aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

なぜグラフの平行移動はマイナスするのか

「y=xをy=x-1へと右側に平行移動する」とは、「平行移動したあとでも同じ値を返してもらうためには、平行移動する前よりも1だけ多くxに値を入力すればよくなった」というルール変更を意味する。たとえば、平行移動する前には3を入力したら3が帰ってきたけど、これからは3+1を入力しなければ3が帰ってこなくなるということである。

このことはグラフの形が変わらないならば、全ての入力値に対して言える。よって、「平行移動がなされましたので、さっきまでと同じ値を得るためには全ての入力値にかんして+1をしなさい。」というこの指示は、「平行移動がなされましたので、入力されるxから1があらかじめ引かれるような設定にしておきます」という「補正のアナウンス」として表現される。

それゆえ、y=x-1という形になるのだ。

結論を整理しておく。

①「あるグラフを右側に1だけ平行移動したよ」

とは、

②「入力値xを常に1だけ多くしてやると、さっきまでと同じ出力値yが得られることになったよ」

というアナウンスに過ぎず、この②をxとyの関係で表現すると、

③「yを出力するときに、入力されるxからあらかじめ1が引かれる設定にしておいたよ」

となるのだ。①と②と③は全て同じ意味だというのがポイントである。

y=xの場合だと、新しい設定が、y=x-1というふうに表現できて、新しい設定にすることを「平行移動」と呼んでいるのである。

この話は、遠くからカーブしている車を観測する時には動いているのだから、向心力しか書かなくてよくて、

逆に、カーブしている車の中からカーブしている車を観測する時には止まっているのだから、遠心力を書くという話にも応用できる。

 

力は視点をおく系によって感じ方が変わる。
車の外から見えるのは遠心力ではなくて向心力。でもその車に乗ってるときには遠心力こそを感じる。

そして「遠心力は(乗ってるときには感じるけど外からは見えないから、外の人にとっては)見かけの力だ」と言われる。

物理学でいう「力」は日常語でいう「力」とはまた違うのだ。だから「遠心力」と言ったって、日常的に感じる「力」と同一視するわけにもいかない。

だから、次のように考えてみてはどうか。

向心力がかかっているのに、視点自体が動いているならば、向心力が働いているからそれを書き込まざるを得ないのに、その向心力が働いている対象が止まってしまう。その止まって見えることを、向心力を消さずに正当化するために遠心力を書くのだ。だから、遠心力は向心力に対するいわば補正である。「「止まって見える」という同じ結果を得るために、あらかじめ遠心力というものがかかっていたことにする」というのが補正なのである。