴史は階級闘争の歴史である】

 マルクス(1818-1883)は、ドイツ西部のトーリアの弁護士の家に生まれた。マルクスは、ヘーゲルのように、「歴史は精神の自己展開によって進む」とは考えなかった。では、ヘーゲルは歴史展開の原理をどのように考えていたのか。次のように考えていた。人間は、我々を取り囲む自然から技術によってエネルギー(=生産諸力)を取り出すために、生産諸関係(=領主と農民のような階級のこと)を組織する。そして、この組織の中には「余剰生産物」が蓄積されていく。そしてあるときこの余剰生産物を梃子(てこ)にした技術革新によって生産諸力が大きく増大する。そして、生産諸力が増大すると、新たな生産諸関係が組織されるのである。これがいわゆる「革命」なのであり、だから、「すべての歴史は階級闘争の歴史である」。そして、たとえば「ドイツ観念論」などの思想は、 上記の生産諸関係という下部構造の上になり立ち、その体制を正当化するために生産諸関係の成立を後追いする仕方で作られた、「イデオロギー」に過ぎない。このように、「下部構造(=各時代の生産諸力に対応した生産諸関係)は、上部構造(=その時代に主流となる思想や宗教や道徳)を規定する」のである。例えば、①農業を下部構造とする社会であれば、水路を共同で開発し、田畑を開墾するなど、共同体単位で人は働くことになる。だから、そこで主流となる思想は、共同体の調和を乱したり富を独占したりすることを良しとはしないだろう。②それに対して、農家から都会に出てきた人々で構成されているような、工業を下部構造とする社会であれば、工場労働者や事務労働者が個人あるいは核家族単位で行動することになる。だから、そこで主流となる思想は、「プライバシー」や「自己決定権」を尊重するような思想となるだろう。③さらに、(肉体を駆使した)サービス業を下部構造とする社会では、デザインや広告やアイデアなどを駆使したオリジナリティが求められる。だから、そこで主流となる思想は、工業社会において以上に、各人に個性と創造性とを要求するだろう。このいずれにおいても、生産諸関係としての経済システム、すなわち下部構造が上部構造を規定していることになる。マルクスがこのような「唯物史観」に至ったのは19世紀の煤煙が立ち込めるロンドンにおいてであり、当時のロンドンは、公害規制も労働時間規制も全く十分ではなかった。


10.【ニーチェ:獅子から幼子の強さへ】

 ニーチェ(1844-1900)は、東ドイツライプチヒの牧師の家に生まれ24歳にしてバーゼル大学の教授に抜擢された人物である。キリスト教の教義によれば、善悪の起源は神の決定であるらしい。しかし、ニーチェによれば、善悪の起源は弱者が持つ強者にたいする嫉妬心に発する精神的な奴隷一揆であるという。例えば、次のような過程で善悪は産まれるのである。どうしても腕力や知力において歯がたたないので、強者に負け続けた弱者たちが、ある日、「どうせあいつらはズルをしているから強いのだ」とか「我々は神に選ばれているから試練を受けているだけなのだ」とか「彼らは肉体や頭脳においては優れていても、精神的には劣っているのだ」として、強者を「悪者(わるもの)」とし、その反対に自分らを「善人」と規定するのである。このような、弱者の強者に対する道徳上の奴隷一揆、すなわち嫉妬心から発された逆転の一計によって、主流の道徳理論が樹立されたというのが、ニーチェの考えであった。例えば、キリスト教の道徳は、元を辿ればローマ帝国時代の弱者たち、つまりは奴隷の道徳なのであって、「善悪は神によって定められた」などというのは弱者が「ルサンチマン(=嫉妬心)」という道徳の起源を隠蔽し、自己を正当化するために捏造した見せかけの理屈に過ぎないとしたのである。こうして従来奉じられてきた価値の卑劣な起源を暴露したニーチェは、従来の価値を否定する必要にさえ駆られずに、新たな価値を創造していくような、強く率直な存在への生成変化を次のように呼びかけている。

 

哲学書からの引用集】

1.【オネットムとは特殊属性が与えられるとその人が思い出されるのにその人が与えられると特殊属性が思い出されないような平衡感覚の優れた人である】
「紳士(=オネットムhonnête homme)について、彼は数学者だ、雄弁な人などと言われるようであってはならない。彼は紳士なのだ。私の気に入るのは、ただこの普遍的な性質だけだ。ある人に出会ったとき、その著書が思い出されるのは芳しくない兆候だ。雄弁が話題になっているときでなければ、彼が雄弁であることは思い出してほしくない。しかし、話題になっていれば、思い出してほしい。」

(パスカル『パンセ』中巻、塩川徹也訳、岩波文庫、2015年、362頁)


2.【なぜすべてについて少しだけ知るべきなのか】
「すべてについて知りうることのすべてを知って、万能になるのはできない相談だから、すべてについて少しだけ知らなければならない。なぜならあることについてすべてを知るよりは、すべてについていくらかを知るほうがはるかに見事だからだ。こちらの普遍性のほうがもっと美しい。」

(パスカル『パンセ』上巻、塩川徹也訳、岩波文庫、2015年、236頁-237頁)


3.【幸福とは現存の感情だけが魂の全体を満たすことである】
「いつまでも現在がつづき、しかもその持続を感じさせず、継起のあとかたもなく、欠乏や享有の、快楽や苦痛の、願望や恐怖のいかなる感情もなく、ただわたしたちが現存するという感情だけがあって、この感情だけで魂の全体を満たすことができる、こういう状態があるとするならば、この状態がつづくかぎり、そこにある人は幸福な人と呼ぶことができよう。」

(今野一雄訳、『孤独な散歩者の夢想』、岩波文庫、1960年、87頁-88頁)


4.【ハイデガーにおける非本来性】
「<だれでもないだれか>によって、このように選択することもなく引きずられていくことで、現存在は非本来性のうちに巻き込まれてゆく。このようなはこびをもとに戻すことができるのは、現存在がじぶんを、<ひと>へと喪失されているありかたから、ことさらにじぶん自身のもとへと連れもどすことによってのみである。」

(熊野純彦訳、『存在と時間(三)』、岩波文庫、2013年、211頁)

 

5.【ツーハンデネスとフォアハンデネスの区別】
「「道具的存在者(Zuhandenes)」·「道具的存在」·「道具的存在性」は、「事物的存在者(Vorhandenes)」・「事物的存在」·「事物的存在性」に対する。前者は、「手(Hand)」と「かかわりあう(zu)」という意味を含み、したがって手の延長と解されている「道具」に関係する。これに対して後者は、「手(Hand)」の「まえにある(vor)」という意味を含み、したがって、手から離れて、人間とのかかわりあいの向こう側に存在する「事物」に関係する。」

(ハイデガー存在と時間Ⅰ』原佑・渡邊二郎訳、中公クラシックス、2003年、187頁)

 

6. 【啓蒙とは未成年状態からの勇気ある離脱である】
「啓蒙とは人間が自ら招いた未成年状態から抜け出ることである。未成年状態とは、他人の指導なしには自分の悟性を用いる力がないことである。この未成年状態の原因が悟性の欠如にではなく、他人の指導がなくとも自分の悟性を用いる決意と勇気の欠如にあるなら、未成年状態の責任は本人にある。したがって啓蒙の標語は、「あえて賢くあれ!Sapere aude!」「自分自身の悟性を用いる勇気をもて!」である。[…] なぜ彼ら(=多くの人間)は生涯をとおして未成年状態でいたいと思い、またなぜ他人が彼らの後見人を気取りやすいのか。怠惰と臆病こそがその原因である。未成年状態でいるのはそれほど気楽なことだ。」

(福田喜一郎訳『カント全集第14巻(「啓蒙とは何か」)』、岩波書店、2000年、p25)


7.【哲学は学ぶことができない】
「哲学は(それが歴史的でないかぎりは)決して学ぶことはできない。理性に関しては、ひとはせいぜいのところただ哲学をすることを学びうるのみである。」

(有福孝岳訳、『カント全集第6巻』岩波書店、2006年、115頁-116頁)


8.【馬:アブ=ポリス:哲学者】
「私(=ソクラテス)は神によってポリスにくっ付けられた存在なのです。大きくて血統はよいが、その大きさのゆえにちょっとノロマで、アブのような存在に目を覚まさせてもらう必要がある馬、そんなポリスに、神は私をくっ付けられたのだと思うのです。その私とは、あなた方一人ひとりを目覚めさせ、説得し、非難しながら、一日中どこでもつきまとうのをやめない存在なのです。」

(納富信留訳『ソクラテスの弁明』、光文社古典新訳文庫、2012年、65頁)


9.【ブリコルール(器用人)とはどんな人か】
「器用人(bricoleur)の使う資材の世界は閉じている。そして「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。しかも、もちあわせの道具や材料は雑多でまとまりがない。[…]ブリコルールの用いる資材集合は[…]「まだなにかの役にたつ」という原則によって集められ保存された要素でできている。」

(レヴィ=ストロース『野生の思考』大橋保夫訳、みすず書房、1976年、23頁)


10.【哲学とは「クルトゥラ・アニミ(cultura animi)」である】
「哲学とは、魂を耕すことである。(Cultura animi philosophia est.)」

(キケロトゥスクルム荘対談集』)


11.【アーレントの「政治」は「多様であること」が最大の必要条件】
「活動(action)とは、物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行なわれる唯一の活動力であり、多数性という人間の条件、すなわち、地球上に生き世界に住むのが一人の人間(man)ではなく、多数の人間(men)であるという事実に対応している。たしかに人間の条件のすべての側面が多少とも政治に係わってはいる。しかしこの多数性こそ、全政治生活の条件であり、その必要条件であるばかりか、最大の条件である。たとえば、私たちが知っている中でおそらく最も政治的な民族であるローマ人の言葉では、「生きる」ということと「人びとの間にある」ということ、あるいは「死ぬ」ということと「人びとの間にあることを止める」ということは同義語として用いられた。」

(ハンナ・アーレント『人間の条件(The Human Condition)』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994年、20頁)

 

12. 【ストア派にとって哲学とは防壁のことである】
「外には数多くの災いがあって、私たちを取り囲み、私たちをあるいは欺き、あるいは圧迫する。内にも数多くの災いがあって、孤独のただなかにいても激しく心を波立たせる。哲学という防壁を周囲に築かねばならない、運命がさまざまな攻城機械で攻め立てても超えることのできない難攻不落の城壁を。その征服しえない高みに立つ魂は、外なるものを放棄し、みずからの砦で己の自由を守り抜く。」

(セネカ「ルキリウス宛書簡82」(←ただしルキリウスという人物は実在しない可能性がある)『倫理書簡集I』大芝芳弘訳、『セネ力哲学全集』第6巻所収、岩波書店、2006年、15頁)


13.【ハイデガーの抛下とはリラックスして今までの自分から自由になること】
「実際私は、放下(Gelassenheit)という語が何を言っているのか、未だ知ってはおりません、併(しか)しそれでも大略次のように予感しております、すなわち、放下が目覚めるのは、我々の本質がそれ自身を抑々(そもそも)意欲に非(あら)ざることの内へ放ち入れるということ、そのことへ我々の本質が放ち容れられている場合であると。」

(ハイデガー『抛下』辻村公一訳、理想社、1963年、50頁)


14.【デカルトにおける良識】
「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。[...]われわれはみな、大人になる前は子供だったのであり、いろいろな欲求や教師たちに長いこと引き回されねばならなかった。しかもそれらの欲求や教師は、しばしば互いに矛盾し、またどちらもおそらく、つねに最善のことを教えてくれたのではない。したがってわれわれの判断力は、生まれた瞬間から理性を完全に働かせ、理性のみによって導かれていた場合ほどに純粋で堅固なものであることは不可能に近い」

(デカルト方法序説」、谷川多佳子訳、岩波文庫、1997年、22頁)


15.【プラトンにおける哲学の飛び火】
「その事柄については私の書物というものは決してありません、また今後あることもないでしょう。というのは、その事柄はその他の学科と違って語ることのできるものではなくて、事柄そのものに関してなされる多くの共同研究と共同生活とから、いわば飛火によって焚き付けられた光のように、突如として、魂のうちに生じてきて、やがて自分で、自分を養うものなのです。」

(プラトン「第七書簡」『書簡集』山本光雄訳、角川文庫、1970年、62頁)


16.【ラクダ→獅子→幼な子の生成変化】
「 わたしはきみたちに精神の三つの変化を挙げてみせよう。すなわち、精神がラクダになり、そしてラクダがシシになり、そして最後にシシが子供になる次第を。内に畏敬を宿す精神、強くて、重荷に耐える精神にとっては、多くの重いものがある。この精神の強さは、重いものを、最も重いものを欲しがるのだ。

 何が重いか?重荷に耐える精神はそう尋ねて、ラクダのように、ひざまずき、そして、たっぷりと荷を負わされることを欲する。わたしがわが身に負うて、わたしの強さを享楽すべき、最も重いものは何か、きみら英雄たちよ?重荷に耐える精神はそう尋ねる。

 最も重いものは、こういうことではないか、すなわち、自分の高慢さに苦痛を与えるために、わが身を低めることではないか?自分の知恵をあざけるために、自分の愚かさを明らかにすることではないか?

それとも、こういうことなのか、すなわち、われわれの仕事がその勝利を祝うとき、それから別れることなのか? 誘惑者(悪魔)を誘惑するために、高い山へ登ることなのか?それとも、[以下、長いので中略]

 重荷に耐える精神は、これら最も重いもののすべてをわが身に負う。こうして彼は、荷を負わされて砂漠へと急ぐラクダのように、自分の砂漠へと急ぐのだ。だが、この最も寂寥たる砂漠において、第二の変化が起こる。ここで精神はシシになるのだ。彼はみずからの自由をかちとろうとし、自分自身の砂漠において主であろうとするのだ。

 彼はここで自分にとっての最後の主を捜し求める。彼は、この最後の主、自分の最後の神に、敵対しようとするのだ。彼は大きな竜と勝利を争おうとするのだ。精神がもはや主とか神とか呼ぶことを欲しない大きな竜とは、どのようなものか?この大きな竜は、「なんじ、なすべし」と呼ばれる。だが、シシの精神は「われ欲す」と言う。「なんじ、なすべし」が、この精神の行く道のかたわらに、金色にきらめきながら、横たわっている。それは一匹の有鱗動物であって、そのうろこの一枚一枚に、「なんじ、なすべし!」が金色に輝いている。これらのうろこには、千年の諸価値が輝いている。そして、あらゆる竜のなかで最も強大なこの竜は、次のように語る。「諸事物のあらゆる価値―――それがわが身に輝いている。」 「あらゆる価値はすでに創造された。そして、あらゆる創造された価値―――-わたしがそれである。まことに、もはや〈われ欲す〉が存在してはならない!」竜はこのように語る。

 わたしの兄弟たちよ、なんのために精神のうちなるシシが必要であるのか?断念し、畏敬の念に充ちた、重荷を負いうる動物では、なぜ充分ではないのか?新しい諸価値を創造すること―――それはシシもいまだなしえない。だが、新しい創造のための自由を獲得すること―――それはシシの権力のなしうることだ。自由を獲得し、義務に対しても或る神聖な否認を行なうこと、そのために、わたしの兄弟たちよ、シシが必要なのだ。

 新しい諸価値への権利を取得すること―――それは、重荷に耐え、畏敬の念に充ちた精神にとって、最も恐ろしい取得である。まことに、このような精神にとって、それは強奪であり、猛獣のしわざである。この精神はかつて「なんじ、なすべし」を自分の最も神聖なものとして愛した。いまや彼は、自分の愛からの自由を強奪するために、最も神聖なもののうちにすらも、妄想と恣意とを見いださなくてはならない。この強奪のために、シシが必要なのだ。だが、言え、わたしの兄弟たちよ、シシもなしえなかった何ごとを、子供はさらになしうるのか? なぜ、強奪するシシは、さらにまた子供にならなくてはならぬのか?

子供は無邪気そのものであり、忘却である。一つの新しい始まり、一つの遊戯、一つの自力でころがる車輪、一つの第一運動、一つの神聖な肯定である。そうだ、創造の遊戯のためには、わたしの兄弟たちよ、一つの神聖な肯定が必要なのだ。いまや精神は自分の意志を意欲する。世界を失った精神は自分の世界をかちえるのだ。

わたしはきみたちに精神の三つの変化を挙げてみせた。すなわち、精神がラクダになり、そしてラクダがシシになり、そして最後にシシが子供になった次第を。」(『ツァラトゥストラはかく語りき』太線強調は引用者)