aurea mediocritas

日々の雑感や個人的な備忘録

愉快な英語

 

  1. I lost my key.だと、過去形なので、いまは見つかっている可能性がある。I have lost my keyだと鍵の消失を今持っていると言ってるんだから、現在見つかっている可能性はまったくない。過去形は今と関わりがない。それを利用して、断絶とか対比のイメージをここから生む場合すらある。
  2. 現在完了のイメージというのは、過去にビンタされた場合、そのジワジワ感が今もほっぺたに残っている感じであり、それゆえ、今どうするという文章が後に続いたり、それゆえ今どんな気持ちであるかというようなニュアンスがある可能性が高い。たとえば、I have finished my homework.という文の場合、それゆえ今は遊びに行けるぜというようなニュアンスがある。宿題が終わるという過去の衝撃の波紋が現在にまで及んでいるイメージなのだ。過去形の場合だとむしろ過去の衝撃との心的距離感があって、話にオチがついてしまっている感じがある。現在完了だと、話にオチがついていないので、オチをつけるような次の行動を促すようなニュアンスがある。
  3. 日常言語学派のポール・グライスの含みの意味論はとても参考になる。私の友人によると、この含みすなわちインプリカチャーの意味論は、相手の発話内容が真だったとしても、その意図がわからなければ、その発話は意味をなすものとして成立しないじゃんっていう話らしい。
  4. 日本語では「友達がいま来た」「分かったら手を挙げてください」というような表現があるので、「た」で終わるからといって過去ということにはならない。ただし、「昨日」という副詞と相性のいい「た」ならば過去と言ってもいい。
  5. 動詞の過去形につけるedは昔、母音が変わらない弱変化動詞に付けていたdidの破片であるという説がある。オックスフォード英英辞典などはその立場である。
  6. 仮定法という名称で実際に成されているのは仮定というよりもむしろ反実仮想なため、仮定法という名称ではなく反実仮想法のほうがよいのではないか。
  7. 過去形を心的距離の記号として使えるのならば、なぜ未来時制に過去形を使わないのかというと、過去は今まで確実に経てきたことで、その過去の経緯と食い違うことを言うためにはかなりの心的距離を生じさせてしまわざるをえないのだが、未来のことについては、そもそもまだ不確実なので(例えば1秒後に死ぬことだってありうる)未来について述べる時には心的距離がそれほど生じないからである。
  8. 「現在分詞」と「過去分詞」という用語を嫌う学者もいる。なぜなら、現在や過去というよりも、能動と受動の話をしているからである。だから能動分詞と受動分詞と言い変える方がよくないか。例えば、I am excited by the game.という受動分詞文は、The game is exciting.という能動分詞文と対になっているが、別に過去のことを話しているわけではないのに「過去分詞」が使われているという解説がなされる。また、I was punched という受動態文においてだって、この文のテンスを担っているのは過去分詞ではなくして、むしろビー動詞wasなのであるから、過去分詞という言い方はあまり的を得ていないコンベンショナルなものとも言えるだろう。ちなみに、能動分詞と受動分詞ではなく、現在分詞と過去分詞という呼称にも一理ある。なぜなら、いままさに空中をひらひら舞ってる葉がfalling leavesで、もはや地面に積もってる葉がfallen leaves になるのだから。
  9. そもそも、分詞というのは動詞から分かれた形容詞という意味である。だから分詞は動詞に戻すことができる。これがキモである。たとえば、interesting interest(=興味を持たせる)という動詞に戻すことができる。
  10. Will は予定されていないその場の意志で決めた未来で、be going to は前々からそういう予定になっていたり、様々な付帯状況から察するに無理なく予期される未来のことである。だから、前々から決まっていたことに対してwillを使うのはおかしくて、進行形かbe going to を使うのが適策である。逆にWill you marry me ?に対してwillではない答え方をすると不自然になる。それゆえ、*Are you going to marry me ? 「私と結婚する予定ですか」(Cf.↑アスタリスク言語学において「これは不自然な文です」という意味)という文もunacceptableである。例えば、Ill call you back later. (=じゃあ後でかけなおしますね)の、「じゃあ」と訳出したところがwillに相当する。また、Look at the lady with the big belly,shes going to have a baby soon. という英語においては、妊婦のお腹から予期される未来についてbe going toで示されているのが分かる。Its really dark outside,its going to rain tonight.というのも理屈は同じで、外の様子から話者の予期が働いたことが分かる。さらに付け加えれば、People will talk「人の口に戸は立てられぬ」(人っていうのは、うわさしたがりさ)ということわざや、The door wont open.このドアはなかなか開かない(このドアは開きたがらない)などの文から、このwillの意志性を感じ取ることができる。
  11. 冠詞と名詞の間にある何かは全て形容詞である。たとえば、my present article であれば、presentは形容詞なので、「現在の」という形容詞の意味にしなければならない。
  12. ミッション・インポッシブルは、後置修飾の形容詞である。形容詞は、adjectiveであり、ラテン語adは「〜に向かって」という意味で、jectjetと同じ「噴射」という意味なので、「名詞に向かって噴射するもの」という意味である。逆に言えば、名詞に向かって噴射されてさえいれば形容詞ということになる。形容詞というのは、文中における機能に注目した命名なのだ。ただし、これを形容詞の限定用法といって、用法はもうひとつある。それが叙述用法である。限定用法のcertain peopleだと、「ある一定数の人々」という意味だが、叙述用法Im certainだと、「私は確信している」という意味になる。しかしとはいえ、many people present at the meeting などは名詞に対して後置されたpresentがそこにbe動詞がないにもかかわらず叙述用法なわけで、叙述用法は、補語用法と言った方がいいのかもしれない。
  13. 「公園で踊っている女の子」などのように、日本語だと常に形容詞は前置される。しかし、英語だと、「踊っている女の子」はザ・ダンシング・ガールなので前置なのだが、「公園で踊っている女の子」だとザ・ガール・ダンシング・イン・ザ・パークですべて後置になる。英語は長くて重いものは名詞の後ろに垂れ下げる傾向にあるのだ。しかし、『一般言語学の諸問題』を書いたエミール・ヴァンベニストによると、前置されるのは職業的で恒常的なことで、後置されるのは一時的なことだという説もある。たとえば、ダンシングガールは踊っているというよりもむしろ踊り子であるということである。ちなみに、関係代名詞節というのは要するに後置修飾のことである。なぜ関係代名詞節が後置修飾になるかというと、前置するには長いからである。
  14. required documents は全て揃ってから提出されなければならないが、documents required だったらば、その限りでないなど、前置と後置でニュアンスがある。documents required は、「いま要求されている書類」と訳すとうまく処理できるし、required documentsは、「必要書類」と訳すとうまく処理できる。
  15. 「川は流れる」のように、川の定義から流れるが出てくるときに日本語は「は」を使う。対して、目の前の川が流れているときには「が」を使う。「東京に行きました」「東京へ行きます」という「に」と「へ」の微妙なニュアンスも存在している。「に」は完了や到着と相性がよい。「へ」は出発を表すのに相性がよい。
  16. アスペクトについてはだいたい以下のように理解するとよい。He began to talk.(起動相)。He continued to talk.(継続相)。He was talking.(進行相)。He stopped talking.(終止相)。ただし、現在進行形を取らない限り通常の動詞は終止相と考えられている。
  17. なにかの動詞にコトをつけて名詞化する方法は4通りで、①to不定詞にするか、②動名詞にするか、③what+不完全文にするか、④that +完全文にするかである。とはいえ、①と②には違いがあって、つまり、①to see is to believe.と②seeing is believing.の二文の間には違いがある。具体的にはどういう違いかというと、②の方は、具体的な経験を話していて、実際的だが、①の方は、抽象的で一般的な話をしている。だから、「見ることは信じることです」という文はどちらかといえば①である。②だと、「実際に見ることは、実際に信じることです。」というような感じ。もっと分かりやすく言うとすれば、未経験の場合①は「百聞は一見にしかずって言うだろ」のように使うことができ、経験済みの場合②は「たしかに百聞は一見にしかずだな」のように使うことができるということだ。
  18. 仏陀のブはビー動詞と語源が同じであるらしい。仏陀サンスクリット語である。ビー動詞はasという語の系列が混ざって出来たので、isareamも過去に存在したasという動詞の系列の活用である。ビー動詞の一人称単数形amに残っているmは、mymeと同じシステムのなごりである。ただ、古い話なので真偽のほどは定かでない。
  19. 言語学者の中には、日本語の主語は省略されうるという言い方を嫌う人がいる。なぜなら、省略というのは元々はあったことを前提する言い方だからであり、日本語はそもそも主語などないので、省略という言い方は適切ではないと彼らは指摘する。
  20. You cant buy friendship.という語に現れているyouジェネリック・ユーといって、個人を指すものではない。
  21. 倒置というのは、旧情報新情報の順序で話さなければ聞き手に「なんだか唐突な印象」を与えてしまうということに配慮する気持ちから生じると考えてよい。たとえば、On the wall opposite the door hung three paintings.という文だって、【MVS倒置】になっているけれども、これは、三枚の絵が新情報だからである。もし冠詞Theが三枚の絵についていたならば、旧情報だから倒置しなかっただろう。倒置の種類というのはだいたい以下の通りである。【否定語倒置】I never dreamed of such thing. →Never did I dream of such thing.MVS倒置】At the back is the garden.もしくはDown came the rain.CVS倒置】Happy is the bride on whom the sun shines(晴れの日の花嫁は幸先がよい).もしくは、Faint grew the sound of the bell(ベルの音がだんだん小さくなった).CSV倒置】Very happy they were.(主語が代名詞のときのみSVは転倒しない)もしくは、Unlucky they are who dont like their work.OSV倒置】Cats I like ;Dogs I dislike.もしくはClassical music I love.OSVO倒置】A car I gave her,not a bag.OSVC倒置】Even the things that Im not proud of,I accept as part of my journey to where I am today.SVCO倒置①】There are people behind the scenes who make possible the splendor of the stage.(舞台裏には、ステージの華麗さを可能にした人々がいる。これは、ポッシブルがCで、ステージの華麗さであるOよりも前に出ている。)【SVCO倒置②】Please find attached a file of the system development contract.(これは、Oが長すぎる情報なので、シンプルな情報であるCを前に出した例)【CSVO倒置】Attached please find a detailed statement.なお、疑問文というのは倒置だろうか。たとえば、What is this ?This is what ?CVS倒置なのだろうか。
  22. ところで、There is 構文というのがあるが、あれは要するにMVS倒置で、最初に旧情報たるThere isを述べて、存在文の形式だけを示しておいて、そのあとで、何が存在するのかという具体的な内容を後から新情報として告げる、という倒置である。There is a book on the tableなんてまさしくそうで、a book on the tableという重くて、具体的で、価値の高い新情報を後にもっていき、存在文であるという形式だけをThere isを前に持ってくることで告げているのである。ちなみに、There is my bookとか、There is the bookというのは不自然なのだが、なぜ不自然なのかといえば、旧情報が後ろに来てしまうことになるからである。もうひとつだけ付言するなら、There are 30 students in my class.というのはおかしくて、I have 30 students.とするべきである。There areというのは、物理的な存在言明や数学的統計のようなニュートラルさがあるからだ。
  23. 現在進行形というのは【習慣を破る表現】である。たとえば、Im living in Tokyoだったらその人が普段習慣的に住んでいるのは東京ではない。Im having this bagだったらその人は普段そのバックではないものを使っているがいまは違うということだ。マクドナルドの広告Im loving itや、Im liking itも同じである。I like apples.だったらその人の恒常的に好きなものを表現しているのである。Its snowing in Tokyo であれば、「東京には習慣的・季節慣例的に冬には雪が降るかどうかは別にして今、東京に雪が降っている」ということになる。同じく、What do you do ?が職業を聞いていて、What are you doing ?が習慣的には見えない奇妙なことをしている人に尋ねる文であることからもこのことは言える。というのも、明らかに今現在何をやっているか見れば即座に分かる人に対してWhat are you doing ?と聞くことは想定しにくい。
  24. Could youという疑問文は、「もしそれがあなたに出来るなら」という仮定が隠れているし、would you ?という疑問文は「もしそれがあなたの意志なら」という仮定が隠れている。Will you〜?という疑問文は「意志がありますか?」と聞いていて、多用すると失礼にあたる。
  25. 接続詞は常に完全文の節を導くんだから、ダジャレにして節続詞という呼称のほうがよくないか、とも思うのだが、例えばwhile you were watching TVyou wereを省略して、while watching TVとなる場合や、unless you are spoken tounless spoken toとする場合があるので、そうとも言えない。
  26. 英語の不定詞は①名詞的用法②形容詞的用法③副詞的用法というだいたい3パターンで処理できるわけだが、日本語にするときにそれぞれ①動詞すること②動詞するための③動詞するためにと訳すとうまく処理できる。
  27. ダグラス・マッカーサーが言ったI shall returnというのは、神の意志レベルの何かが考えられているのであって、自分の意志をはるかに超えた決定論のようなニュアンスがある。つまり、「私は必ずやここに戻ってくることになるだろう。」というようなニュアンスだ。それに対して、ターミネーターアーノルド・シュワルツェネッガーが言ったI will be backというのは、シュワルツェネッガーが演じたターミネーターさんの意志を表現している文章である。それを踏まえると、Shall we dance ?という文章は、運命論的な口説き文句であると言えるかもしれない。つまり、「我々は一緒に踊ることになっているのではないですか?」という、非常にキザな口説き文句である。とても、エモいではないか。Shallというモーダル(助動詞)には、「べき」という意味があるが、それはこういう運命論的ニュアンスである。それを仮定法過去にして少し心的距離を持たせると、Shouldになる。「もし万が一そんなことが起こることになっているとしたら」という文でshouldが使われる。
  28. To不定詞の名詞用法というのは、toというのが元来、未来志向が原義であるから、抽象的で、静的で、未来的(仮想的)な意味になりやすい。それに対して、ingを使った動名詞というのは、動画的で、具体的で、現在進行的、あるいは過去的で、リアリスティックな意味になりやすい。だから、I like to play soccer(=サッカーという競技をたった今はやっていないけどいつかやるとしたら、好きです)は、未来的で抽象的で、静的で、未来仮想的であるが、I like playing soccer(=サッカー実際好きです)というのは、現在的で具体的で動画的で実際的なニュアンスがある。seeing is believing.のような文章を、「実際に見ると、信じてしまう」のような訳し方にするとうまく処理できるのはこのへんの事情に由来している。たとえば、Nice to meet you.は初対面の人とのあいさつ。to meetはこれから起こることなので、会ったときすぐに言う。それに対して、Nice meeting you.は、動名詞meetingはすでにあったことなので、meetingは終わっていることになる。つまりこれは、「お会いできてよかった」という別れ際のあいさつなのだ。Jane tried to jog.(ジェーンはジョギングをしようとした)tryしたのはジョギングする前で、ジョギングしてみようかな、と思ったけど、やっぱりダメだったという感じ。しかし、Jane tried jogging.は「ジェーンはジョギングをしてみた」という意味になるので、すでにジェーンはジョギングを終えている感じがする。同じく、I forgot to take photos.は実際には写真を撮っていない。I forgot taking photos.は実際に写真を撮っていてそれを忘れている。
  29. 『部屋とワイシャツと私』という作品のタイトルに使われている「と」は、言語学ではコンジャンクションという。「金か女か」という文で使われている「か」は言語学ではディスジャンクションという。等位接続詞(導かれるものが同格になる。)は、and、or、but、nor、yetで、thatなんかは従位接続詞(導かれるものが同格にはならない。)という。
  30. 未来を表すにはだいたいとおりの方法がある。①Ill play tennis tomorrow.(will)②Im going to play tennis tomorrow.(be going to)Im playing tennis tomorrow.(進行形)。この三通りである。ただ、既に決まっていることに対してwill を使うのは不自然なので、もし確実に決まっているなら進行形になる。たとえば、Im getting married next year.などになる。
  31. Jeff is as tall as I.などの、原級比較構文についてだが、1つ目のas は「同じくらい」という意味の副詞である。2つ目のas は「~するのと比べて」という意味の接続詞である。1つ目のasはもともとsoであり、2つ目のasはもともとalsoであるという説がある。そもそも2つ目のasは接続詞なので、もともとの形は、Jeff is as tall as I am tall.だったのだ。しばしば口語(話し言葉)では「Jeff is as tall as me」と言うが、2つ目のas は接続詞なんだから、後ろにSV構造の完全文が続けることができやすい「Jeff is as tall as I」の方が、基本の形だ。また、そもそも1つ目のasは副詞のsoなので、否定文になると、soに先祖帰りすることがある。たとえば、Jeff is not so tall as I (am tall).という文はそのことがよく表れている。さらにいえば、He is as great a pianist as ever lived.とか、He drinks as expensive a wine as he can afford.などは、1個目のasが副詞だから起きている倒置である。
  32. 限定なきところに最上級や一番というものはない。最上級は範囲と限定と常に共に発生する。なぜなら、最上であるためには範囲の限定が必要だからだ。最上の概念には範囲と限定が組み込まれていると言ってもいい。だから基本的に最上級には定冠詞と、範囲の表現がともなう。ただし、theが省略される例外的場合もある。それが、形容詞が限定的ではなく叙述的に用いられるときである。具体的には主語のある一部分を他の部分と比較したり、主語のある時の状態を別の時の状態と比較したりするときにtheを省くのだ。The lake is deepest at this point.(その湖はここが一番深いは形容詞の叙述用法)、The lake is the deepest (one)in the world.(その湖は世界で最も深い湖であるは形容詞の限定用法)。He is happiest when (he is)left alone.(彼はひとりでいるときが一番幸福だは叙述用法。)、He is the happiest (man)of them all.(彼は彼等の中で一番しあわせな男だは限定用法。)
  33. thanthenに由来するという説と、whenに由来するという説があるが、thenというスペルはtheを含むし、thanという単語も音にザを含むので、比較されるべき対象を特定するニュアンスがあることが分かるだろう。
  34. 関係代名詞というのは、不完全文を使って情報を先行文に付加する機能であるから、後置修飾である。I have a friend who speaks frenchというのは、後置修飾である。なぜ後置修飾になるかといえば、前置するには長いからである。
  35. 誰かに頼まれたからとか、外的客観的要因や拘束によってやらなければいけないのがhave toで、主観的な思いや話し手の意志や義務意識や自分から他人への命令の気持ちからやらなければならないのがmustという説がある。例えば、自分が彼女と家飲みをしているときに、彼女にYou must go nowと言われたら、その彼女はそろそろ寝たいのである。しかし、You have to go nowと言われたら、終電が近いわよと教えてくれているのである。
  36. Bookの語源はbeechでブナの木。ブナの木の裏側に文字を書いていたかららしい。
  37. Charge というのは、「carに積載する」という意味だった。
    「象は鼻が長い」という日本語文は主語がどれなのか、わからない。象なのか、鼻なのか。
  38. Work hardとhard workというのは、前者は「一生懸命働け!」で、後者は「きつい仕事」なので、英語というのはそのレキシカル・アイテムの品詞あるいは機能はなにかというのが文中の語順と位置で決まっていることが分かる。それゆえ、品詞を逐一覚えていくというのは実はあまり意味がなくて、個々のレキシカル・アイテム(=文の要素のこと)の品詞(=機能)が決まるときに依拠されるところの仕組みを考える方が先決である。
  39. 過去進行形というのは、中断された過去について語る時制である。なぜなら、過去進行形が単独で使われることは少なくて、予期せぬ横やり的な事象と共に使われることが多いからである。突如何かによって中断されたことがらに過去進行形は使うのだ。例えば、I was reading a book when you called me.という感じで使うものなのである。(ちなみに、フランス語だと、Je faisais mes courses au supermarché quand j'ai rencontré Paul.という感じで、半過去と複合過去を使うのだが。)
  40. I have to read a bookはそもそもI have a book to read が先にあって、それが変化したもの。haveの語末を発音しなくなったので、ハフという発音になったらしい。
  41. 現在完了の文、I have written a letter.というのは、I have a letter written. が元々の形である。
  42. I have met him yesterday は間違い。完了系は過去と一緒に使えないので、フランス語と違う。だから、I am in New-York since two yearsも英語ではおかしい。I have been in New-York for two years なら大丈夫。
  43. マッカーサーは、アーサーの息子であるから、マックがつく。
  44. 不変の真理文は現在形であるというのは有名な話だが、それはつまり時制の一致を受けないということだ。例えば、He told me that time is money となるわけだ。ここは注意が必要。ところで、日本語の「現在形」という言葉で日本人が印象を抱くのはむしろ現在進行形のほうであって、「現在形」という呼称はむしろ「習慣形」とか「通時不変化形」にした方が良くないだろうか。
  45. 三単現のsのどこが便利かと言えば、それをみるだけで、主語が三人称であり、単数であり、しかも時制(テンス)が現在であるという情報が分かり、しかもそれがたった一文字で表示されるということである。
  46. 過去進行形というのは過去のある時点を限定してくるwhenの節抜きで単独で使われるということは考えにくい。たとえば、My mother was watching TV when I was came home. のようにあらわられることが多い。ちなみに、未来進行形だって事情は同じであって、My son will be playing baseball tomorrow morning.のようにして未来の時点を限定して使われる。
  47. She is no less wise than her mother. (彼女は母親と同様に賢い。)や、A whale is no more a fish than a horse is. (クジラは馬と同様に魚ではない。)などのように、むしろthanを「同様に」と訳すとうまく処理できるような文がある。もちろんこれは、「彼女は母よりもまったく愚かでない」とか、「馬が魚ではないということよりも、鯨が魚でないということの方が大きいということは全くない」という風に直訳することもできるわけだが。
  48. I have no more than 1000 yen.は財布の中身を否定的に見ているし、I have no less than 1000 yen.は財布の中身を肯定的に見ているけれども、結局のところ、もっている金額は1000円ぴったりであって、客観的には同じ事柄を言っていて、事柄的には1000円が財布の中に入っているのだが、主観的な価値付けに違いがあるのだ。前者は「1000円しかない」、後者は「1000円もある」と訳出する。
  49. I'm prepared to endure it.という文は、I'm prepared to put up with it.という文に変換できるわけだが、put up with something に「何かを我慢する」という意味があるのはなぜかといえば、「with以下に関連して、自分を(!)upな状態にまで活動性を高めておく」というのが原義だからである。つまり、put up(宿泊する)とかput up with(我慢する)には、put oneself up的な含みがある。
  50. Franklin was elected to serve in the Congress.という文は、Franklin was put in to serve in the Congress.に変換できる。なぜなら、当選することによって議事堂の中に置かれるからである。
  51. 数えられるっていうことがどういうことなのかをしっかり考えると、数えられるっていうのは、なんらかの個体性や固体性や塊性や形性っていうのを前提しているってことがわかるはずだ。An appleというのは個体性のあるリンゴであるが、appleというのはリンゴのすり身である。grey hairs は床に落ちている何本かの白い髪の毛であるが、grey hair は白髪(はくはつ)のことである。
  52. progressとdamageはfurnitureとbaggageは不可算名詞なので気をつけること。例えば、*causing no major damagesという文は誤りだし、you have made a great progress.も誤りであるということ。
  53. Change trainsや、exchange business cardsや、make friends のように、必ず複数形になる時の複数形になり方を「相互の複数」と呼ぶ。
  54. 現在完了形というのは、①完了用法(Lucy has just finished her research.)と②結果用法(He has gone to Iraq.とかShe has lost the key to our house.)と③経験用法(I have seen the movie twice.)と④継続用法(I have known him since he was just a kid. とか、I have known him for five years.)の4つがあるということになっているが、一番多い使われ方は④継続用法である。①完了用法はjustとかalready のような副詞をつけて比較的最近あるいは直近に完了した出来事について使われる。②結果用法もあくまでも過去の動作が今は完了した結果のその現在に力点があるので、その過去のことによって今困っているとか、今はいなくなってしまった、などのような含みの意味がある。ところで、今あるなんらかの状態というのは大抵、過去からスタートしてそれが現在まで継続していることが多い。例えばある人がお腹が空いている状態にあるという場合、突如、その人は今この瞬間にお腹が空いた状態になったわけではない。お腹が空くという現象はそのように突発的なものではなく、幅のあるものだ。同じ事柄について、日本語では「はら減ったなぁ」と完了形を使うが、英語というのはsinceやforを使って特別にお腹が減っていた期間に価値がない限り、これをI have been hungry.とは言わず、端的にI'm hungryと表現する。ちなみにフランス語では、日常表現したい過去のことの殆どが現在に繋がりを及ぼすような事柄であるという特性を生かして、現在完了(複合過去)形で過去のことを表現するようになっている。
  55. 英語の特徴というのは、3単現のs以外の活用が消失していること。補語(C)を使っていること。Thの書き分けがないこと。長母音が二重母音になること。ゲルマン語派なのに、ロマンス諸語とヘレニック語派からの大量の語彙があること。語末にOとEの短母音が立てないこと。自由アクセントであること、などなどである。
  56. 英語と日本語の違いは、英語は「無生物主語」(無機物を擬人化する)を容認するが、日本語は「人間主語」の傾向が強い(あまり擬人化しない)。英語では、自己を他者化することが多いが、日本語では自己を原点として知覚した表現をするとか、他にも、「名詞中心の英語」対「動詞中心の日本語」というのもあるし、「客観的事態把握の英語」対「主観的事態把握の日本語」というのもあるし、「人間中心型の英語」対「状況中心型の日本語」というのもある。
  57. *I killed him,but he didn't die.のように、killという過去形の動詞にはその意味にその動作の完了までが含まれている。このような例はたくさんあって、例えば、以下の例は全て誤文である。*I burned it,but it didn’t burn. *I persuaded him to go,but he wouldn’t go.  *I boiled water,but it didn’t boil. *I did the assignment,but didn’t finish it all.  *I helped her solve the problem,but she couldn’t solve it. *I floated the boat,but it didn’t float.  *I melted the frozen food outdoors,but it didn’t melt.  *Mary drowned,but she didn’t die.  *I divided ten by three,but I couldn’t divide it.  *I mixed them,but they didn’t mix.  *I woke him,but he didn’t wake.これらのことを考えることのできる池上嘉彦先生の本は非常に参考になる。
  58. 生成文法について】言語の形式的特性を文法と呼ぶ。文法とは中核的に言えば、音声と意味とを繋ぐシステムのことである。これを統語演算と呼ぶ。統語演算とは、どのように単語を並べると文法的に正しい表現ができ、どのように単語を並べると非文法的な表現になってしまうかを決定するシステムである。言語獲得とは、生成文法的に言うと、赤ん坊が周囲で使われている言語から判断して個々のパラメータについて真偽どちらにするかを決定していくプロセスということになる。言語獲得の時間軸に沿った言い方をすれば、普遍文法は言語能力の初期状態であり、個別文法(日本語や英語などパラメータ選択が終わった状態)は最終到達状態ということになる。統語演算に関しては2歳のときにはもう大人と同じくらいパラメータの値が決定され終わっているというデータがある。通常言語機能は脳の左半球にあるとされ、左脳に損傷を受けた場合に失語症になることが報告されている。ところで、次の文は二通りの解釈がある。John saw a man with binoculars.という文に関して、望遠鏡を持っているのが誰なのかは二通りの可能性がありうる。The mother of the boy and the girl laughed.という文に関しても、母だけが笑っているのかに関して可能性が二通りありうる。これをストラクチュラル・アンビギュイティーという。そしてこのアンビギュイティー(多義性)を作り出しているのが、どの単語とどの単語がグループを作るかというコンスティテュエンシー(構成素構造)である。ちなみに、単語のグループのことを構成素(コンスティテュエント)といって、どちらが左に来てどちらが右にくるのかという前後関係のことをプリシーデンス(precedence)という。英語のフレーズストラクチャールールズは以下の通り。S→NP VP、S→NP Aux VP、NP→Det N、NP→N、NP→Det N PP、NP→Det N S(関係詞節)VP→V、VP→V NP、VP→V embedded S、VP→V CP、CP→C embedded S、PP→P NP、X→X Conj X、X''(XP=最大投射)→(WP=指定部),X'、X'(=中間投射)→X',(YP=adjunct)、X'→X,(ZP=補部=argument)。(あるノードのすぐ下にあるものはそれが直接支配していると言う。直接支配するのがマザーで、されるのがドーターである。ドーター同士はシスターと呼ぶ。ノードの遥か下にあるものは単にドミネイトしているという。このようなドミネイティング関係をストラクチュラル・リレーションと呼ぶ。文Sに直接支配された名詞句NPは主語として定義される。また、前置詞Pのすぐ隣にある名詞句をPの目的語というふうに、「目的語」や「主語」や「述語」という語を句構造上の位置で定義する。これをグラマティカル・リレーションによる定義と呼ぶ。)これだけあれば、Mary read the book.くらいなら句構造樹形図はすぐに書ける。日本語のフレーズストラクチャールールズは、ヘッドの位置がイニシャルからファイナルに変わるので英語のやつだとダメで、VP→NP Vとしたり、日本語の助詞は後置詞なので、PP→NP Pのようにしなくてはならない。Fromの「から」や、道具の「で」、目的地を示す「へ」は後置詞Pでよいが、「が」と「を」は名詞の付属物であるから、Pではない。また、Did he do that ?というような文に生じている、意味を担っていないdidのような助動詞のことをexpletive なdoと呼ぶ。助動詞には、①modals(willとcanとmustなど)と、②完了のhave とbeがあり、③疑問文のdoの三種類がある。
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